第4話 契約条件・契約事項

「その人は?」


 私はマスターと呼ばれた、おそらくこの店の主であるその人から目を逸らせずにいた。

 だが彼は、私のことなど無視して、カウンターの中にいる女性、先ほどまでは私が店主と勘違いしていた店員さん、である彼女に話しかける。


「おそらく、マスターへのお客さんかと」


「みればわかるよ、どこまで聞いたかって話」


「まだ、なにも聞いてませんよ」


 女性は先ほどとは違う、どちらかといえば業務用のような微笑みながらマスターへと言葉を返す。

 その言葉を聞いたマスターは明らかに不機嫌な表情をした。


「困るよ、そういうのは聞いといてくれないと」


「私の仕事内容には含まれていないもので……その分お給料を上げてくれたら対応いたします」


 なんだか現金な話が聞こえてきて、私はどうしてよいかわからず、声を上げてしまう。


「あの!」


「あー……客だっけ? うん、仕事はちゃんとやんなきゃね。チカ、奥の部屋開けてくれる?」


「かしこまりました」


 チカさんと呼ばれた店員さんは、カウンターの向こうの小さな引き出しから鍵を取り出して、カウンター横の部屋の鍵を開ける。


 マスターは、そちらへ歩いていくと、急に笑顔になってこちらを振り向いた。


「お客様、どうぞ」


 その表情の変わりよう、そして違和感のなさに、私はちょっと寒気を覚える。

 この人は、ゆう君や、私の周りにいる人たちとは全く違う人種の人間だ。


 怖いなら、近寄らないほうがいい……


 本能が私に告げる。

 でも、こんなところで引くのは私のプライドが許さなかった。

 負けちゃダメ、アカリ、頑張るの!

 私は、自分の心を奮い立たたせる。


「はい」


 カウンターから立ち上がって、示された通り、奥の部屋へと向かう。


 扉の向こうには、小さな机とテーブルをはさむように設置された椅子。

 そして、机の上には何枚か紙と筆記用具が置かれている。


「お客様、そちらにおかけになって、アンケートをご記入ください」


「……はい」


 私は怖くなる心と逃げ出したくなる体を必死に抑えながら、椅子に座る。

 そして紙を手に取り、鉛筆を持つ。


 紙たちは簡単に言えばアンケート用紙のようなものだった。

 簡単に応えられるような○×から、私のちょっと答えたくないような質問までそこにはあった。


 回答につまった私は、アンケート用紙からちらりと顔をあげて、マスターの方を見る。

 絶対私のことなんて見ていないだろうと思っていたのに、彼はまっすぐ私の方を見つめていて、私はかなりドキッとする。


「な、なんで見ているんですか」


「当たり前ですよ、お客様とは期間内ずっと恋人でいるわけですから、アンケート以外にも事前の観察は必要です」


「観察って言われるといやだな」


 私はその言葉をなんだか不快に思って言う。

 でも、そんな私の言葉をマスターはにこにこしながら、受け流した。


「申し訳ありません、これも期間中完璧な恋人をお届けするためとなっています。ご了承ください」


 それならしょうがないな、と納得してしまう自分がいて悔しい。

 質問はどんどん恥ずかしい部分を追求する内容になってくる。

 

 最初は、好きな食べものやデートに行きたい場所。希望する会う頻度などだったのに、どんどん私の内側の恥ずかしい部分への問いかけになっていった。初体験の年齢、ファーストキスの場所と年齢、相手……今までの恋愛遍歴、性交渉歴、そして、契約恋人との性交渉を望むかまで。

 これって、この人と、目の前のこの人とエッチなことするかどうか、聞かれてるわけだよね、ひどいアンケート。

 そんな恥ずかしいこと、答えたくない。


 鉛筆の動きがとまってしまう私。

 そんな私をのぞきこむようにしながら、マスターは言う。


「全部、記入してくださいね。そのアンケートに答えていただかないと、こちらは仕事ができないもので」


「わかってますよ」


 私の負けず嫌いが発動する。

 私はえいっと、心の中で掛け声をかけながら、性交渉希望の部分に〇をつけた。


 いいんだ。


 どうせ、初めてして、たった一人だけと誓った相手には裏切られた。


 だから、私は変わらなきゃいけないんだ。


 私は深く考えるのをやめて、一気に最後の質問まで回答する。


 最後の方は性別の質問だった。


「あなたの心の性別はなんですか? また、あなたの体の性別はなんですか? って私のこと馬鹿にしてます?」


 回答を終え、私はちょっとむっとしながらマスターに問いかける。


 一方、マスターは私の問いに静かに応えた。


「ここには、様々なお客さんが来るんですよ、本当に様々な」


 そう言いながら、私が机の上に置いたアンケート用紙を回収する。

 その後、それにざっと目を通したマスターは私にかけて微笑みかけてくる。


「ちゃんと全部記入されているようですね。ありがとうございます」


「記入しろって言われましたから」


「この情報は、個人情報として私共の方で徹底管理させていただきます。恋人期間終了後速やかに破棄され、外部に漏れることはありません」


「はい、そうじゃないと困ります」


 悪用なんて考えてなかった私は、急にこのお店のことを疑わしく思ってしまう。

 勢いであんなに素直に、大胆に質問に答えてしまったが、あれがほかの人に知れたら本当にイヤダ。このお店、本当に大丈夫なんだろうか……。

 でも、ミキちゃんも大丈夫って言ってたし、大丈夫だよね。

 私は自分を安心させるためにそう心に言い聞かせた。


「確認です。契約開始は明日より、明日は大学がお休みということなのでデートをご希望ということでよろしいでしょうか?」


「はい」


 私は、自分で書いた希望内容を頭の中で思い出しながら答える。


「私たちは、あなたの人生にとって完璧な恋人を演じられなかった場合には、お金を頂きません。ですからお金は、契約期間終了後にいただきます」


「わかりました」


 ぜひこの人のあらを探して無料にしてやろう、私は心に決める。


「契約期間終了後、恋人契約は延長することも可能です。その場合は、再度このお店までいらしてください。また、私は、二人でいるとき、契約恋人である、という事実を出来るだけ伏せて生活します。契約恋人であることを前提に完璧な恋人であることは、難しいですからね」


 ぜひ、私の方からはたくさんいってやろうと思う。


「それでは契約完了です。明日より1か月、完璧な恋人のいる人生をお楽しみください」


「はい」


 私はマスターの言葉を聞いて、心の中でたくさんの決意をする。


 これは、ある意味挑戦なんだ。


 私は、恋人をゆう君しか知らない。


 だからこれは、私のこれからの人生がどう広がっていくかの挑戦。


 決して、完璧な契約恋人、なんて存在に、一人でいたくないから甘えるわけじゃない。


「では、今日はおかえりいただいて結構です」


 私を出口へと促すマスター。


 私は色んなことを考えながらその部屋を後にする。


 マスターは、私についてはこなかった。


 部屋から出ると、あの美人の店員さんが、私の方に微笑んできた。


「なにかあれば、連絡くださいね」


 そう言いながら名刺を差し出してくる彼女。


 心配してくれてるのかな?


「ありがとうございます」


 名刺を受け取りながら私はお礼を言う。

 そして、一礼して、私は喫茶店を後にするのだった。

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恋人に捧ぐ完璧な人生 篠騎シオン @sion

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