希望が鎖す、夜の別称:17




 かしこくかわいいソキのほっぺがゆがんじゃたかもです、ゆゆしきことです、しんじられないばんこうというやつです、たいへんなことです、いたいです、と鼻をずびずびすすり上げて訴えるソキに、うんうんそうだね、とジェイドが頷いている。叱るのはもっと落ち着いてからが良いだろう、と妖精は羽根を震わせて息を吐いた。

 まさかソキの中でそんなことになっていただなんて、誰が考えついただろう。まあ、まだ取り返しのつく今判明してよかったのかも知れない、と己を納得させる妖精に、ソキの拗ねきった訴えがふわふわと届いていく。へいかはぼうりょくてきです、すぐソキにせっかんをするんですよ、なんというごむたいな、です、と告げられても、ジェイドは柔らかな笑みでそうなんだね、と頷くだけだった。

 妖精が見た所、この男は『花嫁』の扱いに長け、その言葉の訴える過剰な意味を正確に理解している。何者なのだろう、と妖精は改めてジェイドを見た。どこかきよらかな雰囲気を持つ男である。砂漠の魔術師筆頭。誰もそれを不思議だと感じず、ソキと同席して『お屋敷』の当主と面会することを許された男。『花嫁』の扱いに長けた、その印象をも薄く持つ男。

 まさか、と妖精は眉を寄せてジェイドを凝視した。嫁いだ宝石の、次代なのだろうか。それならばいくつかの理由に納得できる気もした。父母が宝石ならば、接することにも慣れるだろう。気になったが、ソキの耳目のある所で確かめるのは、躊躇いがある。羽根をぱたつかせながら、機会があれば、と心に誓う妖精の耳に、控え目に響く女の声が触れていく。

「……浅学なもので、知らぬまま、恥を忍んでお尋ねすることをお許しください。魔術師の方」

「はい。何用でしょうか? 我が王のうつくしい花の方。そのような、清らかなお声での問いかけ、我が君がお怒りにならなければ良いのですが……」

「いや俺はどっちかって言うとお前に怒りたいというか……息をしながら人を褒めるなよジェイド……そういうところだぞ……」

 理解不能の意志を乗せた笑みを魔術師から向けられて、王はもう一度、おまえそういうところだぞ、と額に手を当てながら呻いた。ジェイドは僅かに考えた後、ああ、と得心が行ったようにしんみりと呟く。

「いえ、もちろん、世界で一番可憐で愛らしく、うつくしいのは俺の妻ですけれど……?」

「ジェイドお前ほんとそういうところだぞ……なんでその結論に至ったんだよいやいい。言わないでいい。説明するな。……アイシェ、これ、そういう相手だからな。気をつけて聞けよ。こういう相手だからな……!」

 人を特殊危険物のように言わないでください失礼ですよ、とジェイドは王を窘めるが、成果があろうはずもなく。かくして、恐る恐る、という様子でジェイドに視線を向け直したアイシェが、戸惑いもあらわに口を開く。

「あの……陛下と魔術師さまは……どのようなご関係ですの……?」

「関係。……うん、陛下、なんとお話すれば? どれにしますか?」

「アイシェ。誤解の無いよう先に言っておくが、あれはお前より倍くらい年上の妻子持ちだからな……!」

 ぎょっとしたように目を見開くアイシェに、ジェイドはふふ、と笑って首を傾げて見せた。

「さすがに倍はないと思いますよ。自分がいま何歳か忘れましたけど」

「お前のその適当に生きてるとこ、もうすこしどうにかしろと常日頃思っているが、いままさに思いを新たにした……改善しろよ王命だぞ……」

「ああ、陛下かわいかったですよね。分からないと誕生日に何歳になったか祝えないだろ、って怒って。懐かしいなぁ」

 もうやだ、という顔をして砂漠の王はソファの上で頭を抱え込んだ。ジェイドという男は、ソキとはまた別種の、人の話を聞かない相手である。え、ええぇ、と戸惑うアイシェに、ジェイドはふんわりと微笑みかけて告げた。

「先王陛下……皆に『新王』と呼ばれていた彼の方の温情……命令により、陛下の教育係をしておりました。そうですね、育て親のようなものです」

「まぁ……! それは、ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。ハレムの者で、アイシェと申します」

「いえ、今はただの……ではないか。教育係を辞しまして、魔術師筆頭に戻っております。お気になさらず、うつくしい方。……陛下の昔の話が聞きたくなったら、仰ってくださいね。ハーディラより詳しくお話できますから」

 ああ、もちろん陛下には同席して頂きますので、時間がある時にはなりますが、と付け加えるジェイドに、王はうんざりしきった声で呻いた。

「その話題で俺が同席とか……ただの嫌がらせだろ……」

「いえ、王のうつくしい方と俺が一対一で話すとかありえませんし、昔の心の傷でじんましんがでるので……王がお許し下さっても勘弁して頂きたいというか」

「そもそも許さねぇよ話すなよ……。いいか、話すなよっ? 絶対だからなっ?」

 はいはい、と反抗期を見守る眼差しで楽しそうに頷くジェイドを嫌そうに眺めて。王は気を取り直す溜息をつくと、ようやく頬をさする手を止めたソキに目を移した。

「さて、ソキ……。こら、そっぽ向くんじゃない。仕事の話だ、仕事。しーごーとー!」

「……ソキはぁ、まじめで、きんべんで、えらいんでぇ、おはなしきいてあげるです……これはとっておきの褒めがもらえるところでは……?」

 偉いね、本当にソキは偉いね、かわいくて偉いなんて素敵だねかわいいね、かわいいね、とここぞとばかりにうきうき褒めるジェイドに、『花嫁』の要求を満たすことは任せて。うふふん、とソキが上機嫌になった所で、王は改めて口を開いた。

「体調は、もう本当に落ち着いたんな? 無理をして動かなくてもいい。正直に」

「ソキ、元気になったです。メグちゃんも、ライラさんも、アーシェラさんも、みんな! かしこくかわいいソキは、もう元気で立派なかしこくかわいいソキになったって言ったです。えへん!」

「……お前……過去最高に調子づきやがって……」

 というかなんで医師じゃなくて女の名前しか出てこないんだよ、と信頼しきれない顔をする王に、ジェイドがお医者さまにも診察して頂きましたから、と言い添えた。まあそれなら、と溜息をつきながら王は頷いた。身体の負荷から回復し、精神的にも元気になったのならば良いことである。

 多少ではなく調子に乗っている所が気になるが、しばらくすれば落ち着くだろう、と思って王は額に手を押し当て。いや、と迷いながら言葉を零した。

「これ本当にほっとけば落ち着くか……? おい、ジェイド。お前、この手の扱い慣れてんだろ。どうなんだ?」

「かわいいので仕方がないかと思われます」

「俺が欲しかった答えに、せめてなにか掠った回答を出してこい魔術師筆頭……! 落ち着くのか、否か。落ち着くとしたら期間は?」

 お前しか今詳しいのがいないんだよと言葉を重ねられて、ジェイドはふふっと楽しそうな笑顔になってソキの前にしゃがみこんだ。なぁに、と問われるのに、あのね、と優しくジェイドは囁く。

「かしこくてかわいいのはね、あんまり口に出さないでおこうね。いいこだからできるよね」

「なー、んー、でぇー?」

「うーん。これは秘密なんだけど、淑女はそういうことを口に出さないからかな。ソキ、もうすぐ淑女だもんね。ちょっとはやいけど、ソキはお姉さんだからできるよね?」

 心をくすぐる言葉の数々に、ソキはだいこうふんでちたぱたたたっとしながら、目をきらきら輝かせて頷いた。なるほど、扱いに慣れている、と妖精が白んだ目になる。はい、ではこれで、と囁きながら立ち上がるジェイドに、王は頭の痛みを堪えながら呻いた。

「あのな……? 根本的な……解決はしてないだろ……」

「陛下、いけませんよ。後出しで文句を言ったりしたら」

「あー! あぁあああおまっ! お前! いつも! そうだよな!」

 そういうとこっ、お前そういうとこだぞ本当にああぁああ、と嘆かれ呻かれても、ジェイドは親しげな笑みを崩すことがなかった。妖精には分かる。これは、大きくなってという成長を喜ぶ眼差しであり、それ以上でもそれ以下でもなく。つまり話を聞いていない。これだから『お屋敷』関係者は、と引きながら見守っていると、王は灰色の眼差しで顔をあげた。

「もういい。しばらく黙ってろ。……いいか! 俺が次に許可するまで! 話すなよ!」

「はいはい。陛下の仰せのままに致します」

 麗しい仕草で一礼したジェイドに、だからなんでお前ら俺が悪いみたいな対応してくるんだよ俺が寛大な心でめんどくさがって許したり放置してることにもっと感謝しろよ感謝、と胃のあたりを手で押さえて呻き。砂漠の王はなにもかもを期待していない顔つきで、溜息ばかりを重ねながらソキに向き直った。

「……元気になったなら、とりあえず『学園』に行くことを許可する。現場の責任者と……恐らくはシル寮長かレディのどちらかだとは思うが、責任者と話して、許可が出たらリトリアを連れて花舞へ行くように。事前の打ち合わせが必要なら、花舞の前に楽音へ行ってもいい。上手く行かないことはないと思うが、万一失敗したら、そのまま楽音に向かって、王を連れて行け。多分そうなったら動くだろ。……上手く行ったら、『学園』に戻ってレディと合流。体調と相談して、戻ってこい。分かったな? ……ジェイド、お前も暫くは城に……いなくてもいいから、すぐ呼び出せるとこで自由にしてろよ」

「陛下? いま俺しか身辺警護いないでしょう? 遠ざけようとなさらない」

 なんだかたくさん言われたです、えっとぉ、と指折り数えて首を傾げるソキにとりあえず『学園』に向かいましょうね、と語りかけながら。妖精はちらっ、とジェイドを見た。王がジェイドを遠ざけたい理由は、妖精にさえ察しがついた。ソキの部屋の件と、アイシェのことがあるからである。お説教、やだ、という顔をして、王はそっぽを向いている。

 ふ、と妖精は乾いた笑みで頷いた。ソキと同じで分かりやすい。シアったら、だめよ、育ててくださった方なのだから邪険にしないのよ、と窘められる王の、悪くなりかけた機嫌を。ふんすっ、と鼻息あらく立ち上がった、ソキの挙動が粉砕した。

「つまりー! ソキ、お家に帰っていいということですううううーっ! あっ陛下おじゃましましたです」

「いや待て、待てっつってんだろうが……!」

「きゃああんきゃああん! ロゼアちゃんのとこにかえるですうううう!」

 とてちてちてちちちっ、と早足で出て行こうとするソキを、全くもう、と笑うジェイドが容赦なく止めた。

「ソキ、駄目だよ。陛下にちゃんとご挨拶しようね」

「今大事なのはそこじゃねぇよ……!」

「陛下、御前失礼致します。……心配されなくとも、『扉』の位置は分かっておりますよ……?」

 だからそこじゃねぇって言ってんだろ、と天を仰いで呻き。王は、ご挨拶したっ、ソキちゃあんとしたっ、と半ば抱き締めるように腕を回して妨害するジェイドの元で、もちゃもちゃやんやんしているソキに、視線の高さを合わせて語りかけた。

「リトリアを連れて、花舞に行く為に、『学園』に行くんだからな。分かったな?」

「分かってるですううう! 陛下のかんよーな行いです! さすが陛下! すばらしことです! ロゼアちゃんの次くらいに素敵かもです! いやああぁああんほっぺのびちゃうですううううう!」

 シアったら、いじめないのよ、と声をかけるアイシェのとりなしも、どこか弱々しい。結局、半泣きになるまで頬を引っ張って反省を促されたソキは、リトリアちゃんだもん、わかってるもん、と鼻をずびずびすすりながら言った。よし、とうんざりした顔をして、王はソキを開放する。迷子になるから送ってやれ、と命じられたジェイドと共に、ソキは張り切って砂漠の城を歩いて行く。

 しんと静まり返る城の空気が怖くなかったのは、ジェイドがそっと話しかけてくれたからだった。大丈夫だからね、歩けるの偉いね、かわいいね、体調に気をつけて、ゆっくり行くんだよ。応援しているからね。待っているからね。いってらっしゃい、と眩しげに目を細めて見送るジェイドに、うん、と頷いて『扉』をくぐり。

 なんの気なしに。あるいは、誰かに呼ばれたような気がして、ソキはふっと振り返った。微笑んで見送るジェイドの傍らに、妖精のひかりがある。ソキの案内妖精はすぐ傍にいた。だから、すぐに違う、と分かった。とろけるような、透きとおる、ましろいひかりがそこにはあった。ぱちぱち、と瞬きをする。

 ひかりが、とろけるように輪郭を崩した。一瞬。ほんの、瞬きの間。ジェイドの肩にじゃれつくように腕を回して、しあわせそうに笑っている少女の姿がソキには見えた。あ、と思う。『花嫁』だ。完成された『花嫁』の姿がそこにはあった。『花嫁』は、はにかんだ笑みでソキを見て。またね、とそう告げてくれたような気がした。ソキには一瞬のこと。

 しかしジェイドには、ずっとなのだ、とソキは思う。




 きっと、ずっと。

 ジェイドは、あの『花嫁』の少女と、一緒にいる。


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