【再装丁】 2/3



 それならば集められるよ、とロゼアに言ったのはジェイドだった。元『お屋敷』の『傍付き』にして、『花嫁』を娶った男。砂漠の魔術師筆頭。あらゆる意味でロゼアの先達であり、上司であり、同じ立場である男は、そうしてロゼアの背を押した。五ヵ国を巡り、歪みを直しながら、そこにそっと紛れてしまった魔力の欠片を回収する旅。ソキの欠片を集め、もう一度会いに行く。そんな旅。

 ソキが魔力の砂粒となり、世界中へ飛び散ったのは、厳密にいえばジェイドと同じ経緯ではない。結果がほぼ一緒でも、過程がまるで違うことだった。ソキは延命の結果ではなく、己の意思で自らの身体を魔力として砕き、ロゼアの前からいなくなったからだ。それは、言葉魔術師による支配を逃れる為に、ソキに許されたたったひとつの術だった。

 意識が書き換えられる寸前。言葉魔術師の人形として使役される直前に、ソキは予知魔術師に許された結果を引き寄せる力をつかい、己という形そのものを世界から消し去ってみせた。その結果として言葉魔術師は再度拘束され、今は砂漠の国の奥深く、永遠に近い眠りの中に封じ込まれている。点滴による薬剤の投与と、二十四時間の監視と魔術の拘束は、もう二度と彼の魔術師を目覚めさせないことだろう。

 ロゼアには様々な道があった。意図せずとも言葉魔術師の企みに加担してしまった罪を追い、同じく砂漠か、『学園』で幽閉される道。五王からの許しを受け入れ、どこかの王宮魔術師として、王に仕えて生きる道。適正のある者を導き、かつてのストルやウィッシュのように、『学園』の教員として生きる道。特例として『お屋敷』に戻り、復興の為の力として尽力する道。

 どの道を選んでもいい、と差し出された選択肢の中から、ロゼアが選んだのはひとつだった。ロゼアは迷わず、ソキともう一度会う道を選んで進んだ。激怒したソキの案内妖精に罵倒され呪われ怒りを叩きつけられ、シディに必ずしも同胞として生まれ変われる訳ではないし、それはソキさんではないかも知れませんよと繰り返されても、諦めることも、迷うことはなかった。

 今度こそ王の傍にいてあげないといけないから、という、とてつもなくそれらしい理由をどさくさ紛れに積み上げて、砂漠の城でゆったりと隠居生活じみた日常へ突入した筆頭の代わり、ロゼアは砂漠と、四ヵ国を休む間もなく渡り歩いた。かつてツフィアや、チェチェリアに導かれて鍛え上げた魔力の視認に長けた目をつかい、歪みを解きほぐし、そこにソキの欠片が潜んでいないのかを探す。

 一年、二年が過ぎ、三年目が訪れた。ソキはひとつも見つからなかった。やさしい、甘い、ふわふわと響く声が、記憶からも擦れ始める。多忙の合間を縫って、ナリアンとメーシャが砂漠の端のオアシスを訪ねてきたのは、そんな日のことだった。ひさしぶり、顔が見たくなって、ひっどい顔ちゃんと寝てる、と笑いながら現れた親友たちに縋り、ロゼアは幼く、うん、とだけ言った。

 夏至の日の夜だった。近況を報告し合い、眠りにつく寸前のことだった。ナリアンが連れてきた風に引っ張られてきたかのように、ちいさな、ちいさな金色の欠片が、ふわりとロゼアの前に現れた。たんぽぽの綿毛のように、吹き飛ばされて、どこかにすぐ消えてしまいそうなそのひかりが。泣きじゃくるように、ちかちか、明滅するのを見て。ロゼアは泣き笑いで両手を伸ばし、そっと包み込んで、ソキ、とそれを呼んだ。

 ろぜあちゃぁあん、と。迷子になって、途方にくれて、泣いてないて、ようやく戻ってこれたソキの声が、あまいひびきが、三年のロゼアの努力と献身の、報いだった。それからの日々は順調で、にぎやかだった。ソキはロゼアの肩を定位置にして、機嫌よく旅を共にした。別たれた『己』が今どこにあるのか分かるらしく、あっち、と告げられるまま、ロゼアは西へ東へ足を運んだ。

 一粒、一粒。砂金のような魔力の欠片が、ロゼアの元へ戻ってくる。それはソキの意識の欠片であり、思い出の欠片であり、感情の欠片であることもあった。とあるひとつが戻った日から、ふわんとまぁるいひかりになったソキは、ロゼアの傍に女性が近寄ると、がびがびした嫌そうな明滅をするようになった。また別のひとつが戻った日から、ソキは思い出したかのように、デーツやマシュマロをロゼアに要求した。

 今やアスルよりちいさくなってしまったソキは、ぎゅむりと抱きしめられない代わり、夜にはその上に乗っかって眠るようになった。その頃になると話を聞きつけたシディとルノン、ニーアがソキの案内妖精を引っ張って訪れ、にぎやかな再会は叶えられた。案内妖精は、それからたびたびソキの元を訪れ、なんのかんのと言い聞かせては、そのまるいひかりが人の形を成すのを、じっと待っているようだった。

 ソキはいつまで経っても大きくならなかった。一粒、一粒、砂金を集めても、時にはそれを吸収してしまうこともなく。困ってこてり、と首を傾げるようにしながらも、かつて己の魔力であったものを持て余しているようだった。それじゃあ、とりあえず綺麗に集めて飾っておけばいいわ、とリトリアが届けてくれたのは、空の砂時計。そこへさらさらと、ロゼアは金砂を注ぎ込んだ。

 世界を覆す為の方法が見つかった、と魔術師が『学園』へ呼び集められたのは、ロゼアがソキと再び巡り合ってから、さらに三年が経過した頃のことだった。なんでも、武器庫の本に紛れていたらしい。有識者として錬金術師たちが呼び集められ、悪戯ではなく本物、という結論が下されたが為に、魔術師たちが招集されたのだった。

 なんの為に呼ばれたんですか、と訝しく手をあげて問うナリアンに、キムルとエノーラが顔を見上げて、左右対称そっくりな動きで、ひょい、と肩を竦めて苦笑いをした。

「それはねぇ、決まってるだろう?」

「やるかやらないか、よ。多数決しようと思って」

 それは、賛成が多ければ術式を実行しようと思う、とする、錬金術師たちのごくあっさりとした宣言だった。当然、魔術師たちは大混乱に陥った。改めてその本の真贋を問う言葉、王たちはこの企みを知っているのか、実行するとはどういうことか、世界を覆すとは、どうして、誰が、なんの為に。ありとあらゆる疑問の言葉が渦巻いて飛び交い、エノーラが嫌そうに、耳を両手で塞いだ。

「ちょっとちょっと! 落ち着いてよ! 誰もなんの準備も告知もなく、はい多数決で実行が決まりましたはいどーん! なんていう風にするだなんて言ってないでしょうっ?」

「いえ、そういう風に聞こえましたけどっ?」

「あら? そうだった? ごっめんごめん。しないしない、しないわよー」

 信憑性もなければ、反省しているとも思えない、軽い響きの声で言葉である。エノーラ、と誰もが呻いて頭を抱え込む複雑な沈黙の中、錬金術師はけろっとした顔で言い放つ。

「ただやるとどうなるのかはすごく興味あるけど」

「その危険思想の錬金術師はちょっと拘束した方が良いのでは? 好奇心でやらかしかねないのでは?」

 ひとりが挙手して問いかけた白んだ言葉に、集った魔術師たちの半数が深々と頷く。ふぅ、と演技的な息を吐き出し、キムルが全く他人事の目でエノーラを見た。

「言われてるよ、エノーラ」

「しれっと私に全責任押し付けようとしてくるのやめてくれない? キムル?」

「帰っていいですか? 忙しいので」

 おつかれさまでした、と今にもいなくなりそうなロゼアに、まあまあ、と言ってエノーラはにやりと笑った。悪役の笑みだった。

「ソキちゃんにも関わりがあることなんだけ」

「は?」

「キレやすい最近の若者怖い!」

 ど、と最後まで言わないでいるうちに瞬時に距離をつめたロゼアに一音で問いかけられ、エノーラはのけ反りながら視線を逸らして首を振った。つまり、見つかった本は遺物なのだという。時を越えて受け継がれてきた、魔術師たちの遺産。どこかの世界のわたしたちが、次の世界である誰か、もしくはわたしたちに向けて、ありったけの希望と祈りを託したボトルメールであるのだと。

「それでね? まだ意見は募るけど、私としては、そんな全部ひっくりかえしてやり直す程でもなくない? 学術的興味あるけど。そんな、このままでいくと世界消滅したりしないから、やらないでいいんじゃない? すっごく興味あるけど。興味有り余るけど! と思ってる訳だから、とりあえず全員呼んだ訳よ。これで全員共犯者ね、連帯責任だからね!」

 ちなみに陛下にはまだ報告とかしていなくって、魔術師だよ全員集合したいから集めさせてくださいっていうお願いの仕方をしました、と胸を張るエノーラに、ふむ、と首を傾げたのち、ナリアンはキムルに問いかけた。

「このひと、殴っていいですか?」

「どうぞ?」

 しれっと許可を出したキムルにより、なんでよちょっと私をもっと大事にしなさいよと騒ぐエノーラに、握りこぶしが一回だけ落とされた。とりあえずもっと噛み砕いて色々説明して、あと一人で陛下方には謝ってください、という要求を涙ぐんで受け入れ、エノーラはつらつらと言葉を並べ立てて行く。つまり、現在は、世界を天秤にかけてやり直すべき状況であるのか、どうか。

 大半の魔術師がそれに、否、と答えた。現在へ至るすべてを引き換えにしてまで、やり直す、あるいは、やりなおさなければいけない状況ではない、と。数人がそれに、やりなおしたいことはあるが、と消極的な否を応えた。その願いは、現在と過去を否定して強行しなければいけないものではない、と。ならばどうするか、という議論に至って、意見が分かれた。

 なにもせず、放っておけばいい、とするものが半数。残りのさらに半数が、なぜこの術式が残り受け継がれるに至ったのかをもっと考えるべきだと主張し、残りの少数は難しい顔をして沈黙した。言葉が飛び交い、やがて静寂が訪れて、しばし。はい、と手をあげたのはリトリアだった。

「あのね。じゃあ、なにか……助けてあげるっていうのは、どうかな?」

 世界をひっくり返す程じゃない、でも、もしもやり直すことが叶うのならば祈りたい願いがある、そういう人もいるでしょう、と予知魔術師は言った。私もそのひとりだけれど、と穏やかにゆっくりと微笑んで。

「私たちの世界を、このままに。私たちの世界へ至る、ひとつ前の覆すほどの切実な希望を、でもここで終わらせたりしない為に。私たちは、このままで……でも、どこか別の私たちが、また、そこから、はじめられるように。そして、残る私たちが、大丈夫だよ頑張れって贈り物を、する、みたいな……ことは……できない?」

 外側から希望を足してあげられないかな、とリトリアは言った。私たちはたぶん、私たちが願った希望の百パーセントじゃなくて、でも、私たちはそれでもいいけど、そうじゃなかった私たちが、もうちょっとって思わないでもいいように。駄目かな、難しいことかな、できないかな、と眉を寄せて期待を寄せるリトリアに、錬金術師たちは顔を見合わせて。考えてみるね、とだけ、言った。

 その後。リトリアの言葉が、叶えられる、と知って。ロゼアは、ソキが魔術師として生き続けてくれる可能性を願った。今も一緒にいる。けれど。ふたり、また手を繋いで歩くことが出来たら、どんなにか良いだろう。錬金術師たちがそれを受け止め協議を続け、必要とされたのは、本だった。魔術師としての、ソキの武器。ぼろぼろに朽ち果ててしまった、予知魔術師の写本。

 もしも、また、言葉魔術師の浸食を受け書き換えられてしまっても。そのものがもう一冊あったのなら、どうだろう。予備ではなく、複製でもなく、二冊目でもない。紛れもなく、ソキの写本そのものが、もう一冊あったのだとすれば。それを修復して、繰り返し進むことを選んだソキの手に、届けることが叶えられれば。それは力に、助けになるのではないか。

 やってみるよ、と言ったのはユーニャだった。もしもそれが本当に可能であった時にだけ、いつかの世界のソキが取りに来られるように、彼は己の世界を半ば離れ、どことも接続しない、予知魔術師の本が収められた武器庫に常駐することとなる。ロゼアも時折、そこを訪れた。ユーニャは日々を、本の修復に費やした。本をばらし、紙を一枚、一枚、丁寧につくりなおしていく。

 途方もない魔力と、根気と、時間のいる作業だった。ゆっくり、ゆっくり、本が蘇って行く。表紙は白から変えることにした。赤褐色に染められた、魔力のこもった帆布が選ばれ、使われた。ロゼアの色だ。きっと、ソキのことを守ってくれる。そう思って、修復を続ける男の元に、ちいさな物音が届く。つたなく歩く足音。眠たげなあくび。あれ、と訝しむ、はちみつみたいな響きの、声。

 振り返らなくても、誰がいるのか、ユーニャには分かった。そして。己の世界の祈りが、確かに。繰り返される希望の果てまで、届いていたことも。


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