第7話 借金王、油断する

扉を開けた瞬間、獣を閉じこめた檻のように生臭い匂いがした。むき出しの岩肌の一部が等間隔で青白く光り、広間を薄暗く照らしている。


正面の壁に刻まれた麦の穂と羽根を組み合わせた女神カルディナの聖印が、大量の血をかけられけがされていた。その真下には水の湧き出る泉があり、手前には小さな箱が載せられた石造りの祭壇があった。


「誰かいるのか?」


ずかずかと中に入ると、泉の中に組まれた木製の足場の上で、長衣ローブをまとった人影が壁に魔法陣を描いているのが見えた。さらに足場を支えている人影が三つ。


「よう。おまえら……なにしてんだ?」


俺の呼びかけに応えはなかった。そいつはすばやく足場から降りると壁に立てかけられていた杖を手にする。足場を支えていた人影もいっせいに泉から上がった。どうやら見られちゃ困ることをやっていたらしい。


杖を持った人影が呪文を唱え始めると、そいつの足元に複雑な紋様が浮かびあがった。頭上では魔素マナが青い光となって渦を巻き始め、徐々に矢のような形に収束していく。


「魔術師だ! ジャンヌ、隠れてろ!」


そう叫びながら突進した俺の前に、先ほどの三体の人影が立ちふさがる。


「今度はホブゴブリンか!」


接近して初めて見えたのは、緑色の肌と口から飛び出した牙。ゴブリンよりも二回りは大きい人型の怪物。鋲を打ちこんだ皮鎧を身につけ、柄の部分を鉄で補強した戦斧を構えていた。


「雑魚相手にもったいねーが……〈致命の一撃〉ヴォーパル・ストライク!」


水平に振り抜いた長剣が先頭にいたホブゴブリンの首を跳ね飛ばす。見た目の派手な刀剣武技ブレイド・アーツでビビらせるつもりだったが、残りのホブゴブリン達はおびえもせず、いっせいに反撃してきた。


〈蒼き魔弾〉マギカ・ブレ・ヴェオス!」


魔術師の放った魔法の矢が生きているかのようにホブゴブリン達の間をすり抜け、俺に突き刺さった。その青い光の矢は鎖帷子を素通りしてダメージを与えてくる。


「ぐっ……」


口の中に苦い鉄の味がこみ上げる。ホブゴブリン達の戦斧が暴風のように左右から襲いかかってきた。


しかし、しょせんはホブゴブリン。一瞬でカタはつく……そう思ったとき、視界の端でジャンヌが祭壇に駆け寄るのが見えた。


「お、おい!? おとなしくしてろって!」


俺が叫んでも彼女は止まらなかった。そして、その動きに気づいた魔術師が標的をジャンヌに切り替えた。


「ダリル、おまえの借金に追加しておくぞ? 〈混沌の魔弓〉ケイオス・ボウ!」


俺の返事を待たず、クリスが牽制の矢を放つ。その射撃武技バレット・アーツで魔術師は呪文の詠唱を妨害され、魔法は完成前に消失した。


一方、祭壇まであと一歩のところへ近づいたジャンヌの足元に突然青白い魔法陣が浮かび上がった。床にしかけられた罠だ。すさまじい勢いで黒い炎が噴き上がり、彼女を一瞬で包み込む。


「ジャンヌ!! 」


同じような罠で死にかけた昔の仲間の姿が脳裏に浮かび、俺は思わず叫んだ。彼女の必死に伸ばした手が祭壇の上の小箱に触れる。すると箱から爆発するような勢いで溢れ出した白い光が黒い炎をかき消した。


「ふう、焦ったぜ……っ!? 」


ジャンヌに気を取られていた俺の脇腹に、いつのまにか背後に回っていたホブゴブリンの短剣ダガーがわずかに刺さっていた。即座に叩き斬ろうと剣を振るったが、まるで力が入らない。どうやら麻痺系パラライズの毒が塗ってあったらしい……そのうち視界までボヤけ始めた。


「くそ、油断した……」


よろめきながら剣を構え直そうとするが、手足が言うことを聞かない。正面のホブゴブリンがゆっくりと戦斧を振りかぶった。こ、これはヤバい……そう思った刹那。ジャンヌの美しい声が洞窟全体に響き渡った。


〈女神の白き癒しの手〉フェーミナ・デウス・サーナーティオ!』

 

次の瞬間。俺の全身のしびれは消え、さらに傷もふさがっていた。それは修行を積んだ僧侶のみが神に与えられる力。彼女が使えるはずのない神聖魔法だった。


「うらあああっーーー!」


わけがわからないまま俺は雄叫おたけびを上げ、振り下ろされた戦斧を長剣で跳ね返す。そして、がら空きになったホブゴブリンの顔面を叩き割った。


さらに振り返りざま、呆然と立ちすくむホブゴブリンを肩口から斬り裂き絶命させる。それを見た魔術師は壁の隠し扉から逃げ去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る