第28話 借金王、多頭龍と戦う

 彼女は巻物スクロールを開き、次々と呪文を唱えていく。複雑な魔法陣が足元に浮かんでは消え、青い魔素が周囲を乱舞した。ジャンヌも女神の聖句を唱え始める。


〈魔力飛翔〉マギカ・プテーシス

〈耐毒結界〉プロリプ・トキシン

〈武具への炎の付与〉プロクス・ドステ・オプロ

〈巨人の息吹〉プシュケ・ギガース

〈心身加速〉タキオン・カルディ・ソーマ

〈女神の祝福〉フェーミナ・デウス・ベネディクション

〈女神の護符〉フェーミナ・デウス・アムレート

〈戦神の歌〉プグナ・デウス・カントゥス


ふたりの呪文が唱えられるにつれ、俺達四人の身体は青い光に包まれていった。


「ふぅ……これで全部でちね」

「私も終わりました!」

「それじゃ……いくぜ!」


軽く地面を蹴ると、俺の意思のままに身体が空中に浮く。

クリスに目で合図して、俺は池の上を滑るように飛び始めた。半分ほど渡ったところで多頭龍ヒドラが首をもたげ、鍾乳洞全体を震わせる凄まじい咆哮をあげる。


ちらりと背後を振り返ると、ジャンヌは取り乱すことなく踏みとどまっていた。

やや後方を飛ぶクリスが声をかけてきた。


「ダリル。金に糸目をつけずに援護するか?」

「……いくらだよ?」

「一発あたり十金貨だ」

「はあ!? 一発で千銀貨ってことかよ!」


俺は迷った。だが八本首が相手となると、あまりケチってはいられない。


「……頼む」


クリスは軽くうなずくと、腰の皮ケースから黒光りする金属製の矢を取り出した。


離れ小島に降り立った瞬間、多頭龍ヒドラの八つの首がいっせいに襲いかかってきた。巨大な顎の中で猛毒を秘めた鋭い牙が閃く。


身体をねじり、盾を掲げ、剣でその攻撃をいなす。目の前の真っ赤な口内から、絶え間なく生臭い吐息が顔に吹きかかってくる。


〈避けえぬ死神の一撃〉フェイタル・キリングショット!」


竜巻が通り過ぎたような音がして、多頭龍ヒドラの首が一本、根元から吹き飛んだ。その傷跡は巨大な手で捩じ切られたようにひきつれ焼けただれている。再生する心配はなさそうだった。


「くらえ、千銀貨のうらみ! 〈致命の一撃〉ヴォーパル・ストライク!」


剣を水平に振り抜くと、多頭龍ヒドラの首がもう一本飛んだ。もちろん俺の剣にもアリーゼがかけた魔法の炎が宿っている。


だがその隙をついて、多頭龍ヒドラの頭の一つが俺の肩に牙を突き立てた。傷口に燃える松明を突っこまれたような痛みが走る。牙から注ぎ込まれた猛毒だ。耐毒魔法のおかげで即死級の威力は軽減されているが、注入された毒の効果は継続する。


〈解毒〉エリミナーダ!」


いつのまにか背後にいたジャンヌが聖句を唱え、神聖魔法をかけてくれた。体内のうずくような痛みは消えたが、俺は思わず怒鳴り返した。


「ばっ、馬鹿! なんでこんなとこまで来たんだよ!」

「すみません! これ、相手の身体に触れないとかけられないんです!」


当然のように多頭龍ヒドラの首がいっせいに襲いかかってきた。俺に三本、彼女に三本。ジャンヌは顔面蒼白になり麻痺したかのように固まっている。俺はとっさに盾を放り出して彼女を抱きかかえ、剣を頭上にかざした。


〈剣の城塞〉ブレイド・フォートレス!」


それは自分を対象として不壊ふえの結界を張る刀剣武技ブレイドアーツ火龍レッドドラゴンの灼熱の吐息ブレスだろうと、弓の一斉射撃だろうと一度だけ跳ね返すことができる。多頭龍ヒドラの六本の首が結界にのしかかり、俺の長靴がズシリと地面にめり込んだ。


「ほら、離れてろ!」

「はっ、はい……!」


ジャンヌを下がらせ、俺は剣を両手で構え直す。盾を失った今、長期戦は不利だった。一気に決着をつけることにする。


不可思議な障壁に攻撃を阻まれた多頭龍ヒドラが再び首をもたげた。その瞬間、クリスの第二の矢がさらに一本の首を吹き飛ばす。


〈雷龍の咆哮〉サンテル・ドラコーン・ヴィート!」


つづいてアリーゼの魔法で生み出された紫色の雷光が閃き、多頭龍ヒドラの首をボロボロの黒い炭に変えた。残る首は四本。


俺は押し寄せる四本の首のすき間を縫って飛びこんだ。鋭い鱗が顔面ギリギリをかすめて頬を切り裂き、血しぶきが舞う。だが俺は気にすることなく、多頭龍ヒドラの懐奥深くで最速の刀剣武技を放った。


〈八連剣〉オクタ・ブレイド!」


心身の動きを倍加する魔法の力を借りて、〈四連剣〉クワドラ・ブレイドを連続で発動する八連撃……四本の首に二回ずつ斬撃を叩き込み、俺はそのすべてを斬り落とした。


多頭龍ヒドラの胴体がゆっくりと傾いていく。倒れ伏した瞬間の巨大な衝撃は、鍾乳洞全体をいつまでも震わせていた。

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