希望が鎖す、夜の別称:119



 その、数日後の『お屋敷』にて。賓客を迎える為の部屋をひとつ借り、ロゼアとソキはやって来た客人、メーシャから一連の騒動の話を聞いていた。といっても、聞いていたのはロゼアと妖精たちだけである。ソキは真剣な顔をして、メーシャからお土産でもらったリンゴをもうぜんとかじっていた。一口かじってからずっとそうだった。気に入ったらしい。

 ふんすふんすと鼻を鳴らしてリンゴをかじり続けるソキに心底癒やされながら、ロゼアは純粋な疑問に瞬きをした。

「魔法使い、って……後天的になれるものなのか……?」

「ろぜあちゃ! メーシャくんのリンゴおいしいねぇ、おいしーねぇ!」

「そうだな、おいしいな」

 しゃくしゃくしゃくしゃくもきゅきゅきゅっ、と頬をまあるくしてリンゴを詰め込むソキは、相変わらず、あまり人の話を聞いていない。その頭上でソキにもロゼアにも頭を抱えながら、妖精は律儀に、そんなことがあってたまるか、と低く呻いた。魔法使いとは生まれ付きの体質である。分かりやすく言うならとびきり目が良いとか、足が早いとか、味覚が鋭いとか、そういった類の身体的な特徴に類似する。

 つまり、後天的になろうと思ってもなれるものではない。生まれ付きのものだからである。例外として存在できるものでもない。魔術師と魔法使いの決定的な違いがそれだ。魔術師は、魔法使いになれないのである。その理由が魔力をくみあげる『器』だ。『器』のあるものを魔術師と呼び、ない者を魔法使いと呼ぶ。単純にして絶対的な違い。失ったからと言って、魔術師は魔法使いにならないのは、目の前のソキを見れば分かることだ。

 失えば、ただ、魔術の発動ができない、あるいはひどく不安定な、不得意な魔術師となる。それだけのことだ。そうであるから、ラティはおかしい。そうしめくくった妖精に、言い方がなぁ、とメーシャにくっついてきたルノンが額に手を押し当てる。

『そうなんだけどさ……思いやりのある優しい言葉で説明して欲しかった……。メーシャが不安になるだろ?』

『例外だとでも思われたらことでしょう。言うなれば突然変異の中の突然変異よ、そんなことは。……というか、確かなの? アンタは確認したの?』

『したよ、した。はー? まさかー? なんだよそれー、と思って笑い話にするつもりで確認してきた。……残念ながら』

 妖精の目で確認しても、ラティは魔法使いであるのだという。ふむ、と腹ばいから起き上がって腕組みをし、妖精はソキの頭をぺちぺちと手で叩いてルノンに言った。

『一応、アンタがおかしくなった可能性があるから聞いておくけど、ソキのことはどう見えてるの?』

『俺はさぁ、リボンさんの物言いにも慣れてるし、その可能性をとりあえず全部潰してからっていう考え方も理解できるし好ましいとも思ってるからいいけどさぁ……』

『どうでもいいから早く答えなさいよ。ついでにシディ、アンタもよ!』

 ロゼアの頭の上にハンカチを乗せ、その上でリンゴを一欠片ご相伴に預かっていたシディは、しゃくしゃくもぐぐと熱心に頬を膨らませながら、やや聞き取りにくい声で特に変わりなく、と言った。

『ソキさんはもちろん、ソキさんのままですね。魔術師です。魔法使いではなく。……ロゼア、このリンゴ、おいしいですよ。さすがは星降からの献上品……!』

 星降魔術師一同からの、騒ぎに纏わる謝罪の品、とも言われている。王宮献上の特級品である。市井には出回ることがなく、『お屋敷』でも、まず滅多に手に入ることのない代物だ。ソキは一切れを食べ終わったあと、きらきらした目を果物皿に向けた。まだ何切れか残っている。妖精用にちいさく切られたものだった。きょろ、きょろ、と周囲を伺って、ソキはこっくりと頷いた。

「リボンちゃんは食べないのぉ? つまり? このリンゴはぁ、ソキのなのでは? きゃあぁあん!」

『食い意地! ……あぁもう、好きにしなさい。夕食が食べられなくなって、ロゼアに叱られてもいいならね?』

 満面の笑みで妖精用に取り分けていたリンゴに手を伸ばす、ソキの動きがぴたりと止まった。あ、う、う、にゃ、とロゼアと小皿をオロオロと見比べて、未練いっぱいにリンゴをじっと見つめる。

「……でも、リボンちゃん? あのリンゴはぁ、ソキに、食べてもらいたがっているような……? ソキにはそれが分かっちゃうようなです……ゆゆしきことでは……?」

「ソキ、メーシャのリンゴ、まだたくさんあるよ。明日のも明後日のもあるよ」

「きのせいでした!」

 明日も食べられるとあっては、それでいいのだろう。すぐさま、ぺかー、とした輝く笑みで言い放つソキを、ロゼアがうっとりとした笑みで抱き寄せる。ソキはいい子だな、可愛いな、可愛くてかわいいな、とでれでれ褒めるロゼアにうんざりとため息をついて、妖精はにこにこと笑っているメーシャを見た。王宮からの訪問者は、すっかり心労も癒えたらしい。

 よく眠ったあとの顔つきで、礼儀正しく椅子に座り、メーシャはロゼアとソキのことを見つめていた。その瞳に焦りはなく。その顔つきに、羨望はない。悲しみは目覚めに拭い去られ、不安は朝の光と共に溶け消えたのだ。よかったわね、となにはともあれ改めて告げる妖精に、メーシャはありがとうございました、と告げた。

 妖精たちの助力が、ある意味ではラティの状態を悪化させてしまったことについて、メーシャは特に思うこともないらしい。真っ直ぐに、素直に感謝を告げられるのに、妖精はだからこそ、謝罪や申し訳なさを飲み込んで、ただ静かに頷いた。メーシャはふわりと微笑んで、すこし言葉を探しながら口を開いた。

「ところで、あの、そのラティの……魔法使いの件について、よければもうすこし詳しく伺っても?」

『いいけど……本人はなんて言ってるの?』

「……ラティは、その……。『現実が受け止められないを通り越して何回考えても理解できないから、これもしかして夢じゃない? 結婚? 魔法使い? 誰が? 私が? なんで? あと実はこれやっぱり夢じゃない? 現実ってなに? 現実とは?』って……」

 そうだろうなぁ、という心底からの理解で、室内でソキ以外がしみじみと頷いた。どちらか片方だけでも、中々受け入れられはしないだろうし、理解するにも時間がかかるに違いない。一緒にいなくてよかったの、と控えめに問う妖精に、メーシャは苦笑いで頷いた。

「俺を巻き込むわけにはいかないから、私の為を思うなら安全な場所に居て、ってお願いされてしまって。……ソキとロゼアの様子も知りたかったし、甘えて、今日は遊びに来ちゃいました」

『ふぅん?』

「まあ、あとは、俺も俺の不注意でうっかり言質を取られないように、見知った顔を見て安心したかったというか……。落ち着いた環境で思考をまとめておきたいな、と思って……」

 だからロゼア、と申し訳ながる顔で、メーシャは親友に珍しい頼み事をした。

「今日だけでもいいから、何処か泊まる場所を紹介してくれないかな……。その、なんていうか……城の手が伸びてこなさそうなとこに……心当たりとか、あったら……」

『アンタなにに巻き込まれてるの?』

「俺が……俺が星降の陛下を、うっかり、お、から始まる五文字の言葉で呼んだら最後、ラティの選択肢がひとつ消えて戻らなくなるんです……!」

 ほら、メーシャも俺のことパパとかお父さんって呼んでくれてることだし。結婚しよ、と相手のワガママを宥める微笑みで雪崩込ませる星降の王の姿が、妖精たちにはクッキリと見えた。そういう性格の相手である。それを考えれば、今まで一度もメーシャがそれに応えないでいたことは、偶然の折り重なった最適解でしかなかった。というかその為に、機会あるたびに呼ばせたがっていたとしか思えない。

 妖精からもシディからも、ルノンからも真剣な目で頼む、とばかり見つめられて、ロゼアは真剣な顔で考え込んだ。

「泊まるのは、いいよ。二日でも、三日でも。ただ、場所が……俺の裁量だけだと即答できなくて、すこし時間を」

「うふん? メーシャくん、お泊りするのぉ? ソキがお兄さまに頼んであげるです!」

 恐らく、またつまみ食いならぬつまみ聞きをしていたソキは、しかし珍しく、場の誰にも救いの手となる言葉で胸を張った。

「ソキ、じつは知ってるんですけどぉ、お兄さまはぷんすかです。陛下にぎゃふんと言わせてやるですって張り切っていたです。だから、メーシャくんの隠れんぼも、協力してくれるに違いないです。ばっちりです!」

「……そうなの? ソキ」

「そうなんですよ、ロゼアちゃん! あのね、お兄さまね、これで俺も結婚だのなんだの言われるではないかーっ、なの。陛下が胃潰瘍になったりしますように、なの。いけないです! 胃潰瘍よりは、メーシャくんの隠れんぼでは?」

 ああ、とロゼアは察した微笑みで頷いた。

「それなら……。メーシャ、こちらの騒動に巻き込む形になって申し訳ないけど、宿泊場所も日数も、心配しなくていいよ。長期休暇の間は、好きにしてくれてかまわないと思う」

 砂漠の王が未婚であらせられるのに、俺が先に婚姻などおこがましい、というのが、レロクが縁談を断る時の口癖だった筈である。それが使えなくなったので、レロクは砂漠の民の中ではほぼほぼ唯一、王の結婚に文句を言っているのだった。側近たるラギはなにを考えているのか誰にも把握させないまま、常と変わらない微笑みで、今日も傍らに控えている筈である。

 あちらが落ち着けばこちらが混乱し、落ち着いたかと思えば嵐がやって来る。ここ数年、砂漠はずっとそんな騒がしさに見舞われていて、落ち着ききってしまうにはまだ日が必要そうだった。まあこんな類の騒動が発生するっていうことが、ある意味平和よね、と息を吐き。妖精はまたソキの頭に腹ばいに寝転びながら、肘をつき、手に顎を乗せてくつろいだ。

『ラティの件について、なにか話してあげたい気持ちはあるけれど……魔術師は魔法使いにならない、っていう大原則を繰り返すしかないわね。悪いけど』

「はい。……俺も、教本を読んだり、筆頭に教えて頂いたり、フィオーレさんに聞いたりは……したんですが」

 根幹が違うので、なれない、ものだからである。メーシャはそれを理解している。しかし、なった実例が目の前にいるので、混乱しているのだろう。どういうことなんでしょうか、と顔を曇らせるメーシャに、考えられる仮説があるとすれば、と遠回しで控えめな言葉で、ルノンが囁いた。

『元から魔法使いであった、ということくらいでしょうか。なんらかの理由で自覚せず、また、誰もの認識を欺いていた、ということならば……?』

『自覚もしてないのにどうやって欺くのよ』

『そうですよね……。でも、もしも、そうならば可能性だった、としか……。魔術師は魔法使いになれないし、そう装えませんが、魔法使いなら。……魔法使いなら、魔術師のふりをできるし、周囲も……己の認識をも、書き換え騙し切ることができてしまうのでは? 認識阻害については、リトリアさんという前例もありますし』

 予知魔術師ときたら心底にろくなことをしないな、という顔つきで妖精は頷いた。根拠のない仮説に思いつきの仮説を重ねるだなんていう不毛にすぎる会話を、続けていくのはある意味徒労に過ぎるのだが。思いつく可能性は、ある、のである。まあ、もしもそうだとして、と妖精はお腹がいっぱいになったらしく、眠たげにうとうとふにゃにゃとするソキの頭を、ぺちぺち叩きながら眉を寄せた。

『唯一、自信をもって断言してやれることがあるとすれば、それはラティに悪影響があることじゃないのよ。本人の精神面は置いといて』

「……えっと? そうなんですか?」

『だってそれについて、星降の陛下はなにも言ってないし、なにかしてる様子もないんでしょう? 大丈夫ってことよ。どんな魔術師でもわあわあ騒ぐあの方が、特別それに触れてないなら。なにもないってこと。……しかも、ラティのことなのに』

 メーシャは納得したような、しきれないような苦笑いで、そうですね、と言った。ロゼアにぽんぽん撫でられて寝かしつけられていたソキが、ふんにゃっ、と声をあげてそうでした、とメーシャを振り向く。嫌な予感しかしない。はやく寝かせなさいよ、はやく、とロゼアを睨む妖精に気がつかず、ソキは眠たさいっぱいの、しかしきらきらに輝く目でメーシャをじっと見つめた。

「メーシャくん! ソキ、そういえば、おききしよと、おもってた、ん、ですけどぉ!」

「うん、うん、ソキ。眠ってからにしような。メーシャは、しばらくお泊まりだからな」

「うんにゃ、ふにゃ、ふにゃ……う、うぅ……」

 不満げな鳴き声をあげるソキは、しかしロゼアの寝かしつけに逆らえないのだろう。むぅっとくちびるを尖らせてもぞもぞするも、つむんとしてるのどうしたの、つむっとしててかわいいな、と囁かれれば、すぐに蕩けた笑みでふにゃふにゃと照れて喜んだ。ちょろくて転がされやすいソキは、今日もその長所をのびのびと生かされている。

 すこし、して。こてんっ、と眠り込んでしまったソキに、メーシャはくすくすと楽しそうに笑った。

「なにが聞きたかったんだろうね、ソキ。ロゼアには分かる?」

「どうかな。メーシャ、夕食も一緒にどうかな。食べ終えるまでには宿の手配なんかも終わると思う……荷物持ってきたんだよな? ラティさんに連絡は?」

「行き先は聞かないから、落ち着いたら連絡してねって言われてる」

 そっか、と安心した顔でロゼアは頷いた。手紙は出所を分からせずに運べるから、などと言っているロゼアに、『お屋敷』ほんとそういううさんくさいとこ得意だな、と思いながら妖精は息を吐く。

『事情を知らなければただの逃亡よねこれ……』

「うん、でも砂漠の陛下にも大丈夫なように取り計らっておいてやるから、好きに潜伏しろって仰って頂けたから」

 ただし、申し訳ないが止めるのは無理、とのありがたいお言葉付きである。役に立たないわね、という顔で頷き、妖精はくぴ、くぴぴいっ、とリンゴの香りを漂わせながら眠るソキに、安堵と呆れ混じりのため息をついた。ソキの『 』は、今日も喪失したまま、お絵かきは進まず。『花嫁』は今日も、魔術師のままである。

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