希望が鎖す、夜の別称:18



 出発して四日ぶりの『学園』である。てちん、と元気よく『扉』から現れて、ソキはふんすとじまんげにふんぞり返った。なにしてるのと妖精が呆れ顔で息を吐くが、ソキはだいじなことですぅ、と頷いた。

「なんといってもぉ、かしこ……んと、んと。えっと……とても、とても頑張ったソキですからぁ、皆にいっぱい褒めてもらわないといけないです。投網なんてもってのほかです」

『……根に持つのやめてあげなさい』

 かしこくかわいい、はきちんと封印されていた。ジェイドのおかげである。これでロゼアが目を覚ましていたら、そうなんだなソキはかしこくかわいいんだな、かわいいなかわいいな、とさらに増長させることは目に見えていたので、間に合ってよかったと妖精は胸を撫で下ろした。

 溜息をつきながら舞い上がり、妖精はえへんえへんとじまんげにしているソキに、冷静な気持ちで周りを見なさいね、と囁きかけた。

『誰もいないから。いつまでもふんぞりかえってないで、行くわよ』

 寮長かレディだったわね、と考える妖精の言葉に、ええぇっ、と声をあげて。ソキは慌てて立ち直すと、きょろきょろちたたと落ち着きなく周囲を見回した。『扉』があるのは、寮の一階の端。普段は使わない廊下の行き止まりである。そうであるから、普段も別に人通りがあるわけではないのだが。人影も気配もない。がらんとしきっていた。

 一応、規定の通りに灯籠に火が揺れているが、それだけだ。ソキの期待していたような出迎えなどなかった。衝撃を受けた顔でよろけ、ソキは廊下の壁にぺたん、と両手をくっつける。

「な、なんということです……! ソキが、あんなにがんばたのにっ……?」

『はいはい。よーく考えなさいね、ソキ? ソキしか移動できていないの。つまり、情報交換収集ができていないの。頑張ったのは誰も知らないの。分かったら、こんな薄暗くて埃っぽい所にいつまでもいないで、談話室にでも行くわよ!』

「あっ……あぁあ、そうでした」

 つつつむーんっ、とくちびるを尖らせながらしぶしぶと気を取り直し、ソキはなんということです、と呟きながらてちてちと歩きだす。

「皆にはやく褒めてもらわなくっちゃです」

『『お屋敷』で褒められまくってたでしょうよ。まだ足りないの……?』

「んもう! いーい? リボンちゃん!」

 元気になったとはいえ、療養の後である。てちてち歩くソキの移動速度は控えめに行って毛虫を連想させたが、妖精は黙って並走してやることにした。先を急がせる程の距離ではなく。なにより確実に転ぶからである。足元に注意して行きましょうね、と告げつつ、なによ、と促すと、ソキは真面目な顔をして言い聞かせてきた。

「あのね。頑張ったのはね、知ってもらわないといけないです。みぃんなに! ですよ。だいじなことです。そうじゃないとね、皆がね、ソキが頑張ったのを分からないでしょ? 知られちゃいけないのじゃないんですから、皆に分かってもらわないといけないです。褒めが減るです」

『最後のが無ければアタシだって、まぁそうねとか言ってあげられるのよ……?』

「ソキは、ちゃあんと! 頑張ったひとを褒めるですけどぉ、ソキの頑張りだって褒めてもらわなくっちゃいけないです。頑張ったひとは、褒めてもらえるです。……あ、あっ! リボンちゃんもぉ、よーく、よーく! がんばたのに、です……。んと、んと、あのね? リボンちゃんたら、偉いです! 素敵です! さすがはリボンちゃ! だいすきすきすきすーきすき! です!」

 どやあああぁっ、という顔をして褒めてくるソキに、妖精はどうすればいいのか分からなくなった胸中を持て余しながらも、ありがとう、と言ってやった。まあ悪い気持ちにはならない。くすぐったくて、なにかに、すこし報われたような心持ちになる。ふっふん、と自慢いっぱいに頷いて、ソキはてちてちと移動を再開した。

「陛下のお手紙もあるですしぃ、つまり? これは? ソキが頑張った動かぬ証拠! というやつです。えへへへへん。それで、これを……これを……りょうちょに……えぇ……りょうちょにぃ……?」

『ちょっと、やる気を失うの早すぎない?』

「え? えっ……どうしよう。疲れた私にお迎えが……? ソキさまと言う名の天使が見える……?」

 ソキと妖精が同時に視線を向けた先、廊下の曲がり角に立っていたのはレディだった。ただし目元を手で押さえながら、虚ろな気配漂う意味不明な呟きを発している。普段なら危ないから近寄るんじゃないと言う所を、妖精が癒やしてあげなさいとソキに告げたのは、女性が大切な戦力だからである。ここで酷使されて駄目になられると、困るのだ。

 はぁーい、と返事をしたソキはてちてちっとレディに歩み寄り、両手で腕にじゃれつくようにして、ねえねえ、と笑いかけた。

「レディさん、なにしてるの? ソキと一緒に砂漠へ行くでしょう?」

『ソキ。アタシは癒やしてあげなさいって言ったんであって、一足飛びに、言質を取れとは言わなかったわよ……』

「ソキと一緒におでかけできるです。めいよなことです。嬉しくって元気になるに違いないです」

 ソキは大真面目である。妖精が深々と息を吐く中、レディはよろよろとソキから離れて跪き、両手を祈りの形に組んで動かなくなった。泣いている気配がする。崇拝させろとも言わなかったわよ、と妖精が途方に暮れていると、あっレディがおかしくなってる、と無慈悲な呟きがいくつか響き、ぱたぱたと駆け寄る足音が響いてくる。

 ソキを目視したのだろう。ぎょっとしたいくつもの気配がして、辺りは一気に騒がしくなった。

「えっ、ええええぇ! ソキちゃんだソキちゃんだーっ! えっ嘘本物なの? 幻覚なの? レディが疲れのあまりアレしちゃったの? それとも、もしかして偶像崇拝? 偶像崇拝なのこれっ?」

「ほんとだソキちゃんが見える……。隠れんぼに飽きてくれたの……? ナリアンとメーシャが泣くほど心配してたよ。顔見せてあげて……? えっでもホントに本物……? 幻覚じゃない……? 疲れた私達の集団幻覚という可能性が残ってない……?」

『ほんとに『学園』は愉快な馬鹿しかいないわね。同じ空気を吸いたくないんだけど?』

 妖精の辛辣な物言いにも、『学園』の生徒たちは正気に戻らなかった。だってたびたびソキちゃんの目撃情報はあったし、お花畑とか湖の畔とか図書館とかで、と告げられて、妖精は隠すことなく嘆かわしいという表情をした。疲れていたのか頭がおかしくなっていたのかは知らないが、魔術師が幻覚ばかり見てどうするのか。大体、目撃された場所がなんというか、童話めいている。

 ソキはふわふわふぁんしいですから仕方がないんでぇ、とまた調子に乗った呟きでふんぞりかえるソキに、話がややこしくなるから黙っていなさい、と叱って。妖精はどうしたものかと思案した。レディは平伏したまま意識があるのかないのか分からないし、動かないでいるし、待てど暮らせど寮長がやってくる気配もない。

 ナリアンかメーシャを待っても良いのだが、妖精の勘が半分の確率で悪化すると告げていた。生徒たちはこのまま放置しておいて、ソキに落ち着いて話ができる魔術師を探させるのが良いように思われた。最悪、リトリアまで辿り着ければなんとかなるだろう。よし、と決意した妖精が囁くより、取り囲まれたソキが、ふぇ、ふぇっ、としゃくりあげ始める方が早かった。

 頑張ったのに褒めがないというか、存在の正否を疑われているし、誰も彼もが大きな声なので嫌だったのだろう。

「ふぇ、ええ……うぅにゃああぁあ……! なんなんですうううう!」

「あっ、なんだかすごくソキちゃんっぽいような……? これはもしや本物なのではっ……?」

 見るだけで触ったりしてこないのは、万一の時のロゼアが怖いからである。骨身に染みているのだろう。取り囲んで見つめるだけの様相は異様に過ぎたが、理解してやれないこともなかった。だが、ソキにはものすごいストレスなのだろう。ぐずるのを通り越してぶちいいいっ、と切れたソキは、ぎしゃああぁですうううっ、と怒り心頭の叫びをあげた。

「りぼんちゃあああぁあ! このひとたち! はなしが! つうじないですっ!」

『アンタたち、ソキに話が通じないとか言われたら魔術師として相当終わってるわよ?』

「ええぇえ、でもさぁ……うーん、ソキちゃん? もうちょっとなんか言ってみて? こう、あっソキちゃんだー、みたいなこと。なんでもいいからー!」

 コイツらもしや分かってて、久しぶりのソキを突いているだけではないのだろうか、と妖精は疑いに目眩を感じる。そこまで馬鹿だとは思いたくないのだが。もう無視して行くわよ、と告げる妖精の声も聞かずに。ソキはぎゅっ、と先輩たちを睨んで、本日一番の叫びをほとばしらせた。

「ロゼアちゃああぁああっ! 先輩たちがー! ソキをー! いじめたですううううっ!」

「あっ本物だこれ本物だーっ! やっべごめんなさいお慈悲をー! お慈悲をー!」

 ずざああぁあっ、と凄まじい勢いで平伏していく魔術師の卵たちを見つめ、妖精はうんざりした気持ちで首を横に振った。

『ほっとくわよ、ソキ。さ、行きましょうね』

「ぷぷぷ! ソキはもうぷぷぷなんですからね! ……あっ、でも? ましゅまろーをくれたら考えなくもないです」

『口止め料の味をしめるんじゃないっ!』

 雷を落として、妖精はとある事実に気がついて戦慄した。つまりこれは、四日間、ソキが野放しだったと見ても過言ではないのだろうか。甘やかしたり、罪悪感で怒れなくなっている場合ではなかったのだ。躾が必要である。それも、早急に。リトリアが見つかったらお説教からだからね、と告げる妖精に、なんでですかあぁっ、とソキが悲鳴をあげる。

 なんでもなにもない。調子に乗った分、へこませて元に戻しておかなくては教育に悪いからである。うぅにゃっ、と嫌そうな鳴き声でてちてち歩みを再開したソキは、しかし、すぐに立ち止まって顔をあげた。ソキの名を呼んで走り寄ってくる者が居たからである。それはロゼアではなかったけれど。ソキは満面の笑みで、彼らに腕を広げてみせた。

「ナリアンくん! メーシャくん! リトリアちゃん!」

 ソキちゃん、ソキ、と口々に悲鳴めいた声で幾度も呼ばれ、手を取られて暫くは言葉もなく見つめられて。ソキは、三人をじっと見つめ返した。言葉に悩んでいるようだった。やがて、ソキはそうっと口を開き、甘い、静かな声で囁いた。

「……ただいま、ですよ」

 あのね、ソキ、うんと頑張ってきたです。だからね、おはなしきいて、と囁かれて、メーシャはもちろんと微笑み、ナリアンは泣くのを堪えながら幾度も頷いて。リトリアは。まるで、ソキが本当に、本当に長い旅から戻ったかのように。心から安堵した笑みで、おかえりなさい、と言った。

 旅の終わりは、魔術師としてのはじまり。あの日、妖精と別れて歩いた短い、ひとりの距離はもう、なく。ソキは魔術師たちと共に、ロゼアを目指して歩いて行く。そこで必ず会えると、もう、疑うこともなく。

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