あなたが赤い糸:106



 託児所かな、と扉を開いてシークは言った。場は王の執務室。真昼の陽光射す、『学園』の長期休暇突入初日のことである。『扉』を使って来たのだろう。足元に大荷物を下ろし旅支度を纏ったまま、魔術師の卵たちは口々に、先輩ひどいひどいばかぁああっ、というようなことを、ぴーちくぱーちく囀って、頭を抱える王の顔色を悪化させた。

 あーはいはい、と雑な指揮者のように腕を振って静かにさせながら、シークは大股で部屋を横断し、巣のように配置されたクッション群へ埋もれている、己の王へと歩み寄った。ひょい、と顔を覗き込み、酒精の気配ではないことを確認して、苦笑する。

「寝不足ですね。陛下。今日の理由は? 寒かった寂しかった緊張していた、はたまた他に御心を悩ませることが? 察したジェイドが暴れでもしました? 報告はまだ届いていないようですが。……まさか恋の予感でも?」

「お前が俺の精神衰弱について選択肢の心当たりから自分を抜いてる理由を知りたい……」

「品行方正な貴方様の臣下に対してなにを仰る?」

 ほんとしれっとこういうこと言って来るのが嫌だ、と言う王の視線を穏やかな笑顔で受け流し、シークはふむ、と室内を見回した。休暇初日。王へ挨拶をしてから帰省する為に集まった、魔術師の卵の数は五人。砂漠出身の生徒はまだ人数がいるので、他は帰省しないか、さもなくば城を通過せずに家へ帰るのだろう。王へ挨拶をしていくのは義務ではない。旅程表の提出は義務付けられているが。

 後で提出物を確認しておかなければと思いながら視線を王に戻すと、どうにも気乗りしない顔でため息交じりに頷かれる。早くしろ次の仕事があるだろうと促され、シークはやれやれと立ちなおし、引率の教師よろしく、手を幾度か打ち鳴らして生徒たちに整列を求めた。

「はい、おしゃべりはそこまでにしようね。陛下にご挨拶できるかなー? 声を揃えて、はい、陛下おはようございまーす」

「おはようございまーす!」

「……元気でなによりだ。おはよう」

 声が頭痛に響いても、生徒たちを怒ったりしない所が、シークの王の可愛らしさだ。頭を抱えて力なく呻こうとも。生徒たちの心配そうな視線に、陛下ねぇちょっと恋の病で眠れない夜を過ごしてるからそっとしといてあげようねー、と告げてクッションを投げられるのに笑いながら、シークは穏やかな気持ちで言葉を重ねて行く。

「さて、分かってると思うけど。長期休暇の間は、大人しくしているように。魔術の使用は厳禁。いついかなる理由、状況であっても、許可なく魔術を行使したりしないように。今日の運勢を占う程度のことでもね、したらいけないよ。希望があれば、あらかじめ許可を取っておくように。申請して、許可があって、はじめて行使を許される。この行程を覚えておくように。逆に言うと、申請さえすれば小粋なお兄さんやお姉さんが気前よく許可してくれるからね。社交辞令とか美麗字句並べて許可をもぎ取る練習だと思おうね。難易度は低いよ」

「クソシークふざけてんじゃねぇよ真面目にやれっつったろ馬鹿。独房に突っ込むぞ」

「そうそう。独房ね。無許可の魔術行使は最悪独房だから、肝に銘じておくように。独房つまらないよ。狭いし暗いし娯楽はないし、おすすめはしないからね。分かった? 分かったら返事しようねー」

 はーい、と口々に、時には手をあげて返事をする少年少女は、砂漠の魔術師の奇行にも王の胃痛頭痛顔にも慣れていた。申請書類は出しました万一の時に備えて予備の紙も持ってます、とはしゃいだ声が告げて行く。瞳はずっと落ち着きなく輝いていた。それに、眩しく目を細める。微笑みを深めながら、シークはよし解散、と言い放った。わぁっ、と歓声が零れて行く。

 陛下失礼します陛下お土産買ってきます陛下俺んち薬屋さんだからあとでいいのを届けます陛下たくさん眠ってくださいね陛下さようならまた帰りに来ますね、いってきます、とわちゃくちゃ話して、生徒たちは荷物を担ぎ、ぱたぱたと部屋をかけ出して行く。ある者は馬車の発着場へ、またある者は迎えと合流する為に貴賓室へ。

 廊下は走らない、と通りがかった文官や兵士たちが注意するのに、はーいごめんなさーい、と反省の薄い声がこだまする。笑い声とはしゃぎ声。希望いっぱいに満ちた若い声はしばらくの間木霊して、ゆるゆると消えて行った。それは、なんともいえない幸福だった。くすくす、思わず口元を手で押さえて笑いながら、シークはちらりと王に目を向ける。

「可愛いですねぇ、平和そのものだ。そう思いませんか?」

「……お前にもあんな頃があったのかも知れない、と思っていますごく残念に思ってる」

「ボクは長期休暇中、『学園』から出ることは稀でしたよ。ご心配なく」

 あからさまに気まずそうな顔をして、そういうことじゃない、と王は息を吐いた。そのまま珍しくも言葉に迷うよう視線をさ迷わせた王は、立ち上がりながら響かない声で告げた。

「家に、帰りたくなった時に……ああやってはしゃいで、帰れる場所が、あればよかったんだ。お前にも」

「……ご心配なく。そういう気持ちは、もう」

「置いてきたなら、取りに行けばいい。……もうお前は、砂漠に帰ってくれば良いんだから……なんだその顔」

 いえ、とシークは王から顔を背け、口元を手で押さえながら首を振った。目を閉じて息を吸う。まとまらない言葉で呻くように、シークは薄く口唇を開いた。

「……どこかに、帰ることが。また……帰れる、と……」

 吐息を零して。シークは行くぞ、と戸口で待つ王の前に歩み寄り、片膝をついて微笑みながら告げた。

「陛下結婚してください。ボクは幸せになれます」

「え。やだ」

「ちっ。じゃあせめて責任取ってください。陛下の魔術師誑し! ボクのなにが不満だって言うんですか!」

 なにが不満なのか言わせようとするトコがヤだし心当たりがなさそうな所もすごくヤだ、と無感動な目で言い切って、砂漠の王はさっと身を翻して歩いていく。仕事だぞ働けよ、と叱られて、シークは肩を竦めながら立ち上がり、己の主君の後を追った。




 ちょうど部屋から出て来た少年は王とシークに気が付くと、あっと声をあげて恥ずかしそうに頭を下げた。実家が薬屋だと告げた少年だった。元気がないように見えて、心配だったから、と早口に告げ、どうぞよろしくお願いします悪いヤツじゃないんです、と言い置いて走り去っていく背を見つめ、シークはほのぼのとした気持ちで頷いた。

「友達だったんですね。よかったよかった」

「これは純粋な疑問なんだが、あの状態でどうやって友人作ったんだ?」

「ジェイドみたいな世話好きなんじゃないですか? 誰かの世話してないと息できないみたいな」

 お前ほんとうに俺に対する受け答えが適当だよな、とうろんな目をする砂漠の王に、それなりに精度の高い推理だと思いますが、と言ってシークは扉の前で立ち止まった。その日に、砂漠の王の護衛として『学園』へ向かったのはジェイドである。だからシークは人の口を介してしか、その光景を知らなかった。彼は無感動な瞳で、微笑んで椅子に座ったままでいた、と言う。

 展示品のように。

「……シーク」

「はい」

「一人で手に負えないと感じたら、すぐに言え。いま、これ以上、『お屋敷』との関係を悪化させられない」

 はい、とシークは従順に頷いた。幾度かジェイドを呼びに訪れた、あの花園のことを思い出す。今は遥か遠い記憶。うつくしい人々の住むジェイドの故郷が、今は魔術師を疎んでいることを、殊更意識したくはなかった。遠目に一度だけ、赤子を見たことがあった。しあわせそうに笑っていた。ジェイドも、その幼子も。その記憶を永遠に、大切なものとして保っていたかった。

 扉を叩く。入るよ、と告げる声に返事はなかった。押し開く。軋んだ悲鳴のような音を立てて、扉が開いた。

「……ウィッシュ」

 名を、呼んでも。椅子に座ったままでいる青年からの反応は、なにもないままだった。視線は伏せられ、なにも見ていない。ただ、ゆっくりと瞬きをしている。息をしている。うっとりとまどろむような横顔は、息を苦しくさせる程うつくしく、きよらかで、『花嫁』に似ていた。

『ウィッシュ。ほら、陛下とお世話の魔術師が来たよ。挨拶しような……ウィッシュ、ほら』

 穏やかな声で、妖精が青年の耳に囁き落とす。それに一歩足を踏み出して、王を庇うように立ち位置を変え、シークは鼻白んだ声を響かせた。

「案内妖精くん? キミがいるとは聞いていないけど」

『……彼を導いたのは俺だ。共にあることを、おかしいとは思わない。魔術師に咎められる理由もない。お前たちにそんな権利はない』

「権利ねぇ……確かに妖精がどこでなにをしようと、咎める権利なんてないさ。ただし、キミにも無いだろう? 案内妖精の立ち位置は永遠じゃない。『学園』に導くまでがその役目。夜会でのエスコートまでがその権利。どちらも、もう終わっている筈だ。……キミたちはようようこの国が好きらしいね? いつもボクたちの為に、どうもありがとう? キミたちの尽力のおかげで、今はこぉんなに平和だよ。感謝してる」

 なにを煽ってんだお前は、と呆れに塗れた王の声が、吐息と共に響いていく。見えず、聞こえなくとも魔術師の保護から出ようとはせず待つ王に、言葉魔術師は柔らかな安堵を感じながら、視線を前から外さなかった。

「……案内妖精の同行には問題があるか? ソキの妖精だって友達……いや、伴侶だっけ……? 番いだかなんだか連れて遊びに来てるだろ?」

「陛下。それをあの花妖精の前で言わないように気を付けてくださいね。根回しが終わってるって気が付いてない様子ですからね」

「……うん?」

 まあそう言うなら、と緊張感のない声で呟く主君に、言葉魔術師は張り詰めた気を解かず息を吐き出した。

「別に妖精が同行することは構いませんが……彼らは魔術そのものに近しい存在です。ウィッシュは未だ未熟な魔術師のたまご。妖精の同行により、魔術の発動がしやすくなります。彼らがそれを助けるからです。……無意識に、また意識的に、許可なく、魔術を発動してしまいかねない。状況から考えても、歓迎できる状態ではありません」

「歯止めがかかる、のではなく?」

「もちろん、制止することも可能でしょう。補助ではなく、制止を、妖精が選ぶのであれば」

 もちろん僕たち魔術師の規約は知っていてくれるでしょうけれどね、と言い放つシークを、妖精は睨みつけるだけだった。望めば、とその表情に書いてある。ウィッシュが望めばその願いを、案内妖精は叶えるだろう。シークは隠さずに溜息をついた。あの覚悟を決めた顔を知っている。それは『花嫁』を送り出す者たちに見るもの。己の覚悟に準ずる者のひかり。

「……僕だってキミと喧嘩したい訳じゃないんだよ。親子二代に渡って案内妖精する気分はどう? とか、雑談したっていいくらい」

「いやお前それ煽ってるだろ……? 友好じゃないだろ……」

「……おやこ?」

 はじめて、意思を乗せて。ウィッシュは声を響かせた。しまった、という意思を押し隠して、シークは微笑んで青年に歩み寄る。いま、とたどたどしい響きの声で問われようとする意志を感じながらも、シークはウィッシュの前にしゃがみこみ、その顔を覗き込むようにして告げる。

「こんにちは。説明を受けてるかな? 僕がシークだよ。君の里帰りの護衛役。よろしくね」

「……うん」

「さっそくだけど、お願いをしていいかな? できれば、キミの案内妖精は城へ留めて行って欲しい。僕と、キミと、二人で行こうね。キミがもし、ひとりで心細かったり、寂しいって言うなら……」

 言葉に。『花婿』は不思議そうに、ゆっくりと、瞬きをした。ゆっくり、ゆっくり、あどけなく、首が傾げられる。ああ、とシークは息を吐き出した。『花嫁』に、そして、ジェイドに。とてもよく似ている。凍り付いた過去の、幸福のかたちをしている。『花婿』は薄くくちびるを開いて囁いた。甘くふわりと響く、いとけない響きをしていた。

「……ひとり、だよ?」

 ずっと。ひとりだったよ、と。寂しさも、悲しみも、なにもかも置き去りにして、目隠しをして、凍り付かせて。耐えて耐えて耐えきって、いまもなお、向き合うことができないでいる、その声に。シークは覚えがあった。そうか、と微笑む。その心を理解できる。己の内側にあるものに、とてもよく似ている。

「じゃあ……置いて行けるね」

「……うん? ……うん。いける」

「よし。……陛下、それでは馬車の用意を整えて……行って来ます」

 事態を理解していないような、反射でなされているような声に頷いて、シークは全身に力を込めて立ち上がった。『花婿』の瞳は再びなにもかもへの興味を失い、ぼんやりと伏せられ瞬きだけをしていた。夢を見るように。全てを拒否するように。寄り添う妖精の姿すら、受け入れることはなく。全て夢だと願うように。

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