【再希望】 3/3


 メーシャくん、と声をかけて部屋の中を覗き込むと、しあわせが綻ぶような笑みで出迎えられたので、ナリアンは全ての祈りが報われたことを悟った。来てくれたの、とそれでも言葉で知りたくて問いかければ、メーシャは喜びで胸を詰まらせながらも、うん、と言い、もう一度衝動的に頷いてから胸に手をあて、深呼吸をしながら、うん、と言った。

「来てくれたよ。ソキが、来てくれた……。指輪も、渡せたよ。これで……これできっと、辿りつける……!」

「うん」

「ソキは、辿りつけるよ、ナリアン。『学園』へ行ける。どこの国だって、どんな未来にだって……!」

 うん、と静かに柔らかく肯定して、ナリアンは泣き出しそうなメーシャに歩み寄り、その肩を抱くように腕を回した。ぽん、と背を引き寄せて、幼子にするように撫でる。喜びが体中で渦巻いて、どうしようもなくなっているメーシャに、せめて息だけはさせなければ、という使命感で、とんとんと背を叩いた。

「……ああ、よかった、な……ほんとに、よかった」

 じわり、滲み出てくる喜びに、ナリアンは噛みしめるように言葉を発した。それが判明したのは、いつだっただろう、と考える。十年も経過はしていないが、片手では足りないくらいに、前のこと。脱走の咎を受けて首の肌に直に声を封じられる術式を書き込まれたリトリアと、言葉魔術師に操られた後遺症で、その瞳から殆ど光を失ったソキが、その本を見つけて来たのだった。

 過去を変えられる。今を変えられる。未来を、よくして行けるかも知れない。その甘い可能性は毒のように予知魔術師たちを飲み込んで、一時は大変なことになりかけた。リトリアは、今でこそツフィアとストルを守り手と殺し手として得て、認められていたものの、それに纏わる条件の悪さにずっと憤慨していたし、目の見えないソキは泣きぐずって、ロゼアを視認することを求めていた。

 今はもう変えられない。これから変えることはできない。けれども、もし、やり直すことが出来るなら。

 リトリアが説得されるまで、ソキがそれを諦め受け入れるまで、長いながい時間が必要だった。というか結局緩和するなら最初から私にそんなことさせるんじゃないわよ、と泣きながら絶叫したエノーラが、リトリアの声が出せるような補助具を制作し。ソキの弱まった視力でも、なんとか普通にものが見えるような魔術具を作り上げて、ようやく、予知魔術師たちの精神が落ち着いたのだった。

 それを待って、錬金術師たちの審議鑑定と協議が始められた。これがなにを目的として作られたものか。過去に使われたことがあるのか。解析された情報は速やかに五王と魔術師たちに共有され、誰もが一度は言葉を失い、溜息を吐き出した。また、その本には書き加えられた形跡もあった。どこかの世界で、誰かが、また別の方法を、別の世界まで届けようとしたのだった。

 たぶん、手落ちはいくつか、いくつもあるけど、やり直してる中ではかつてなくよく終わっている世界なんだと思う、と結論を下したのはエノーラだった。少なくとも、言葉魔術師の一件以後も魔術師の中から死者は出ず、五国のどこも混乱状態に陥ることはなく、大戦争に至るような兆候もなく。なにより、恐らくは鍵となる、リトリアもソキも生存している。

 よって、やり直すことは、五王からの正式な命令として否定された。検討の余地もなく、というのが命令が下される際の文言だった。ただし、例えば、リトリアから声を奪わなくてもよい、ソキの瞳から光が失われなくてよい可能性が残されているのならば。それを改善とし、それを希望とし、魔術師はそれを成せ。ここではない、まだ諦めず立ち止まることをよしとはしなかった、いつかの、どこかの、私たちの為に。

 協議に協議を重ねた末に、下されたのはソキの魔力制御に保険をかける方法だった。ソキの魔術師としての成長は、恐らく何度やり直しても間に合うものではない。そうであるなら、先に、外部からの働きかけで制御してしまえばいいのでは、とされたのだ。言葉魔術師が、ソキを調整してしまうより早く。己の力を、己の意思で、使いこなすことがソキには求められた。

 そして、普段から身に着けていても違和感なく、かつ、着脱せず常に身に着けているもの、として、形状が指輪で決定された時、真っ先に反対し、かつ大暴れし、泣き叫んだのはとうの本人だった。曰く、ソキはまだロゼアちゃんからだってゆびわをもらってないですのにふにゃぁああぎゃあぁああんゆあうや、以下判別できず、という主張である。

 その時、ソキはロゼアと結婚していた。新婚も数年目に突入していたものだから、当然、男性陣からも女性陣からも、愕然とした視線を向けられたのだか。三時間かかって、体力切れを起こしたソキをなんとか寝かしつけたロゼアが、法廷に出頭するような諦念の顔つきで語ったのは、贈っていいものだとは思えなかったからその発想がなくて、という『お屋敷』からの呪い、そのものだった。

 『傍付き』は『花嫁』に装飾品を贈ることは、許されている。しかしそれは、耳飾りや首飾りなど、指輪以外に限ったものである。指輪は、それだけは、どんな理由があっても許されない。嫁ぎ先で、贈られるものだからである。なにがあっても、考えることすら、禁忌とされていたこと。それが指輪を贈ることだった。その考えも持たないまま、いままで来てしまったのだ、と。

 ロゼアはソキと結婚できたことで、多少なりとも頭がぱぁんしていた為に、思い至ることができなかったのだ、と控えめに助けてくれたのはナリアンとメーシャだが、ふたりの親友はロゼアの腕を両側からしっかりと捕まえていた。いまからちょっと宝飾店へ行って来ます、とロゼアの意思確認なしで言い放ったふたりは、まったくもうロゼアったら、と慰め叱り怒り宥めながら、ソキに贈るものを選ばせようとした。

 どうせなら素材と石と意趣から考えて職人を選びたい、待って、と言ったのはロゼアである。ロゼアが、ぶんむくれるソキをあやしながら言葉の通りに発注し、指輪が出来上がるまで一年間。その間もロゼアの完全監修の元、魔力の制御具となる指輪の作成が続けられた。同時に、それを贈るに相応しい世界のソキを、招くことが可能であるのかという、会議と試行錯誤も繰り返された。

 全く同じ場所の出発地点に戻っている訳ではない以上、並行世界を作り上げてそこへ移動しているのだと仮定すれば、行くことは難しくとも一時的に招くことは可能か不可能でいうと紙一重くらいで可能と言えなくもない感じ、ワンチャンある、と、指輪がもう完成に近い以上はできませんとは言えない、そういう顔つきで視線を泳がせながら告げたのはエノーラである。

 錬金術師はあれこれと難しい説明を重ねたのち、あとは出来るという気合、意思、祈り、そして気合だーっ、という理論を投げ捨てた叫びで会議を終了させ、それじゃあ私は最終仕上げがあるから決して扉をあけて声をかけてはいけません、さもなくばはばたく、と本気の目をしながら言って走り去った。御伽話みたいなこと言われたです、とソキがのほほんと見送った。

 さすがにそれを結論として受け入れて放置するのはマズい、と腰をあげたのがストルを中心とした占星術師である。できる、という結論をすえた上で占星術師たちが設計と計算を繰り返したのは、いついかなる日に時に場所にであれば、安全に、そのソキを招くことができるのか、ということだった。安全に、というのが重要である。無事に帰って貰わなければ話にもならない。

 その日、その時、その場所に、と定められたのは、ひとつではなかった。五つの候補があり、そのどれをも逃すようであれば、また再度の計算が必要とされていた。どの時、どの場所に来てもいいように、ロゼアはソキが座るクッションを手配して、そこへ置いた。ナリアンは、ソキが好きだからと乾燥した数種類のベリーを混ぜ込んだクッキーを焼いて、各所へと配り歩いた。

 一度目。ロゼアの元に、その時は訪れなかった。二度目。リトリアが祈りながら待つ部屋に、なにも起こりはしなかった。三度目、ナリアンとニーアが待つ場所へ、ソキの姿はないままだった。そして、四度目。『学園』の講師室で祈っていたメーシャの元へ、夢のように、ソキが現れた。指輪を託すべき、たったひとり。未だ『学園』への旅途中だというソキの指に、確かに、この世界の祈り、その結晶が受け渡されたのだった。

 さっきまでね、ソキとロゼアと、ハリアスもいたんだ、と幾分落ち着いた口調でメーシャは言った。どうだったって聞きに来てくれて、うん、渡せたよって言ったら、ソキったら大喜びでね。これでぇ、あっちのソキもぉ、ロゼアちゃんがめろめろきゅんっでかんぺきというやつですうううっ、って言ってね、とメーシャが肩を震わせる。

 うん、と言ってナリアンはその背を幾度も撫でた。震える泣き声はメーシャのもので、ナリアンのものだった。目を閉じて夢想する。今が不幸な訳ではない。今を満たされていないと思っている訳でもない。けれども、どんなものだろう。今からも、幾億の過去からも、幸福を祈られそこへ辿りつこうとする世界は。満たされて、しあわせで、いてくれるだろうか。そうだといい、と思う。

「……辿りついて、欲しいんだ」

「うん。うん、メーシャくん。俺もだよ……。俺も、同じ、気持ちだよ……」

「しあわせに、なって、ほしいんだ……!」

 なるよ、とナリアンは言った。なれるよ、ではなく。なるよ、と言葉を選んで、断言した。

「だって、俺も、メーシャくんも、ロゼアも……先生たちも、先輩たちも、皆、みんな、そこにはいるんだ。大丈夫。大丈夫だよ……」

「……うん。そうだね、ナリアン。ほんと、そうだ」

「さ、メーシャくん。俺たちも、もう、行こう」

 しあわせになる為の準備を、ソキちゃんたちがしていてくれたよ、と告げるナリアンに、メーシャは笑って立ち上がった。ソキなにしてるの、お茶の準備してたよ、ロゼアが焼き菓子作ってる、それはいいな、と顔を寄せてくすくすと笑い合って。二人は扉を開いて、しあわせそうな匂いがする場所まで、肩を並べて小走りに行った。

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