希望が鎖す、夜の別称:116
魔術による眠りではない。かと言って、昏睡している訳でもない。呼び集められた医師と白魔術師たちはそう意見を共通させて、頭を抱える王に申し上げた。なぜ眠り続けているのか分からない。病ではなく、衰弱ではなく、呪いでもない。ウイッシュが操るような特殊な祝福が意識を捕らえている訳でもなく、その身に他者の魔力は影響を及ぼしてなどいない。
では、なぜ、目覚めないのか。その理由、原因に誰も辿り着くことができないでいた。つい先日、年明けと共に戻って来た白魔法使いはよりいっそう不安げな顔になってしまったメーシャを慰めながら、ラティを診察してこう言った。もしかしたら本能かも知れない。王宮魔術師一同を場に集め、滅多なことを言わないように筆頭に笑顔で威圧されながら、白魔法使いは胃を痛くしながらこう説明した。
魔術師は誰もが『器』を持つ。皆が知るように。それは魔術師の、魔力を汲み上げる水器で、体内にそれを貯め、留めておくためのものである。ソキのような痛ましい例外を除いて、魔術師は誰もがそれを持つ。さんみりりっとるくらいしかなかったけど、ラティも例外ではない。『器』はあり、そしてそれは今、砕けかけている。
己の正常な行使の範囲を超えて魔術を展開したからであり、他者の命をひとつ飲み込むほどの眠りを継続しているからだ。彼は目覚めることがない。今も、これからも。先の目覚めは、その永久の眠りからラティだけを掬い上げるもの。そうであるから、ラティが成した魔術が消えたわけではない。ラティと彼とにかかっていた魔術から、ひとりだけを効果範囲の外に出しただけ。
つまりね、魔術は展開されたままで、それは元々の魔力量が極めて少ないラティにとっては絶大な負荷となる。しかも、『器』が砕ける寸前ともなれば。魔術の展開を完全に消せばあるいは、ラティの『器』は助かるかも知れない。しかし、彼の眠りは死守しなければならない。もう二度と、あってはならないことだから。ラティもそれを知ってるよね。だから、発動を止めることはできない。
ひび割れ砕ける寸前の『器』で、どうにかやりこなさなければいけない。ラティが通常の眠りからも覚めないでいるのだとしたら、理由と原因はそこにあると思う。『器』が砕ける衝撃と痛みは、魔術師にとって致命傷となる。文字通り、致命傷だよ。俺がどうして助けれることでもない。その痛みと衝撃は命を奪うに十分で、あるいは助かっても気が狂う。ソキが助かったのは奇跡だ。
奇跡を望んじゃいけないよな。そんな分の悪い賭けはするものじゃない。つまり、と白魔法使いはため息をついた。
「ラティの魔術師としての本能が、魔術展開を継続する為に意識を浮上させないでいる、っていうことだと推測ができます、筆頭」
「ふむ……。それは、意識を浮上させることで、魔術の展開に差し障りがあるから、ということかな?」
「前例もないから、推測による答えしか言えないけど、多分、その通りです。意識を無くすことで、ありとあらゆる負荷を極限まで抑えてる……んじゃないかな。すくなくとも、意識と感情の揺れがないから、『器』に対する負荷は限りなく無に近いと考えられます」
だから。ラティはきっと目覚めない。彼を永久の眠りに沈めるため、ラティの魔力ではそうするしかないのだから。迷いながらもそう告げた白魔法使いに、ふ、と息を吐いて。砂漠の筆頭たる男は、集った魔術師たちに柔らかな視線を向けた。集められたのは広い部屋だった。常には魔術師たちが休憩室、仮眠室として使っている部屋だ。
そうであるから天井は高く、吹き抜ける風は爽やかに、人々の喧騒はどこかひっそりとして響く。つめたい石の床には幾重にも布が重ねて敷き詰められ、魔術師たちはそこに立ったり、座り込んだり、極限状態でうつ伏せになって動かなかったり、各々の状態に合わせた姿勢でいる。立っているのは白魔法使いと、筆頭と、他に二人だけだった。倦怠感が漂っていて、誰もが口を重たそうに閉ざし、言葉を発さないでいる。
そんな中で、ジェイドは柔らかに笑ってみせた。花のような。いとおしく、穏やかな、微笑みだった。
「どうしようか。諦める?」
反射的な怒りで、部屋の半数が顔をあげた。信じられない、という顔をしてもう半数が。白魔法使いだけが、うわ、と全力で引いた顔をしてすすっと筆頭の傍から離れたがるのを、無造作に腕を掴んで引き止めて。男はうつくしく、うるわしく、またきよらかなうっとりとした微笑みで、悪びれもなく、ちいさく首を傾げてみせた。
「推測が正しいのなら、打つ手がなく。ラティの状態だけを考えるなら、悪化した、と言ってもいいくらいだろう? ……どうすることもできない、と思うならそういうことだ」
「筆頭! でも……でもラティは、メーシャは……!」
「……うん?」
怒りか、なにかの感情にか、口ごもり。続けられないでいる魔術師を、ジェイドは許さなかった。でも、なに、とあくまで穏やかに問いただす。ぐっと唇を噛んで、別のひとりが顔をあげた。その困難を睨むように。
「諦めたくありません。こんなのは、終わりじゃない」
「そう? なら、どうしようか?」
感情ならば、いくらでも告げられる。意思ならば、いくらでも握りしめられる。でもこれは、もう、そんなものでは立ち向かえない。怒りを覚えるなら、その足に力を込めて立ち上がれ。まだ終わらないと言うなら走り出せ。するべきことはなにか。できることは、なんなのか。言って、告げて、願って。そうしたらそのことに対する許可をあげる。なにもかも許して動けるようにしてあげる、と。
笑顔の裏に獰猛な刃を隠す男に、魔術師たちは食らいつくように立ち上がった。ひとり、ひとり。手足にしっかり力を込めて。
「俺、これから楽音に行ってきます! 行かせてください! 先日、キムルの意識が回復したと聞きました。なにか糸口が見つかるかも知れない」
「いいよ。……では、その間の君の仕事は誰が?」
「それは私が。国内の安定、平穏を守ることこそ、我ら王宮魔術師の絶対的な使命ですから。……長期は厳しいけど、今日、明日くらいなら、二人分くらいは滞りなく」
分かったよ、とジェイドはしっかりと頷いた。では、そのように。行きなさい。男はしっかりと頷いて、傍らの同僚に日常を託し、走って部屋から出て行った。それを皮切りに、わっと魔術師たちが筆頭の元へ押し寄せる。
「お願いします! 白雪に行かせてください! エノーラに、エノーラに会ってきます! なんとかラティを見てもらえるように!」
「筆頭! 俺、これから国内の様子見て来ます! 外組の予定だったから、その通りに! それで、終わらせて、帰りを待ちます!」
「待って皆落ち着いて! 予定を組み直すから、それを一度筆頭に見てもらおうっ? そうですよね、筆頭! まずはいつもの通りに、いつものように動けてから! 皆、普段の倍くらいまでなら行けるよねっ? 国内組と国外組に別れよう。大丈夫、大丈夫です、筆頭! 私たち、まだ走れます!」
諦めてなるものか。こんなことで、こんなところで。仲間を、ラティを、諦めてなるものか。日常と平和を。こんな困難くらいで、諦めてなるものか。魔術師たちの訴えに、そうだね、とジェイドは笑った。しあわせそうに。
「そうしよう」
さあ、魔術師たちよ。走り出せ。この国の鼓動、この国の血液。魔術師の存在こそが、そのものなれば。風のように国内を巡り、そして国の外にも手を伸ばせ。今こそ、諦めることを、諦めて。困難に挑んで走り出せ。事務に特化した魔術師の数人がさっそく机と筆記用具を用意して集合を叫ぶ。何人かが外出の準備を整えに部屋から飛び出し、何人かが早口に己と、把握している者たちの予定を語りだす。
室内は蜂の巣を突いたような大騒ぎとなった。ふふ、と嬉しそうに笑う筆頭に腕を掴まれたまま、白魔法使いが怯えたようにため息をついた。
「うちの筆頭の……こういうとこ……ほんとこういうとこなんだよなぁ……」
「フィオーレ? 文句があるなら素直に言うように」
「なーいでーす」
だから腕を離してほしい、と向けられる視線に、ジェイドはにっこりと仕事用の笑みでもって告げた。
「どさくさに紛れて花舞に行ったりしないなら離してあげるけど」
「いや……さすがに俺もそんなことは……さすがに……」
「しない、と言わないね。駄目だよ、フィオーレ」
優しいのは口調だけである。白魔法使いは絶大な信頼をもって、それを知っていた。はい、と戦慄しながら頷くフィオーレに、よろしい、と告げてジェイドはようやく手を離した。
「我が陛下は、あれでお前にはとても寛容な方だ。同じ過ちを繰り返そうと、二度、三度くらいまでならお許しになるかも知れない。頭痛くしたり胃を痛くしながらね。許してしまわれるだろう。……でもね、フィオーレ。陛下はお許しになられるかも知れないその裏切りを、分かっていて二度、させる気は俺にはないんだよ。……十分療養してきたろ? しばらく砂漠の城から出ないでおこうな。お返事は?」
はい、以外の返事をしようものなら、全力で人体の急所に一撃をいれ、昏倒させた上で医務室にでも監禁しよう、と思っている微笑みでだった。どうせ白魔法使いなのだから、医務室から離れられなくともそう不便はないだろうし。フィオーレは冷や汗を流しながら、はい分かりました筆頭、と言った。やると決めたらやるのが、砂漠の筆頭その人である。陛下には事後報告で。ほぼほぼ常に事後報告で。
砂漠の魔術師たちの中で圧倒的に王に許され続けている男は、己のえこひいきされっぷりを全力で彼方へ葬り去った物言いで、それはよかった、とさらりと告げた。
「俺も手が痛くなるのはね、ちょっとね」
「……って言いながら足を使うのが筆頭の常套手段。俺は詳しい……」
「詳しくなるほど怒られた自覚は?」
フィオーレ、ほんと筆頭の怒りに油注ぐの好きだよな、もはや趣味のひとつかと思うくらい煽るよな、そして反省がいまひとつ見えにくいのよね、と同僚たちからこそこそと視線を向けられて、フィオーレはきゅっと口唇に力を込めた。もう何もいうまい。フィオーレだって墓穴を掘る趣味はないのだ。
沈黙した白魔法使いを仕方がないと眺めやり、筆頭はもう一度、しばらくは大人しくしているんだよ、と囁いてから解放した。なにかあったら埋めてもいいからね、と許可を下すのも忘れずに。はーい、と声を揃える同僚たちに悲しい気持ちになりながらも、フィオーレは珍しく口を開かなかった。言われないでも、埋められるようなことをしなければいいのである。理解はしているのだった。
さてこの反省としおらしさがいつまで保つかな、とあまり期待しない目で見てから、筆頭は意識を切り替えて胸元に手を押し当てた。そこには、しおしお、しゅん、としたましろいひかりが潜り込んでいる。ラティが起きないことに、責任を感じているのだった。翌日はそわそわふこふこと愛らしく落ち着かないでいたのだが、日が経つにつれすっかりしょげこんで、昨日からはジェイドの服に潜って外にも出てこなくなってしまった。
シュニー、と呼びかけると、ましろいひかりはもぞぞぞぞっと這い出して、ジェイドの肩にぺっちょりとくっついた。ぐすぐす泣いてでもいるように、不規則に弱々しい明滅がある。指先で撫でて慰めながら、ジェイドは大丈夫だよ、と幾度も繰り返した言葉を囁きかける。ほら、見てごらん。誰も諦めていないからね。シュニーのせいではないからね。妖精たちも誰も予想できなかったことだよ。
それに、本当にただ眠っているだけ。悪いことにはなっていないんだよ。大丈夫。大丈夫だからね。できることをしなから待とうね、シュニー。かわいいかわいいシュニーさん。ね。いいこだね。かわいいね。砂糖がそのまま声になったかのような囁きに、ましろいひかりはぺっちょりとしながら収縮した。ずびびびびっ、と鼻をすするように振動したましろいひかりは、ぺかっ、と気を取り直したひかりを灯す。
しゅに、がんばるっ、と言っている気がして、ジェイドは愛おしく頬を寄せた。ソキも気に病んでいるだろうから、様子を見に行くのがいいかも知れない。シュニーの気晴らしにもなることだし。この後の予定を考えながら、ジェイドは思わず、あぁそうだ、と言った。振り返った事務に特化した魔術師に、すこしでかけてくるね、と微笑みかける。
「夕方くらいには戻るから、すこしよろしく」
「はい。どちらまで?」
「うん。ちょっとそこまで」
あっこれ悪巧みだ、と瞬時に共通した意見でまがおになる砂漠の国の王宮魔術師たちは、しかし粛々と行ってらっしゃい、お気をつけて、と筆頭たる男を送り出した。扱いが俺とあまりに違うっ、と抗議するフィオーレを前科の一言で黙らせ、筆頭は不思議そうにふこふこするシュニーを肩に乗せたまま、颯爽とした足取りで歩き出した。『お屋敷』の方向ではなく。各国を繋ぐ『扉』に向かって。
新年の祝いと、陛下への祝福と、ラティの件が入り混じり、砂漠の空気は浮足立ちながらも不安を宿して落ち着かない。それでも、魔術師は諦めずにまた走り出した。数日すれば結果はさりとて、また落ち着いていくだろう。大丈夫だ。誰も諦めてなどいない。ジェイドも。陛下には帰ってきたら行ってきましたって言えばいいかな、と思いながら歩いて、『扉』に手を伸ばし、ジェイドは誰にも告げなかった言葉を、ようやく、ひっそりと呟いた。
「……お前には、そうしてやれなかった、だなんて思うのも。そう、動きもしなかった、なんてことも……ああ、未練だな……」
諦めて、手を離して、見ないふりをした。今は永久の眠りの中にいる男が、破滅するその時まで。一度かたく目を閉じて、開いて、息をして。起動した『扉』を潜りながら、ジェイドはどうか、と胸中で呟く。どうか、どうか、その眠りが。優しく、幸せなものでありますように。
「心から、そう願うよ……シーク」
ジェイド、と。かつて呼ばれた親しさが、耳の奥で蘇る。もう、呼ばれることはなく。呼び返すこともない、その名を。ジェイドはもう、口に出すことはしなかった。
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