希望が鎖す、夜の別称:19



 各国が分断され、『扉』が不通になったのは、ナリアンとメーシャが『学園』に戻ってきてすぐだったのだという。発覚した発端は、忘れ物をした魔術師が戻ろうとしたこと。『扉』は起動すらせず、ただ普通の出入り口のように、開いては閉じ沈黙するだけだった。すぐに不調をおして寮長が動き、調査点検を行ったが使えるようにはならなかった。

 元々、寮長はエノーラのように複製の技術を持つ訳ではなく、キムルのように解析ができる訳でもない。錬金術師ではないのだ。その類稀なる才能と努力によって、多少の調整と整備ができる、というだけなのだ。本職の手がいる、と結論が下されたのはすぐだった。リトリアも試しに突いてみたのだが、ソキのように飛ぶことは叶わず。かろうじて自然発生の不調ではなく、人為的な妨害であることを解析するに留まったのだという。

 えっじゃあ本当にあの『扉』を使ってきたの、とぎょっとするリトリアに、ソキはそれはもうちからいっぱいじまんげに、ふんすふんすと頷いた。けれども、リトリアにだって出来る筈である。その方法をソキは惜しみなく、感覚的な言葉とほにゃふにゃした擬音で説明したが、恐ろしいことにリトリアは、それをなんとなくであっても理解してみせた。

 あるいは同一の適性を持つ魔術師としての感覚が理解を可能としたのかも知れないが、妖精は隠さずにどん引いた視線を、もうひとりの予知魔術師に投げかけた。なにせソキの説明といえば、あのね、『扉』と廊下なの、それをね、んしょんしょってして、くっつけて、こっちがここで、あっちが行きたいとこにするの、それでね、えいってして、大丈夫ってなったら、ふんにゃにゃーっ、として、えいやーっとして、にゃんにゃあなのっ、である。

 三歳から出来る適切な説明の仕方、の本を読ませなければ、と妖精が決意するのも無理はない話だった。ナリアンとメーシャは、ソキの毛虫のような速度に付き合って歩きながら顔を見合わせ、どういうことなんだろうと視線を交わし合った。しかし、理解できる筈もなく。三人の半歩後ろを歩いていたリトリアだけが、眉を寄せ首を傾げながらも、聡明な声で、つまり、と言った。

「いまある『扉』の、起点と終点の位置だけを再利用して、繋がる廊下そのものは自分で用意すればいいの……? 用意はしなくても、うぅん……絨毯を敷き直す、みたいにして重ねて……その上で術式をなぞれば、私達なら飛べる……?」

『理解できたことが理解できないのだけれど? なんでアンタその結論に至れるの? なんなの、リトリア。アンタ、なんの特殊訓練を受けてきたの? 引く』

「え、えっと……あの、その……なんとなく、そう感じたの。……あってる?」

 そもそも、ソキに間違い探しの答え合わせを委ねないといけないところから、本当は不安がって欲しい、と妖精は思った。相手はソキである。うーん、それでいっか、くらいの気持ちで、めんどくさくなって頷くような相手である。案の定、ソキはリトリアの言葉にぱちくり目を瞬かせ、んっとお、と言いかけてから、こくりとばかり頷いた。もうそれでいいことにしちゃうです、の仕草である。

 ほっと胸を撫で下ろすリトリアは、これで私も移動ができるからソキちゃんの負担が減るね、と喜んでいるが、思い直してほしい。妖精は溜息をついて、あとで魔術式か魔法円を描きなさい、とソキに言い聞かせた。言葉は擬音と感覚の独壇場でも、それならば正確な術式、構成が受け渡せるのである。悪用しようにも、予知魔術師でなければ不可能な方法であるようだし。

 はぁい、と返事だけは素直に響かせて、ソキはてちてちのたのた、廊下を歩いて行く。ロゼアは急遽設置された医務室に移動させられ、眠ったままであるのだという。その昏睡は案内妖精の呪いによるもの。魔術師たちには解呪ができず、その案内妖精も、未だ意識を回復しないままでいる。ルノンとニーアが尽力しても、シディは滾々と眠り続けている。

 それを聞いて、ふぅん、と面白くない気持ちで妖精は羽根を震わせた。ロゼアは正直どうでもいいし、まだ目覚めていないと踏んでいたので構わないのだが。シディはいつまで寝こけているつもりなのか。勝手にどこぞへ飛んで行っていなくなるよりはましとしても、ひとの寝坊は指摘するくせに自分が起きないのはどういうことなのか。

 ええっ、つまりロゼアちゃんを誰かがだっこして寝かしなおしたということではないのですっ、ずるいずるいソキもやるソキもやるうううっ、となにもかもが不可能な訴えでちたぱたするソキを無感動に見下ろして。妖精は魔術師たちに、シディのことは任せなさい、と囁いてやった。

『アタシが叩き起こしてあげるから。ふふっ? 覚悟しろあのねぼすけ野郎が……!』

「こ、個人的な恨みしか感じない……。あの、どうかルノンにはなにもしないであげてくださいね……!」

「ニーアも! 頑張っていたので……!」

 妖精は、寛容の気持ちも深く頷いた。ルノンもニーアも頑張っていたのに、なぜまだ寝ているのか、と思うくらいである。まあ羽根を引っ張って水の中にでも落とせば起きるわよと言い放った妖精に、リトリアが恐怖を覚えた引きつった表情で首を振った。

「それは……あの、拷問と呼ぶのではないのかしらって……! ふ、普通に! 穏やかに! 起こしてあげて……っ?」

『普通に穏やかに起こそうとして起きなかったんでしょう? 大丈夫よ。アイツ、鉱石妖精だから。水に沈んで浮かばなくなるくらいだもの』

 なにひとつ大丈夫だとは思えない、という顔をしたナリアンが、ごめんねソキちゃんメーシャくんと手を繋いでいるんだよ俺先に行くね、と言って走り去って行った。小賢しくも避難させるつもりなのだろう。アタシの追跡を逃れられるとでも思ってんのかしら、と直刃のような髪をかきあげて言い放つ妖精に、リトリアがふるふると細かく首を振った。

「思い直して……? ほ、ほら、ソキちゃんの心の傷になったりするかも知れないし……ね? ねっ?」

『忌々しいことだけど、ソキはロゼアで忙しいからシディのことなんて、気にしないと思うわ?』

「ねえねえリボンちゃん? シディくん、水に沈むの? なんで?」

 どうしてよりによってそこだけ聞き留めてしまうのか。ふふっと諦めの表情で視線を流したリトリアに構わず、妖精はあくびをしてから言い放った。

『だって、アイツ鉱石妖精だもの。アタシたち花妖精と違って、水に浮いたり出来ないの。泳げないの』

「んん? リボンちゃんは、お水に浮くの? なんで?」

『足元を見て歩きましょうね、ソキ。……なんでって、花妖精だもの。そういうものなのよ』

 ふうん、と頷くソキは、シディくんは沈んじゃうですねぇ、と好奇心にきらきらした目で呟いている。嫌な予感を感じたらしいメーシャが、ソキ、沈めたらだめだよ、絶対だよ、と告げるのに頷いているが、どこまで通じているかは怪しいものだった。とろとろてちてち歩きつつ、ソキはきらんと目を輝かせて妖精に問いかけた。

「ねえねえ、リボンちゃん。シディくん、沈むと、どうなるの?」

『ソキ。質問が猟奇的になってきたから、このおはなしはもうやめましょうね。淑女ですものね』

 はぁい、と頷くソキに、蟻塚に水を注ぎ込む幼児の残虐性を感じながら、妖精は手早く済ませよう、と決意した。風呂にでも引っ張って行こうかと思っていたが、もうそのあたりの手洗いでいいだろう。生活範囲で猟奇事件を起こさないで下さいと呻くメーシャに、妖精はシディが起きないのがいけないんじゃないと言い放った。

 ソキ、もうちょっとゆっくり歩こうか、そうしましょうね、とメーシャとリトリアに言われたソキは、やんやぁ、と甘えた声で言い放った。

「ロゼアちゃんが待ってるもん。ロゼアちゃん、寝てるんでしょう? ソキが添い寝をしてあげなくっちゃいけないです! さびしいさびしいかも知れないですしぃ」

『そうよ。その隙に終わらせてくるから安心なさい』

「あぁ……ナリアンくん……ナリアンくん、助けて……間に合って……なんとかして……!」

 アンタ予知魔術師なんだから、祈るにしてももうすこし言葉に具体性を持ちなさいよ、と突っ込まれて、リトリアはさめざめと顔を手で覆った。ソキはてちてち歩きながら、眠っててさみしいロゼアちゃん、ぴとっとくっつくソキ、もしかして寝ぼけたロゼアちゃんのぎゅうがあるやもです、もっもしかしたらおはようのちゅうだっておやすみのちゅうだってしほうだいなのでははううはうううっ、と大興奮していて、いまひとつメーシャとリトリア、妖精に気を配っていなかった。

 ソキ、医務室だからね、ロゼアを襲っちゃだめだからね、と言い聞かせてくるメーシャに、ちょっとだけだもん、とくちびるをとがらせて言い放ち。ソキはついに辿り着いた、臨時医務室の札がかかった扉に、ぴょんと飛びつくように手をかけた。ノックしなさいっ、と即座に妖精に雷を落とされて、ソキはあわあわと、扉をこちこち拳で叩いてみせた。

「失礼します、なんですよ。あのね、ソキ、ロゼアちゃんのお見舞いにきたの!」

 すこし待て、と声がして。内側から扉を開き、顔を覗かせたのは顔色の悪い寮長だった。寮長はゆっくりとした仕草で瞬きと呼吸をすると、ソキの姿を認めてほっと肩の力を抜いた笑みを浮かべる。

「……なんだ、ナリアンの幻覚じゃなかったのか」

「あぁー……。寮長ですぅ……」

 心底がっかりしきった声で肩を落とすソキに、シルは苦笑いでロゼアは寝てるしナリアンは取り込み中だからな、と告げる。その言葉を発するのもだるそうに息を吐くのを見て、ソキはつつん、とくちびるをとがらせて、なぜかふんぞり返った。その顔つきはお姉さんぶっている。ふんすすっ、と鼻を鳴らして、ソキは言った。

「りょうちょ? 起きてるのいけないでしょう? どうぞお休みくださいです。ロゼアちゃんのぉ、お見舞いが終わったらぁ、あとでソキがりょうちょにもおみまいしてあげるんでぇ。それで、お手紙とおはなしもあるんでぇ」

「……怪我一つなくぴんぴんしててなによりだ」

「あとでりょうちょにも、ソキの頑張ったおはなしを聞かせてあげるです。だからぁ、はやく寝るです。はやくぅはやくぅ!」

 お前もしかして心配してくれてんのか、と笑う寮長に、ソキはぷいっとそっぽを向いた。はやくー、ねるですー、いっこくもはやくですぅー、としか言わないソキに、分かったよ、と苦笑して、寮長が身を翻す。それと入れ替わりに。ソキの眼前に飛び込むようにして現れたのは、ニーアだった。ニーアは妖精の姿を見つけ出すと先輩っと声をあげ、大丈夫ですっ、と言い放つ。

『いま! あのっ、いま! シディくんが起きてくれたので! まだすこし動けないというか、辛そうですが、意識はあるので……!』

 沈めないであげてくださいっ、と必死に頼み込んでくるニーアと、魔術師たちのはらはらした視線を受けて。妖精は渋い顔をしながらも、分かったわよ、と言ってやった。りぼんちゃんたら、したうちしたぁ、とふわふわした声で誰ともなく告げ口したソキに、はんっと腕組みをして。妖精は、あらこれでロゼアが起こせるじゃない、と言ってやった。

 ソキは、まだだめですううううっ、と慌てて、もちゃもちゃと室内へ向かう。医務室では静かになさい、と言いながら、妖精はすいっと空気を泳ぐように飛んだ。部屋に、慣れたシディの気配を感じて。それに安堵しただなんてことを、胸に隠してしまいながら。


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