11.運命の人
バアン、と部屋のドアが開かれ突然響いた大音声に、バランスを崩した俺と女、そして巻き込まれた親父さんの三人はもんどり打って倒れた。
ゴン、という鈍い音に続いて、ガシャン、と何かが割れるような音が響く。
「ってえ……」
どこかに打った腕をさすり立ち上がると、角か何かに頭を強打したのかスーツの女がのびていた。黒光りする物騒なエモノも転がっている。流石にあの体勢では受け身も取れなかったのだろう。
顔を上げ、部屋の入口を見れば、白髪の老人が立っていた。誰だ?
「お、お義父様っ!?」
後ろで親父さんが素っ頓狂な声を上げた。なるほど、この爺さんが。
「あー……、悪い、爺さん。ちょっとだけ待ってくれ」
聞きたいこと、確かめたいことは山ほどあった。だが……俺は足元に転がる女を見た。ひとまずこの女をなんとかしとかねえとな。また暴れられたらたまらねえ。
俺はスラックスからベルトを引き抜き、ついでに親父さんのも拝借して女の手足を縛っておくことにした。
「……さて、待たせたな、爺さん」
作業が終わり、改めて向き合う。
「くくく……! 儂を放置した挙句爺さん呼ばわりとは、面白い小僧だ」
笑顔を作りながら、しかし目は全く笑っていなかった。その眼光に圧倒されそうになりながらも、俺は軽口を叩く。
「悪いな、育ちが良くねえもんで」
「良い、良い。さて、話は聞かせてもらったぞ」
「いつから」
「孫娘と小僧が
思わず天を仰いだ。初めからお見通しってわけかよ。どおりでやけに警備が薄いわけだぜ。
「さて、譲二よ」
「は、はいっ」
唐突に話を向けられた親父さんは、見ているこっちが可哀想になるくらいに緊張している。自分がやっていたことが筒抜けだった上、あの鋭い眼光を向けられればまあ無理も無い。
「外に向かうのも良し、残るのならばまた良しだ」
恐怖に震えていたおっさんの顔が途端にぱあっと明るくなった。
「お義父様!」
「儂はお前の才能を縛るつもりはない。やりたいようにやってみなさい」
「ありがとうございます……!」
そして親父さんはマリカを横目で見ると、小さく息を吸った。
「私は、自分のことばかりで周囲が見えなくなっていました。それを娘と、お義父様に気付かされました。こんな歳で気付くなんてお恥ずかしい限りです。もしも許されるのならば、今更ですが地に足をつけて、
そう言って頭を下げた親父さんは、そろそろと顔を上げ爺さんの顔を伺った。
「くくく。なあに、遅すぎることはあるまい。お前だってわしから見ればまだまだ若僧もいいとこだ」
笑いながら、爺さんは右手を差し出す。今度はちゃんと、目も笑っていた。
「期待しておるぞ」
「……はいっ!」
固く握り合った手は、きっともう解けることはないだろう。俺とマリカは目線を交わし、小さく微笑み合ったのだった。
*
数分後、スーツの女を警備員に引き渡し、この妙な依頼も無事解決した。
俺はマリカから受け取る分に追加して、“迷惑料”として後日振り込まれることとなった結構な額の報酬にホクホク顔を圧し殺しながら、柊一家の元を立ち去ろうとした。
「ちょっと待て、小僧」
「小僧はやめてくれ、俺には黒須って名前があるんでね」
「そうか。して小僧、ちょっといいかね」
このクソジジイが。
マリカはここで待っていてくれと言い残し、俺の言葉なぞまるで聞いていない爺さんは、歳を感じさせないしっかりとした足取りでこちらへ向かってツカツカと歩いてくる。
長年の経験と勘から何か嫌な予感がした俺は、
「いや、折角の家族水入らずを邪魔しちゃ罰が当たるんで、お暇させてもらうぜ」
と言いながら、そそくさとずらがろうとした。しかし老人とは思えぬ足取りで部屋の出入り口に回りこんだ爺さんは、まるで天気の話をするような口調で告げた。
「お前、茉莉花を嫁に貰いなさい」
「………はい?」
一瞬、思考がフリーズする。
「はあ!?」
「……!!」
マリカも同じような反応をしていた。親父さんに至っては、完全に思考が停止したままワナワナと震えていた。
「な、何を突然。呆けるにはまだ早いじゃねえのか、爺さん」
俺の暴言には耳も貸さず、爺さんは口を開く。
「いやなに、
「おいおいおい! 何を勝手に話を進めてんだよ」
慌てて言葉を遮る俺に、ようやく思考が戻ってきた親父さんも乗っかってくる。
「そ、そうです! だいたい茉莉花はまだ高校生ですよ!? わ、私は反対です!」
しかし爺さん、俺たち二人に責められてもその顔はどこ吹く風だ。
「ほう、そうかね。しかし当の本人はまんざらでもないみたいだがな?」
ガバッと音がするほど勢いをつけて俺と親父さんがマリカを見ると、真っ赤な顔でもじもじと下を向いている。おいおい、マジか……。
「ちなみにお前らが揉み合っている間に割ったこの壺だがね」
壺……? 三人でもんどり打って倒れた時に何か割れたと思ったが、その時か。
ちょいちょいと手招きする爺さんにつられ、俺と親父さんは顔を寄せる。
「…………」
囁かれた金額に、全身の毛穴という毛穴から一瞬で冷や汗が吹き出た。血の気が引いて引いて、全部足の指先から流れ出るような感覚だった。
「気に入っていた逸品を、来客にも見て貰おうと
ギギギ……と音がするようなぎこちない動作で隣を見れば、親父さんの顔は真っ青を通り越して真っ白だった。俺も多分似たようなもんだろう。
「で、だ」
爺さんがにやりと笑う。
「儂が立て替えてやってもいいけど……分かるじゃろ?」
大企業の一室には、赤面する女子高生が一人と、蒼白な顔をした男二人、そして豪快に笑う老人。
俺はこの先どうなっちまうんだ……。
まだ衝撃が抜け切らない頭の中、俺の運命が変わっちまった音が、聞こえた気がした。
『路地裏のクロスマリカ -探偵と少女と運命の人-』 終
路地裏のクロスマリカ -探偵と少女と運命の人- 泉 鳴巳 @Izumi_Narumi
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