希望が鎖す、夜の別称:24




 まず、なぜ『学園』を離れたのか。どこへ向かおうとしていたのか。誰と共にあったのか。寮長の確認を重ねるような、慎重な尋問めいた言葉たちに、ソキは、おしごとをできるかしこくかわいいソキなんでぇ、というじまんげな態度のまま、次々と順に答えて行った。助けてをしに行ったです。星降かね、花舞に行こうとしてたんですよ。でも『武器庫』だったです。

 この間違いはソキのせいではないです。それでね、リボンちゃんと一緒に行ったんですよ。リボンちゃんはずぅっと一緒にいてくれたです。あっ、アスルも一緒に頑張ったんですよ。ソキに時々もふもふされる係だったです。けんめいにやくめをはたしてくれたです。さすがはアスルですぅ、と自慢するソキにはいはいそうねと頷いて同意してやりながら、妖精は密かに感心していた。

 まず、ソキが相手の質問にちゃんと答えている。ソキが答えていると言い張っているのではなく、質問に対する回答として、適切な言葉を選べている。進歩である。同時に、やはりやればできるということなのだ。目頭を押さえればいいのか、頭痛を堪えて額に手を押し当てればいいのか感情に迷う妖精に、寮長は全面的に同意する顔つきで、ただ息を吐いた。

 言いたいことは多々あるようだったが、ソキの機嫌とやる気と集中と、その他諸々を折ってしまいそうだと堪えてくれたのだろう。ロゼアだけがなにも堪えず、膝でもそもそ座り心地を調整するソキを抱きなおし、偉いだのかわいいだの口にしている。覚えてろよこのやろう、と理不尽な怒りをまたひとつ生み出し、妖精は腕組みをして寮長に視線を投げかけた。

 責任者の一人たる男は視線の意味を違えず、ソキをひたと見つめながら言葉を重ねていく。それから、どこへ行ったのか。誰と会い、なにを話したのか。なぜ次々に国を巡っていったのか。移動手段について。『扉』が起動したのはなぜか。なぜ、それが可能だと思ったのか。予知魔術師として、魔力を枯渇させてしまうことはなかったのか。

 ソキは、質問はいちどにひとつまでにしてほしいですぅ、と頬をぷっくり膨らませながら、察していたロゼアにひとつひとつ質問を繰り返されて、にこにこと回答していく。視線はすでにロゼアに固定されていたが、寮長は些細なことだとそれを放置してやった。重要なのは、ソキから正確な答えが返ってくることである。必要なのは広い心と妥協の気持ちだった。

 いつの間にやら戻って来たナリアンとメーシャ、ニーアとルノンに見守られながら、ソキはあのねあのねと囁いていく。『花嫁』の声は甘くふわりと響き、けれども不思議に、聞き取りにくいと誰にも思わせることなく奏でられていく。医務室の扉は全開にされ、戸口には魔術師たちが鈴なりに、ソキの無事を確かめ、何があったのかを知ろうとじっと耳を傾けている。

 そこから新たに室内に入ってきたのは、なんとか復活したレディと作業に区切りをつけてきたツフィアくらいのもので、魔術師たちはあとは礼儀正しく、廊下の人口密度を増やして行った。場所を奪い合うことはなく、大きな声ひとつ響くことはない。ひしめき合い、ぎゅうぎゅうと身を寄せ合って。それなのに、奇妙なまでにしんとする中、静寂の中。ソキは言葉を語っていく。

 『扉』が使えた理由。予知魔術師であるからこそ、可能だったこと。王たちの動向。戦わせてなるものか、とその思いだけで国を巡って行ったこと。砂漠に帰り着いて倒れたことはふんにゃふんにゃと鳴いてごまかし、『お屋敷』に行ったこと、ジェイドに会ったことを話していく。ふたたび、砂漠の王に会い、命じられたことを聞いて、リトリアはようやく安心した表情で胸を撫で下ろした。

 そういうことなら、ソキちゃんの準備ができたら、いつでも私は大丈夫よ、と囁くリトリアに、ソキは満足そうにこっくりと頷いた。だからぁ、そういうことなんでぇ、と質問に対するなにもかもを語り終えたソキは、疲れた顔になりながらも、ふんすふんすと鼻息あらく、腰に手をあててふんぞりかえった。

「ソキ、とっても、とっても、とおぉっても! 頑張ったんですよ。すごいでしょう? ほめて?」

「うん。本当に、よく頑張ったな、ソキ。偉いな。頑張ったんだな、ソキ。……リボンさん、ありがとうございました。本当に……!」

 なぜ『お屋敷』に行ったのか。誤魔化しきったです、と思っているのはソキだけである。メーシャもナリアンもよかったと目頭を押さえているし、リトリアですら察した顔をしているし、ロゼアが分からない筈もない。改めてソキの頬に手をやり、首筋に滑らせ、と確認しながら祈りを込めるように告げてくるロゼアに、妖精はどうも、と腕組みをして頷いた。

 そこまで止めきれなかったことを、妖精は己の未熟だとも思っているので、あまり感謝を、特にロゼアにはされたくないのだが。否定して受け取らないでいる程でもないのである。複雑そうな妖精に、でもあなたが居なければ、と恐ろしい可能性を口に出しかけてつぐみ、ロゼアはきゃっきゃとはしゃぐソキを、閉じ込めるようにぎゅうと抱き寄せた。

 ふっ、ふにゃあんきゃああぁあんっ、と蜂蜜色のとろけた声が、ちたちたぱたたと室内に響き渡る。ロゼアに褒めてもらえて嬉しくて、さらにぎゅっとされてしあわせいっぱいになっているのはソキだけで、室内も廊下も、語られた言葉の衝撃から逃れられていなかった。ソキは、つまり。戦争を回避させてきた、と言ったのだ。その火種を、不安を、ひとつひとつ拾い上げて。

 丁寧に丁寧に言い聞かせて、誤魔化して、目隠しをして、尖った感情には丹念にやすりをかけて、それでも届かないところには次の手を用意して。帰ってきた、と言ったのだ。たったひとり、助けを求めて。たったひとり、戦いの意志を知り。たったひとり、それと戦い抜いてきた。膨大な戦果である。ひとりで、よく、と呟いたツフィアに、ソキはちがうもん、と即座に否定した。

 リボンちゃんとずっと一緒だったって、ソキちゃんと言ったでしょう。それにね、アスルだっていたですし、みんな、みんな、たくさん、ソキをたすけてくれたです。えへん、とするソキに、ツフィアは笑ってそうね、と囁く。響いた言葉はそれだけで、あとは祈りのような、信仰のような静寂が降りてきていた。それは途方もない願いを、叶え切った旅路の物語だった。

 それでいて、まだ途中の。これから先のある、未来へ向かう、物語だ。はー、と感心と呆れが混ざった息を吐き、寮長がよくぞ、と口を開く。

「よくぞ、そこまで……頑張ったな。ソキ、本当に、よく、頑張った。よく、やりきって、戻ってきてくれた。偉いぞ……」

「うふん。うふふん! でぇえっ、しょおおおぉお……! あ。それでね? だからね? りようちょ? リトリアさんと、ソキね、花舞に行かないといけないです。いーい? はいって言ってぇ?」

「許可はする。明日、明後日には動けるようにすぐ調整しよう。……今日はゆっくりしてろ、もう夜遅いからな。いいな?」

 はぁーい、と返事をしたのはソキだったが、寮長が問いかけたのはロゼアである。ロゼアはなんとも言い難い表情で沈黙したのち、ソキをやんわりと抱き寄せて告げる。

「俺も一緒に行きます」

 きゃあんきゃあぁんロゼアちゃんいっしょおっ、とはしゃぐソキの声が響くのに被せるように。寮長は首を横に振り、きっぱりと言い放った。

「駄目に決まってんだろ。不許可」

「いやぁああぁん! ソキ! ロゼアちゃんと! いっしょおおおぉ!」

 ちたぱたたたたっ、と暴れてやんやん主張するソキに、決して譲らない態度で駄目だと言い聞かせ、寮長はロゼアを睨みつけるようにして口を開く。

「ロゼアとフィオーレの身柄は、安全が確認され、確保されるまで『学園』預かりとなる。寮の中なら自由にしていいが、白魔術師がひとり、常時監視につく。決定事項だ。覆らない。……大体、ソキと一緒に行く理由はなんだ? 体調面に不安があるのは理解できるが、ソキはひとりでも立派にやり遂げることのできる魔術師だ。なぜか今それが証明された。なぜか。いや俺にも不思議だが」

「そきぃ、ロゼアちゃんがいないとぉ、なぁんにもできないきがぁ、してきたんでぇ」

 だから一緒がいい、一緒に行く、というソキの主張は完全に無視された。ツフィアも厳しい顔をして沈黙している。いやだ、と語る態度でやんやん暴れるソキを抱きしめているロゼアに、ナリアンとメーシャがそっと寄り添った。

「ロゼア……。また、同じことになると大変だよねってこと、だよ。体調だってよくないよね。今はゆっくりしていようよ。ね?」

「メーシャくんの言うとおりだよ、ロゼア。……大丈夫。ソキちゃん、すぐ帰ってくるよ。ね?」

「あっ、なんだかロゼアちゃんなしで、ソキが頑張らなくてはいけない流れです……! これは、よくないです。よくないですううう!」

 いやぁあん、ソキはもうロゼアちゃんなしを十分頑張ったですぅ、だからロゼアちゃんありで頑張りたいですぅやんやんややん、とぐずって騒ぐソキに、心からの息を吐いて。寮長は半分以上信じられなくなって来た眼差しで、疑惑も強くソキを見た。

「お前……本当に五王に交渉してきたんだろうな……?」

「したもんしたもん! だからぁ、ソキ、リトリアちゃんと花舞に行ってぇ、レディさんと砂漠にだって行かないといけないです! いそがしです! ロゼアちゃんをよーきゅーするですうううーっ!」

『上手く行ったらよ、ソキ。リトリアの件が上手く行ったら、魔法使いを連れて砂漠に行くの。駄目だったら楽音に行くのよ』

 癇癪を起こした裏返った声で、そきわかってるもんっ、と叫ばれる。すっかり機嫌を損ねきったソキを、見るに見かねたのだろう。それぞれの持ち場に戻っていく魔術師たちを見送っていたリトリアが、あの、とそろそろと手をあげた。

「ロゼアくんは……難しいだろうなって私にも分かるんだけど……。寮長、あの、ナリアンくんか、メーシャくんなら……?」

「……はぁ?」

「だから、あの、ロゼアくんの代わりに、ナリアンくんか、メーシャくんについてきてもらうの。それなら、ソキちゃん、頑張れるんじゃないかしらって。……どうかな? だめ? ねえねえ、ツフィア。だめ? ねえ、いいでしょう? ね? 私、いいこにしてるし、うんと頑張るから……!」

 役目は分かってるの、花舞の陛下を怒ればいいの、そんなことする陛下なんてだいっきらいって言ってくるから安心して。まかせてっ、と自信に満ちた顔をするリトリアに、もの言いたげなため息をつき。けれども言葉にはせず頬を突いて。ツフィアは室内の注目を集めながらしばし考えて、すっ、と寮長に視線を流した。

 寮長には悪いことに、ツフィアはリトリアを甘やかすことに決めた顔をしている。

「どちらか、なら、問題はないと思うわ。どうかしら?」

「……ソキにリトリアに、ナリアンかメーシャ? ……なにか起こった時に不安がある」

「あら、予知魔術師を監督役もなく出歩かせる方が不安ではないの? 心配なら私も行くわよ。短時間なら離れてもかまわないでしょう? 今の状態なら、問題はない筈よ。そうよね?」

 おまえ、それが、いいたかっただけだろ、と頭を抱えて灰色の声で呻く寮長に、白魔術師たちからは同情に満ちた視線が向けられる。寮長はしばらく悩み、やがて、ふくれっつらのソキを見て苦笑した。

「まあ、いいだろ。……ソキ」

「なぁあんですかー……」

「選んでいいぞ。ナリアンか、メーシャか」

 どっちを連れていきたい、と尋ねられて、ソキはぱちくり瞬きをした。ロゼアちゃんですぅー、と言うと、ナリアンかメーシャな、と繰り返される。ぷぷっと頬を膨らませて、ソキはきゅうっと眉を寄せた。どちらか、と言われても。どっちもロゼアではないし。どっちのことだって、ソキは大好きなのである。

 ええ、ええぇ、と声をあげて、ソキははっと気がついた顔でこれはまさかですぅっ、と拳を握る。

「二人共好きなんでぇ、ソキには選べないですぅ、をすると二人共来てくれたり、正直者のご褒美にロゼアちゃんもついてきてくれるやつなのではっ? ソキくわしいです!」

『そんなこと言ってると、リトリアと二人旅に出されるわよ。なにその予知魔術師の珍道中。絶対に関わりたくないけど絶対に野放しにはできない……』

 うやぁあああ、とまだ納得していない声をあげてちたちたと抵抗し、ソキは困りきった顔でロゼアと、ナリアンと、メーシャを見た。ナリアンは頑張るね、という決意の顔で、メーシャはどっちでもいいよ、と楽しげな笑顔で、ソキの答えを待っている。ソキが決めないことには、もうこれ以上話が進まないことを理解して、『花嫁』はたいへんなことになってしまたです、と鼻をすすった。

 選択肢の難易度が高すぎる。結局、妖精が助け舟を出すまで延々と悩んでいたソキが、くじびきしてもらうぅ、としょぼくれた声を出すまで。一時間はそのままだった。

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