希望が鎖す、夜の別称:25



 くじびきの紙に諦めずロゼアちゃんと書いたことが準備段階でばれ、こっぴどく怒られたのち、その選定は責任者たちに委ねられた。ここまで諦めないとなると、ソキに任せておくといつまでも決まらないわね、と妖精が断じた為である。ソキはしおしおしながらお風呂へ行き、ロゼアの膝で夕食を食べ、ナリアンとメーシャとこしょこしょおはなししてすこしだけ夜ふかしをした。

 ロゼアに抱き寄せられて夜は一緒に眠り、朝はぽやぽやした所をまた膝に抱き上げられて、ゆらゆら揺らされながらまどろみを味わう。ぴっとりくっついて髪を撫でられながら、心音を聞いて体温を染み込ませる。ソキの至福の時間である。ねむいな、とロゼアの声がやんわりと囁く。甘い笑い声。朝だよ、と囁かれながらも気持ちよくて、ソキはふあぁとあくびをした。

 朝なので起きないといけないのだが。まぶたが重くて大変なのである。ふにゃふにゃと訴えると、ロゼアの指がやんわりと、ソキのまぶたを撫でて行く。ふぁ、とソキは目を閉じたままあくびをした。眠っていいよ、と言われているような気がした。朝だけど、ロゼアがそういうのなら、ソキは眠っていてもいいのである。ロゼアがそういうのなら。うと、うと、ころん、と眠りに落ちてしまう寸前のことだった。

 ロゼアテメェ、起こすのか寝かすのかどっちかにしなさいよーっ、と妖精の罵声で目をぱっちんと覚ましたソキは、あわあわとロゼアに抱きついた。

「ソキ、ソキ、起きるもん! 起きるんですぅ! ……ふにゃあぁんきゃあん! ロゼアちゃんですううう! おはようございますですよ。ソキに、おはようの、ぎゅうをして? ねえねえ、して? はやくぅはやくぅ……!」

「……おはよう、ソキ」

 もうすこし眠たいソキを堪能してから起こしたかったんだね、ロゼア。眠たいのかわいいもんね、ロゼアはソキのこと寝かしておくの好きだしね、という視線を、寝台の傍に置いた椅子の上から、ナリアンとメーシャがくすくすと交わし合う。『学園』の朝である。すでに早朝ではない。太陽は麗らかに登りきっていて、早いものはもう朝食を終え、まだの者もそろそろ、と移動を開始して活気づく。そんな時分の頃である。

 顔洗いの水場はもう人がまばらで、大体の魔術師がすっかり目を覚ましている。寝台でだらだらとしているのは、安静組だけであるが、見ればリトリアはすでに着替えて、部屋の隅でなにか書きものをしていた。ソキがじっと見つめていると顔をあげたリトリアは、おはよう、と言ってはにかみ、持っていた万年筆を置いた。

「夕方になるよりは早く……お昼過ぎくらいには、出発できる見込み、と聞いているから。ソキちゃん、ロゼアくん、ナリアンくん。どうぞよろしくね」

「……はい。そっか、じゃあ、悪いけど。よろしくな、ナリアン」

「任せてよ、ロゼア。不審者がいたら、全員彼方まで吹き飛ばしておくから!」

 その場合はお前こそが不審者だ分かってんのかこのやろう、と遠い目をする妖精の傍らで、ニーアが頑張らなくちゃと決意に満ちた顔でいる。同行はナリアンで決まったらしい。ロゼア、シディ、ルノン、俺と一緒に留守番していてね、と微笑むメーシャに、ロゼアは厳かに頷いた。はぁ、と気乗りしない様子のロゼアに抱き寄せられながら、ソキはリトリアにきょとん、とした目を向ける。

「リトリアちゃんは、なにを書いているです?」

「これ? これはね、御手紙。ほら、もしかしたら、忙しいとかで花舞の陛下にお会いできないと困るでしょう……?」

 ソキがわざわざ問うたのは、紙面から滲む予知魔術師の魔力を感じたからである。呪いでも祝福でもなかったが、無意識にこぼれて染み込んだ風でもなく、錬金術師の付与に近いと感じた為だ。リトリアは室内の魔術師たちの視線を浴び、恥じらい、はにかむように頬を染めて言った。

「だからその時はね、この御手紙を部屋に投げ込もうと思って。私の手から離れた時に、同じ部屋に陛下がいると、中身を読み上げるようになっているの。さっきね、試したら、ちゃんと上手く行ったから……!」

「リトリアちゃん、すごーいですぅー! ね、ねえねえ? どうやったのか、ソキにも見せてほしです! どうするの? にゃーっとして、うやんやっとして、ふんにゃにゃーっ、なの? それとも、にゃあんやっとするの?」

『……ねえ、それ、予知魔術師なら通じるの? 通じる擬音なの?』

 リトリアは微笑ましさと理解不能の入り交じる表情で沈黙すると、ロゼアに申し訳なさそうにしながら、そっとソキを手招いた。ソキは魔術式、魔術構成に興味がとてもあるらしい。きらきら輝く目でロゼアにぴとんとくっつき、だっこぉ、とねだってリトリアの所まで連れて行ってもらおうとしている。

 歩きなさい、と妖精がぴしゃりとしても、ソキはもぞもぞとロゼアにくっつきなおし、だっこおおぉ、と強情な声で言い張った。

「だってだって! ソキは夕方からロゼアちゃんなし! ロゼアちゃんなしで、お仕事なんですよ? 今のうちにロゼアちゃんをほきゅーしておかなくちゃ、です。びちくすぅです!」

『……その備蓄はどれくらい保つのかしら?』

「ソキぃ、めいっぱい頑張るんでぇ、もしかしたら夜まで我慢できるかも知れないです。えへん!」

 夕方から夜まで、ということである。備蓄の概念から考え直したくなる短さに、妖精は額に手を押し当てた。八つ当たりに羽根を引っ張られることを警戒したシディが、そっと、そーっと距離を取るのに気が付かず、妖精はうんざりした息を吐く。まあ、前向きに外出を受け入れている、ということでよしとすべきなのだろう。

 未だになんとかならないかな、と思っているのはロゼアくらいで、ソキはお仕事なんでぇと文句を言いつつ、やる気を取り戻していた。それが義務であると知るならば、『花嫁』はやりとげるものである。ため息をつきながらソキを抱えあげ、ロゼアはゆっくりと寝台から、リトリアの待つ机に歩み寄った。

 リトリアはその間に手紙を書き上げ封もしていたが、魔術式や構成要素は内容に関わりのないものである。はいどうぞ、と手紙を差し出されて、ソキはしげしげと封じられた魔力を見つめた。くてん、と予知魔術師の首が傾げられる。

「リトリアちゃん」

「な、なぁに?」

「んとね、ここね、この、みーっ! となるところね、みーっとするんじゃなくて、にゃーっとするんじゃだめなんです? ソキ、みーっとするより、にゃーっとなった方がすっきりすると思うです」

 リトリアは、ぽかんと口を開けて瞬きをしたあと、ああぁあっ、と悲鳴をあげて頬を両手で包み、狼狽した。伝わったらしい。伝わってしまったらしい。そして理解もしたらしい。なんでなのよ、と隠すことなく天を仰ぎ、妖精は沈黙する魔術師たちに代わって、まだしも通じそうな方の予知魔術師に問いかけた。

『リトリア? 予知魔術師語で話してるとこ悪いんだけど、ソキは、なにがなんなんですって? 翻訳してくれない?』

「……あの、私ね、陛下を感知するのに祝福の要素を取り入れて組んだんだけど、誤認の可能性を消して確実性を優先するのなら、ここは呪いの性質の付与の方がよかったんじゃないのって……そっちのほうが、全体の構成もすっきりするよって……ほんとだ……」

『アンタたち、どうやってその情報量をみーだのにーだのに詰めたのよ。なんでそれを理解できたのよ……』

 妖精が見た所、ロゼアですらソキが言いたいことを理解していなかったのである。感心を通り越して恐ろしささえ感じながら妖精が問うと、リトリアは戸惑いながら何度か瞬きをして、ゆるゆると眉を寄せてちいさく首を傾げてみせた。

「あの……なんとなく……?」

『アンタたち! 感覚で生き抜こうとするのやめなさいよ! 説明感覚と語彙を養えっ! 早! 急! に! 返事っ!』

 はーい、はぁーい、と予知魔術師たちが、それぞれの感情を込めて返事をする。どちらも、どこまでもあてにならない声だった。それにしても、と気を取り直して、妖精は羽根をゆらめかせながらソキを見下ろす。見てすこし考えただけで問題点の指摘と、代替案まで提示できるとは。ソキはもしかして、魔術構成にかなり強いのではないだろうか。

 まだ入学して二年にも満たない魔術師のたまごが、なんの準備もなしにできることではなかった。念のため問いかけると、特にウイッシュから学んでいた訳ではないらしい。なんで分かったのと問う妖精に、ソキは難しそうな顔でなんとなくですぅ、と言った。

「だって、だって、そう思ったんだもん」

「……『扉』の時にも思ったんだけど、ソキちゃんは、もしかしたら魔力の使い方が、とっても、すっごく、上手なんじゃないかしら……」

『そうね……。実は雑、かつ大味なリトリアと比べれば、びっくりするほど上手なのは確かかも知れないわね……』

 さっと視線をそらしたリトリアの魔術式は、最終的に帳尻が合えばなんとかなる、というような雰囲気を持っている。決して強引ではないのだが、いつも所々に不具合を起こさない程度の粗があって、すっきりした、理想的な発動とはならないのが常である。ソキちゃん、もしかしてすごいの、とナリアンが呟くのに、メーシャが多分、と同意している。

 説明と呼ぶことすら躊躇いがある予知魔術師語だったが故に、なにが起きたのか受け止めきれていないらしい。それでも調子に乗って、えへんえへんとふんぞりかえるソキに、妖精は優しい気持ちで尋ねてやった。

『で? ソキ? 言っておいた、『扉』の魔術式、書くのは終わったの?』

「あっ。……ちがうです。ち、ちちちちがうですううう。ソキ、朝ごはんを食べたら終わらせるつもりだったです。けっ、けっしてわすれていたなんてことないです。ごかいです。ちがうです……! わかったぁっ?」

 そうだな、ご飯食べたらやろうな。分かってるよソキちゃん、思い出したの偉いね。ご飯たくさん食べて頑張ろうね、ソキ、と口々に励まされて、ソキはこくりと頷いて胸を撫で下ろした。ごまかせたです、というのが明らかな仕草だった。くすくす笑って、

メーシャはすい、とロゼアに視線を移した。

「じゃあ、食堂に行こうよ、ロゼア。一緒に食べたくて待ってたんだ。……ロゼア、普通のご飯でいいんだっけ?」

「食べられそうならいいよ、とは言われた……」

 早朝に、気まぐれのような顔をして現れた、白魔法使いの診察である。フィオーレは、くぴぴぴぴすううううっ、と力いっぱい幸せそうに眠るソキに罪悪感入り交じる苦笑になりながら、ロゼアの不調をそっと癒やし、しばらく一緒に監視され仲間になろうな、と言った。昨日のロゼアの不調は、魔力的な影響というより、精神的な打撃によるものの可能性が高い、とフィオーレは言った。

 さすが妖精の全霊をこめた呪いだけあり、ロゼアの肉体的な時間は、ぼぼ停止状態であったのだという。そうであるから数日の寝たきりは影響を及ぼさず、ロゼアの不調は純粋に、目の前でソキが剣で喉をつきかけたことに起因する。話を聞いたメーシャもナリアンも、悲鳴をあげて真っ先にロゼアを心配した。もはや心配すべきは、ぴんぴんしているソキではない。ロゼアである。ロゼアの心痛である。

 大丈夫だからねロゼア、怖かったねロゼア、もう安心していいよ、しばらくソキちゃんに刃物もたせるのやめようね、俺たちも協力するから、と妖精にも過保護とは言い難いその約束は、ソキがぴすぴすふすすと眠っている間に取り交わされた。『学園』に来る旅の間は、すこしの音でも目を覚ましていたものだが。満ちた眠りは、すこしの声では乱されもしない。

 じつは一回寝ると結構満足するまで起きないわよね、と息を吐かれ、ソキはロゼアの腕の中から身を乗り出し、そんなことないもん、とすました顔で言い放つ。

「ソキ、作りが繊細なんでぇ、知らないひととか、ややんなひととか、すぐに分かるです。騒がしくても起きちゃうです。ぱっちり目を覚ますです」

『……まあ、そういう時期もあったわよね……。前は確かにそうだったけど……』

「でしょう?」

 ぽんぽん、と背を叩かれたソキが、もぞもぞとロゼアの腕に戻っていくのを眺め、妖精は無言で羽根をぱたつかせた。つまり、ロゼアにはもう悪いものはなく。室内に踏み込んできたフィオーレにも、その影響は残らず。寮長、ナリアン、メーシャ、リトリアといった面々も安心していい、ということなのだろう。

 判断材料がソキの自己申告しかないのが、極めて不安かつ心配ではあるのだが。ソキはこの数日で、幾度もその魔力の繊細さを披露してみせた。他者に対する説明能力の、圧倒的な欠陥があるが、よく考えればエノーラも似たようなものである。エノーラに対するキムルが、ソキに対してはリトリアなのだとすれば、解析する方法は確実とみて間違いないだろう。

 それでも、なにかを、まだ見落としている気がした。ソキ、と妖精は食堂の椅子に座ってロゼアの帰りを待つ魔術師に、静かな声で問いかけた。

『あの男は、砂漠の虜囚は、本当にまだ大丈夫なのね? 動かない……動けない。そうね?』

「うん!」

 ソキ、ばっちり分かるです、と自信たっぷりに言い切られて、妖精は頷いた。予知魔術師の繋がりが、そうだと感じさせるならば、そうなのだろうと思う。けれど、妖精も、ソキも、失念していた。こちらが向こうの状態を把握できるのであれば。向こうからもまた、観測が可能であるのだという、単純で、基本的な事実を。見逃していた。


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