あなたが赤い糸:105



 花園へ戻った妖精は、おせっかいで世話好きな鉱石妖精を探して飛び回った。ジェイドの話を聞いてからというものの、鉱石妖精は一緒に『お屋敷』に向かうことも、城までついて行くことさえなくなっていたから、久しく顔さえ会わせていない。まったく、一緒について来てさえいてくれれば、ロゼアの動向が分かったかも知れないのに。ひとりでいるというのは、思うよりずっと不便だった。

 散々探し回って聞きまわって、妖精は大樹の枝で物憂げにぼんやりとしている、鉱石妖精の前へと飛来した。

『ああ、戻ったんですね……。おかえりなさい』

『こんな所で……なにを、しているの?』

『考え事を』

 どうぞこちらへ、と傍らへ誘う鉱石妖精の手は、言葉とは裏腹に花妖精の腕を掴んで引いていた。誘っておきながら逃がす気がないらしい。息を吐きながら、促されるまま腰を下ろす。ふ、と笑うような息を吐き出された。なに、と問うより早く腰に腕が回され引き寄せられる。肩にとん、と額を押し当てて目を閉じる距離の近さに、花妖精はちょっと、と頭を両手で押して抵抗した。

『近い。……ちょっと、なに。なに?』

 しかし、びくともしなければ離れてもくれない。鉱石妖精は花妖精の魔力の巡りを隅々まで確かめるように、目を閉じて集中しているようだった。人の身を、血液が流れていくように。妖精の身を編む魔力は、異変によって容易く歪み、損なわれる。

『……今日は、なにもありませんでしたか?』

『なにって、なにが? どこに? ……ねえ、近い。近いったら、離れて。せめて離して……』

『心配しました。確かめさせてください』

 ソキとは種類が違うが、鉱石妖精も相手の話を聞いてくれない。もしかして今周囲にそんなのばかり溢れているのではないかしら、と遠い目になる花妖精の肩で、鉱石妖精が静かに笑う。満ち足りたような。安心した、穏やかな吐息。

『……ええ。確かに。なにもなかったようですね。ソキさんは元気でしたか? ロゼアも』

『とても元気に機嫌が悪かったわ。……もういいでしょう? 離れて』

 ソキも機嫌が悪かったし、ロゼアのそれも良いとは言い難かった。会議から戻って来たロゼアは誠心誠意ソキを甘やかして愛でていたが、腕の中で『花嫁』が寝てしまうと強張った顔をしてメグミカを手招き、なにかを囁いては首を横に振っていた。本当なの、という言葉を、何度も何度も妖精は聞いた。怒り、怯え、悲しみ、疑惑、不安、喜び。様々な感情でその言葉は囁かれた。幾度も。

 そのたびにロゼアはそれを肯定し、また否定した。分からない、とロゼアは何回も繰り返した。決定的な言葉は告げられないまま。ただ明らかにそうである、と断定のできる情報だけがいくつももたらされたのだという。行方不明の『花婿』は『魔術師』となって『学園』にいる。そして年末の長期休暇で、『お屋敷』に戻ってくるのだと。

 ソキがあまりにロゼアを離そうとしないからか、それから数日はやけに多くの訪問者があった。ソキは一々妖精を手招き、こしょこしょと潜めた声で、それが誰かを教えてくれた。あれがロゼアちゃんのお父さんと、お母さん。あれはね、ソキのおにいちゃ、お兄さま。あれがシフィアさん。あれはアルサールさん。あのひとたちは、世話役さん、輿持ちさん、『運営』のひと、服飾部のひと。シフィアさんと仲良しのひとたち。

 ソキの目と声が届く範囲、部屋の隅に寄り添い合って。口元を隠して、響かない声で人々は話し続けた。汚泥のような感情に、ソキが時折震えたのを妖精は知っていた。それは時に怒りで、疑いで、喜びであり、苦しみであり、悲しみであり、幸福のことすらあった。ソキに、触れさせたくはなかったのだろう。時折、ロゼアは響かぬよう潜めた声を荒げ、人々を窘め、苦しげに退室させた。

 火のように、毒のように、『お屋敷』に言葉が巡って行くのを感じていた。逃れえぬ嵐が近づいていて、ゆっくりと、風が強くなるのに似ていた。落ち着きのないざわめきと、緊張感がひたひたと空気を満たしていく。御当主さまはね、と夜の闇に紛れさせるように、ソキは窓辺に乗り出して妖精へ囁いた。そこから見えるいくつもの灯り、いくつもの窓の中から、まっすぐひとつを指し示して。

 最近、窓の所で眠ってるの。お昼とかね、夜とかね。きっと誰も知らないんだけどね、ソキは見つけちゃったの。だからね、知ってるの。見てるとね、時々、ぱって起きて、きょろきょろしてるの。きっと、誰かのことを待ってるんだと思うの。窓だから、どこか、お外に行っちゃった人のことだと思うです。でもね、誰も来ないの。誰も。でもね、ずっと、待ってるの。

 妖精も。人が寝静まった深夜に、それを見た。火の揺れる灯りを手にして、当主がひとつの窓を開く。青年はゆっくりとした仕草で、窓辺に身を伏せて目を閉じた。いくつもの視線が向けられているのを、妖精は知っている。ソキが気が付かなくとも、当主を見守り、あるいは監視する目が離れることはなかった。だが、近寄る者の姿はなく。声をかける者さえ、ひとりとして。

 やがて。側近の女がくらやみの中から現れて、手を伸ばし窓を閉めてしまう。それが、終わり。どこかに行きたいのだろうか、と妖精は思う。ソキの言うように、誰かの迎えを待っているのだとしたら。どこに行きたいのだろう。ジェイドとシークに感じた断絶と孤独と、同じものを感じるあのうつくしいひとは。

『……それじゃあ、一緒に行きます?』

『ええ。……え? ごめんなさい。待って。なに?』

 いつの間にか考え事に夢中になって、話など聞いていなかった。適当に返事をしたことを謝る花妖精に苦笑して、鉱石妖精は音もなく枝から空へ飛び立った。気分転換になりますよ、と手を差し出される。戸惑っていると手首を掴んで引っ張られたので、花妖精は仕方なく、羽根を震わせて舞い上がった。こっち、とちいさな囁きで共に飛んでいく。花園を外れ、木々の隙間、森を抜けて。

 現れた建物を、魔術師たちは『学園』と呼んでいる。




 さわり、さわりと空気が揺れる。未熟な魔術師たちのざわめきに、そして、零れ落ちていく魔力に。覚えがあるよりずっと、『学園』には騒がしく魔力が漂っていた。思わず眉を寄せる花妖精に、鉱石妖精は静かな声で、試験中だからね、と告げる。年に二回行われる定期試験。特に年末を前に行われるこの考査は、諸国への外出許可が出るか否かにも関わってくる。

 それは大概に新入生の為の制度であるが、それを潜り抜けて成長していく生徒たちにも、全く関わりのないことではないのである。『学園』に在籍する魔術師の卵は、総じてまだ不安定な存在だ。いかなる時も暴走の危険があることを知り、その恐怖を知り、荒れるようならば外には出さない。それが掟で、それが決まりだ。『学園』とは学び舎であり、箱庭であり、牢獄である。

 飛んでいく妖精たちを追いかけて、魔術師たちの視線と言葉が絡みついてくる。どうしてこんな所に、なにか用事でもあるのかしら、誰かの案内妖精ではないの、でも先日の夜会には見なかったような、どうしたのかしら、ああ、もしかしたら。ほんの少しの心当たりを聞き留めて、花妖精は動きを止めかけ、鉱石妖精に腕を引かれるままに進んでいく。

 ねえ、と困惑しながら花妖精は口を開いた。ほんとうに、なにひとつ、話を聞いていなくて適当に返事をしていたことを謝るし、悪いとも思っているから。

『なにをしに来て、どこに行くのか、教えて欲しいの……』

『怒ってはいませんよ、別に。……先日、一緒に話を聞いたでしょう』

 ええ、と穏やかに息を吐くように、花妖精は肯定した。あれはひとりの魔術師の話であり、『花嫁』の『傍付き』と呼ばれた者の話であり、『お屋敷』で生きた人々の話であり、砂漠の王の話であり、砂漠の国の話でもあった。過去に起きていたことの話だった。今へ至る言葉たちだった。彼らが夢見て希望を託し、辿りついた場所が、今だった。

『……彼の話に出て来た案内妖精。二度、魔術師を迎え導いて行った案内妖精は、僕の同種です』

『それが?』

『考えていました。魔術師を導く、とは、どういうことなのか。案内妖精の役目とは、なんなのか。……ボクもいつか、世界に選ばれ、王の指名を受けて魔術師を導いていく。そんな気が、したから……』

 なにが、できるだろう。愛しい子の為に。我らが同胞の為に。なにをしてやれるだろう。花妖精に向けられる目は憶測と不安に揺れながらも、まっすぐな意思を灯して輝いていた。

『だから、君の答えも知りたい。今でなくとも、構いませんが……いつかは』

『答え……?』

『案内妖精と魔術師が、どうあるべきなのか。ボクたちになにができるのか。一時だけの関わりで終わるのか、その先を望むのか、友人であるのか、隣人であるのか、相棒となるのか、なれるものなのか。守護する者か、庇護する者か、試練を与えるべきなのか』

 キミはどうなりたい、と尋ねられて、花妖精は言葉を持たなかった。ソキの花妖精への認識は恐らく、物珍しい愛玩動物くらいだろう。それは友人であり、隣人であるかも知れないが、相棒ではなく、対等ではない。正式に魔術師として『学園』に招かれ、一般的な感性や専門的な知識を得れば変化はあるだろうが、今はそれが精一杯であることを花妖精は知っていた。

 望みを持ったことがない。どうあるべきか、ということすら考えたことはなかった。案内妖精とは、魔術師の卵を『学園』まで連れて行くもの。その道行を守る存在。それ以上とも、それ以下とも、考えたことはなかった。

『わたしたちは……なにかに、ならなければいけないの?』

『ボクたちは、存在する以上いつか必ずなにかになるんです。自分自身に、無数の夢を抱きながら』

 さあ、もうすこし。そう告げて鉱石妖精が腕を引いたのは、風の魔術が零れ落ちる一室だった。そこに魔術師がふたり、向かい合わせに椅子に座っている。一人は教員、一人は生徒だろう。ちょうど試験が終わった所であったのか、教員はいくつかの言葉を生徒にかけ、力強く頷いた。

「おめでとう。これなら大丈夫だろう。……砂漠の王が君を呼んだと聞いている。顔を見せてあげなさい。……君は、家に、帰れるんだよ」

『おめでとう、ウィッシュ』

 白石を思わせるその生徒の傍らに、妖精たちの同胞が寄り添っていた。四枚羽根の鉱石妖精は穏やかに微笑み、俯く青年へ耳打ちする。

『一緒に帰ろうな……』

 言葉を返さず。頷くこともせず。椅子に座ったままの青年が、夢見るような瞳を称えた顔をあげる。滑らかな肌に、柘榴色の瞳。長い髪は雪のように白く、ざっくりとした一本の三つ編みにされている。その姿は頼りなく、儚く、恐ろしい程にうつくしかった。花妖精は誰にともなく確信して、呟く。『花婿』だ。ああ、それならば、彼が。

 『花婿』は妖精たちをぼんやりと眺め、なにかを求めるように、呼びやうように、くちびるをほんの僅かに震わせた。声はなく。母を呼んだと、知る者はなく。

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