あなたが赤い糸:117


 陛下になんて言えばいいの、と嘆きながらも動きの止まらないエノーラの手先をひょいと覗き込みながら、リトリアが私がなんとかしてあげるから大丈夫、と不安しかないような請け負い方で、明るい声を響かせた。

「私ね、最近、五王をてのひらで転がせるの。悪女なの」

「ねえちょっとあなたたちの恋人こんなこと言ってますけど! どういう教育しちゃったのよ兼任保護者ども! 」

「全ての責任をこちらへ向けてくるのを辞めてくれないか……?」

 居並ぶ占星術師たちから纏められた報告書に視線を落とし、口頭や筆記で指示を出しながら、ストルはうつくしく眉をゆがめた。

「そんなに不安がらずとも、やりすぎないように、とは言っているさ」

「そうじゃないでしょ……? 私が言ってるのはそういうことじゃないって分かってるでしょ……?」

 嘆きの合間に赤で計算式と図式を書き終わり、エノーラは効率重視ならこっち、安全面最優先ならこれ、挑戦意識高く踏み切って飛ぶならこれ、と言って、大きな紙をくるくる纏め、立っていたキムルに差し出した。キムルはほとほと呆れた顔をして受け取りながら、君はほんとうに馬鹿なのにねえ、と嘆かわしげに首を振る。

「それでもやはり、君が錬金術師の最高峰だ。……助かるよ、ありがとう」

「どういたしまして素直に褒めないでよ体調でも悪いの? 休憩したら? ……説明は任せたからね、キムル」

 その飛躍しきった発想と着眼点、異質な才能故に、エノーラには答えには辿りつけるが中々道筋を説明できない、という悪癖がある。それを唯一補えるのがキムルである。同時代に現れたもうひとりの才能。もうひとりの異才。キムルがいなければ、あるいはエノーラはただ異端とだけ呼ばれ、天才として立つことはなかったであろう、と誰もが囁く程の。錬金術師としての、一組。対。

 ふたりはそれぞれに不愉快そうな視線を戯れに交わし合い、君こそすこし休憩すべきだおあいにくさま私はここに来るまでに寝てたのよなんと二時間もね君のその頭では必要な睡眠時間の計算が出来なくなったとみえる嘆かわしいうるさいわね進化よ進化ばか言えそれはただの怠惰だとはいえ今もうすこし君の力が必要なことは確かだ終わったら朝まで寝るんだねはいはい分かってるわよそっちこそ、と切れ目なく、流れる水のように言葉を交わし叩きつけた。ひらり、手を振ってからキムルが立ち去って行く。

 立ち去って行くキムルにはもう用事がないとばかり、エノーラは手元に残した幾つかの紙片に意識を集中させていた。リトリアがそっとキムルを見ると、男はわらわらと集まって来た錬金術師たちにエノーラから預かった紙を広げて見せながら、講義よろしくひとつひとつの説明を始めようとしている。目を戻せばストルもまだ指示を続けていて、ツフィアとシークは延々と魔術について話し込んでいた。

 ううん、といまひとつ不満げな声で唸り、リトリアは頬を膨らませた。

「私だけなにもしていないような……。ねえ、お手伝いすることない?」

「そう? なら、お茶を入れてくれる?」

「……はぁい……」

 微笑んですぐに指示をくれたツフィアに、肩を落として返事をする。確かにリトリアは、言葉魔術師の議論に混ざれるほど頭がよくないし、錬金術師たちの描く設計図や式を見てもなんだかよく分からないし、占星術師の計算式を読み解ける程の勘の良さもないのだが。遠回しな戦力外通告を理解できない訳でもないのだった。

 とぼとぼと厨房へ行って、しょぼくれながらお茶を運び、リトリアは鼻を啜りながらひとりひとりにそれを差し出した。集中しがちなストルにはすこしだけぬるくして、取っ手の大きいマグに入れた香草茶を、砂糖菓子つきで。ツフィアには砂糖なしのミルクティーをポットごと、蜂蜜の瓶を添えて。シークの前には甘くて冷たいミルクティーと、卵とレタスのサンドイッチ。お手拭きも一緒に置く。

 エノーラにはストルと同じ大きなマグカップに、温めたミルクを給仕する。シークと同じサンドイッチと、もう一種類、苺のジャムを挟んだ甘いものも置く。これが駄目だったらこっちだけでもね、食べられそうなら全部ね、と乾燥果物をごろごろ入れたヨーグルトを置いて言い聞かせ、なぜか笑いをかみ殺しているレディに、レモン水を入れたグラスを差し出して場を離れる。

 談話室の面々に、疲労やその日の食事状況、個人の好みに合わせてせっせと軽食と飲み物を運び、その間に空いた食器は片付け、頑張ってね無理しないでね、と声をかけて回って、一通りを終えて。しおしおと戻って来たリトリアに、耐えきれず、レディは口元に手をあてて噴き出した。

「リトリアちゃん。これでなにもしてないって言うんだもの……」

「だって、なんにも魔術師らしいことしていないでしょう?」

「予知魔術師としての力が必要になるのは、もうすこし先よ。私もそれまでほぼ役立たずだし……。というか、今だってリトリアちゃんがいなければ立ち行かなくなってるのは確実なんだから、そんなこと言わないの」

 五王の追及を交わす、という点ひとつに絞っても、リトリアほど上手にできる魔術師などいないのだから。そうかなぁ、とまだ不満そうに頬を膨らませるリトリアに、エノーラが苦笑しながら頷いた。

「そもそも、私はリトリアちゃんがいなかったら、ここにいないでしょう?」

「……呼んできただけじゃない?」

「呼ばれもしないわよ。他の誰かならね」

 例え親友たるレディであっても、今忙しいの知っているでしょう後にして、と切り捨て立ち去っていた筈である。んん、と今一つ納得しきっていない声で頷いて、リトリアはエノーラの隣に座りなおした。両手を机に添えて、その上に頬をぺたんとくっつける。

「ねえ、エノーラさん」

「なに?」

「……できそう?」

 不安に揺れる声だった。ふっ、と笑って、エノーラはリトリアの頬を指先でつっつく。

「どれが? なにが? 過去に戻ってやり直すこと? 破綻の原因になったであろう事件を防ぐこと? それとも、この、シークの里帰りしたいっていう希望を叶えること? 里帰りというか実家というか、あちらの世界へ行くってことになる訳だけど」

「……ぜんぶ」

「可能か不可能か、というだけの話なら、まあぎりぎり可能よ。……え? ええと? そんなに心配そうな顔をしないで……? だ、大丈夫よ、大丈夫! これに限ってはね、私があと何人必要とかそういう技術的な問題じゃないから! できるか、できないかで、できるっていう話だから。ただものすごく複雑で、ものすごく難しくて、恐らく思い通りになんかならないだろうっていう話で」

 エノーラの可能不可能、やればできる、という判断には、一般的な観点が圧倒的に足りない。言葉を重ねてもますます不安な顔をするリトリアに、エノーラはどうにかして、という視線をツフィアへと送った。ストルを呼ばなかったのは単純な男女区別であり、それ以上の理由などない。ツフィアは苦笑いをしながらもシークを伴い、エノーラたちが向き合っていた作業台へと歩み寄る。

「なぁに、リトリア。どうしたの?」

「……あのね。難しいのですって」

「そんなことは、誰が言うまでもなく分かっていたことでしょう? ちゃんと理由は聞いたの?」

 つん、とくちびるを尖らせたリトリアが、ふるふると首を横に振る。理由、言って、とすっかり拗ねた声で求められて、エノーラは胸元を手で押さえて頷いた。数秒、落ち着く為に意識を集中させてから息を吐き、錬金術師としての思考に切り替える。

「まず、過去へ戻ってやり直すこと。過去へ戻ることは、魔術の範囲として十分に可能。ただ、代償があまりに大きい。知っての通りね。次に、やり直すこと。これは恐らく相当難しい。理由については後で説明します。破綻の原因になった、いくつかの出来事を防ぐことに関しても同様。非常に困難と言わざるを得ない。できないとは言わないけど、できない、と言った方が良いくらいには、できる、とは思えない。で、最後。シークの里帰り。これについては、ほぼほぼ無理。不可能じゃないけど、不可能じゃないってだけ」

 まあ、エノーラにしては分かりやすく話そうとしてくれて、話したのではないかしら、という及第点ぎりぎりの視線がツフィアから向けられる。リトリアはちょこちょこ首を傾げながら、えっと、と言ったきり、混乱した顔つきで言葉の意味を考えている。シークは呆れ顔で、ひょい、と肩をすくませて笑った。

「キミね。希望を残すか、期待をさせないでいるか、どっちかにしてくれたまえよ」

「過去へ戻る他は全部諦めてちょうだい? って言った方が良い? 期待するだけ無駄よって」

「……どうして?」

 強張った顔で問うリトリアを見つめる、ツフィアには理由が分かっているようだった。シークもそれとなく察していながら、少女に告げてはいなかったのだろう。ストルも、レディも。全く嫌な役目を押し付けて、と思いながら、エノーラは静かに言い切った。

「戻ってるからよ」

「……ん。ん、ん……えっと……?」

「戻るってそういうことだもの。もちろん、事故みたいな些細な誤差はあるでしょうけど、そこまで大きく流れを変えるのは難しいでしょうね。理由を言うと、私たちが希望や仮説として考えている『もしも』が、その経験を踏まえた過去の振り返りであるから。戻った場所には、その経験を持っていくことができないから。戻っているだけだからよ。やり直しじゃないからなの」

 その違いは分かる、と問いかけられて、リトリアはくちびるにきゅぅと力を込め、無心でこくこく頷いた。非常に疑わしい目を向けてくるツフィアに、わ、わかったものっ、と裏返った声でリトリアは主張する。そう、とツフィアの笑みが柔らかく深まった。

「それじゃあ、説明できるわね? リトリア。私に教えてちょうだい」

「えっ……え、えっ……あぅ……。ま……待って、ちがうの。ちがうの。まって……?」

 ぷるぷるぷる、と涙目で震えるリトリアを、ツフィアは優しく笑って見守っている。う、うぅ、と呻きながらもじもじと指を擦り合わせ、リトリアはちらっ、と上目遣いにエノーラを見た。

「……あの、ね……。戻る……戻るのは、できるけど、やり直しじゃないから……同じことを、しちゃう? ちょっとは違うけど、同じことになっちゃって、だから、戻る……ただ、戻るんじゃなくて、戻るなら、やり直さないといけないって、こと? 今の、この経験を、持って行かないと、ただ戻るだけになってしまう……?」

「ちょっと待ってねリトリアちゃん。涙目上目遣いとか据え膳だけどこれに手を出したら死ぬわよっていま煩悩を殴ってるトコだから。待ってね?」

「う、うん……? はい……」

 リトリア、こちらへいらっしゃい、と呼ぶツフィアの元へ、とととっ、と慌てて移動していくぶんに、なんらかの危険は感じ取っているのだろう。私に教えてって言ったでしょうどうしてエノーラに話したの、とゆるく叱りつける声を聞きながら、錬金術師は大きく息を吐き出した。解決して行かなければいけない課題が多すぎる。

 なににせよ、予知魔術師の力こそが必要だ。それが鍵になる。そして、恐らく、時間との勝負になる。




 白い部屋で眠る予知魔術師の余命は、残り僅か。

 か細い息を繰り返す少女の傍らに、今日も妖精は寄り添っている。

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