希望が鎖す、夜の別称:120
元気いっぱいお昼寝から目を覚ましたソキは、さっそくロゼアに、メーシャくんが来るんですよぉおお、と自慢げに報告をした。ロゼアはうん、と微笑んでソキを膝の上に抱き上げ、頬、首筋、額、と手を滑らせ体調を確認しながら、きゃっきゃとはしゃぐ『花嫁』に、こつりと額を重ね合わせて微笑んだ。
「来る、じゃないよ、ソキ。来てるよ」
「……ふんにゃ? あれ? ……あれぇ? そういえば、メーシャくんにお会いしたような……リンゴがとってもおいしかったような……りんご、りんごが……」
『……そういえば、朝からなんか寝ぼけてるような感じでふにゃふにゃしてたわね?』
普段の三割増しにぽやぽやして、動きがとろくさく、話すことも要領を得ないものばかりだった、と妖精は思い返して溜息をついた。起きた瞬間からずっと寝ぼけていたに違いない。体調でも悪いのかと眉を寄せて探るも、妖精には安定した魔力の動きしか感じ取れない。体調は悪くない筈だ、と思う。忌々しい気持ちでロゼアを睨めば、『傍付き』はある程度予想していた微笑みで妖精の疑問に応えてみせた。
「そろそろ、月の障りの時期ですから。眠かったんだと思います。……ソキ、メーシャは客間でお泊りの準備しているよ。会いに行く? それと、ご当主様にもお礼を言いに行こうな。メーシャが泊まれるように許可と、手配をしてくださったから」
「うふん。分かったです。お兄さまったらぁ、たまには役に立つです。えらいえらいです!」
『はぁん? なに、結局ここに泊ることになった、ってこと?』
ソキを眠らせたあと、ロゼアはメーシャと連れ立って、実にてきぱきとよく動いた。メーシャを連れてまずはラギの所に事情を説明しに行き、当主に面通しを行い、妖精には分からないいくつかの部門やら部署やらをぐるぐると練り歩き、挨拶だのなんだのをして行ったのである。そうこうしているうちに、宿泊許可だか滞在許可だかがおり、メーシャは『お屋敷』の客間を一室提供される運びになったのだった。
ロゼアにしても予想外の許可だったらしい。ぎょっとした顔で簡易宿泊所だの、合宿所だの、宿舎だのとなんらかの名称をぽんぽんと口にして問うロゼアに、当主側近たるラギは、レロクを甘やかす微笑みでさらりと告げた。そのように、と当主の御命令であるもので。魔術師のたまごが珍しいから話を聞きたいのでしょう、とロゼアとソキという存在を前にすればなんの信憑性もない言葉を残して、ラギはそれでは、とさっさといなくなってしまった。
ぜったいなにか企んでいる、と思ったのはロゼアだけではなかったらしい。ルノンが、俺がメーシャを守らなくては、と決意を新たにする中、ロゼアはとりあえず、ソキが起きそうだからと区画へ戻って来たのだった。そんな事情とも知らずにふあふあとあくびをするソキは、ロゼアの腕の中で気持ちよさそうに伸びをして、自由奔放にお兄さまのトコに行ってあげてもいいんでぇ、などと言っている。
ソキをダシにして聞き出すつもりだな、と妖精はロゼアを白い目で見たが、まあたくらみは暴いておいた方がいいだろう、とそれを許してやった。なにせ、相手はソキの兄である。それだけでも、ろくなことを考えそうにない相手だと断じるには十分だった。それじゃあ、御当主様にご挨拶しに行って、メーシャにも会いに行こうな、と歩き出すロゼアに連れられて、ソキはご機嫌にはーい、と返事をした。
「ねえねえ、ロゼアちゃん? これで、陛下は、ぎゃふんとするです? お兄さまったらぁ、わる! わるなのでは?」
「そうだな、いけないな。……ソキ、他に、御当主様はなにか仰っていた?」
「んとね? ラギさんにバレないよにするんですけどね、それはお兄さま得意だから、大丈夫だって言ってたです。ソキもぉ、ロゼアちゃんに内緒、得意なんでぇ。お兄さまったらすぐソキの真似をするんですけどぉ」
内緒、とは、という顔で妖精は首を横に振った。本人がそうだと思い込んでいるなら、今後もなにかと便利そうなので放置しておきたい一件である。ロゼアも同意見、あるいは、そこが可愛いと思っているのだろう。でれでれとした笑みでソキの頬を指で撫でながら、そうなんだな、と言っている。五分に一回ふあふあとあくびをしながら、ソキはレロクの元へ連れて行かれるたった十数分の間で、あれよあれよという間に情報を聞き出され。
ロゼアはその全てを、速やかにラギへと受け渡した。もちろん、要点だけをまとめた上で。ソキいわく、お兄さまのとっておきの秘密、の数々を当主側近は八割がた把握していた微笑みで聞き、後でちゃんと叱っておきますからご心配なく、とロゼアに言った。妖精の目からしても、信憑性に欠ける物言いだった。本当によろしくお願いしますね、と胃が痛そうな声で呻き、ロゼアはソキを連れてレロクと面会をした。
ソキが眠たげな声でふにゃふにゃ話すのをレロクは面白そうにしながら聞き、ロゼアの思惑通り、いくつかの情報を零して行った。曰く、メーシャを『お屋敷』に泊らせたのは気まぐれではない、とのことだ。そこに砂漠の筆頭の存在が見え隠れしたので、ロゼアはソキにバレないように、そっと胃のあたりを抑えて沈黙した。砂漠の王宮で最も許される筆頭は、『お屋敷』においても当主に気に入られているが故に、だいたいそんな扱いなのである。
いいんですか、とロゼアが視線を向けた先、ラギは微笑んでそっと視線を逸らして沈黙した。排斥に動いていないのを見る分に、ラギには良くもないが悪くもない、という相手であるらしい。無害ではないが利益が大きい相手、ということだ。レロクがとてもよくなついていますし、とぼそりと零された声が全てである。そして、ウィッシュの父親でもあるひとである。妖精はしみじみと頷いた。質が悪い。
無言になったロゼアに珍しく同情しながら、妖精はルノンと一緒に祝福を重ね掛けしてやった。
『安心なさい。アタシがいる限り、ソキにそうそう変なことはさせないし、あっちも今それ所じゃなくて忙しい筈だから』
「はい、ありがとうございます……」
ソキのおみやげでくれたのでソキのですううう、『お屋敷』に運ばれたから俺のものでもあるだろうが、ときゃんきゃんとメーシャのリンゴを取り合って騒ぐ宝石たちに、ロゼアとラギが心底平和の尊さを噛みしめる顔で沈黙した。それから仕事が忙しいというので、ロゼアは礼儀正しく、ソキを連れて当主の部屋を退室した。ソキよりお仕事を優先するだなんてぇ、とぶんむくれる『花嫁』を宥めながら、メーシャのもとへ向かう。
メーシャはこんないい部屋を使わせて頂いてもよかったのかな、とすこし困惑しながらロゼアたちを出迎え、ほっとしたように肩の力を抜いた。ルノンの姿がなかったので妖精が問えば、ラティに現状の報告に行ってくれたのだという。メーシャが無事にかくまわれたと聞けば、ラティも安心するだろう。まあ、しばらくソキの相手でもしていなさいよ、と妖精が告げれば、メーシャはくすくす、と笑って。
よろしくね、ロゼア、と言って楽しそうに肩を震わせた。
それはよかった、と告げるラティは、言葉ほど安堵した様子を見せなかった。ルノンは苦笑して、魔術師の向かっていた机の上に舞い降りる。見れば書類仕事をするでも日記を書くでもなく、ただ椅子に座っていただけだから、話し相手をしてくれる時間くらいはあるだろう。メーシャが日夜過ごしていた為にすっかり馴染みのある室内は、夕刻にさしかかったばかりであるのにいくつもの灯篭に火が入れられていた。
そのどれからも、気持ちを落ち着かせる薬草の香りが漂って来る。ルノンは微笑んで、ラティに鎮静効果のある祝福を、強めにおくってやった。ありがとう、とラティは呻くように言った。目頭を手で押さえながら。
「いや別に……別にね……? 気分が落ち込んでる訳ではないのよ。うん、そう。落ち込んでるんじゃないの……苛々してる、とも違うのよ……。落ち着かないでいるのは確かだけど……」
『うん』
「な……なにが起こってるのかちょっとよく分からないだけで……。いや分かってるんだけど……分かってはいるんだけどね……? 理解ができ……できてるけど……出来てるか、出来てないかで言えば、出来るんだけど……えぁあぁああ……」
こんなによく分からないことしか言わないラティは初めてみたな、としみじみ感心さえしながら、ルノンは根気よく、うん、うん、と頷いてやった。思えばメーシャを介して、付き合いの長い相手である。メーシャがなにもかもを失う前から面識があった、という感触のある相手である。親しい交流をしていた期間だけで言えば、メーシャよりも長い魔術師であるかも知れない。
いつも明るく、はきはきとして、自分の意見をしっかりと口に出し、迷わず前へ進んでいく。そういう印象の深い女性が、こんな状態に陥るのは初めてではないだろうか。大丈夫か、と問うことも憚られてルノンが言葉に迷っていると、頭を抱えて机につっぷしたラティから、いやごめんちがうの、と意味のなさない謝罪のような、涙声の言葉が漂って来る。
「好きとか嫌いとか駄目とか駄目じゃないとかそういうことを言ってるんじゃないのよ分かるでしょう……? なにを言っているんですか私ですよ魔術師ですよけっ……けっこんとかそういう……そういうのする相手じゃないでしょう、なん……えぇ……」
『うん、うん。そうだな。そうだな……』
「しかも陛下の仰ってる約束ってそれアレでしょうアレ。あの私が入団二日目で城で道に迷って陛下に見つけて頂いた時からのうっかりというか、今覚えばなんでそんなこと言ったんだろう私っていうアレでしょうアレ。子供の口約束じゃないですか……。覚えてますよ、それは。覚えてます、私は。どんなことだって。あなたの。忘れる訳ないじゃないですか。忘れたり……。あぁあああああ嘘でしょう……だって今までそんなそぶり……あったかな……。あれもしかしてそうだったのかな……。あぁああえぇええええ待って。待ってください待って……」
待って、としか言わなくなったラティをしばらく眺め、ルノンはそろそろと、その約束についてを聞いてみた。ラティが頭を抱えたまま早口でとつとつと語った所によると、確か十歳になったばかりの頃だという。城の中で道に迷った新任騎士見習いを、部屋から抜け出して脱走途中の、偶然通りがかった王子が見つけ出して助けてくれた。ラティは王子だと気が付かず。王子はすぐ、新任の騎士見習いだと理解して。
王子はラティをそっと騎士たちの控室まで連れて行って別れ、その日はそれで終わり。それからたびたび、王子は身分を明かさないままで騎士見習いに会いに来た。騎士見習いは数回会う内に王子の正体に気が付いたが、口に出すことはせず。高貴な方の気まぐれ、気晴らしに付き合っては脱走につき合わされ、時に真昼の城下町を、時に深夜の城の中を駆け回った。
想い合っている、と気が付くのに時間はかからなかった。言葉に出さずとも。互いの特別だった。それを口に出したのは、たったの二回だけだ、とラティは言う。見習いを終えて明日から正式な護衛騎士として務める、となった夜と。魔術師であることが発覚した、その日。たったの二回。恋を口にした。傍にいて欲しいと。一度目は王子から。二度目はラティから。
一度目には、もちろんです、と応え。二度目には、口づけをした。魔術師は王のものである。五王のものである。所有物となる。そうであるから。魔術師としてのラティは、もう、そのひとのものにはなれない。誰かと恋をして結婚を許してもらうことは出来るかも知れない。けれど、王だけは。この世界の王とだけは。結ばれることはない。魔術師である以上は。ものとして傍にいることはできても。
「だって……だってそうでしょう……? あのひと、私を、俺の魔術師とか呼んでも、だってそうでしょう……? 魔術師だもの、王のものだもの。魔術師皆そうだもの。違うって分かるもの……。大事にしてくれるっていうのは分かるけど、でもそういう大事じゃなかったでしょう……? えっ待ってほんと、ほんとあの、待って……。私が分かってないんじゃなくて、これあのひとが分かってないんじゃないの実は……?」
『……ごめんなラティ。あの、一番重要なこと聞いていい……?』
「いいわよなに……」
ずずっ、と鼻をすする音がする。しまわれていたハンカチを引っ張り出して渡しながら、ルノンはそっと、そーっと、気遣わしげな声で問いかけた。その、決定的な言葉までは分からなかったので。
『結局、結婚の約束っていうのは、ほんとにしたのか……?』
「……うん」
いやでも結婚しようね、はい分かりましたとかじゃなくて、と早口の涙声が言い放つ。
「一生涯、なにもかも全部、俺にくれる? 俺のものになって、俺の騎士って言われて。はいって言った……。言ったけど……。でもほら私は魔術師になったから魔術師って騎士じゃないし、私の在籍だって砂漠じゃない? 星降じゃない時点で、ああやっぱりだめだったんだそうじゃなくなったんだなって思うじゃない……? 思うわよね……? その後もみんなとおんなじ魔術師対応だったし……よく考えると、あれ? って思うことが……いくつもある……いくつもあるけど……」
『う、うーん……。あの、ラティはさ……困ってるんだよな? 嫌なのか……?』
「……強いて言うなら、私は嫌じゃないことに今一番困ってるのよ」
いやじゃなくて、だめじゃなくて、うれしくないわけじゃなくて。でも。はい、とはもう頷けない。魔術師だから。あぁあああ許して欲しいというかこれほんと夢じゃないの夢じゃないなら現実なの現実ってなにどういうことなの、と延々と呻くラティに、ルノンは困って息を吐いた。これは、薬草を数種類も香らせたくなる。無言で祝福を重ね掛けしたルノンに、ラティはごめんねぇ、と涙声で呻き。
しかしその後も、混乱しきった状態から、回復することはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます