希望が鎖す、夜の別称:04
ソキは、星降に到着するなり投網で捕まった。投網である。『扉』から出るなりの問答無用の捕縛であった。投げた方も投げられた方も口をぽかんと開けて誰一人として動けない中、誰かの、えっソキちゃんじゃないのあれ、という呟きでソキは事態を把握した。なんだかよく分からないが、網を投げられて捕まっている。頑張って働いているのに。
ロゼアちゃんも仕方なく仕方なく仕方なくいっぱい我慢しているのに。これはあんまりにあんまりなことである。
「ふ……ふんにゃああああぁああっ! ぎしゃああぁああですうううううう! ふんにゃぎゃぁあああ!」
「あーっ! 嘘ごめん違うの手違いなのごめんだから暴れないでごめんごめっあー! 絡まってるー! あー! 絡まってるーっ!」
『……なぁにこれ』
うんざりしきった妖精の声が響くも、ソキの怒りは収まらなかった。こんなことをされたのは生まれてはじめてのことである。怒り心頭でじたんばたん暴れるソキを遠巻きにする魔術師たちの顔は、手負いの獣を捕縛してしまった者のそれに酷似していた。妖精は白んだ顔で息を吐く。
『ソキ、ソキ。落ち着きなさい。あの底が抜けた馬鹿どもは、ひとり残らずアタシが呪ってやるから。……ほら、いいから! 暴れるんじゃないの! 怪我するでしょうが! 言うことを聞けーっ! 暴れるなって言ってるのよアタシは! 怪我するでしょう! 怪我を!』
「ふえ……ふぇ、ふぇ……えぇん……」
「あー! なにとぞお怒りをお収めください! なにとぞお怒りをお収めくださいー! せめてロゼアくんだけにはー!」
ついに泣きべそをかいて座り込んでしまったソキから視線を外すと、魔術師たちが青い顔で平伏しているのが見えた。妖精は苦心してソキに絡んだ網を解いてやろうとしながら、無慈悲にきっぱりと言い放つ。
『言いつけるわよ馬鹿じゃないの? 謝る前にせめて説明しなさいよなにこの事態。馬鹿じゃないの? 馬鹿しかいないの?』
「分かりました結論から言うね! ひと間違いです!」
だってだってこの状況で『扉』が砂漠側から起動して誰か来るとなるとそれはもうひとりしかいなくないっ、でも間違えてごめんなさいっ、と両手を上げて謝罪する魔術師に、妖精は小馬鹿にしきった顔つきで、はぁ、と語尾を跳ね上げて言った。
『つまりアンタたちアレなの? あの言葉魔術師とソキを間違えたって言うのね? それでどうして投網なのよ花舞に汚染でもされたのかしら? それともついに陛下に似たの?』
「……いや、一回でいいから賊に網投げて捕まえてみたいよねって……話になって……?」
妖精は、未だもちゃもちゃやんやんぎゃうううっと不機嫌この上なく自力で網から逃れようとしているソキを宥めながら、白みきった顔で腕組みをした。溜息と共に頷く。
『そう。ついに星降も花舞の仲間入りってわけ。おめでとう? よかったわね。好きに生きなさいね、陛下そっくりに』
「いやああぁああごめんなさーい! 違うのちょっと色々! そう色々焦ったりうまく行かなかったりして判断力がねっ?」
そんなものがお前たちにあった試しなどない、と断定した顔をして、妖精はゆるりと魔術師たちの顔を見回した。なるほど、よく観察すればストルやレディなど中核の魔術師の顔が全くない。そしてよく見れば半数が、まさに花舞の魔術師の混合部隊である。これは勢いだけで物事を決定し、勢いだけで実行し、そのままやらかす種類の駄目なアレである。注意力不足も甚だしい。
『アンタたち、判断力の意味知ってて言ってる?』
「もうもうもうもうやぁああんですうううう! りぼんちゃ! おーきゅ、まじちしさんばっかり構ったらだめですうう! ソキのー! しんぱいをー! するですううう!」
極めついてめんどくさいのに可愛くて無視できないなんだこれ、とうんざりした顔を隠さないまま、妖精は視線をソキに戻してやった。髪に体に、網をぐっちゃぐちゃに絡ませた悲惨な姿で、ソキはふんすふんすと鼻を鳴らしてふんぞり返っている。見れば腕や手の甲は網に擦れて赤くなっていて、切れて血こそ出ていなかったが、これ以上暴れればもう時間の問題であると思わせた。
いいからもうじっとしてなさいなんとかしてやるから、と妖精が天を仰いだ時だった。怖気立つ程に濃密な、それでいて完璧なまでに編み上げられた火の魔力が場に一瞬にして満ち溢れる。あ、と誰かが声を上げるのと、現れた焔の鳥がソキに身を擦り寄せ、その繊細な術でもって『花嫁』を捕らえた網を消失させるのは殆ど同時のことだった。
その、柔くなめらかな肌にすこしの痛みも与えない芸当は、研鑽を重ねた魔法使いであるからこそ可能な術だろう。すっく、と本人的には立ち上がったつもりの、よろよろもちゃっとした動きで罠から脱出したソキは、当然の期待で辺りをきょろきょろ見回した。
「レディさん? レディさんです! ソキには分かっちゃったです。ありがとうをするんで、こっちに来て欲しいです。……あれ?」
『……いないわね』
一度だけ、優美に翼を羽ばたかせて。焔の鳥はソキに恭しく一礼すると、ふっと吹き消されたように空気に姿を紛れさせてしまった。ぱちくり瞬きをしたソキは、頭を抱える留守番魔術師たちに、己が感じた印象のまま問いかける。
「お留守番の鳥さんなの? レディさんはいないの?」
「うん……。今ね、『学園』に行ってて……あれはなんていうか、緊急事態専用の防衛機能としてレディが仕掛けて行ったやつ……」
「ソキをつかまえるだなんて、きんきゅーじたいに決まってるですううう! もう! もう! ……あっ、つまり? ソキは? レディさんを呼びに『学園』に行くのが正しいのではないですか……? ねえねえ、リボンちゃん?」
数秒前までの怒りはどこに捨ててきたのか。きらんと目を輝かせて『学園』に向かおうとするソキに、妖精は腕組みをして言い聞かせた。まずは魔術師たち、そして星降の王に現状を伝えるのが最優先である。砂漠の王がソキに語らなかったいくつかのことを、妖精は角砂糖を口実に傍を離れて見てきたからこそ把握していた。星降からも調査に向かっていた魔術師たちが、どんな状態にあるのかも。
全てを把握するには、ソキに怪しまれない為に時間がなかったが、それでも伝えておかなければならないことは多い。砂漠の王とは違い、自身も魔術師である星降の王は、妖精のことが分かるのだし。あからさまにやる気を無くしてくちびるを尖らせ、もぅー、と声を上げるソキを促して、妖精は留守番魔術師たちを置き去りに、勝手知ったる城の中をすいすいと飛んだ。
星降は穏やかな空気を漂わせていた。『扉』の前のひと騒動から離れてしまえば、ソキが訝しく眉を寄せていっそ不安げな顔になるくらい、いつもの通りになにも変わらないでいる。魔術師が動き回っていることは知られているのだろう。人々はソキには親切に、陛下なら執務室にいらっしゃいますわ、と声をかけては小走りにでもなく行き過ぎていく。穏やかだった。常の通りだと感じられる。
その平常に怯えて、ソキは廊下で立ち止まってしまった。
「……ソキ、やっぱりもう、おうちかえる……。ソキが、ソキがロゼアちゃんを守ってあげなくっちゃいけないです……。『学園』がたいへんなんだもん……。ほんとなんですぅ……ほ、ほんと、なんですよ……!」
『ソキ。……ソキ、大丈夫。皆分かってるのよ。あの魔術師たちだって言ってたでしょう? 火の魔法使い、レディは『学園』にいるのですって。助けに行ったのよ。なにもしていない訳じゃないの。無視されている訳じゃないのよ』
「でっ……でも、でもでもぉ……! もう、もう朝だもん……ソキ、朝になるよりずうっと早く、ロゼアちゃんの所に帰るつもりだったんですよ」
てのひらをぎゅっと握り込んで俯いて、ソキはうるうると目に涙を浮かべ、ずびっと鼻をすすりあげた。それはまさしく、迷子になった幼子そのものの姿であったからだろう。たたっ、と走り寄る軽い足音が響く。朝の清涼な眩さから、ソキをそっと隠すように、穏やかな影が落ちた。
「どうしたの? っ……ま、迷子……かな?」
唐突で奇妙な、言葉の途切れが声の間にはあった。それはまるで名前を呼ぼうとして、そのことに戸惑い、無理に切り替えたような不自然な形だった。ぐしぐしぐし、と拳で目を擦って、うつむいたまま、ソキはないてないもん、と言う。うん、と穏やかな声が降りてきて、その影はソキの前にしゃがみこむ。
「泣いてないね。偉いね。……ね、名前を教えてね。私は、ステラ」
ぱっと、勢いよくソキは顔をあげた。その響きを知っていた気がする。時の果て。世界の先。そこで幾度も巡り会い、そして失ってしまった筈の。息を吸い込んで。ソキはなぜか、しゃがみこむ少女の両足を見て。じわ、と新しい涙を浮かべ、息を吸い込む。
「……ステラちゃん?」
「うん。なぁに、ソキちゃん」
「……ソキ、ソキね、迷子じゃないの。迷子じゃないけど……ステラちゃん。助けてくれる?」
少女は、星降の騎士である。それを示す、白と金を基調とした制服に身を包んでいる。歳の頃は十五か、十六。ソキよりすこし年上の、しなやかな身のこなしをする少女だ。肩をすこし越した辺りまで伸ばした赤褐色の髪を、細く一本の三つ編みに纏めてなお、何処かロゼアと似た印象がある。瞳の色も、ロゼアと同じだからだろう。
少女、ステラは赤褐色の瞳を晴れた日の湖面のように煌めかせ、さっとその両足で立ち上がって、ソキに手を差し伸べた。
「ええ、ソキちゃん。もちろん!」
その、笑顔も。声も。腕も、手も、指先も。なにもかも。時果てに消えてしまったものが。そこにある。ソキは胸いっぱいに息を吸い込んで、差し出されたステラの手を握りしめた。ぎゅうっと、強く。離れてしまわないように。
「……ステラちゃん。ソキ、ソキね。名前ね、ソキっていうの」
「うん……? ……うん。よろしくね、ソキちゃん」
あれ、とステラは胸元を指先で押さえて瞬きをする。手を繋いだまま。ううん、と難しそうな顔をしたステラはちょっとごめんね、と断ってから、ソキに手を伸ばして、その目元に触れる。消えた涙を拭うように。そのことに。ようやく、ほっとした顔をして、ステラはくすくすと肩を震わせて笑った。
「ほんとだ。泣いてないね。……よかった」
なんだろう、私ね、と歩き出しながらステラが囁く。なんだかずっとそれが心配だった気がしたの。手を繋いで。腕にじゃれついてきゅむっと抱きつきながら、ソキはステラを見上げてこしょこしょと囁く。ソキもですよ。ソキも、あのね。ずっと、なんだか、あのね。あのね。伝えたい言葉がある筈なのに、声にならず、言葉にならず。
むう、とくちびるを尖らせるソキに、ステラは幸せそうに目を細めて微笑んだ。
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