あなたが赤い糸:86
部屋の入口には、二人の警備が立っていた。逃がさない為というよりは、万一の侵入者を排除する為なのだろう。そんなに緊張しないでいいよ、と補佐が声をかけて室内に入る。まぁたやってる、と呟いて立ち止まった補佐の視線の先には、寝台があった。そこで身を起こそうとする代行を、筆頭が押さえて睨みつけている。
「いいから大人しく寝ててくださいって言ってるのに……。ディ、それ、俺が出てってから何回目? 五回目くらい?」
「おかえり、ラッセル。六回目だよ、六回目……! この方と来たら、俺の言うことちっとも聞いてくれやしない……! いいから! 白魔術師が戻ってくるまで大人しくじっとして動かず回復に努めてくださいお願いします! あんまり動くとうっかり死ぬでしょうが!」
「うーん、うっかりって言うのはちょっとアレだけど、俺も同じ意見だから。じっとしてて欲しいなぁ……」
あぁ、大丈夫だからね、たぶん大丈夫だけど万一あの人が抜け出してあれこれしそうな時は呼ぶから一緒に押さえてねお願いね、と室内を覗き込む警備の者たちに頼み込んでから、補佐は部屋の扉を閉じてしまった。内鍵もしっかりとかけてから、呻き声と意地がぶつかり合う寝台へと歩み寄っていく。シークとジェイドも、その後を追った。
「あ、というか、ジェイドに頼んで『お屋敷』から医師を派遣してもらえばよかったのか……まずった……」
「今から行きましょうか?」
「うーん……。代行? 体調どう? 痛い? 貧血? 痛い? 死にそう? 痛い?」
ひょい、と顔を覗き込むようにして補佐が代行に問う。同じようにして、ジェイドは思わず眉を寄せた。怪我をした、と聞いてはいたのだが。頬にも首にもガーゼが当てられ、包帯でぐるぐる巻きにされている。まだ乾き切らない血がにじんでいる所を見ると、塞がっていないのだろう。縫ったのがだめになっちゃうだろー、と補佐が言い聞かせるよう息を吐く。
「そんなに心配しないでも、ちゃんと王妃様は保護してあるってば……。王子も、今お医者様に見て頂いてるから」
「陛下は……!」
「……何回聞かれても、何回でも同じことを言うしかないけど。俺たちがついた時には呼吸してなかったよ。まだ温かくはあったけど、息はされてなかった。……御遺体は、今は王妃の寝室に。死因については……お医者様の手が空き次第」
だからね。あの方、もういないんだよ。あまりにあっけなく、魔術師筆頭がそれを告げる。あまりに現実味がなく。あまりに、軽く響く言葉で。言い知れない気持ちで口を閉ざすジェイドより、代行は怒りの方が勝ったらしい。炎のような目で掴みかかられながらも、魔術師筆頭の男は慌てず、その腕に手を添えただけだった。
だから、あんまり動くと死ぬって言ってるだろ、と言い聞かせ、相手の体調を見定める目で静かに言葉を語り掛ける。
「俺の忠誠を疑ってるんだったら、今はまあ代行の思う通りだとしか言いようがないよ。俺の心は陛下から離れてたし、離れてる。認めるよ。……でも、そうじゃない時期だってあった。あの方を心から……本当に、俺の主だと思って、敬っていたこともあるし、その気持ちは本当だった。大切で、好きだった。嘘偽りなく。……だから、悲しい。本当だよ」
さ、力を抜いて。語るように、ぽん、と己を詰る腕に触れると、そこから力が抜け落ちるのが見えた。ジェイドから見てもてきぱきとした動きで代行を寝台に寝かしなおし、筆頭は事情を聴きたいけど、と誰にともなく呟いた。
「今、聞くと、そのまま死んじゃいそうだから聞きたくないな……」
深く息を吐き出して。魔術師筆頭の男は、寝台の傍に椅子を引き寄せ、そこへ沈むように腰かけた。補佐が心得た動きでジェイドたちの傍から離れ、身を屈め、筆頭にあれこれ声を潜めて語り掛ける。恐らくは、他の魔術師の動きを告げているのだろう。報告が一通り終わるのを待ってから、ジェイドは言葉を探して、ようやくその問いを舌の上へ乗せた。
「……なにがあったんですか? 代行は……」
「……短剣に、どうも毒が塗られてて。毒消しは飲ませたけど、上手く効いてない……。医師も、なにが使われたのか分からなければ、どうとも、と言うし……なんの毒かは分からないって言うし……」
「誰が……?」
どうも気乗りのしない顔をして、筆頭と補佐が、代行を見た。顔の半分以上を包帯に覆われ、熱にふくらみ、赤らんだ頬をしながらも。ぷい、と拗ねたような動きで代行が顔を背ける。うーん、と思い悩む顔をして、筆頭が首を傾げて言った。
「代行も、王妃も……。あと犯人も分かってない……分かってないっていうかどっちかが嘘をついている……」
「はい……?」
「どっちもね、自分が刺したって言ってんの。陛下をね。でね、どっちもね、殺意があったような、なかったようなって言っててな……? それでな、短剣に毒が塗られてたんだけど、その毒の入手経路はなんとなく分かってるんだけど、毒そのものがなんだったのか、ふたりとも知らないっていうんだよなぁ……。なんだこれどうしようって感じ……」
お前探偵役とか向いてないから口を開くのやめておこうな、と優しい声で補佐が筆頭に囁きかける。遠回しでもなく直球で黙れ、と言われるのにやや落ち込んだ顔をして、筆頭は素直にこくりと頷いた。ジェイドの隣で、ううぅ、と涙ぐんだシークが頭を抱え込む。
「吐き気がするほど緊張感がない……」
全面的に同意したい。そんなこと言われても、という顔をする上司ふたりに向かって、ジェイドは気を取り直して質問した。
「入手経路が分かっている、というのは?」
「新しく入った娘が持ち込んだ物だって。本人も認めてる。希釈して使うと体調を悪くするものだって言うんだけど、いや毒なんて全部そんなものだし……これも錬金術師の到着待ちかな……白魔術師とどっちが早く帰ってくるかな……」
情報はハレムの外に漏れてないよ、と筆頭は言った。唐突に、しっかりとした声で。王が隠れられたことを、魔術師たちの他は数人しか知らない。だからどうしようか、と問いは代行へ向けられていた。彼らが王としたい、と願った者へ。
「隠すなら隠す。公表するならするで、どんな情報をどこまで出す?」
「……隠すって、言うのは?」
「王がこれからもハレムに居て、外に出てこないっていうことにするって意味だよ、ジェイド。これは不可能って程じゃない。色々難しいだろうけど……ジェイドだってここ一年くらいは、顔も見てなければ声も聴いてなかった。でも、やってけてただろ? ただ問題が……」
王と言う存在を喪った国が、どこまで保たれるのか分からない、ということである。王子に戴冠させるのには早いし、と告げる筆頭の目が、ひとつの望みをかけて代行に注がれている。補佐も、ジェイドも、恐らくはシークも。それしかない、と思って。それを望んで、沈黙していた。その望みが確かにあることを、代行すら知っているだろう。
できるわけないでしょう、と絞り出した声が、場に響いて行く。
「私は王を……私が、王を刺したんですよ。そう言っているでしょう!」
「聞いた。それは何回も聞いたよ……。俺もね、あれを見てるから、ちょっとそこを庇いきれないな、とは思ってる」
ハレムで騒ぎが起こったことに、いち早く気が付いたのは筆頭と補佐のふたりであったのだという。用事があって、ハレムの門で代行が出てくるのを待っていたふたりは、尋常ではない悲鳴を聞きつけて。あとでどうとでも罰せと言い捨てて、ハレムへ侵入し、そして。血だまりに倒れる王と、短剣を手に持つ王妃。意識を失った王子と、傷つけられた代行を見た。
錯乱した王妃が王を害したのだ、代行は王を庇おうとして傷ついた、と誰もが思い。けれどもその意思を、外ならぬ青年が否定した。王を刺したのは私である。その証拠に、王妃の持つ短剣は私のもの。王妃はただ、短剣を奪おうとされた。いいえ、と悲鳴がそれを否定したのだという。いいえ、いいえ、と繰り返し、王妃が泣きながら繰り返した。
この方を殺してしまったのはわたし。この子の首を絞め殺してしまおうとしたこの方を、どうして許しておくことができましょう。けれどもこの方はわたしの大恩ある方。せめても苦しまないようにしたかったのに、このひとが庇おうとなさるから。わたしはもうどうなってもいい。どうなったっていい。でもどうかこのひとと、この子だけは。たすけて。
王子の首には指のあとがあった、と筆頭は言った。代行の証言からも、王が王子の首を絞めていたことは分かってる。助けようとして揉み合いになって剣を抜いてしまった、というのが代行の言い分。助けようとして代行から剣を奪って刺した、というのが王妃の言い分。多分どっちも全く嘘っていう訳ではない、と本人を前にして筆頭が息を吐く。
「だって代行だけが怪我してるだもん……。陛下から王妃かばったか、王妃から陛下かばったんだろ……?」
「……どちらにせよ。王になれる筈、など……今更、わたしが……」
「なれるよ」
ジェイドが目を見張るほど。甘く優しい、幼子に囁くような声で筆頭が言った。寝台に伏す青年の髪をゆっくりと撫でながら。ぎょっとする代行の顔を覗き込んで、筆頭は穏やかな笑みで囁く。
「そういうのは、もういい。あなたはこれまで十分頑張った。その努力を、俺たちはずっと見て来たし、知ってる。だから……だからさ、もういいから許可を頂戴? 俺たちに、言って?」
「なにを……」
「忠誠が欲しいって」
それだけでいいよ、と筆頭はあまく笑った。そう言って望んでくれたら、なんだってしてあげる。あなたと、この国の為に。どんなことだって。囁きに、眉を寄せたのはジェイドだけではなかった。シークも、どこか息苦しそうな顔をして、不安げに筆頭と代行を見比べている。魔力が動いている。穏やかに編まれた、それでいて、確実な意思を乗せた魔術がある。
なにを、と問いかけるふたりに、補佐が口唇に指をあてて、しー、と笑った。言ったろ、と補佐の瞳が笑っている。代行と筆頭の言うことを、よくきくんだよ、って。やさしい、夢を見るような眼差しで。代行が、筆頭に言葉を告げる。溜息をついて。なにかを、諦めたようにもして。
「……分かりました。デューグ、ラッセル」
はーい、と筆頭は弾んだ声で。はい、と補佐はそれを窘めるように。返事をされたことに、また息を吐いて。代行はしっかりとふたりを見据え、静かな声で、あなたたちが欲しい、と言った。あなたたちの忠誠、真心。差し出して受け取って貰いたがっていた、それを。受け取りましょう。いま、この時から。
うん、と言って筆頭が笑う。心から、嬉しそうに。安堵したように。泣き出しそうな、顔で。
「ありがとう……」
これで、あなたを助けられる。二人が恭しく代行に頭を下げるのを、見て。言葉にならない予感に、ジェイドは息を苦しくした。シークも、なにか不安げな顔をして視線をさ迷わせている。さあ、すこし休まないと、と補佐に背を押され、部屋を連れ出されても、その苦しさは収まることがなく。
喪失の予感だったのだと。その時まで、知ることはなく。
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