第七章 巨人来襲

第55話 借金王、城壁を見上げる

グラストンベリーから馬を走らせること五日。俺たちの前に、地平線まで続く高さ八メートルほどの石壁が立ちはだかっていた。


「これ、すごい壁ですね……」

「ああ。こいつは〈賢帝城壁〉ハドリアン・ウォールと呼ばれてる。古代ローマ時代に作られて千年経つそうだが、立派なもんだ」


ジャンヌが目をパチパチさせながら見上げるそばで、俺も石壁を軽く叩いてみた。その感触は山のように揺るぎない。


かつて北方の蛮族の侵入を防いでいたこの壁も、現在では放置されるがままになっている。道の先の城門は大きく開かれているので、通過に支障はないはずなのだが……。


「おーい! ゆっくり遺跡見物してる場合じゃねーだろ? 早く先に進もうぜ!」


先ほどからアリーゼが城壁をじっくり眺めていた。ついには壁の上にある回廊や、数百メートルおきに設置された監視塔にまで登り始める。


「しょうがねぇ……ちょっと早いが昼飯にするか」

「それじゃ、わたしは川で馬に水を飲ませてきますね!」

「ああ、頼む」


ジャンヌが馬を引っ張って行くのを見送り、俺は魔法の鍋を取り出した。


「ちょっと料理用に水をくれねーか?」

「あ、ああ……これでいいか?」


クリスは革袋から水を鍋に注いでくれた。だが、なぜか水を注いだ後も俺のそばから動こうとしない。


「どうした?」

「……だっ、ダリル……その……のどは乾いてないか?」

「ん? ちょっと乾いてる」

「なら……飲め」


妙にぎこちない動きで彼女は木のカップを取り出した。


「それ、おまえのカップだろ? いま、俺のを出すから」

「べっ、別にそんな手間をかける必要はないだろう。私のを使え」

「まあ、おまえがイヤじゃなけりゃ良いけどよ」

「いっ、いやじゃない……むしろうれしいというか……」


彼女の声は、急に強く吹きつけた風にかき消されてよく聞こえなかった。


「そっ、それじゃカップに水をいれるから……あっちを向いてろ!」

「へ? なんで?」

「い、いいから! ほ、ほら料理を始めろ!」


怒ったようにクリスは俺に背中を向け、ごそごそと水をカップに注ぎ始めた。俺は首をひねりつつも昼飯の支度にとりかかる。


「ほ、ほら。飲め!」

「お、サンキュー……」


乾燥タマネギを刻んでいた俺は、何気なく片手を差し出した。だがよそ見をしながらだったため、クリスと手がぶつかり、カップは地面に落っこちてしまった。


「あ、わりぃ……。って、おい!? なんでそんなこの世の終わりみたいな顔してんだよ!? 」


クリスは地面にできた水の染みを見つめ、わなわなと身体を震わせていた。


「ぜ、絶好のチャンスだと思ったのに……なんでここでカップを落とす……」

「……ど、どうした? あ、もう一回、水もらっていいか?」

「お前なんかにやる水はない! 私も川に行ってくる!」


クリスは急に走っていってしまった。


          ***


しばらくして、ジャンヌが不思議そうな顔をして帰ってきた。


「クリスさんが『ダリルのバカーーーッ!』って叫びながら、川に小瓶のようなものを投げこんでましたけど……なにかあったんですか?」

「いや……俺にもよくわからねぇんだ。水を入れたカップをうっかり落としただけなんだが……。砂漠じゃあるまいし、水が貴重品って訳でもないよなあ……?」


そこにひょこっとアリーゼが帰ってきた。


「にゃはは。ダリルっちは鈍感でちからね〜。きっと、クリスっちが勇気を振り絞ってやったことを、あっさりフイにしたんじゃないでちか?」

「まったく身に覚えがねーぞ? それより、もういいのか? おまえがこんなに遺跡好きだったとは知らなかったぜ」

「そういう訳じゃないんでちけどね〜」

「……?」

「ま、あとでわかるでちよ。それよりお腹が空いたでち! 今日のお昼ご飯はなんでちか?」

「タマネギとベーコンのスープに山羊のチーズの燻製、堅焼きパンだ。クリスが戻るころにはできるだろ」

「にゃるほど〜。それをダリルっちがふーふーして、ボクに食べさせてくれるわけでちね? 期待に胸が膨らむでち」

「なんでそういう話になるんだよ!」

「わぁ! わたし、山羊のチーズ大好きなんです!」

「ったく、ジャンヌみたいな反応が普通だろ……グラストンベリーの修道院で買っといたんだ。あの修道院、このチーズでかなり儲かってるらしいぜ? ほんと、いろいろ商売上手だったよな……」

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