希望が鎖す、夜の別称:118
先触れも供もなく。魔術師も騎士の姿もなく。つまりは護衛の一人もなく。来ちゃったっ、と満面の笑みで告げた星降の王に、砂漠の王はよし帰れ、と言い放った。虚ろな顔での即答だった。その傍らには、笑いすぎてむせて咳き込んで呼吸困難を起こした白魔法使いが、腹を両手で抱えたまま床に落ちている。最後の言葉は、ひいいいいやると思ってたけどほんとにやったひぎゃっ、である。
砂漠の王は、優雅に優美に笑いながら白魔法使いに容赦ない蹴りを叩き込んだ筆頭に、心底諦めきった顔で、それでも言った。
「俺は会わないって言っておいた筈だろうがなんで通すんだよお前は……」
フィオーレの心配は特にしていない。フィオーレだからである。自業自得白魔法使いが床で動かなくなろうがどうなろうが、別にいつものことだからである。砂漠の筆頭も特に足を痛めたりした素振りもなく、いつも通りの微笑みで囁いた。
「いえ、このままですと、ラティが連れ去られそうな勢いでしたので。報告連絡相談が必要だと判断しました。ラティの所属は砂漠ですから、俺としても部下が無断で連れ去られるのを傍観しているのは、ちょっと」
「そうなんだけどな、そうなんだけどな……。そうじゃねぇんだよ……!」
また陛下ったらわがまま言って、とばかり困った微笑みで沈黙する筆頭に、砂漠の王は隠すことなく頭を抱えてみせた。そもそも国内に入れるんじゃない、という話である。ジェイドがそのあたりをしっかり理解して指示さえしていれば、こんなことになる前に事態を把握できていた筈なのだ。理解していて指示しなかった可能性もあるが。それについては胃が痛くなるので考えないことにした。
砂漠の王がそれを知ったのは、ラティが目覚めた後である。魔術師たちが一様にはっとした顔をして胸を手で押さえたので、起きたのか、とは思ったのだが。まさか星降の王が乗り込んできてやらかしているとは、可能性としてはあったものの考えないようにしていたし、まさか、本当に、やられるとは思っていなかったのだ。思いたくなかった、とするのが最も正しいかも知れない。
手遅れだとするくらい終わった後のことなので、今更、己の感情について正答を探すのは無駄でしかない。ないのだが、しかし。心の底から全力でため息をついて、砂漠の王はにこにこと、機嫌よく笑う己の筆頭に視線を向けた。はい、と用事を問うて声を響かせる男に、砂漠の王は無駄だと知りながら、星降の王をぴしりと指差し言い放つ。
「帰してこい。国に」
「いけませんよ、陛下。ラティが連れて行かれる、と言ったでしょう? なにかしら手を打って頂きませんと。陛下? ね?」
困った微笑みで、しかし決して主張を譲らず、それでいてやんわりとした響きで囁いてくる男こそが、直接ではないものの星降の王を招き入れたのだと知っている。知っているのだが。知られていて、それを欠片たりとも反省したり申し訳なく思ったり、罪悪感を抱いていない表情で、お願いしますね、と言ってくるのが砂漠の筆頭、ジェイドという男である。顔が良い。許したくなってくる。顔が良いので。
お前ほんと、困難、と一言に全てを詰め込んで呻く王に、ジェイドはその意味を理解しておきながら、さらりと交わす微笑みでたおやかに頷いてみせた。
「そうですね、難しいことではありますが。正式な形でもなく、ラティを失うとなると今後に影響しますから。……さ、頑張りましょうね。よろしくお願いします、我が王」
「あ、そうだ、シア。結婚決まったんだって? おめでとー」
どいつもこいつも俺の話を聞きやしねぇ、と涙声で砂漠の王は呻く。特に星降の王は、心から祝ってきているからこそ質が悪かった。だから見逃せ、と暗に言っているのだ。無自覚にそう言っている訳ではないことを、砂漠の王は知っている。無邪気で天然で計算高くてしたたかで、諦めない。目の前にいるのはそういう類いの性格をした幼馴染である。大方、己の魔術師たちも同じやり口で黙らせてきたのだろう。
星降の中でも特に常識を失わないでいるストルとツフィア、レディの三人が、未だ血相を変えてやって来ないあたり、すでに手は打ち終わっているに違いない。そこから動かないで待つように。おめでとう、とでも言ったに違いない。混じりけなく、真っ直ぐな祝福として。ストル、ツフィア、おめでとう。これでリトリアのことは希望の通りになると思うよ。レディも、長くありがとうな。
もうすこしだけ頑張って、そしたら交代しような。それじゃあ俺も幸せになってくるからすこし出かけてくるな、待っててくれるよな、などと。言ったに違いない。気がついた時には、全て、あらゆる手が打ち終わっていて。抵抗も反論も不可能にされ、結果だけが読み上げられる。星降の王がそうしようとして、成した時、いつも使うえげつない手である。
もうなにもできなくなってから、なにかがなされていたことを、知る。時に年単位、十数年にも及ぶ気の長い、執念深い手段である。しかしお前ほんと諦めてなかったんだな、とどん引きしながらも関心する砂漠の王に、星降の王は不思議そうに、ゆっくりと首を傾げて言った。
「シア。俺は、一度も、ラティをあげるとは言わなかっただろ? ……言ったろ? 必要な間だけ、俺のラティを貸してあげるって」
もうラティがいなくても眠れるだろ、と告げる男は、不眠が解消されたことも安堵しているようだった。安堵の理由はひとつではなく。だからこそ跳ね除けきれない。全て、もう、手の内だ。額に手を押し当てながら、砂漠の王は絞り出すように言った。
「……分かった。式の日取りはラティと相談しろよ?」
「ほぎゃぁああああああぁあああぁああぁあっ! 諦めないでください陛下ーっ! 筆頭ー! フィオーレちょっと! 蹴られたくらいで死んでないではやく復活してくれるっ? あっすみません申し訳ありませんがすこしこちらを見ないでいただけますか陛下! あの! 近いので! 近いので!」
「ラティ、混乱するだろ? いいよ、俺のことは、陛下じゃなくて。イリスって呼んで? ……ね? ね?」
ひぐっ、と呻いて、ラティが動かなくなった。哀れな魔術師の現在位置は、星降の王の腕の中である。寝間着のまま抱き上げられられているのだった。ラティが今まで静かにしていたのは、現実をそれと認識したがっていなかったからである。衝撃すぎる目覚めからの告白と展開に、頭がついていかなかったのだ。
暴れて、星降の王に万が一、怪我をさせてしまってはいけない、という意思もあって、じっとせざるを得ない状態だったのである。呆れ諦め顔で机に肘をつく砂漠の王は知っている。星降の王は、そのラティの内心を織り込み済みで、逃さないように抱き上げている。諦めろラティ、お前に勝ち目はないが俺にもない、この場にいる誰にもない、と微笑む魔術師としての主君に、ラティはオロオロと狼狽しきった目を向けた。
「えええええっとすみません! ほんとすみませんが! ほんといまなにがどうしてどうなってこんなことにっ? え? えっ?」
「……うーん。そうだね。魔術の使い過ぎで、君は昏睡していました。直前までの記憶はあるかな?」
普通に説明しだすお前の精神構造どうなってんだ、と戦慄する王の視線に微笑んで。ジェイドは頷いたラティに、よろしい、と教師めいた仕草で頷いた。
「君はずいぶんと長いこと寝たきりでした。今はもう、次の年明けを迎えています。……体調に変調は感じられないなら、それは正しく、王の守護だろう。よかったね、ラティ」
「あ、ありがとうございます、筆頭……? いえ、えっと、それで……あの……?」
「うん、それでね。君があまりに目を覚まさないから、起こしに来て頂けますかって俺がお願いしに行きました」
やっぱりお前のせいじゃねぇかよおおおおおっ、という胃を痛めた王の嘆きが、砂漠の城に響いていく。よろよろと意識を取り戻した白魔法使いも、知ってた、という目で筆頭を見つめた。砂漠の国で、事後報告と言えばジェイドのことである。騒動の出処が分からないとすれば、だいたいなんにでも噛んでいるのが筆頭そのひとである。直接原因ではなくとも間接的な理由にはいる。それがジェイドというひとだ。
一応聞くけどなんでそんなことしたんだ、と問う砂漠の王に、ジェイドはにっこりと笑って言い放った。
「星降の陛下が、ラティにご執心なのは本人以外誰もが知っていた所かと?」
「そうだな。でも俺が聞いたのはそういうことじゃねぇんだよ!」
「陛下、言葉遣いが悪いですよ」
理由をお問い合わせということでしたら、それはラティを目覚めさせる最後の一手として、とジェイドは言った。いい加減に起きようね、と白魔法使いをつま先で突きながら。
「妖精たちの解呪は、確かに成功していた。ラティが囚われていたのは、確かにただの眠りに他ならず、だからこそ起こすことが出来なかった。揺り起こしても、声をかけてもまるでだめ。ただ眠っているだけで……その実、魔術師としての本能が、意識を眠りに落としていた。目を覚ますことはなかったでしょう。ただ起きれば、ラティの『器』は砕ける。そこに待つのは発狂か、死か……奇跡しかない」
「え。私、そんなことになってたんですか……」
「そんなことになってたんだよ。まさか……こうなるとは、思わなかったけどね」
お前それはあまりに白々しくないか、と顔を引きつらせる砂漠の王に、そういう意味ではありませんよ、と筆頭は言った。訝しみ、胸に手を押しあてて沈黙するラティは、未だ星降の王に横抱きにされたまま、一向に地に足をつける気配がない。諦めたか、そういうものだとして一時認識の外に置いているのだろう。ラティは恥ずかしがる素振りもなく、沈黙して己の内側に集中していく。
じわじわ、その眉間にしわが寄っていくのを、砂漠の王はろくなことではないなこれ、という確信を持って眺めていた。星降の王がラティが腕の中で静かにしていることに満足して、なにも口を挟まないでいることがすでに怪しい。言わないで、動かないでいるということは、つまり本人としては結果が出て終わっていることだからだ。つまりろくなことではないし、ろくなものでもない。胃痛薬をかけてもいい。
お前なにをしたんだ、と視線を向けると、ジェイドはにっこりと笑った。
「この件に関しては、俺は、なにも」
「信憑性がないんだよ……!」
「またそんなこと仰って。いいですか? 陛下? 俺は今日は陛下のお傍に控えていたでしょう、朝から。ラティには近寄ってもいませんよ」
そうだな、と言ってやれないのはジェイドの日頃の行いと、日頃の事後報告があってのことである。疑いの目を引っ込めないままでいる砂漠の王に、形容し難いラティの声が届く。
「ぁいぇ……?」
「いまなんつった?」
「あ……え……? え……? え、えぇ……? 陛下……? 陛下私あの……? あ、あの……?」
ラティの語彙が、恐らくは混乱で完全にしんでいる。落ち着いてから話せよ、と哀れみすら感じさせる慈愛の笑みで囁かれ、ラティはいえぇえええぇっとおおおっ、と急激に涙ぐんで狼狽した。ぎょっとする砂漠の王に、魔術師はなにこれえええっ、と叫ぶ。
「えっ、なんっ、なななななななないんてすけど私いまなにが? 私になにが? なにがどうなって?」
「……ラティ。深呼吸、しろよ」
「えっ? 陛下、フィオーレ、筆頭……! わ、わたし、私、魔術師ですよねっ?」
なに言ってんだお前、と心配する砂漠の王の傍らで、しかしジェイドは理解のある表情で苦笑した。シュニー、と甘い声が愛しい名を呼ぶ。すぐさまそれに答え、襟元からもぞぞぞぞずぼっ、とばかり出て来たましろいひかりに、ラティは見える、と胸を手で押さえて涙ぐんだ。ある特定時期を除いて妖精の見えない砂漠の王には、分からないし理解もできない動きで、安堵である。
なにしてんだお前ら、と呆れながら説明を求められて、ラティはだって、と狼狽しながら言った。
「ない……ないんです、陛下! どこにも!」
「なにが」
「わ、私の……私の『水器』が、魔術師の、魔力の、『器』が……!」
ない、のだと言って。青ざめた顔ではく、と口を動かしたきり声をなくしてしまったラティに、砂漠の王はそうか、と頷いた。慌てないのには理由がある。己の筆頭がにこにこしているからであり、そんな大事を星降の王が放置して置くわけがないからである。えっ、とはね起きたフィオーレも、その二点にすぐに気がついたのだろう。渋い顔をして、えええ、と呻いてから首を傾げる。
「そんなことさぁ……ある? ……え、どゆこと?」
「そういうこと。ラティの『器』はあったけど、今はない。……ないんだよ、ラティ」
本当に、まさかこんな結末になるとは思ってもみなかった、と砂漠の筆頭は息を吐く。それとも貴方はここまで知って成したのですか、と苦笑混じりに問われた星降の王は、ないしょ、と言ってラティを抱き直した。改めて体勢と距離を意識したのだろう。ひっ、と色気のない声で硬直するラティに、星降の王はご機嫌この上ない笑顔で囁いた。
「大丈夫だよ、ラティ。心配することじゃないからな」
「ええええええしますけど……! あとあの陛下あのなんていうかあのあのなんですかこの体勢……!」
「え? お姫さま抱っこだよ? イリスって呼んで?」
そういうことじゃ、ない、むり、とラティが意識を飛ばしかける。せっかく起きたのに気絶させないでくださいね、と苦笑しながら、砂漠の筆頭はその言葉を囁いた。そういえば言ってなかったね、と。
「おはよう、ラティ」
「お、おはようございます、筆頭……?」
「うん、そして……おはよう、魔法使い」
星の、魔法使い。そう、囁かれて。ラティは、己の『器』のない意味を知った。魔術師の中でも、それを持たないもの。無尽蔵の水底に沈む者たちを、その奇跡、世界からの祝福を。ひとは、魔術師は。魔法使いと呼ぶ。ラティはそれを否定しきれなかった。魔術師としての本能が、『器』を失った状態が、それが事実だと告げたからである。しかし。しかしながら。ラティはありとあらゆることに眩暈を起こして、涙ぐみながら息を吸い込み、そして。
そういうのむりなんですけどおおおおぉおおぉっ、と絶叫した。なにがではない。全てである。
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