あなたが赤い糸:122


 その日は結局、その年の終わりに始まった。魔術師たちは朝から正装に身を包んで朝食をかっ込み、それぞれの出身地の王の元へ一番に足を運び、各々の言葉にて暇を告げた。王たちは穏やかな微笑み、誠実な言葉、涙を堪えた祝福、心を差し出すような激励、そして、いってらっしゃいと軽く手を振ることで魔術師たちに応えた。国々は不思議な雰囲気に満ちていた。祝福を帯びた嵐の前のような。

 しんと静まり返り、それでいてざわめきに満ちていた。どの国も祝祭と旋律と花の香りに満ちていて、それはただ、特別な一日のはじまりであるようだった。王に挨拶と別れを済ませ、魔術師たちは昼過ぎに、星降の一都市へ集まった。そこには天文台がある。大戦争の前から存在していた古の館。占星術師たちの聖域。けがされぬ星の館、と呼ばれるところ。

 古から現在まで。錬金術師たちが研鑽し、占星術師たちが組み上げた魔術具によって形作られる、この欠片の世界に残された唯一の遺物。星々の息吹を、そして魔術師たちの魔力をたっぷりとため込んだその館があるからこそ、今を生きる魔術師たちの大魔術が起動し、この世界は繰り返される。役割は決まっていた。錬金術師たちの計算により、それは厳密なまでに区分けされていた。

 何時間にも及ぶ魔術詠唱を真っ先に終えたのは、白魔術師たちだった。彼らは枯渇した魔力に照れくさそうにしながらも、それじゃあまたね、と言って星の館を走り出していく。止める者はなく、魔術師たちは同胞を見送った。癒しと祈り、祝福に満ちた力が流転の先触れ。彼らの魔力は風のように天まで舞い上がり、やさしくやわらかく、はじまりの場所まで時を運んでいくだろう。

 おつかれさま、と次に立ち上がったのは黒魔術師たちだった。力強い魔力は矢のように放たれ、夜を貫き、きらめきながら、指し示す場所まで届くだろう。魔術師たちのある者は祭りへ向かい、ある者は家族の元へ向かい、ある者は腕いっぱいに食べ物を抱えて星の館へ戻り、ある者はもう戻らなかった。魔力にほんの僅か余裕がある者は、示し合わせたように星降の王都へ足を運んだ。

 いつの間にか日が暮れていて、ひたひたとした夜は足元まで漂っている。魔術師は、王宮の、とあるバルコニーへと姿を現した。とたん、わっと歓声があがる。人々の。命の。彼らは言った。魔術師たちが『学園』に導かれ、必ず迎えたあの日の夜のように。興奮し、きらめき、喜びすらも湛えた声で。魔術師、夜を降ろせ。魔術師たちよ、星を落とせ。今宵は祝祭、流星の夜。

 魔術師たちは満面の笑みで一礼し、確かに、その声に応えてみせた。




 さあ、起きて。己を揺り起こすその声に応え、少女はぱちりと瞼を持ち上げた。なんの為に、なにをしなければいけないのかは、分かっていた。揺蕩う眠りの中で、己を抱き上げ部屋の中央へゆっくり歩んでいく言葉魔術師が、人形にそれを告げていたからだ。言葉魔術師の人形たる少女は、幾度か瞬きをして室内を見回した。

 漆黒の闇で塗りつぶされた部屋。天井にちかちか輝く守護星の灯りと、幾人かの魔術師が手に持つ灯篭の、火の揺らめきだけが部屋を照らし出している。魔術師の数はもう、数えられるばかりになっていた。彼らの顔を、見た覚えがあるような気がしたが、名は知らぬままだった。なにか言いたくて、けれど言葉を持たず、人形はじっとシークの腕に抱かれていた。

 なにをすればいいのか、分かるね。人形の主たる男が囁きかけてくる。こくり、と少女は頷いた。予知魔術師の力でもって、世界をやり直すのだ。その、起点と終点を作る為に、二人分のちからが必要だった。その為の言葉はみんな覚えていた。子守歌のように、とある男がソキの傍でそれを囁き続けてくれたからだ。その男の姿は、もう室内にはなかった。

 砂漠の国へ、帰ったのだと、分かった。

「……さあ、シーク、あなたで最後よ。魔力を」

 錬金術師の女が歩み出て、飾り気のない白い本を差し出した。男がそれを受け取って魔力を封じている間、人形はじっと、錬金術師の傍らに立つ少女を見つめていた。藤色の女の子。一目ですぐに分かった。この少女が、もうひとりの起点となり、終点となる予知魔術師。名は知らないままだった。今は知らないままだった。いつか、知ることができると、思った。だから声はかけなかった。

 予知魔術師に本が受け渡される。途切れ途切れに声が聞こえた。さあこれを、武器庫、どこでもいい、置いて、終わったら、戻って、いいえ、もうあなたも、好きにしていい。さようなら。さようなら、と少女が涙を堪えながら本を胸に抱え込む。行ってしまう。背を向けて離れて行く。その背を見送る、ひかりが見えた。妖精のひかり。花妖精の魔力の輝き。

 あ、と思って少女は慌てて手を伸ばした。最後に、どうしても、伝えたい言葉があった。うわっ、と言葉魔術師が声をあげる。ぎょっとした視線がいくつも向き、慌てたように、妖精が目の高さまで滑空してくる。

『どうしたの? 危ないわ。……さ、いい子で、言うことを聞いて……』

「よ……せ、ちゃ……」

 殆ど話すことのない口が言葉を忘れかけている。腕も、動きがぎこちない。それでも成し遂げなくてはいけないと、人形は己の髪を握るようにして、赤いリボンを解いた。誰も人形からそれを取り上げようとはしなかったから、それはずっと、髪を飾ったままだったのだ。溢れ出る感情に、人形はほろほろと涙を零す。

「……ずっと、お傍に、いてくれ、た、です。ありがと……」

『……ソキ?』

「あのね……あのね、ソキ、ずぅっと……ずぅっと、考えて、お願いが、あって……」

 ソキの意識は悲しみに食いつぶされた。ここにあるのはただの残滓だ。けれど、それでも、言わなければいけないことが残っていた。魔術師たちは希望を夢見て繰り返すのだ。ならば、ソキも。ひかりを残していきたかった。

「ねえ……ねえ、また、迎えに来て?」

『ソキ……』

「それで、今度こそ……一緒に、旅を、しましょうね……。ソキ、ソキね、絶対、ひとめで、妖精ちゃんだって分かるですよ……!」

 ふふ、と笑って。ソキは、必ず、と約束してくれた花妖精に手を伸ばした。戸惑う花妖精に微笑んで、リボンで腰をくるりとひと巻きする。蝶々結びにして括り付けて、これで大丈夫、とソキは言う。

「赤い糸、なんですよ。運命なの。だからね、妖精ちゃんは絶対、ソキを迎えに来てくれるです」

『ええ……ええ、行くわ。必ず行く。今度こそ、何度だって、わたしがあなたを導いてみせる……!』

「やくそく。……妖精ちゃん。ソキのリボンちゃん。またね」

 すぅ、と息を吸い込んで。ことん、と少女は意識を落としてしまった。涙を堪えて、花妖精はもうひとりの予知魔術師の元へと飛んだ。そして唐突に、私も行く、と武器庫への同行を申し出る。

『もちろん、わたしたち花妖精は保存されたりなんかしない。いくら影響が薄いと言えど、繰り返す力に耐えきれず、わたしも消えるでしょう。……でも、魔力なら残せるかも知れない。予知魔術師の武器に』

 あの子が。辿りつき手に取る筈だった、予知魔術師の武器が、確かにあるのなら。魔術師が願いを込めて一冊の本へ意思と魔力を封じたように、花妖精も同じようにしてみたかった。いつかのわたしがあの子に辿り着き、導いて、その先に。かすかな助けとなるように。もうひとりの予知魔術師は微笑んで、花妖精に手を差し出した。祝福をかけてあげる、と予知魔術師が囁く。まだそれくらいの魔力は残っているから。

 そのリボン、もって行けるように。いつか必ず、あなたの元へ現れるように。あの子がすぐに、あなたを分かってくれますように。今度は名前をつけてもらえるといいね、とリトリアは囁き。そうね、と花妖精は微笑んだ。

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