希望が鎖す、夜の別称:02



 シアがごめんなさいね、いじわるをされたのね、本当にごめんなさいねと謝られたことで、ソキはすっかりアイシェに懐いたようだった。今も王とアイシェの間にもぞもぞずぼっと割り込んで、アイシェさぁんと甘くとろけた声でにこにこしながら、あのねあのねとなにやら話しかけている。はー、と天を仰いで王は深々とため息をついた。

 なんだって『花嫁』をいじめるだなんてなんてことを、ということで、朝から怒られなければいけないのか。大体、王を怒ったり叱ったりとは何事なのか。別にいじめた訳ではなく、ただ単に存在としての真偽を確認しただけである。今現在、砂漠は魔術的に他国から断ち切られ、また首都で目覚めている者も王とアイシェのふたりきりと考えるのが自然な状態である。

 そこにソキがいる筈はないし、現れたとすれば幻影の可能性もある。だからまず確かめる必要があったのだと告げても、アイシェはぴすぴすくすんと泣き真似をするソキにちっとも気がついた様子はなく、でももっと他に方法があった筈でしょう、と王を窘め、恭しい態度で『花嫁』を慰めた。

 きゃあんきゃあっ、とソキはすぐはしゃいだ声をあげてアイシェにぴとりとくっつき、以来、そのまま延々と懐いている。『学園』に送る荷物の件やらなにやらで、ソキの世話役やら傍付きの補佐の顔を見ているから、王は確信を持って額に手を押しあてる。アイシェの顔はソキの好みである。綺麗で美人なお姉さんがすきすきだいすきなソキの、とてつもない好みである。

 アイシェさんアイシェさん、といつまで経っても離れずにぺっとりくつついて甘えているソキに、王は息を吐きながら指先を伸ばす。もにもに頬を突いて、呆れ顔で言った。

「それで? お前はなんでまたこんな所にいるんだ? いつから? どうやって来た? 案内妖精はなんと言ってる? あともう良いだろ離れろ距離を取れアイシェは、俺の、女だ」

「アイシェさぁあん! 陛下がソキのほっぺ突いてくるうううう!」

「……シア? かわいそうでしょう。いじめないの。もう!」

 ぺしっと指を払いのけられて、王は大人げなくソキを睨みつけた。シア、と頭の痛そうな声でアイシェが呟く。もう、どうしたの今朝から子供みたい、と困り顔をされるのに、誰のせいだと王は苛立ちを募らせた。きょと、とソキがまばたきをする。きょとと、と好奇心いっぱいのきらんきらんの目で王とアイシェを見比べて、ソキはきゃあんと声をあげ、赤く染まった頬に両手を押し当てた。

 もじもじと身をよじって、興奮した様子で声をあげる。

「これは、これはもしかして……! きゃあぁんだいじょうぶですよぉ、陛下? ソキにはロゼアちゃんがぁ、いるのでぇ、これは浮気じゃないんでぇ」

「お前の心配なんぞしてねぇよ……!」

「シア! 怒らないの!」

 怖かったわよね、ごめんなさいねと謝られて、ソキはこくりと頷いた。その顔に、そきぜぇんぜん陛下のおはなし聞いてなかったんですけどぉ怖い怖いということにして慰めてもらうですううううきれいなおねいさん、ソキだーいすきっ、と書かれている。なんだかんだと付き合いの長い王には完全に把握できる思惑だった。臓腑の底から息を吐く。

「お前……せめて案内妖精には叱られろよ……?」

「リボンちゃん? リボンちゃんねえ、今ね、ご飯を探しに行ってるの。きっともうちょっとで帰って来るはずです」

 なるほど、道理で野放しにされている感が強い訳である。託児よろしく預けられていたらしい。いいかお前ら思いだせよ俺の立場とかそういうものをな、と遠い目になって、王は寛大に諸々を諦めてやることにした。全てめんどくさくなったとも言う。ソキの言葉が確かなら、妖精もすぐに戻ってくるだろう。そうすればさすがに、甘えたきりのソキも叱られて座り直したり、質問にも答える筈である。

 そう思いながら耐えていると、程なく戻った妖精に怒鳴られでもしたらしい。途端にやぁんリボンちゃんはすぐ怒るうぅとしょんぼりした声を上げ、ソキは王の希望していた通りにもそもそとアイシェから離れて座り直した。ただし、居るのは床に座す王とアイシェの間である。ソキはここから移動しないですぅ、と言わんばかりの顔をして、すぐ目の前を注視しながらぷくぷくと頬を膨らませていた。

 なにやら言い訳らしいことを口にしかけるたび、先に話を聞けとでも叱られているのだろう。ソキは珍しくきちんと反省した顔をして視線をいじいじと床に下ろし、はぁあぁい、と仕方がなさそうな返事を響かせた。

「そき、すぐ、きれいなおねいさんについていったり、しないです。お菓子をくれるって言われても、我慢するです。ロゼアちゃんが呼んでるって言われたら……言われたら……? リボンちゃん? ロゼアちゃんですよ。ロゼアちゃんが呼んでるですよ?」

「お前……一度誘拐されてるんだからもっと警戒しろよ……。連れ去るのが楽すぎんだろ……」

「陛下? ソキ、来年で淑女なんでぇ」

 それとこれとは全く関係ないし、そもそも淑女を主張するならアイシェにはあんなに甘えたりしない、と頭が痛くなったのは王だけではなかったらしい。ソキはその場でぴょんっと飛び跳ねる程びっくりした顔をして、もぅややゃんですぅ、とぐずった顔で耳を手で塞いでしまった。感じた所、ソキの周りで唯一、正当な躾なり教育的指導を行っているのがこの妖精である。

 その行いに免じて、王は妖精による無断の備蓄借用を許してやることにした。厨房の者の目が覚めたら、角砂糖がいくらか消えているのは妖精の訪れがあった為であるから安心するようにと伝えてやらねばなるまい。彼らの目が覚めるのは、まだ随分先のことだろうが。一晩が経過しても重苦しい静寂は晴れる素振りもなく、近隣都市の者が城に駆け込んでくる所か、これでは王都を訪れているかすら定かではない。

 影響はリトリアの時より強く、また深く、砂漠全土に及んでいると見て間違いないだろう。誰も死んでいなければいい、と切実に思う。城を見て回った状態から推測すれば、人々は意識がないだけで、それを取り戻せていないだけで、今はまだ体を蝕む毒を食んではいないようだった。体温と、呼吸と鼓動はしっかりとしていた。

 その程度で目覚めさせることができればいい。さもなければ今度こそ、許してやることができなくなる。そう思って王は自嘲した。許してやりたいと感じたことなど、一度もない筈だった。彼の言葉魔術師こそがこの砂漠に呪いを振りまき、今もまた苦しめている犯人なのだから。失われたものは、もう戻らない。だからこそ失わないように、守らなければ。今度こそ。

「さて、ソキ。落ち着いて俺の質問に答えられるな? ……そこにいる案内妖精でも構わないが、まず、どうやって砂漠に来た? 『扉』は使えない状態だと思うが……それとも一瞬繋がりでもしたのか? ……まさかロゼアと一緒だったか?」

 付け加えてロゼアのことを問うたのは、先日の二の舞を危惧した為である。ソキが『学園』に戻れなかった数日で、ロゼアの状態が極端に悪化したと各所から報告が来ていた為だ。これでもし、目の前でソキだけ消えたとなると、そこからのことは考えたくもない。しかしソキは不思議そうな顔をしてぱちくり瞬きをして、ほわんと口を開き。

 そのまま二秒、口をまんまるく開いた後、両手をぱっちーんっと打ち合わせて。ふにゃああああああぁあっ、と絶叫した。

「そ、そそそそそうでしたー! そうです、そうです! 陛下、陛下あのね大変なの! 大変でね! だからね、ソキね! 来たの! だから来たんですよ!」

「……うん?」

「あのね! 『学園』が、大変なの! 助けてくださいです!」

 その、言葉のなににより。ソキがロゼアではなく、『学園』と言い表した所に、王は『花嫁』の成長を知った。今までなら当然、それを全て含んだ上でロゼアちゃんがと訴えていただろう。しかしソキはオロオロと視線を彷徨わせて涙ぐみ、あのね皆がね、大変なの、ソキだけシディくんとリボンちゃんが守ってくれたの、だからソキはたすけてたすけてをしにきたのっ、と一生懸命訴えている。成長である。なんなら進化と言い換えてもいい。

 感慨深い気持ちでしみじみしていると、ソキがぶううぅっと頬を膨らませて怒りだす。

「もうー! ソキは、たいへんだって言ってるですうううう! 陛下ったらちいとも分かってくださらないですうううう! ゆゆしきこと! ゆゆしきことです! アイシェさん! 陛下がソキのおはなし聞いてくれないです!」

「……シア?」

「お前アイシェに訴えるの辞めろよふざけんなよ……。聞いてる、聞いてるから。というか忘れてただろお前。それなのによく怒れるな……?」

 褒められたと思ったのか、ソキはえへんと自慢げな顔をしてふんぞり返った。王の話の間は放置することにしたのか、そこは諦めているのか、妖精が怒ったような素振りもない。王は心から溜息をついた。確かに成長はしている。しているのだが、自由にのびのび成長しすぎている気もした。

 落ち着いたらロゼアを呼び出して、主に最近の躾についてなど詳しく話を聞かねばと決意し、王は話は分かった、とソキに語りかけた。

「じゃあまず、どうやってここまで来たのか教えてくれるか? 『扉』は使ったのか? 砂漠に来ようと思って来たのか? 目的地はどこに設定してたんだ? どうしてハレムにいた?」

「……ん、んんっとぉ。えっと……えと……」

 うるり、と目を潤ませたソキの顔に、一度にたくさん聞かれたから分からなくなっちゃったです、と書かれている。もしやこれはいじめなのでは、と鼻をすすりはじめた所で、アイシェが優しく微笑み、王の質問をひとつ、繰り返した。どうやって来たの、と優しくて綺麗で美人でいい匂いのするお姉さんに問いかけられて、ソキは張り切って『扉』ですよ、と言った。

「でもね。ほんとはね、星降の国に行こうとしてたの。でもね、武器庫だったの。それでね、武器庫から出たらね、お部屋にいたの」

「そう。お部屋にいたのね。……それは、どこのお部屋かしら? ハレムのどこか? それとも、お城の部屋だったの?」

 ソキは、機嫌よくにこにこ笑いながら、あっち、とハレムの廊下を指差した。その方角を辿っても城には行きつかない。間違いなくハレムの一室だろう。

 やんやんここはどこなんですかぁっ、とてちてち彷徨っていたら、なんだか綺麗で素敵なお姉さんがいたのであのひとに聞くですぅときゃっきゃと追いかけたらそれがアイシェで、お声をかける前に髪がくしゃんくしゃんなのをきれいにしなくちゃです、と奮闘していたら、陛下が来てらぶろまんすの予感でリボンちゃんに目を塞がれたらしい。

 コイツさっき妖精にきれいなおねいさんについていかないとか復唱させられてたなそれか、とうんざり納得して、王はソキのふくふくした頬を指先で突っついた。

「経路と理由は分かった。分かったが……問題はそこからだな」

「やんやん。やんや。……やんやん! やぁうー! ややー!」

「シア。つつかないの! もう、嫌がってるじゃないの、かわいそうに……」

 すすり上げながら、陛下ったらソキにすぐご無体なことばかりするです、と訴えるソキに、アイシェの王を見る目が冷たくなる。全方位で完璧に誤解だからなと呻き、王は深く溜息をついて首を横に振った。

「よし。じゃあ先に言っておくがな、ソキ。今現在、砂漠は孤立していて、緊急事態にある。『学園』の状況は予想から大きく外れてはいないから、まぁ……それこそ星降か、花舞からでも救援が向かっているだろう。そこは安心していい」

「……ん……んん?」

 ついうっかり忘れていた、とてもいやなことを思い出しそうなのだろう。そもそも砂漠の虜囚が原因であるのだから、今現在砂漠にいるのは、もしかしてとても危ないし怖いしいけないのではないのだろうか。じわじわとソキの眉間にしわが寄っていくのを眺めながら、王は微笑を浮かべて言い切った。

「ソキ。よく来たな」

「……そき。もう、おうちかえる」

 すっくと立ち上がって彼方へともちゃもちゃ逃げたがるのを許さず、王はソキの腕をしっかりと掴んで言った。

「現在、お前がこの国唯一の動ける魔術師だ。うまいことに案内妖精も一緒なら魔力暴走の心配もないだろ。……さ、働け」

「いゃんいややんそきもうおうちにぃー! 帰るうううううー! ふぎゃああぁああんいやあああぁああん!」

「シア! だから、いじめないの!」

 いじめじゃねぇよ王として魔術師に求める正当な要求なんだよ、と言っても、ソキがあまりにおうちかえるおうちかえるやだやだいやんやああぁ、と泣き騒ぐからだろう。アイシェからの疑いの目が晴れることはなかった。



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