第八章 女王の涙
第64話 借金王、アイルランドに上陸する
「なんの反応もねーな……いきなり矢でも撃ってくるかと思ったんだが」
リバプール港で雇った俺達の船はアイルランドのダブリン港へと近づいていた。地元の商人の話では、今までエルフ達はときおりリバプールを訪れていたらしい。森で採れる薬草や香木とひきかえに様々な日用品を買うためだ。しかし半年ほど前から、ぱったりと音沙汰がないらしかった。
港に着いてもまったく人影は見当たらなかった。その理由は隣接する村に入るとすぐにわかった。あちこちに倒れたエルフの死体が転がり、半ば白骨化している。ジャンヌが俺の袖をギュッとつかんだ。
「ひどい……」
死体を調べていたアリーゼが振り返った。
「死因は黒死病でちね」
「黒死病をまき散らしたのはエルフだと思ってたが……違うのかもしれねーな……」
「あそこで煙が上がっているぞ」
周囲を見回していたクリスが指し示す先に、幾筋かの煙が上がっていた。
村を抜けた森のそばに天幕がいくつか張られ、その周囲でエルフ達が炊事をしていた。俺達に気がつくと数名が弓を向けてくる。俺は手をあげて敵意が無いことを示した。
「よう、大丈夫か?」
「おまえ達はいったい……?」
「イングランドからあんた達の仲間を大勢殺した病気を追いかけてきた。誰か事情を話してくれる奴はいねーか?」
「村長がいる。だが、もう長くはない……」
「私が治します! 案内してください!」
エルフ達はつがえたままの弓をジャンヌに向けた。だがジャンヌはまっすぐな視線を逸らさない。
「……いいだろう。こちらだ」
やがて一番年長と思われるエルフがついて来いというように手を振った。
一番大きな天幕に寝かされていたエルフの村長は痩せ衰え、ほとんど死体にしか見えなかったが、ジャンヌの神聖魔法で息を吹き返した。それを見て緊迫していた空気が緩む。脈や呼吸を確認したアリーゼがうなずき、俺は話を切り出した。
「イングランドから黒死病の原因を追いかけて来たんだが……何があった?」
「わからぬ……。あるときから、急に皆が病に倒れ始めたのだ。この病は黒死病というのか?」
「ああ。あとで治療法と予防法を教える。それで……あんた達の女王様はどこにいる?」
「……この事態に我らは女王様に助けを求めた。だが、深き森の都〈アヴァロン〉へと至る道には霧の結界が張られ、誰も近づくことができなくなっていた。この病が流行り始めてから女王様のお姿を見た者はおらぬ……」
「……魔法の霧なら〈聖剣〉で打ち消すことができるでち」
横で囁くアリーゼにうなずき、俺は村長に言った。
「話してくれてありがとな。女王様には俺達が会いにいくぜ」
「人間よ……。どうするつもりだ……?」
「とにかく会ってみなきゃわかんねーよ。あんた達はしっかり養生しててくれ」
「すまぬ……。せめて我らの馬を使うがいい。森を行くには役立つはずだ……」
村長は深いため息をつき、ぐったりと眠りに落ちた。
***
その後はジャンヌがエルフ達の治療を行い、アリーゼが黒死病対策として水場の確認、薬草の処方、死体の始末などを指示しはじめた。
その間に俺とクリスはエルフ達が使う馬を見せてもらった。なんと頭部にわずかながら角が生えている。蹄の後ろに長い毛を生やした銀色の毛並みの美しい馬達は、俺が触ろうとするとイヤそうな顔をし、クリスに触れられると気持ち良さそうに頭を押しつけている……まったく、スケベな連中だ。俺は馬の番人に聞いてみた。
「こいつら……もしかして
「いや、この子たちは〈エルフィン・ホース〉と呼ばれている。一角獣の血も少し混じっているらしいが」
「男でもちゃんと乗せてくれんのか?」
「それは大丈夫。きちんと働くよう、言い聞かせておく」
馬の番人(美しい女のエルフだった)はうなずいた。そして、いきなりクリスに向かって言った。
「ところでおまえも処女だな? 馬達の懐きようでわかる」
「なっ!? いいい、いきなり何を言っている!? 」
クリスは飛び上がり、目を泳がせた。馬の番人はうんうんとうなずく。
「いや、私も馬の番人の間は男を作ることができないからな……お互いつらいが、頑張ろう」
「ほ、ほ、ほ、ほっとけーっ!」
顔を真っ赤にしたクリスはすごい勢いで馬小屋を飛び出して行った。おいおい……これじゃ、明日からの旅がメチャクチャ気まずいぜ……。
その日は黒死病の用心のために船の中で眠ったが、朝までクリスは口を聞かなかった。アリーゼが興味津々といった様子で俺達の顔を交互に見ていたが、もちろん俺は口を割らなかった。
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