希望が鎖す、夜の別称:117



 魔術師たちが走り回り、各国から助っ人を連れ込んではわちゃくちゃするせいで、新年の王宮は騒がしい。それでも今日は、来訪の予定がひとりなのだから、随分と落ち着いた方である。メーシャは苦笑しながら、言われるままに右腕をあげた。肘から手首までの長さを、巻き尺がささっと測って行く。ラティの部屋から移動したくない、と告げたメーシャの為に、採寸は寝室で行われていた。

 指示に従って時折動くものの、採寸そのものは静かに行われていた。その静寂は、どこかほっとするものだ。するのだが、しかし。ラティの眠る部屋に訪れ、そっか、それは心配だよね、と。憂い顔になりながらもてきぱきと採寸をしていくルルクに、メーシャは力なく呼びかけた。なんとなく、言葉と行動が乖離しているのである。

「先輩……本当にそう思ってくださっていますか……?」

「思ってる思ってる。ラティさん、心配だよね。早く起きればいいね。ミニスカート好き? タイトがいい? 柄にする無地にする? レースにする印刷にする? 何色がいい?」

 説得力、というものの大事さを噛み締めて、メーシャは目頭を手で押さえて天井を仰ぎ見た。こういう時に限って姿のないルノンは、妖精たちと花園で何度目かの会議の真っ最中だから、不在を恨めしくは思えなかった。うーんどうしよっかなー、と楽しそうな声で猛然と採寸結果を書き込んでいくルルクに、メーシャはもう一度、諦めきれずに声をかける。

「ですので、先輩。ラティが目を覚ました時に、安心して欲しいんです。分かって頂けませんか……?」

「うーん……。そこまで言うなら、仕方ないかな……。メーシャくんは、いいよ。似合う女装にしようね!」

 安堵で胸を撫で下ろしかけたことを後悔させないで欲しい。俺もたまには話が通じる先輩が欲しいくらいは思うんですよ、と告げるメーシャに、ルルクは心底きょとん、として言い放った。

「え? 私、話の通じる、柔軟で親身な先輩じゃない?」

「そうですね。アリシア先輩の苦労が忍ばれます」

「任せてね、メーシャ。ラティさんが思わず目を覚ましたくなっちゃう、とびきりの女装に仕上げてみせるからね!」

 気持ちは嬉しいのだ、気持ちは。方向性が迷惑でしかないだけで。深々と息をついて、ありがとうございます考え直してください、と呻くメーシャに、ルルクはそうすると専門の手を借りないとなぁ、と己の思考に埋没した呟きを発している。すでに話を聞いていない。またロゼアに怒られますよ、と告げれば、ルルクは自信ありげな笑みで目をきらんと光らせた。

 悪いことを思いついてきらきらする、ソキを思わせる笑い方だった。

「そう! そのロゼアくんの衣装の話なんだけど。筆頭に相談したら、なんとロゼアくんのお母様と話をつけてくださってね!」

「……はい」

「なんか服を借りたり、被服部の有志の手をこっそり貸してくださったりするんだって! やったー!」

 なんでこのひと、被害を拡大させるのがこんなに上手なんだろう。才能かな、枯れ果てて欲しいな、と遠い目をしながら、メーシャは『お屋敷』がある方向を振り仰いだ。

「ロゼア、生きて……生きてね、生きようね……!」

「あ、そうそう。ロゼアくんとね、ソキちゃんが会いたがっていたから。会いに来てもよかったら、予定を教えてくれるかな? 伝書鳩するからね」

「先輩が『お屋敷』に出入りできるのを、感謝したらいいのか残念に思えばいいのか、分からなくなって来ました」

 持てる手段のひとつくらいに考えておけばいいんじゃないかな、と告げるルルクは、さっぱりとした口調のままで測定の記帳を終えると、メーシャに向かって強く頷きかけた。

「ソキちゃんも楽しみにしてたから! 頑張ろうね!」

「そうですね。会話がしたいなって強く思いますね……今日は、アリシア先輩は? どちらに?」

「工房で道具の整備してたかな? 皆様に迷惑かけないのよってみっちり言い聞かせられちゃった。もう、心配性なんだから」

 頼みの綱がないことを知って、メーシャはもう諦めた笑顔でそうですか、と言った。アリシアがいるからと言って、ルルクに話が通じるようになる、ということはないのだが。まだなんとかなり、まだましになるのである。今度はアリシア先輩も一緒に来てくださいね、と言うと、ルルクは嬉しそうに頬を赤らめて頷いた。

「ロゼアくんにも同じこと言われちゃった。ふふ、必ず連れてくるからね!」

「……はい。本当に、本当にお願いしますね」

 もちろん、と明るい笑顔でルルクは頷く。幼馴染を連れて来て欲しがられるのが、嬉しくてならないらしい。メーシャはどこかほっとした気持ちで肩の力を抜いた。ルルクがどうにかなりそうだからではなく。誰がが、そういう風に喜んでいてくれるのが嬉しい。砂漠の魔術師たちの、陛下おめでとうございますの宴には、その熱量にやや引いてしまって乗り切れなかったことが、すこしばかり申し訳ないくらいだった。

 ルルクはてきぱきと帰り支度を整えながら、私達のことは心配しなくていいからね、と真摯な声で後輩に言う。

「特になにも起こってないし、平和っていうか、いつも通りに過ごしているから。私も、アリシアもね」

「……はい。よかったです」

「なにもできないでいるの、辛いよね。待ってるしかできないって、もしかしたら一番しんどいと思う。やるべきことをやり切って、それがもう分かっちゃって、あとはもうどうしようもなくて。待つのってしんどい。……気分転換も、しなきゃって、義務みたいに思っても、中々うまく行かないし」

 メーシャに言い聞かせるのと、ひとり言の、中間のような声だった。ふ、とメーシャが顔をあげても、ルルクと視線は重ならない。魔術師のたまごの先輩は、採寸もれがないかどうかを手元の資料と照らし合わせ、偏執的に細かく確認しながら、静かに声を響かせていく。

「だから、私は、なにもしなくていいよって思う。そう言ってあげたいと思う。だから、言うね……。メーシャは、もうなにもしなくていいよ。待つのも心配するのも、気持ちを楽にするのも考えないようにするのも、考えるのも。しなきゃいけないことなんて、なにもないの。なにも残ってないよ。全部したでしょ? だからもう、いいよ。頑張ったね」

「ルルク先輩、それは」

「……ソキちゃんには感謝してるんだ、私。ほんとに。ロゼアくんに、かな。ロゼアくんが依頼してくれて、ソキちゃんが喜んでくれたから、話を聞いてくれたから、否定しないでいてくれたから……アリシア、部屋から出てきたの。私には出来なかったんだ、それ。何年かかっても、どんな言葉でも、なにをしても。私には出来なかった。……悔しいなぁ。私にはできないことがあるの。ほんとに、悔しい」

 記入もれ、なし、と確認し終わって、ルルクが足元の荷物を拾い上げる。大きめのリュックサックをひょいと背負って、ルルクはけれど心から、穏やかな笑みを浮かべて言った。

「大丈夫、解決するよ。今じゃないかもしれないけど。他の、ここにいない、これから来る誰かの手を借りないといけないかも知れないけど。……その時は来るから、メーシャ。擦り切れないで待ってあげて。メーシャが疲れるのがね、一番、ラティにはつらいと思う」

「……アリシア先輩は、そう?」

「うん。……私が」

 知る、私のままでいたことを。喜んで安堵して、くれたよ。ふ、と笑って、まあそういうことだから、とルルクは笑った。

「似合う女装頑張ろうね! メーシャ!」

「あっそこに戻るんですね」

「まあまあ、周囲に流されてみるのも良い経験になるって。ねっ? 私だって、本来の派閥とは違う、似合う女装で妥協するわけだし……!」

 どんな派閥でも、いますぐ速やかに滅んで欲しい。メーシャは心健やかにそう思いながら、帰っていくルルクを見送った。好きなスカートの丈を選んでいいからねーっ、というのが『扉』の向こうに消えていくルルクのまたね、の代わりの声だった。人生で一度も考えたことのない難問を、豪速球で投げかけていなくなるのは本当に辞めて欲しい。

 ラティが起きてくれたら止めてくれないかな、と部屋に戻るなり思って、メーシャは思わず笑ってしまった。起きて、して欲しいことを考えられるなんて。目を覚まして、どうか、どうか、いなくならないでと願うばかりではなく。起きたら。ああして欲しい、こうして欲しい、なにをしたい、だなんて。思えるように、いつの間にかなっていただなんて。暗く沈み込むばかりの気持ちと、心配すること、はすこし違う。

 メーシャはもう、心配するばかりでラティの目覚めを待てるのだ。まだかな、と胸を期待をほんのりと灯しながら。よかった、と思いながら、寝台の傍においた椅子に腰を下ろす。嵐のようなひとが去って行ったばかりだからか、ラティとふたりきりの部屋なのに、静寂が身を切るようなことはなかった。その静けさが心を痛ませることも、切り裂き、沈みこませることもなく。ただ、ただ、まどろみに安堵する。

 こんこん、とノックの音が響いた。今日はルルク以外の来客の予定はないはずだと思いながらも、メーシャはどうぞと返事をした。砂漠の王宮魔術師たちが、また騒がしくも明るく様子を見に来たのかもしれない。しかし、入るな、と響いたのはまるで知らない声だった。正確に記憶を探れば聞き覚えのある声なのだが、ここで聞く筈もなく、その、予定もないことから、知らない、と脳が判断を下す。そういう相手の声だった。

 は、え、と声をこぼしながらも本能的な判断で即座に椅子から立ち上がり、体を向けて出迎える。視線の先にいたのは、魔術師の王だった。この世界でたったひとり。魔術師たる存在でありながらも一国の治世を行う、星降の王。そのひとである。護衛の姿はなく、廊下に待たせているような様子もなく、たったひとりで現れてぱたんと扉を閉めた王に、メーシャはつよい目眩を感じて額に手を押し当てた。

 ここは実は砂漠ではなく、星降の城内だっただろうか。例え星降の城内であろうとも、そうそうあっていい事態ではないのだが。それはそれとして、待ってください、と停止しかかる思考でなんとかそう言うメーシャに、星降の王はにこにこ笑いながら歩み寄る。

「ひさしぶり、メーシャ」

「はい……。はい、お久しぶりです、星降の陛下」

「女装することになったんだって? 着たら俺にも見せに来てな。わーい、楽しみー!」

 なんだ夢か、とメーシャは思い込もうとした。挨拶のあとの第一声として、あまりにひどい。なんでその事実をご存知なのですかと思いかけ、メーシャはルルクが五王に許可を取りに行った事実を思い出した。つまり許可したのだ。目の前のこの人は。思わず、じっとりと恨めしげに見てしまうメーシャに、星降の王はにこにこと嬉しげに笑って、なに、とばかりちいさく首を傾げてみせる。

 その仕草があんまりにも悪意なく。あまりに、ラティに似ていることに気がついて、メーシャは魂の底から息を吐き出した。首を振る。

「いえ……いえ、いいです……。陛下、どのような御用の向きで? まさか、おひとり、なんてことは」

「え? ひとりだよ?」

「どうしてですか……!」

 メーシャは、平穏にして不幸なことに、王の奇行に慣れてはいない。ナリアンならば即座に、そこが花舞であろうと砂漠だろうと関係のない態度で、そうですか誰かああぁあぁっロリエス先生ーっ、とでも絶叫しただろうが、メーシャはそういう類の奇行に慣れてはいないのだ。未知との遭遇である。どうしたらいいのかまるで分かりません、という引きつった顔で硬直するメーシャにゆったりと笑って。

 星降の王は座っていいよ、とさらりと告げた。かたん、とちいさな音を立てて、メーシャは椅子に座る。そのまま頭を抱えてしまうのをぽんと撫でて、星降の王は幸せそうに、メーシャは真面目だなぁ、と囁いた。

「よしよし、いいこ、いいこ。あー、メーシャは可愛いなー。俺のことパパって呼んでいいからな?」

「……恐れ多くも申し上げます。陛下、どのような御用の向きでしょうか……!」

「パパがそんなに抵抗あるなら、愛称でもいいよ? イリス、って。呼んでみて?」

 よくないしハードルをあげないで欲しいし、よくないし今すぐ誰か助けて欲しい。分かりました、どなたかを呼んできます、と立ち上がりかけるメーシャを、まあまあと星降の王は肩を掴んで引き止めた。して欲しくないらしい。すぐに終わる用事だから、と告げて、星降の王はラティの眠る寝台を見た。うん、と笑って足を踏み出す。

「ラティをね、起こしに来ただけだから」

「……えっと?」

「ラティにはするべきことがあった。ずっと昔からね、それが分かっていたから。……ラティが魔術師として目覚めた時から、分かっていたからね。どんなものであれ、遮断する訳にはいかなかったんだけど。もう、終わったから、いいかなって。貸すのも終わり」

 そうですか、とメーシャは微笑んだ。通訳を呼んで欲しい。メーシャの手には余りすぎる相手だ。でも起きないんです、と告げるメーシャに、星降の王は知ってるよ、と頷いた。砂漠の筆頭が教えに来てくれたらしい。あのひとはもしかして、ろくなことをしないのでは、と思考が脳裏を駆け巡って動けないでいる隙に、星降の王はラティの元へ屈み込んだ。顔を覗き込んで、手を伸ばす。

 そうするのが、当たり前で。そうするのが、ごく自然なのだと言うように。男の手がラティの頬を慈しんで撫でる。

「さあ、約束の時間だよ、ラティ。……俺の『輝ける星』、俺の騎士。……おはよう」

 身を、屈めて。星降の王は、まるで自然にラティに口づけた。触れ合うだけには、あまりに長く。王がゆっくりと身を起こすまで呆然として見つめ、はっとしたメーシャが、なにを、と叫ぶより。ぱち、と目を開いて、瞬きをしたラティの、声が響く方が早かった。

「……はい? ……え、ちょっと待ってください、なに、近い……! えっ、陛下? え? えっ?」

「おはよう、ラティ」

 え、とメーシャが声をあげて椅子から立ち上がる。ラティとメーシャ、ふたりの混乱をまるで意に介さず。星降の王はラティの手を握り、にっこり笑って言い放った。

「じゃ、結婚しような、ラティ!」

「なにもかも話が掴めないのですがっ! 結婚っ?」

「そう。俺とね。……ふふっ、迎えに来ちゃった」

 可愛らしい声で言っても誤魔化されるようなものではない。ありとあらゆることが。混乱が通り過ぎ、数秒後。陛下あぁああぁあっ、と混乱しきった、砂漠の王と星降の王、どちらを呼び、どちらになにを言おうとしたのかも分からない叫びが、目覚めの合図。




 後に、この時期を指して、砂漠の動乱はこう呼ばれた。

 すなわち。

 年末年始、恋の季節。

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