希望が鎖す、夜の別称:08
さくさくの甘いリーフパイに、果物のこんぺいとう。お砂糖のかかった一口サイズのクッキーに、飾り気のないケーキがひと切れ。ふわふわもちもちのマシュマロは持てるだけ。一回、ソキが喉を潤すには十分な量の、ちいさな水筒がひとつ。それらをリュックに詰めて意気揚々とやって来たソキに、楽音の王は遠足ですね、と言って楽しげに笑った。
たいへんなるかんちがいである、とソキは頬を膨らませた。これはおなかが空いてしまった時のおやつに白雪の女王と夫君が待たせてくれた気遣いで、ソキの頑張りのせいかで、多分口止め料なのである。だからぁ、ソキはおはなししないんですよ、内緒だもん、と義理がたく最初に断ったソキに、楽音の王はふふっとおかしげに笑みを深めてみせた。
まあお座りなさい、と椅子を許可され、ソキは白雪でそうしたように『学園』で起きたことから順番に、いっしょうけんめいに話をした。背を正して、つとめて、『花嫁』らしく。それでいて、『学園』に在籍するいずれ王の魔術師となる者に相応しく。弱い喉は何度も悲鳴をあげて咳き込み、ソキに限界を訴えたが、『花嫁』はそれをあえて無視して王に語りかけた。
砂漠の王の様子を、星降での一幕を、花舞の女王の窮状と白魔法使いと教育たちの救出を、白雪での出来事を。楽音の王は多弁ではなかったが、『花嫁』の話を遮らず、根気よくしっかりと聞く王だった。質問はどうしても気がかりな所を選んで『花嫁』の言葉の区切りに囁かれ、あとは流れを止めぬように頷きが返される。
唯一、個人の感情が乗ったのは白雪の女王のくだりで、楽音の王はくすくすと笑いながら、これまでにない他愛ない質問をいくつも積み重ねた。おかげで、ソキが自覚しないままに白雪の王の頓挫した企みは白日の元に晒され、楽音の王は腹を両手で抱えて動かなくなった。爆笑している。
ソキは目をぱちくりさせながら、筆記役として王の傍らにいた魔術師に視線を向けたが、ごめんね、と言わんばかりの微笑みと頷きがあるだけで解決にはならない。おろおろと妖精を見つめれば、頭を抱えて空でよろけながらも言葉が返される。
『……気にしなくて……いいのよ……。この調子なら国際問題には発展しないでしょうし……ソキが手のひらで転がせる相手じゃなかったってことだから……。相手が悪すぎたのよ……これじゃ不意打ちも、懐柔もできやしない。相手が悪いわ、ソキ。普通になさい』
「はぁい?」
よく分からなくても返事をして従うソキの性質はこの場合のみありがたい。妖精はまだ笑いが収まらない楽音の王を嫌そうに見つめ、さらに盗聴器と聞いてもさして動揺を見せなかった同席の魔術師を一瞥した。
『……知ってたの?』
「ふ、ふふっ……彼女はね、昔からそういう所があるんですが」
涙を指先で拭いながら顔をあげた楽音の王が、おもむろに引き出しを開けて取り出したのは魔術具だった。それは指先で摘めるくらいの大きさの、ちょうどソキが貰ってきたまぁるいクッキーと同じくらいの大きさをした、青く澄んだ宝石のような見かけをしていた。これなぁんだ、と言わんばかりの笑顔を深め、楽音の王は魔術具を手のひらで転がしながら口を開いた。
「昔からそういう詰めが甘いというか、悪巧みをして実行までは行くんですが途中で怖気づくというか、忠言を聞き入れる誠実さを捨てきれないから悪いことには向いてませんよ、とずっと言ってあげているんですけどね。まぁたそんなことしようとしていただなんて……ふ、ふふっ、よ、予想もしていませんでしたよ……?」
「陛下、自重してくださいお願い申し上げます」
「うん? なんのことかな? 私は別に、これをネタにして白雪の彼女をいじめたり遊んだりしませんし、泣かせたり遊んだりしませんよ?」
ああ、それにしても大変なものがあるんてすね盗聴器だなんて、と声だけを憂いた響きで囁く楽音の王が、手のひらで転がして遊んでいるものこそ、恐らくは実物である。ソキは目をぱちくりさせて察しが悪く首を傾げているが、やめてあげてください自重してあげてください普通に怒ったりしてあげてください我が王陛下、と胃を痛そうに顔色を悪くする魔術師を見るに、別に昨日今日発覚発見したものではなさそうである。
手段として使える日を待っていたのだろう。ざまあみろと思いつつも、妖精は白雪の統治者を思って遠い目になった。幼馴染にここまで把握され手のひらで転がされ絶好の機会を待ち構えられていたというそれだけて、なんとなくかわいそうになってくる。しっかり反省してもらわなければ困るので、同情はしないのだが。
不思議そうにするソキに、私はなにも聞かなかったからすなわち王の楽しそうな理由なんて分からない察しが悪い魔術師だから、という顔を笑みに固定した楽音の白魔術師が歩み寄り、そっと喉の治癒をする。繰り返される言葉に、無理を重ねているのはソキも分かっているのだろう。魔術で回復させても、なおけふりと乾いた咳を零すようになった喉に両手を押し当てて、神妙な顔で白魔術師の言葉に頷いている。
妖精はソキのリュックに顔を突っ込み、苦心してこんぺいとうを一粒取り出した。ほら、と差し出すとソキはふにゃふにゃとした甘い笑みを浮かべ、りぼんちゃんだあいすき、と空気を震わせる。
「あむっ。……えへん。でも、ソキ、とっても頑張ってるでしょう? えらーい、でしょう? えへへん」
『そうね。頑張ってるわね、偉いわよ。……さあ、あとはもう無理のないようにしましょうね』
うん、と嬉しそうに頷くソキの努力は、実際たいした効果である。戦争とその火種をいくつか、未然に防いで回っている。思い出し笑いで咳き込む楽音の王も、これがソキ以外からもたらされた情報であれば、また違う顔を見せただろう。一瞬のことだったから、ソキがそれに気がついていたかは分からない。けれども『花嫁』がそれを語った時の楽音の王の目は、冷ややかな色を過ぎらせ己の思考に深く潜りかけていた。
そうさせなかったのが『花嫁』の身振り手振りの説明と、甘くいとけなく響く言葉である。その時だけ、『花嫁』は言葉の響きをうんと甘く、幼くした。相手に甘えるように、ロゼアになにか語りかけるように。いっしょうけんめいに、ふわふわ響く声で説明をした。変化は劇的ではなく、切り替えたと妖精にすら感じさせないものだった。
ただ、地に落ちる木漏れ日が、木の葉の影が、風に揺れて形を変えただけ。意識することではなく。そうして王の冷ややかな意思を甘く、柔らかく解いて消し去ってしまって、『花嫁』は言葉を終えたのだ。仕方がない、と楽音の王が、幼馴染の頓挫した悪巧みに笑い続けるくらいに、感情を移させて。ソキは役目を果たしている。戦わせてなるものか、と己の胸に抱いた意思のその望み通りに。
祝詞を告げ、呪詛を囁くかのように。予知魔術師として、ソキは己の望みを叶え続けている。その代償として喉を痛め。こふこふけふん、と咳をして眉を寄せて、ソキは楽音の王をちらりと伺った。
「それで……それで、王陛下。これから、どうするのがいいでしょうか……?」
「そうですね。……一度、砂漠に戻りなさい、ソキ。砂漠の、にも他国の現状を伝えて……ふ、ふっ、花舞も白雪も、私に任せておきなさいと伝えてくれていいですよ。策はあります。どちらにも、ね。……そして、すこし、砂漠で休みなさい。もう辛いでしょう」
堪えきれない笑いを零しながら、楽音の王は喉を手で押さえたまま、離せないでいるソキに優しく語りかけた。『花嫁』は微笑んで言葉を返さず、椅子に座ったまま、ただ美しく一礼することで王の言葉を肯定し、受け入れた。『花嫁』の喉は妖精の祝福、魔術師の回復を重ねくり返し受けていても、ただ息をするだけで時折、軋んだ音を立てた。
また、いまも。息を吸い込み、それだけでけふこふと乾いた咳を響かせて。それでもソキは言葉を諦めず、やんわりと微笑んで楽音の王に囁いた。
「ありがとうございます、楽音の陛下。では、そのように……仰る、通りに、い、た……します」
「そうなさい。……休んでから行きますか? それとも、すぐに? どちらが楽か教えられますか?」
「……すぐ」
分かりました、と言ってソキを立ち上がらせ、王は魔術師に『扉』へ連れて行くようにと命じた。こくん、と頷いて歩き出すソキに、楽音の王はしっかりとした声で、それでいて今思い出したかのようにつけくわえて言った。砂漠に戻って休んだら、『学園』に行きなさい。
「私の魔術師を……いえ、リトリアを訪ねなさい。君の喉に無理がなければ、彼女には同じ話をしていい。難しければ、全てでなくとも、花舞のことだけは伝えて助けを求めなさい。……現在打てる、それが最大の抑止力です」
「……はい、陛下。仰る通りにいたします」
「よろしい。では、行きなさい。……挨拶の言葉はいらないよ。君はもう、この国での言葉を語り終えた。ありがとう。……確かに」
ソキは深々と一礼をして、王の執務室を後にした。廊下を行く歩みは、普段通りにとてちててちてちと頼りない。そこに、背伸びも無理もしていないソキの姿を見出して、妖精はほっと胸を撫で下ろした。ん、しょ、ん、しょ、と疲れた様子で、それでも歩みを止めず一生懸命に『扉』を目指して歩くソキの、目の高さで妖精は飛んだ。行く先を導くように。決してそれを見失わなくてもいいように。
リボンちゃん、と掠れた甘い声でソキは笑う。
「ソキ、がんばたです」
『ええ、ええ……! そうね、よく頑張ったわね。陛下にも、よく伝わったわ。本当によく頑張ったわね、ソキ』
「……えへへ」
てち、てちっ、とソキは歩いていく。一歩づつ、確かめるようにしながら。はふ、はふ、ひゅう、けほ、けほ、ごほ、と息を乱して咳をして立ち止まっては、そきだいじょうぶだもん、と苦しく息を整えながら繰り返した。まだ砂漠に行かなきゃいけないもん、それでね、『学園』でリトリアちゃんにお話するの、それでね、それで、それでね。ソキは、こんどこそ、ロゼアちゃんをたすけるの。
きめたの。これはもうぜったいなの。だから、だからね、リボンちゃん。一緒にいてね。一緒にきてね。ソキがうんと頑張れるように。ようやく『扉』にたどり着き、ひっきりなしに咳をするようになったソキに寄り添いながら、妖精は強く、ええ、と言った。
『行くわ。必ず、どこへだって行くわ。一緒に』
「……う、ん。うん……」
『……だから、すこし休みましょうね。大丈夫よ。大丈夫だから……』
うん、と相手の言葉を聞いていないぼんやりとした声でソキは返事をした。のたくたと瞬きをしながら『扉』をくぐる。て、と足を下ろしたのは、しんと静まり返る砂漠の王宮、その端だった。武器庫から出てきた時のように、ハレムであったのなら、適当な空き部屋ででもすぐにソキを休ませたのだが。
あぅ、うにゃ、と辛そうに声をあげて、てち、と足を踏み出したソキの体がぐらりと揺れる。びたんっ、と倒れ伏す、直前のことだった。廊下の向こうから疾風のように走り寄ってきた男が、間一髪でソキを抱きとめる。ソキは、それが誰なのかを見ようとして。顔をあげて。ふっ、と吹き消された火のように、意識を手から取り落す。夢より深いくらやみに、落ちて行く間隔。その閉ざされる隙間に。
ソキ、ソキ、と叫ぶ妖精の声と。まずいな、と囁く男の声が遠くで聞こえた。どこかで一度、聞いたことのある響きをしていた。誰のものかまでは、分からなかった。
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