希望が鎖す、夜の別称:06



 いったもんソキいったもんほんとだもんいったもんそんな気がするですからソキは言ったにちがいないですほんとですううう、と言う主張に秒で雷を落とされ叱られながら、ソキは花舞の女王のもとへ辿り着いた。なにせ『扉』から出てきた瞬間からソキは半泣きでごねているし、妖精は怒り狂って声を荒げているので、魔術師たちは遠巻きにふたりを見守るしかなく、女王も苦笑しきりで出迎えた。

 いったんだもんソキはいったんですぅ覚えてないけどきっとそうだもん、と諦め悪く鼻をすすりながら、ソキは星降の王からの書状を、きちんと両手で女王へと差し出した。女王は笑いながらソキをソファに座らせると、怒りが収まらない妖精に角砂糖をぽんと受け渡し、手を振る仕草でソキにも飲み物を給仕させた。

 わらわらと寄ってきた花舞の魔術師たちは、口々にどうしたのソキちゃんなにしたのと心配しながらも、まるで怒られるのはソキがいけないことをしたからだと言わんばかり尋ねてきたので、ソキはぷっぷくうううぅう、とばかり頬を膨らませて、ぷいと視線をそらしてしまった。ちたぱたた、と脚をぱたつかせながら主張する。

「ちがうです。ソキがね? けんめいにお伝えしたですのに、リボンちゃんたらお怒りなの。よくないです」

『よくないの意味からアタシに考え直させないでちょうだい……! だからなんで! 大事な所が抜け落ちるの! 自分が良いように要約するんじゃない!』

 内容については全く分からないけど、何が起きたかだけは大体分かった、という顔をして魔術師たちは頷いた。恐らくはいつものアレである。ロゼアくんが一緒じゃないもんねぇ、と呟かれた言葉に、ソキは勢いよくそうですそうなんですぅと頷いた。

「だからね、ソキ、ロゼアちゃんのとこ帰るの! ね、ね、帰っていいでしょう?」

「えっ……うーん。星降の陛下はなんて?」

「花舞の魔術師さんに聞きなさいって。いいでしょう? いいに決まっているです。なんてすばらしことです」

 これ間違いなく駄目なやつ、と頷き合い、魔術師たちは女王を伺った。花舞の魔術師にしてはおかしいくらい、怯えすら見え隠れする、恐る恐るの視線だった。目をぱちくりさせ、きょとん、とするソキに。書状を丁寧に折りたたみ、顔をあげた女王が美しく微笑みかける。

「……さ、私の魔術師たち。用意をしなさい。……砂漠を攻め落とす」

 魔術師たちの反応は早かった。次々に声にならない悲鳴をあげロリエス助けて今すぐ助けに行くから今すぐ助けてあぁああああと叫び呻き祈ったのち、彼らは決意の表情で、忠誠を捧げし愛しの主君に声をあげた。

「あー! おやめください麗しき我らが女王陛下ーっ! なにとぞ落ち着いてくださいお願い致しますー!」

「深呼吸してください陛下深呼吸! お願い致します! 深呼吸! ひっひっふー! ひっひっふーです!」

「ああぁあああお許しください陛下! なにとぞ! それだけは! お許しください陛下お許しくださいそれ侵略とか戦争とかになっちゃいますお許しくださいー! お許しをーっ!」

 唖然とするソキと妖精たちの目の前で、両手を祈りの形に組んだ魔術師たちが次々に叫びながら平伏していく。花舞の女王はそれに僅かばかり視線を落とし、やや気を削がれた顔つきで目を細めた。

「……ロリエスは戻らない、フィオーレは操られた、だと? これを許しておく理由がどうしてある? 今こそ、あの砂漠の虜囚は殺すべきだ。お前たちの気が向かないなら私が手を下そう。他を抑え込むだけでいい。できるね?」

「陛下お願い致します! いましばらく! もうしばらく他国と『学園』からの情報をお待ちください! 『学園』にはレディが向かったと聞きました。同じ魔法使いであるなら、フィオーレの意識を戻す手立てもありましょう! 物理かも知れませんが! 大丈夫ですちょっと焦げたくらいでは白魔法使いは死にません!」

 花を。穏やかに風に揺れ咲く花を傷ませるような強烈な怒りが空気を震わせている。妖精は咄嗟の判断で女王とソキの間に立ちふさがり、尊き方に背を向けて己の魔術師に向き直った。ソキはぽかんと口を開けたまま、じわじわと状況を理解している最中なのだろう。のたくたと室内を彷徨う視線が、怒りに対する怯えを滲ませ息を浅くさせていた。

 ソキ、ソキ、と潜めた声で囁きかける妖精に、向けられる目は凍りつく森の色をしている。あ、う、あぅう、と涙に彩られた意味なき声を零して、ソキはソファの上で全身に力を込め、周り中を警戒しながらも口を開いた。いけない、という意思がソキの中で響いていた。それは眩暈と、痛みさえ伴いながら鼓動より強くソキの心身に響いていく。焦りと共に広がっていく。

 とめなければ。とめなければ、とめなければ、とめなければいけない。この意思だけは止めなければいけない。さもなければ。滅びの蓋がまた開く。『花嫁』は、泣き叫びそうな意思を堪えて息を吸い込んだ。

「花舞の、陛下、に……申し上げます」

「聞こう。なにかな? 予知魔術師」

「砂漠の……虜囚は、しばらく、なにも、できません。なにも……なにもです。ですから、しばらくは、なにも……起きません。ほんとう、ほんとう、です……」

 室内の魔術師たちがそうしているように、『花嫁』も両手を祈りの形に組み合わせ、震えながらも花舞の女王を見つめていた。ゆっくりと、それでいてはっきりと、一言に力を込めて発声する『花嫁』の、淡く甘い声が淑やかに告げる。ですからどうぞ、そのようなことはなさいませぬよう。『花嫁』の切なる願いに、しかし女王は冷たく目を細めて首を傾げる。

「ソキ」

「……はい」

「なぜ、そのようなことが言える。情報すら書状でしか届かないこの状況で……いや、なぜ『扉』が使えるのかな? 他の誰でもない、君だけが。なぜ?」

 その理由ひとつも説明できなくば、言葉は受け入れられるものではないのだと。青い花のような声が告げる。夥しいほどの怒りを、それでもまだ、忠臣たちの言葉によって抑えつけようとしながら。その場の希望と祈りをかき集めた視線を受けて、ソキはぎゅうと手を握りしめた。ふわ、と飛んだ妖精が指先に触れる。大丈夫よ、と妖精は告げた。

 アタシがいる。ソキはひとりなんかじゃない。アタシがいる。絶対に味方だって信じていて。ソキ。囁きに、差し出された希望に、祈りに。ソキは、予知魔術師は、震えながらも毅然として顔をあげた。胸に両手を押し当てて、誇り高く告げる。

「祝詞を告げ、呪詛を囁く。予知魔術師の本能が……対たる、言葉魔術師のことを、わたしに告げる。わたしの使用者は、いまはまだ動けない。なにもできない。砂漠の奥深くから、出てこない。わたしが、『扉』で飛べるのは……この混乱が言葉魔術師によって引き起こされたものだから。その魔力はなんの障害にもならない。そして例えそうでなくとも……荒れ狂う嵐の中でさえ、わたしは飛べる。入口と出口さえあれば、かそけき可能性のひとかけらさえあれば、それを確かに引き寄せて行ける」

 語るソキの瞳は、硬質な宝石のようだった。くらやみから光を見つめ、その輝きを宿しながらも秘され眠りについている、鉱石の瞳。けふ、こふ、こふ、と弱い喉が悲鳴をあげて乾いた咳を繰り返す。それでも予知魔術師は己の出来るすべてを差し出すように、凛とした態度で言い切った。

「また、予知魔術師たちの遺物がわたしに告げる。予知魔術師とは、そういうものだと。……ですから、陛下、どうぞ」

 ふわ、と微笑んで、『花嫁』が一礼した。

「どうぞ、心穏やかに、いましばらくお待ちください。あなたの魔術師は損なわれてなどいない」

 それが『花嫁』の、脆く弱く作られ整えられた魔術師の、喉の限界であるようだった。ソキは苦しげに体を二つに折り、両手を口に押し当ててごほっ、と強い咳をした。全身に力を込めて堪えようとするも、幾度も幾度も咳がこぼれていく。止まらない。見かねた妖精が祝福を口にしてようやく、それはすこし和らいだ。まるで棘を飲み込んだかのように、苦しく、ソキは息を整えていく。

 はっとした顔つきで走り寄った白魔術師が、『花嫁』の首に手を押し当てて魔術を使いようやく、その呼吸は平常を取り戻す。は、はっ、と浅く早く、ソキは息をした。制圧、と呼べるくらいの満ちた静寂、妖精の祝福の残り香が漂う部屋の中。ソキは花舞の女王に自慢げな顔をして笑い、いつものように、ちょこり、と愛らしく首を傾げて問いかける。

「説明は、おわりです。……これで、いいですか?」

「待てと、君も私に求めるのか?」

「求めては。……ただ、女王陛下は魔術師の言葉を無視なさらない方であると」

 そう言って、ソキはまたこふりと乾いた咳をした。もうしばらく話さないでいなさい、と妖精がソキに囁きかける。もう十分よ、と。そうだな、とばかり苛烈に同意を求めて室内を見回した妖精の目が、王宮魔術師の尽力を命じている。陛下、とひとりがすがるように囁いた。

「お願い申し上げます。どうか……どうか、お待ちください。お気持ちは痛いほど理解しているつもりです。ですが……あえて、もうひとつ告げるなら、まだ誰も損なわれてはいない。まだ、戻らない、だけなのです。そこにいる。ロリエスは砂漠に、フィオーレは『学園』に、いるのです」

「……お願いします、陛下。こんなの、嫌です。こんなの……」

「陛下……。俺たちに戦争をさせないでください……。誰とも戦いたくない。こんな形で、戦いたくなんてない……! ……待ってください。お願い、どうか、待って……」

 女王は目を閉じ、深い息を吐いた。ソキは眠そうに目をぱちぱちとさせ、指で擦って妖精にたしなめられながらのんびりと呟く。

「あのね。リボンちゃん」

『ちょっとだけ静かにしていなさいね、ソキ。それか、小声でそっとよ。……なに?』

「こごえ。こごえです……あのね、リボンちゃん。ソキ、みんなのところに、行こうと思うです」

 もちろん、ロゼアちゃんには会いたいし、それがいちばんのことだし、会いたいし寂しいし会いたいし会いたいのだが。くしくしくし、と眠たげにまた目を擦って、ソキはこっくりと頷いた。

「あのね。楽音と、白雪にも行くの。それでね、花舞の陛下が大変なのをお伝えするです。それでね、ロリエスさんと、フィオーレさんを、はやく助けてくださいってお願いするの。それでね、砂漠に戻る前に、こっそり、こっそり『学園』にも行くの。ロゼアちゃんにぎゅうするの。……あのね、あのね、リボンちゃん。ソキ、魔術師のことはね、きっとなにもできないですけどね、お手紙を運んだり、お願いしたりするのはね、できるの。ソキ、ロゼアちゃんをもうすこし、我慢する。それでね、ソキ、できることをするの。えらい? ……えらい?」

『……偉いわ。偉いわよ。でも急に、どうしたの?』

「だって……だって、たたかうのはだめだもん……」

 くしくし、と眠たく目を擦って。りぼんちゃんにおこられちゃうです、と拗ねた口調で呟くソキは、すでに半分眠っているに等しかった。女王は閉じていた目を開き、装いのない柔らかな苦笑でソキに囁きかける。

「お昼寝してお行き。……誰か、部屋を整えておあげ」

「……はい、すぐに」

「そして、起きたら……ソキが起きたら、楽音なり、白雪に行く前に、もう一度私のもとへ連れてきなさい」

 ふ、と息を吐いて。女王は怒りを一度手元から離すように、囁いた。

「待とう。……私は狭量な王になるつもりはないのだよ、私の魔術師たち」

「はい。……はい! 存じております! 我らが麗しき女王陛下! 愛してます! ありがとうございます!」

「わああぁあソキちゃんありがとおおおおおっ! すごいすごいスペシャルハッピーありがとうー! お昼寝のお部屋だよね待ってて! 五分待ってて!」

 言うなり部屋を我先に飛び出していく魔術師たちの、やったー陛下大好きですーっという叫びが、華々しく空気を揺らしていく。でもでも待つっていうのは、やめる、とは違うですよぉソキちゃあんとしってるもん、と呟き、『花嫁』はふわふわとあくびをした。リボンちゃん一緒にねむてね、と訴える声が甘えきっている。

 分かってるわよ、と告げながら、妖精はソキの頬をやんわりと撫でた。己の魔術師の成長を知る。よく頑張ったわね、と心から告げれば、ソキは幸せを零すようにふんにゃりと笑って。うん、とあどけなく、甘い仕草で頷いた。

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