あなたが赤い糸:123(終わり)
全ての詠唱が終わった。もう五分もしないうちに、この世界は閉じるだろう。術式の起動を確認したエノーラが、口元を手で覆って座り込む。その傍らには戻って来たリトリアもいて、錬金術師の肩を労うように抱きしめていた。ストルとツフィアの姿もある。最後に見るのはきっと、こんな光景だと分かっていた。シークは夥しい魔術師式の中心で、しばし、祈るように目を閉じた。
微笑んで、足元に視線を落とす。そこには金の砂がまだ残っていた。両掌で掬い上げられるほど。それは消失した予知魔術師の、魔力の残りだった。じっと見つめるシークに、なにかあった時の為に余分を残しておくのが私と言う天才の技、と誇らしく振り切ったエノーラの声が聞こえてくる。ふ、とシークは口元を緩ませた。のみならず、肩を震わせて笑いだす。
ああ、きっとそうしてくれると信じていた。シークは賭けに勝ったのだ。
「……さあ、もうひとつ」
金の砂がさらさらと音を立てて舞い上がる。は、とエノーラが声をあげるのに目を向けて、言葉魔術師は一時もためらわず、編み上げた言葉を開放した。
「『呪いあれ。世界を貫き、時果てまで貫く呪いあれ――我が願い、我が魂、我が祈りよ! 呪われてあれ!』」
「シークさんっ?」
悲鳴が聞こえる。リトリアがこちらへ駆けて来ようとするのを、蒼白になったストルとツフィアが押し留めていた。愕然とした表情でエノーラが口元を押さえている。その手が震えているのが見えた。冷静な魔術師たちの判断は正しい。ひどく正しい。そう、もう、妨害は間に合わない。この世界は閉じるのだ。
「『決して、決して願いを忘れるな! この願いを、この魂に刻み込め! 朽ち果て変質しなお、呪われ続けろ! 呪いを、ここに……! 帰ることを諦めてはならない、友を作ってはならない、安らげる場所を持ってはならない、愛しさを得てはならない! 帰りたいと思い続けろ。決して、決して、その想いを忘れるな!』」
「や……やだ、やだっ、やだぁああああっ! シークさん! シークさん、嘘っ、やだっ、やめてやめておねがいやめて、やめてっ!」
「……なんでよ」
頭を両腕で抱えて、エノーラが泣きながら首を振る。
「なんで……? アンタ、自分がなに言ってるか分かってるの……? なんでそんなことするの!」
「……ボクがいなければよかった」
だってそうだろう、とシークは笑った。片手で顔を覆う。
「ボクがいなければよかったんだ。ずっとそう思ってた。……ずっと、ずっと、そう思っていた。きっと正しい。だってそうだろう? ボクがいなければ、砂漠の筆頭たちは死ぬことがなかったかも知れない。ボクがいなければ、あの日彼を迎えに行けたのはジェイドだったかも知れない。ボクがこの世界にいるのは、間違いだ。ボクは……ボクが、いなければいい」
「ずっと……? ずっと、そう思ってたの?」
「そうだよ。……そうだよ、ボクが、いなければいい。……ジェイド」
部屋の戸口に、ジェイドの姿が見えた。息を切らしていた。走って来たのだろう。間に合わないと分かっていて、制止を振り切って走る姿に。シークに手を伸ばす、そのひとに。世界が終わるのを感じながら、シークは泣きながら、笑って、囁いた。
「ジェイド。キミの傍が、楽しくて」
「シーク……!」
「帰りたい気持ちを、忘れちゃったんだ。……ごめんよ」
親しくしてくれて、ありがとう。囁いて、シークは。届かないと分かっていたから、すがるように、ジェイドに向かって手を伸ばした。
そうして、世界は繰り返された。
夢を見ていた気がする。でも、夢ではなかったような気もする。ソキは胸に両手を押し当てて、ぱちくり瞬きをした。くてん、と首を傾げて、なにをしていたのかを考える。ここがどこなのかを。くちびるを尖らせてあたりを見回そう、として、妖精と目があったので、ソキはぱちんと両手を打ち合わせて、あっと大きな声を出した。
「武器庫でした!」
『……なんだか、ずいぶん、ぼーっとしてた気がするけど。ソキ、大丈夫? おかしい所ない?』
「リボンちゃんも、ぼんやりさんをしていたの? うぅーん……?」
特別、おかしな所はないように思われた。痛い所も、苦しい所も、ない。ただ胸の奥になにか、かなしみがこびりついている。そんな気がした。それは瞬きをして考え込んでいる間に、吐息にするりと消えてしまったのだが。不思議な気持ちになりながらも、ないです、と言って、ソキは机の上にもう一度手を伸ばした。灯篭を取ってあかりを引き寄せ、ほっとしながら、机の上を見る。
赤褐色に染められた帆布に覆われた、一冊の本がある。『本』だ。予知魔術師の武器たる、『本』だった。ソキはそーっと手を伸ばして、表紙をつむつむ、と指先でつっついた。
「本ですぅ……。ねえねえ、リボンちゃん?」
『なに? 得体の知れないものに、やたらと触るんじゃないの』
「えたいのしれなくないものだもん。あのね、あのね? これ、ソキの?」
なに言ってんだコイツ、という顔を隠そうともせず、腕を組み、妖精はソキを睨みつけた。
『アンタの『本』はあるでしょ? 白いの』
「そーうーなんですけどーぉ……。これもぉ、きっと、ソキの。ソキのなんですぅう」
『ごねるんじゃないわよ! ……あっ、ちょっとこら! 馬鹿! なんで持って行こうとするの! 置いておきなさい! 元の! 位置に! 戻せーっ!』
ややややんっ、と取られないように胸にぎゅむっと抱きながら、ソキはとてちて武器庫を動き回った。見た瞬間に分かった。この『本』も、ソキのものだ。予知魔術師としてのソキの『本』、写本。魔術師として目覚める前までの。それでも確かに予知魔術師としてこの世界にあった、ソキの写し。いつかの世界の、どこかのソキの、精巧なる写本。まだ、魔術師の器を持つソキの。砕かれる前の。
ソキが灯篭を持ったまま、あんまりやんやんとてちて必死に動いて抵抗したからだろう。火事、という文字を全力でよぎらせた妖精が、あああああ、と呻きながら分かったわよっ、と声を荒げる。
『分かったわ、持って行きましょう! だから! 走るな! 走るんじゃないって言ってるのよというかアンタ走ってると思ってるんでしょうけど走れてないのよちょっと速いだけあぁあああああ止まれーっ!』
「は……はぅ、はぅ、にゃ……。はぅ、うぅ……そ、そきの、勝利という、やつですぅ……!」
『クソ腹が立つ……なにこの敗北感……。覚えてなさいよ……! ロゼアがねっ!』
リボンちゃんすぐそうやってロゼアちゃんをいじめるぅっ、と悲鳴じみた声でソキが抗議する。アンタがアタシの言うことちゃんと聞けばいいのよ分かってるの、と叱りつけながら、妖精はぜいはあ肩で息をするソキの、赤く染まった頬を撫でた。
『もう……落ち着くまではここにいましょう。休憩して、それから助けを呼びに行きましょうね』
「うん。そうするですよ」
『いいこ』
妖精の声は、意外なほどに柔らかく響いた。えへへ、と蕩けた笑みで喜んで、ソキはその場にぺたりとしゃがみこむ。しばらくして。ソキがうとうとと眠りかけたのでその頭をひっぱたき、立ち上がらせて。妖精と魔術師は、助けを求めて武器庫を後にした。
時の果て。
すべての魔術師の運命は。
――覆されたその先に、ある。
それを、誰かは希望と呼んだ。
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