希望が鎖す、夜の別称:03



 妖精がソキを叱り飛ばし宥めすかしてなんとか説得したおかげで。ソキは全力で嫌そうな顔をしながらも、砂漠の王の命令通り魔術師として努力し助力することに、しぶしぶしぶしぶ頷いた。

「ソキ……おうちかえる……終わったら、すぐ、すぐ、おうちかえるぅ……!」

「……実家ならそこに見えてるだろ」

「ふぎゃああぁああん! もうもう、もう! きしゃああああぁあですううう! ふんぎゃああぁあーっ!」

 じたばたじたばたっと暴れて体勢を崩してびたんっと真正面から転び、ソキは王の呆れた視線を向けられる先で、廊下に倒れたまま動かなくなった。立ち上がるのを待っていると、ずびっ、すん、くすん、と哀れっぽい泣き声が聞こえてくる。おいやめろ、と王が天を仰いだ瞬間、所要を済ませに離れていたアイシェが戻ってきて、シアっ、と悲鳴じみた声で叱責する。

「なにしてるの……!」

「……勝手に暴れて転んだから起きるの待ってる」

「怪我をしていたらどうするの……! ああ、どうしたの? 大丈夫よ……。驚いたわね。どこか痛いとこある? 立てる?」

 ソキはずびずひ鼻をすすりながら、もちゃもちゃとした動きでその場に座り直した。腰を屈めたアイシェが献身的に怪我の有無を確認してくるのに、『花嫁』はふんすと鼻をならし、じとっとした目で王を見る。こういう態度が正しいのではないですか陛下ったらああぁ、と言わんばかりの眼差しである。

 仔細漏らさずロゼアに告げて躾やりなおさせるぞこの、と思いながら王はふらふら立ち上がったソキに手を伸ばした。逃亡転倒その他諸々の防止に、手を繋ぐのが一番だからである。しかしソキは王と差し出された手をしげしげと見比べたのち、こくんっと頷いてアイシェの服をきゅむりと握りしめる。

 まぁ、と嬉しそうに微笑むアイシェに、ソキは礼儀正しく、あのね転んじゃうですからお服を持たせてくださいね、と言った。王の手は無視である。アイシェはええもちろん、でも危ないから手にしましょうねとうきうきとソキの世話を焼き、中途半端に差し出された王の手に気がつくと、やや申し訳なさそうな顔をした。

「……ソキさま、陛下とも手を繋ぎましょうね?」

「ソキのおてて、もういっぱいです。陛下のぶんないです」

 こっちはリボンちゃ、とふたりが案内妖精を視認できないのを良いことに堂々とした態度で言い放って、ソキはそのまま、機嫌よくとてちてきゃっきゃと歩き出した。

「それでぇ、陛下? ソキはなにをすればいいです?」

「……まずは『扉』の様子見だな」

 本当なら白魔法使いを探し出し、せめて城内の者たちだけでも回復させたい所だったのだが。見当たらないと思ってソキに心当たりを聞いたら、どうも操られて『学園』に被害を及ぼし、いまは昏倒していると聞いて頭を抱えた後である。最高戦力たるラティも『学園』であり、各国の魔術師たちが王都中に散らばって倒れているであろう現在、打てる手は少なかった。

 治療ができないのである。護衛の手もない。ならば取るべき手段は外部との連絡を繋ぐことで、現状を知らせることで、助けを招くことだった。そう聞かされて、ソキはとてちて歩きながらふにゃんとぱちくり目を瞬かせる。

「ソキ、また助けを呼びに行くかかりです? どこに行くの? 誰にお伝えするんです?」

「可能なら最初の目的地へ。星降で、火の魔法使いレディを呼んで来い。次に、花舞から白魔術師たちを。医療部隊として編成して欲しいと言っていた、と……まあ、状況伝えればよほどのことがない限りはそうなるだろうが。その二つが終わったら、レディか医療部隊と一緒に戻って来い。分かったな?」

「……あれ? ソキ、おうちに帰れない、ような……?」

 これは騙されてはいけないやつです、気がついたソキったらかしこいです、とじっとりした目を向けられるのに息を吐き、王はわざわざしゃがみこんで目線の高さを合わせてやった。

「あのな、ソキ。危ないだろう?」

「危ないです。だからね、ソキ、おうちかえるです。ロゼアちゃんにぴっとりしてればね、安心なの。分かったぁ?」

「……自分の報告を、よくよく思い出して、もう一回しっかり考えてみような。『学園』がどうなって、誰が操られてどうなって、お前はここまでなにをしに来たんだ?」

 幼子に言い聞かせる、苦笑いの滲む口調だった。ソキはアイシェと手を繋いだまま、自慢げな顔をしてえっへん、とふんぞり返る。

「こわいこわいが、ソキをいじめに来たです。それでね、フィオーレさんとロゼアちゃんにこわいこわいがくっついちゃたです。それでね、ソキがアスルでやっつけたですぅ! それでね? ソキ、たすけてたすけてをしにきたです。えらーいでしょう?」

「はいはい、そうだな偉いな。偉いから気がつこうな。『学園』危ないだろ? それでな、お前のお家もあぶないだろ?」

 ソキのお家がロゼアだと疑ってもいない王の言葉に、ソキは満足げに頷いた。話が通じるとこもあるです、と思っている顔だった。こいつの息をするような上から目線なんなんだと思いつつ、王はだからな、言葉を続けた。

「本当なら白雪でエノーラにでも保護しておいて貰うのが一番なんだが、城内で昏倒している以上、それは望めない。花舞もこれから慌ただしいだろう。だから回復役か、防衛役の傍で一緒に移動するのが、こちらとしてもありがたい。なにより、お前は予知魔術師だ、ソキ。お前がいるだけで、不可能であることからも可能性がうまれる。……他の魔術師を助けてやれ。それは、お前にしかできないことだ。分かるな?」

「でっ……でも、でも、でもぉ……!」

 ロゼアちゃんがソキを待ってるに違いないですううっ、と聞く者の胸を締め付ける悲痛な声でソキは訴えた。最後に見たのは倒れ伏す姿だ。こわいこわいはソキとシディがけんめいに剥がしたけれど、本当に大丈夫なのかは確かめてこなかったし、今はもう目を覚ましてソキのことを探しているかもしれない。きっとそうですぜええええったいにそうですソキには分かっちゃたです、まで主張して。

 ソキはあることに気がついて、はたっとした顔で辺りをきょろきょろ見回した。ハレムから移動して、砂漠の城の知らない廊下である。知らない場所なのは妖精もいるから別に気にならないし、しんと静かなことも王が説明してくれたから理解できる。む、むむむっ、と声を上げるソキに、王はようやく気がついたのかという表情で沈黙した。

 ソキに説明させてから分かっていたことだが、めんどくさいので理解するまで放置していたのである。果たして、あたりを照らすのがどうも朝日だということに気がついたソキは、ぴぎゃあああやぁああんですううううっ、と静寂をつんざく声でけたたましく鳴いた。

「いつの間にか朝になっちゃたですううう! リボンちゃん、どうして教えてくれなかやぁあん! ちがうもん! ソキどんくさくないもん! ソキが鈍いんじゃないんですううう! きっと、きっと武器庫です! 武器庫がソキにいじわるをしたですいくないです! ……あれ? つまり? ソキが助けてのお出かけをしてから? 一日ということなのでは……つまりソキは無断外泊なのでは……?」

「いやもっと他に気にするとこあるだろ? 外泊の他にもある筈だろ?」

「いやぁああーん! あぁう……ソキ、急に元気がなくなってきちゃったです……もう一日もロゼアちゃんと離れ離れだったです……。つらくかなしいおはなしです……つまりぃ! 陛下の寛大な処置が? あるのでは?」

 ちらっ、ちららっ、と期待に満ちた目を向けられて、王は微笑みも深く言い切った。

「ねぇよ。働け」

「……む、むじひなことですぅー! あまりにむじひですうううううう! 陛下なんて陛下なんて、んとんと、えっと……」

 う、うぅ、とじたじたしながら考えるソキに、こいつ悪口だのなんだのを言い慣れなさ過ぎてこういうとこからどんくさいのか、と見守りながら待ってやった。またシアったら、という顔をしながらもアイシェが黙ったままでいるのは、だんだんとソキの性格を理解し、王との関係を客観視でき始めたからだろう。

 砂漠の王とソキは魔術師と主君の一人でありながら、実質年の離れた兄と、幼い娘のそれに似ている。ふんにゃふんにゃうゆうゆ考えたのち、ソキはさすがリボンちゃんですぅ、と言って自信たっぷりに顔を上げた。

「陛下があったかいお茶にむせますよーにぃーですぅー! 陛下がー、なにもない所で転びますようにーですー! 陛下がぁ」

「おいやめろ予知魔術師……! 王を呪うんじゃねぇよ!」

「してないもん。なったらいいなー、だもん。でも? これで陛下が? 反省するやもです?」

 真に反省すべきはソキである。ああぁあ、と呻いて天を仰ぎ数秒かけて息を吐いて、王は気をとりなおしてアイシェに声をかけた。

「……行くぞ」

「はい。……ね、陛下においたしたらいけないでしょう? だめよ」

「ふにゃ……。はぁい……」

 ソキに反省させたければ、ロゼアかアイシェが有効である、と王は学んだ。恐らくは顔の好みの問題である。それなら俺にも反省しろよと思いながら、王は慎重に迂回して城を進んだ。普段とはまるで違う廊下ばかり通っていることに気がついているだろうに、アイシェはなにも言わず、また、ソキがそれに気がつかないように振る舞った。

 いづれ逃れられず目の当たりにすらだろうし、『学園』でも突き付けられただろうが、なすすべもなく倒れ伏す人々の姿など、そう見せていいものではない。ソキはつたない歩みながらも文句を言わずとてちて歩き、時折、妖精と言葉を交わしては笑ったりふくれたりと忙しい。城内を飛び回った妖精も、当然状況は理解しているだろう。気をそらし続ける努力は、ソキの態度ですべて報われていた。

 やがて、遠回りの果てに『扉』まで辿り着き、ソキは名残惜しそうにアイシェと手を離した。

「ソキはお仕事をするです……真面目で偉いことです。これは褒めがもらえることです」

「そうね、偉いわ……。頑張ってくれるのね、ありがとう」

「うふふふん!」

 すっかりご機嫌にやる気を出したソキは、王のしらんだ目に気が付かず、とてちてと『扉』へ歩み寄った。錬金術師程の専門性を持たないソキでは、調整もなにもできないのだが。嫌な予感はするか、と端からソキの小動物的第六感しかあてにしていない王からの問いかけに、予知魔術師は難しい顔を作って、くてん、と首を傾げてみせた。

 意識を集中して、目を閉じる。『扉』を物質ではなく、魔力そのものの通り道として感じようとする。それは通路の形をしている筈だ。幾度となく通った時の感覚を正確に思い出しながら、ソキは己の中で光景を組み立てていく。それは『お屋敷』の廊下、ソキの区画だ。真っ白な廊下に柱に天井に、金色の灯籠が下げられてゆらゆらと揺れている。汚れや影は一つもない。

 誰かが待ち構えていたり、嫌なものが隠れていたりする気配もしない。そこはソキが通ってくれるのを待っている。目的地はどこかと問いかけている。ぱちんっ、と目を開けて、ソキは自信たっぷりやる気十分に、ふんすと鼻を鳴らして頷いた。

「ぜぇんぜん問題ないです! 通れなかったです? なんで?」

「駄目だったんだよ。……そうか」

「ねえねえ陛下。ソキ、おしごと終わったです? かえってい?」

 すきあらば言質を取って帰ろうとするソキに王はしゃがんで微笑んで、花舞と星降の好きな方から行っていいぞ、と告げた。ぷっぷくくくくくっと頬を膨らませて、ソキはしぶしぶ、とてつもなくしぶしぶ頷き、じゃあほしふりいくですぅ、と言った。

「レディさんに言いつけちゃうです。ソキ、陛下にこきつかわれてるです。ゆゆしきことです」

「はいはい。そうだな。頼んだからな」

「もぅー! それでは行ってきますですうううう! アイシェさん、またね。陛下、安全なとこでじっとしてないといけないですよ。それでねあのね」

 恐らくはロゼアが傍を離れる時に言い聞かせているのだろう。お水を飲むだのおやつは食べ過ぎたらいけないだの、お姉さんぶった顔で言ってくるソキに、王は苦笑しながら頷いてやった。妖精に、頼んだぞ、と告げる。姿の見えない相手が、なぜだか頷いてくれた気がして、王は『扉』の向こうに消えるソキを見送った。途端にあたりがしんとなる。

 不安げなアイシェを抱き寄せながら、王は片腕だけを伸ばして『扉』に触れた。開く。しかしそれは、どこに繋がることもせず。ただ、白く塗りつぶされた壁だけが、行く手を阻んでいるだけだった。




 恐らく、今は。

 予知魔術師だけが、空間を繋ぎ合わせて世界を移動できるのだ。

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