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あなたが赤い糸:81



 一月に一度は、必ずお家に帰ってくること。一週間に一度は、お手紙をくれること。もっとたくさん帰ってきたり、お手紙をくれてもいい。あんまり魔術師さんにばっかり浮気して忘れちゃうようなら、刺繍と、紐にお札をくっつけたのと、しめいてはいをする。以上がミードが家族会議によって決定した、ジェイドの家出を食い止める為の策だった。

 ついてはその業務遵守の為、一月の行動計画表を『お屋敷』と城双方に提出し、魔術師と上層部にはつつがない履行の努力を求めることとする。なお、予定より帰宅が遅れる、手紙が届かない、など不測の事態が発生した場合、国内に点在する『お屋敷』の手の者が速やかに動くこととし、都度魔術師にも助力を要請する、とリディオがそこに書き加えた。

 つまり、帰って来なかったり手紙が届かなかったりすると、外部勤務者が捕縛と督促へ向かうように、ということだよ。忘れないようにね、と笑顔で釘を刺したのはラーヴェだった。多分全力で来られるよ、と付け加えられる。うかうかしていると、週に一度は街中で襲われかねない危険を前に、ジェイドは遠い目をして頷いた。

 外部勤務者には、リディオの味方が多い。『お屋敷』の『運営』と共に、絶対的な当主の味方であると誓った者たちは、そもそもが風当たりの強い存在だったジェイドに対して、遠慮と配慮と慈悲がない。ラーヴェよりもない。これ幸いと戦闘訓練に雪崩れ込まれたり、日々の鬱憤を晴らしに襲撃してくることは明白に過ぎた。

 言葉にならない胃の痛みで悶絶するジェイドに、ミードはぷっと頬を膨らませて忘れなければいいのっ、と怒ったが、問題はそこにありながらも、それではなかった。忘れないようにする為の方法はひとつで、簡単だった。『魔術師』としての意識に、切り替えきらなければいいだけである。片隅に『傍付き』としての意識を残しておけばいい。それだけで。

 それが、ひどく、難しい。息をし続けていく為に。前を向いて歩いていく為に。贖罪、ということに集中しきってしまう為に。その意識を残せば、喪失と向き合わざるを得なくなる。シュニーがいない、ということを突きつけられる。ウィッシュを腕に抱くたびに。『花嫁』を失ったことを突きつけられる。息ができないくらいのくるしさを。

 我が子をいとしく感じるたびに。かわいいね、と笑い声が響かないことがさびしくなる。耐えられないと思うほど。どうして、耐えられているのかと笑い出したくなるくらいに。三日間の休暇の最終日。城と『お屋敷』との間で幾度も書状が往復し、ジェイドの今後の動きが決められ、明日からまた砂漠国内を忙しく巡っていく、その前夜に。

 ジェイドは膝の上で眠ってしまったウィッシュを抱き寄せながら、そのあまいぬくもりと重みに、瞬きより長く目を閉じた。息を、すべて、吐き出して。もう一度吸い込むことに。ただ、苦心した。




 いち、に、さん、と日付を数えながら移動する。半月で辿り着けない場所には、いくつかの魔術を駆使して向かう。し、ご、と数えながら息をする。通りすがりに文具店で便箋を買って、『お屋敷』宛に手紙を出す。今いる場所の名前、天気、景色。人々の様子。殆ど同じ内容で、魔術師宛にもう一通。投函して先へ進む。時間を日々を数えながら。

 ろく、なな、はち、きゅう。辿り着いたオアシスの端。人々で溢れかえる診療所を横目に道を歩く。すれ違う人々は誰もが咳き込んでいた。空気はどこか淀んでいる。ひそひそと噂話が街に溢れかえっている。王は政をなさらないらしい、最近魔術師の姿を見なくなった気がする、どうもこれは流行り病らしい、薬が足りない、どこへ行っても。

 ゆるやかな気分の落ち込み、体調の低下は希釈された呪いに起因するもの。その呪いが病を呼び込んでいる。今や国中が病に侵されようとしていた。末端からゆるやかに息を止めていく。壊死はもう始まっている。それを、どこへ行っても思い知る。首都に到達すれば『お屋敷』は壊滅するだろう。その時こそ、砂漠の国の息の根が止まる。

 息を、する。呼吸を繰り返すことを不思議にさえ思いながら歩いて、大気を浮遊する魔力のひかりに目を細めて、そこへそっと手を伸ばす。過度に歪んだ魔力に触れる。傷ついた獣の、毛並みを整えるように手を動かす。己の魔力を溶け込ませながら、ゆっくり、ゆっくり、調整する。丹念に撫でた後から逆立ってゆく、その歪みを見つめ続ける。

 じゅう、じゅういち、じゅう、に。ふわん、とましろいひかりがジェイドの胸元から飛び出して、嵐の中からひとかけら、砂粒のような魔力をしっかと掴む。魔力は瞬く間にましろいひかりに溶け込んで、ふ、とジェイドは息を楽にした。じょうずにできたでしょうーっ、とばかりぺっかぺっかと瞬いて、ましろいひかりはふわふわ辺りを飛び回った。

 オアシスに、ゆるやかな風が吹きはじめる。淀んだ空気を入れ替えてしまうには、まだ弱く。けれどもすこし、人々の咳の苦しさが減る。じゅうさん、じゅうし。未だ混雑する診療所に顔を出して、王都から物品と人員が届いたことを確認する。報告書をかねて、手紙をひとつ。『お屋敷』にも、急いで、もうひとつ。日々を指折り数えて冷や汗をかく。

 慌しく街を駆け回る。じゅうご、ろく。朝と夜がくるくると、めまぐるしく回っていく。ねえ、今日は外で遊ぼうよ、競争。笑いあう子供たちとすれ違う。薬が届いた、ああ、これでよくなる。きっともう、大丈夫。落ち着いた、柔らかな声が都市の隅々にまで満ちていく。報告書と、手紙を書いて投函する。それを追い越すようにオアシスを飛び出した。

 王都へ向かいながら、点在する都市へ立ち寄っては、病院と診療所を巡って情報を記しながら進む。病人や怪我人の数、流行病の情報。市場に足を運んで、店主や仲買人に話を聞く。食物の流通や実り。農作物の育成状況。日々の天気。物価の上がり下がり。よく売れるもの出足が鈍っているもの。それを全て書き記して、また次の都市へ。

 瞬きと呼吸の繰り返し。その合間に時が過ぎていく。朝が来て昼が来て夜になる。星が瞬き月が輝き、恭しく陽が昇る。数えていた日数をどこかで見失ってしまいながら、情報をかき集めて帰路を急ぐ。追いかけてきた魔術師に資料を渡し、またいくつか受け渡されて、大丈夫、と言葉をかけられ、かけあいながら分かれて、先へ、先へ。

 手紙ちゃんと書いてるの、とすれ違いざまに魔術師が笑って走って行く。あの可愛い御当主さまの奥様が、またぷーってしちゃうよ。御当主さまのことも、あんまり怒らせたらだめだよ。書いてあげて。陸路より早く運んであげる。私の風で、俺の転移で、駆け戻る馬と一緒に。運んであげる、と次々に求められて、ジェイドは思わず苦笑した。

 いつの間に当主夫婦は、魔術師を篭絡してしまったのだか。ジェイドに会いに、あるいは一瞬だけ交錯して別れていく魔術師の誰もがそれを口にして、城から届く青年の書状にすら、同じ言葉が書かれるありさまだった。全く、誰を主だと思っているのやら。呆れ交じりに宿で呟くジェイドに、入れ違いで国の端へ向かうシークが、意味ありげに微笑した。

 王の所有物だ、と皆分かっているさ。そうかな。そうだよ、でも使われるなら上手に使われたいのが本当の気持ちだし、なにより、感情的にわがままを言われるっていうのは中々嬉しいことだからね。くすくす、と笑って言葉魔術師が目を細める。眩しい幸福を見つめるように。心のあるひとに利用されたいんだよ、どうせならね。それが『物』の願い。

 利用して、使って、あなたがしたいと思うように。気持ちを乗せて、感情を見せて。心を預けて、言葉を告げて。西へ東へ、北へ南へ。体力が擦り切れて吸い込む呼吸が血を滲ませて、なお。この国の為にこの人々の為に、走り続けろと、そう命令して。その通りに動いて見せる。だから、どうか。よく頑張ったなって言って。ありがとうって、言って。

 捧げる心に報いて欲しい、と。渇望する魔術師たちの想いに、『お屋敷』の当主と代行の青年は、無意識に応えてみせたのだろう。お願いだから、と懇願して。そうしなさい、と命令して。いっておいで、と背を押して。気をつけて、と心配して。おかえりなさい、と出迎えて。ありがとう、と感謝した。物の心が、そして傾く。

 王の所有物のまま。いつしか密かに、彼らを、『物』は主と呼んだ。さあ、どうか命令して、この国の為に。人々の為に。そうすればもう一度走って見せましょう。諦めかけた思いを、もう一度繋いで前を向きましょう。壊死した砂を治療しに行きましょう。わたしたちはあなたの吐息。わたしたちは、あなたの血液。この国の。そして、人々の。

 失った希望を取り戻した目をして、魔術師たちは笑いながら駆け回る。ジェイドがすれ違った幼子たちのように。さあ、行ってらっしゃい、またあとで。辿りついたら休みなさいな。大丈夫、ゆっくり、ゆっくり、焦らないでね。食い止めてるよ。頑張ってくれてる、その結果はちゃんとここにあるよ。一緒に頑張ろう。この国で、まだ、生きて行こう。

 この国を、まだ生かして行こう。強い光を宿す意思で、まっすぐに前を向いて。魔術師たちは国中に散らばり、城へと駆け戻っていく。その流れのひとつとして、ジェイドも城へ辿りついた。足を向けたのは代行の青年の元だった。書類の山と、ひっきりなしに出入りする人々。忙しさの中の談笑、笑い声に囲まれながら、代行がおや、と微笑する。

「おかえりなさい、ジェイド。……なにか?」

 このひとが。王ならばいいのに。喉まで出かかった言葉を飲み込み、ジェイドは首を横に振った。ただいま戻りました、と告げると代行の視線がジェイドの全身を確認し、怪我がないことを知って穏やかな安堵に気配が緩む。明日で一月になるから御当主がずっとそわそわしていたよ、と笑われて、ジェイドは体から力を抜いた。

 さあ、帰っておいで。今日から三日はまたお休み。背をぽん、と押されて見送られる。はい、と告げて戻った『お屋敷』で、待ち構えていたミードとリディオに腕を掴まれ、帰って来たかえってきたおかえりなさいお手紙があのねあのねと左右から同時に話しかけられ、ジェイドは思わず、ふたりを抱き寄せるように、その場に座り込んで。

 安堵か、幸福か、なにかの為に。すこし、声をあげて笑った。


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