あなたが赤い糸:61


 世界に夏至の日が訪れる。今年も無事に終わった、と胸を撫でおろしたのは星降の王宮魔術師たち。新たな同胞は遅れることなく『門』をくぐり、すでに夜の入学式に向けて適性検査を行い、体を休めている最中だという。知らせは速やかに各国を駆け巡り、華やかな歓声と共に歓迎された。事故なく事件なく、その旅路が終わったことを誰もが喜んだ。

 魔術師たちにとっては特別な日であるから、誰もが浮き立ち、思い出の中に心を飛ばして囁き合う。案内妖精と二人で旅した間の出来事、様々な失敗と喜び、新しい日々へ憧れたこと。『学園』での思い出。話題は尽きることなく、幸福な笑いと共に語られてゆく。押しつぶされ、すり減る毎日を過ごしていた砂漠でも、それは同じことだった。

 ふ、とすこし空気が緩む。立ち止まって、視線を交わして笑い合って、よかった、と言葉が零れて。一言、二言、そういえば、と己の旅路を懐かしむ声が零れていく。王の執務室の前の廊下でも、馬車の発着場でも、各国を繋ぐ『扉』の前でも。魔術師たちは厳戒態勢の緊張を緩めて、風に揺れる木々の梢のよう、涼しげな声でそれを語り合った。

 どんな子だろう。どういう風に旅をして、『学園』に迎えられただろう。案内妖精との仲は良かったのか、悪かったのか。親しくなれないままに旅を終える魔術師も少なくはない。魔術的な導きの相性はどうあれ、性格が寄り添えないことも、あるにはある。

 流星の夜が楽しみだね、と魔術師たちは声を揃えて口にした。案内妖精が新入生と共にある夜は、仲の良さが一目で分かるどうしようもない場である。一言も話さなかったけど、帰る時に頑張れよって言ってもらえた、と笑う魔術師があれば、なんかずっと一緒にご飯食べてた記憶しかない、と言う者もある。

 どんな風だろうね、と誰もが言った。どんな風に世界に迎えられ、どんな風に妖精に導かれ。どんな風に、魔術師の一員となっていくのか。素敵だね、嬉しいね、楽しみだね、と笑い合い。砂漠の王宮魔術師たちは、ふっと真顔になり、ところでその流星の夜だけどほんとに『学園』に顔出しできると思う、と言った。灰色のまなざしと声だった。

 五ヵ国のどの魔術師より多忙、とされるのが、現在の砂漠の王宮魔術師の待遇である。残念ながら、その激務は年を追うごと、日を重ねるごとに悪化しており、今の所改善の策もなければ兆候もない。王変えなよ、と妖精が推すくらいの惨状である。今の所その予定はない、と告げた魔術師たちに、妖精は沈痛な顔をして首を横に振った。

 砂漠の王の血を持つ後継ぎ、という存在について、いない訳ではない。認知された庶子は今日も堂々と妖精の丘に除草剤散布計画を魔術師たちに提出してきたし、他にも王の血に連なる縁者は何人もいる。いるのだがしかし、揃いも揃って次代の王となることを、正々堂々と、かつ裏から手を尽くしてでも拒否してくるような猛者揃いである。

 ハレムの管理ができる気がしない、女性が嫌いだから後継ぎをつくれる気がしない、国政という単語を聞くとじんましんが出て呼吸困難になる、それとなく帝王学を受けてる庶子が中枢にいるだろアレを説得してこい、などというのが方々から聞き取った拒否理由の一例であるが、理由のひとつに『お屋敷』もあった。

 あの魔窟を管理しきれる気がしない、との拒否理由を聞いて、ジェイドはさもありなんと頷いた。『お屋敷』は、砂漠の中枢機関にて影の独立機関である。内部にいても把握しきれない場所であるので、砂漠に住む者として、あれを御しきれないと思うのはごく当然のことだった。

 そういう理由で早期代替わりは絶望的な状態です、と告げた魔術師たちに、妖精はそんな冗談みたいな原因で国が亡ぶとか後世の笑いにしかならないから、ちょっとどうにかしなね、と言って飛び去った。以来、砂漠の国では妖精の姿は目撃されないままである。荷物は律義に運び込まれている。それだけが神秘の訪れを知る唯一だった。

 砂漠の空気はじわじわ濁り、滞るばかりである。それでも、この夏至の日に。魔術師たちが重荷を置いたように力を抜いて微笑めば、淡くきらめく魔力が王宮をゆるく、循環していく。清涼な風を一陣、部屋の中まで導くような気配。張り詰めたものが緩んでいく。魔術師も、人々も。王も。誰もが。

 昼過ぎに。たまには外の空気でも吸って気分転換しよう、と呼びに来た星降の王に、砂漠の王が頷いたのも、その為だったのかも知れなかった。明日の夜には帰すから、ちょっとゆっくりしておいで、と魔術師たちと、側近たちの肩を叩いた星降の王は、入学式にもついでだからと、友人を引っ張って連れて行く算段らしかった。

 人の口に戸は立てられず。五王の誰もが砂漠の窮状と、王の追い詰められた状態を知っていた。内政干渉になりかねないから、と普段は遠く見守っている王の助力に、魔術師は言葉にならない気持ちを持って受け止めた。よし休暇、とすばやく書類に判をついてばら撒いたのは、側近たる青年そのひとである。

 この隙に家に帰ったり遊んだり寝たりしなさい、仕事以外ならなにをしてもいいです明日の夜までは、と微笑んで告げた青年に、魔術師のひとりはこの隙にうっかり即位したりしても誰もあなたを責めませんがしてくれないんですか、と半泣きで零し、鋭利な膝蹴りで医務室に運び込まれていた。

 日に日に、王に対する不満が積もり、青年に対する期待がかさを増していく。国にも、人にも、目を向けず。寵妃に固執する王より、想いやってくれる者を、と願うのは自然な感情だった。でも、そうでない時期もあったでしょう、と青年は言う。きっと、御子が産まれれば。また、かつてのように戻ってくれる筈なのだと。

 苦痛を感じさえしているような声の、言葉を、青年自身とて、もう心からは信じられなくなっている。それを誰もが分かっている。産まれて、だめだったら。御子をささっと即位させて宰相として国を支えて健やかな成長を見守るのが最適解かも知れないんですがその可能性については考えたくありません、というのが青年の呻きである。

 王が寵妃に固執するように、青年は、己の父が王であり続けてくれることにこそ、固執している。その執着の理由を、ジェイドは知らない。知る日が来なければいい、とも思う。それが明かされる日が来るとすれば、いよいよ、王を見限らなければいけないのだ、と。誰かがそう思い。青年も、そう思ってしまった日だけだろう。

 まあ、星降の陛下が怒ったり叱ったり気分転換させてくれる筈なので、それに期待しましょう、と言って、青年は旧執務室からジェイドのことを追い出した。『お屋敷』に戻っていいですよ、という青年自身は、このまま部屋に留まるつもりであるらしい。

 言葉を尽くしても説得しきれない相手である、というのは、ここ一月でよくよく分かった相手である。なにかあったら呼んでください、と言い残し、扉を閉めた所で室内に全力で眠りの魔術を叩き込んだジェイドは、やりきった顔をして廊下を歩き出した。魔術の無断使用については、考えないこととした。

 事故のようなものである。もしくは、反射的な呼吸にすら等しい一動作だ。通りすがった魔術師がジェイドの凶行に気が付き、その立場を考えてか俺のせいにしていい、と言ってくれたのでありがたく罪を押し付けて、ジェイドはあくびをひとつした。部屋には抜かりなく、寝ています起こさないでください、と扉に紙を貼ってある。

 さて帰ろう、と歩くジェイドを、呼び止める声がひとつ。振り返ったジェイドは、そこに立つ者の姿を見て心から息を吐きだした。顔を知っている相手だった。お互いに。だからこそ、人間違いで呼び止めたのではないことが分かり。そして、用件も分かってしまった。

 夏至の日の、昼下がり。寵妃より、二度目の呼び出しである。




 ハレムの空気も華やかに緩んでいる。夏向きの涼しげな恰好をした少女たちが、はしゃいだ声をあげながら廊下を小走りに行く。足音と笑い声。窘める女の声も、穏やかな安堵に緩んでいる。訪れるたびに感じていた閉塞的な空気は今はなく、王の不在をまざまざと感じさせた。

 連行されたに等しい気持ちで訪れた寵妃の部屋は、拉致された時に放り込まれた場所とは違っていた。王の現執務室の、廊下の先。女に与えられた一室である。そうであるから当然、室内には他の女たちの姿もあった。ふたりきりではないことに、安堵すればいいのか、不安がればいいのか、中々に判断しにくい状況だった。

 ハレムに立ち入る許可を得ているとは言えど、それはあくまで王がそこにいるからだ。不在の間に女たちに会いに来て良い、という許可ではない。ジェイドが部屋に入ったと同時、さわさわと揺れていた空気はしんと静まり返ってしまった。いくつもの視線がジェイドへ向き、また、長椅子の上で動かないでいる寵妃へと向けられた。

 寵妃はジェイドに、すがるような目を向けて唇を震わせていた。言葉を。なにか。なにか、と追い詰められて、混乱しているのが誰の目にも明らかな表情だった。ああ、とジェイドはちいさく息を吐く。やはり、来るべきではなかったのだ。用件が明らかであり、ジェイドがそれを告げたいと、重い秘密を抱えていたくはないと思ってしまったにせよ。

 人の目と耳が、部屋にはあまりに多すぎた。

「……早ければ、明日の夜。遅ければ、明後日の朝まで訪れませんもので、ご挨拶をしに参りました」

 ごきげんよう、王のうつくしい方々、と微笑んで、ジェイドはゆっくりと一礼した。戸惑っていた空気が、それでようやく、すこし緩む。なにか疑問を口にされる前に、ジェイドは続けてなにかありましたら警備の者をすぐ呼ぶように告げ、王の不在理由となる、夏至の日と魔術師についての関わりを話し出す。

 特別な日であること。入学式は夜に行われること。一月後には魔術師と、王たちも訪れる夜会があること。案内妖精のこと。『花嫁』に語り掛けるような柔らかな声を心がけて囁けば、女たちの警戒が瞬く間に緩み、好奇心と未知への淡い憧れで満ちていくのを感じ取る。

 向けられる他愛ない、いくつかの質問に微笑んで答えながら、ジェイドは寵妃に目を向けた。刹那、重なった視線に、ジェイドはゆっくりと横に振る。話せる言葉はなにもない。恐らく、告げられる機会を、共に逃してしまった。そしてそれは、もう巡ることはない。なにかに書いて伝えることもできない。物を残すことになる。

 大きく膨らんだ腹を、寵妃は重たそうに、それでも、大切そうに手をあて抱いていた。ならば、やはり、ジェイドが告げることはもうできないのだ。すこしでも、想いがそこにあるのなら。この国の為に。王の為に。告げることはできない。かつて、その腹を抱えて砂漠を超えた女であるから。告げれば、同じことになるだろう。

 あなたの息子は今も生きていて、『お屋敷』で幸せであるのだと。その秘密を一生、胸の中でつぶして生きていく。それでは、と場を辞す言葉で幕を下ろし、ジェイドは寵妃に微笑みかけた。どうぞ、と零れたのは『花嫁』に対する祈りの言葉だった。どうぞ、お健やかに。

 背を向けたジェイドに。返る言葉は、なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る