あなたが赤い糸:48



 結婚式を『お屋敷』で行えないことについて、シュニーはごくあっさりとした態度で、しょうがないねと頷いた。新郎新婦が『花嫁』であり、『傍付き』であることから、薄々は察していたらしい。それよりシュニーが安堵したのは、ミードが無邪気にはしゃいでお祝いをしたい、と言っていることだった。

 ずっとね、ちょっとだけね、申し訳なかったの、とシュニーはジェイドの耳元で囁いた。ミードはずっと、シュニーがどんな理由で『旅行』に行くのかを知らなかった。それは己と同じ『花嫁』としての義務だと思い、回数がずっと多いことも、刺繍の花を増やしていくことも、特別だとは思っていてもその先を考えることはなかった。

 嫁いでいくからこそ、『花嫁』は様々なものを飲み込んで生きる。そうしなければいけなかったミードに、話せることではなかったのだ、とシュニーは言う。それは明かされないままで終わる筈の秘密だった。それを、当主の妻となったからこそ、ミードは知り。その上で、しゆーちゃんよかったねぇうれしいねえ、と満面の笑みで祝福した。

 ずっと、裏切ってしまっている、という気持ちがあったのだという。それに、ミードはそんなことないよ、と示してくれた。おともだち、と言ってくれた。だからもう十分で、嬉しくて、ほっとして、よかったって思うの。でもジェイドが『お屋敷』でしたかったならしょんぼりするね、とシュニーは気遣わしげに眉を寄せた。

 しかし考えてみれば、そうと思い込んでいただけであって、別にジェイドは『お屋敷』に祝い事を持ち込みたい訳ではない。一時のような扱いはされなくなって久しいが、された事実がなくなる訳ではないし、降り積もった淀みが消えてしまう訳ではないのだ。逆によかったかも知れない、と気がついてからは、ジェイドも気持ちが楽になった。

 卒業の日が確定し、結婚式の時期が決まってからは、慌しくもゆっくりと過ごした日々だった。当日の警備や準備は砂漠の王と当主の間で綿密な打ち合わせをされたのち、決定報告書、という形でジェイドの元へ降りてきた。『花嫁』と『傍付き』は『お屋敷』のものであり、王宮魔術師は王のものである。扱いに不満はなかった。

 ジェイドが改めて砂漠の歴史や法律などを学ぶ傍らで、シュニーは着々と式の準備を進めていった。よかったですねえええと泣き崩れる世話役たちにせっせと採寸され、試着と調整を繰り返し、一通ずつ招待状を書いてはジェイドの親しい者の名と、彼らにまつわる話を聞きたがった。

 結婚を控えて感情が不安定になる、というのはシュニーには無縁のことで、ジェイドにも理解しにくいことだった。当日まで絶対に体調を崩さないように、と気合をよりいっそう入れた世話役たちのおかげで、ジェイドがいつ訪れてもシュニーはぴかぴかしていたし、それを見るだけでも幸せな気持ちでいっぱいになれた為だ。

 唯一困ったことと言えば、シュニーがジェイドを誘惑してくることだけだった。結婚まで、式が終わるまで待ってと言い聞かせても、ちょっとだけちゅうだけちゅうだけねえねえちゅってしてねえねえ、と強請られれば、ジェイドがそれを拒否できる筈もない。

 三回に一回は負けて口づけをすれば、幸せそうにとろける笑顔でよいしょ、と服に手をかけるシュニーに、ジェイドは手段を問わず世話役たちに助けを求めてまで止めた。顛末を聞いたラーヴェが爆笑して呼吸困難になりかけた時は、今後の友情を含めて様々考えたものだが、ミードがそっとシュニーに、なにか耳打ちしてくれたらしい。

 お式がおわったら、おわったらっ、とそわそわしながらも我慢してくれるようになったので、ジェイドは浮かれた気持ちと胃痛を等分にしながら、恥ずかしがる気持ちを抑え込んで、先達に教えを希った。『花嫁』の体は脆くて弱い。どうすれば傷つけないでいるかを考えてこなすのは、『傍付き』としても、最優先事項のひとつだった。

 とは言っても今更ジェイドに閨教育を施す訳には行かず、その時間もない。どうしたものかと首を傾げた当主にそっと口添えしたのは、隣室で話を聞いていた『水鏡』のひとりだった。もちろん、わたくしが直に教えて差し上げることはできませんが、と告げる少女は、ミードや前当主の少女の面影を宿しつつ、落ち着いた声で囁いた。

 それからジェイドは、暇を見つけては少年の元へ通って、『水鏡』に口頭で教えを乞うことになった。当然のことながら不思議がるシュニーに、まさか理由を告げられる訳もない。浮気じゃないからっ、シュニーの為だからシュニーひとすじだからと言い聞かせ、ジェイドはせっせと座学に励んだ。今までで一番つらい授業だった。

 話を聞きつけたらしいラーヴェが爆笑を堪えつつも同情的な視線を向けてきたので、もうこの際だから手段は問わない教えてくださいと拝み倒す。ラーヴェは困った顔をしながら、求められるままにあれこれと助言をくれた。理性的であれ、暴走するなら欲望は殺せ。『花嫁』を気持ちよくすることだけを考えておく。

 最終的にそのふたつだけ覚えておけば間違いないよと告げられて、ジェイドは無言で頭を抱えた。後者はともかく、前者にはあまり自信がない。なにせ三回に一回の確率で負けているので。どうすればいいんだよ、と呻くジェイドに、ラーヴェは笑顔でさらりと告げた。

 それが原因で『花嫁』が枯れることを考えればいくらでも耐えられる。うんそうだなっ、とジェイドはぎりぎりと胃を痛くしながら即答した。結局はそこである。それが全てだった。欲望に負けて手酷くすることがあれば、それだけで、『花嫁』は傷つくだろう。その傷が命の灯火を消してしまうくらい、弱く脆いことを知っている。

 だから本当なら、『花嫁』が自らこどもを望むことは稀である。『花嫁』は自分の弱さを知っているし、その行為がもたらす負荷がどれくらいのものであるのかを、教育として植え付けられる。加えて通常であれば、月の障りは投薬によってほぼ完全に制御されている。意図しない妊娠、というのはあり得ないことだ。

 シュニーさまもジェイドと同じように教育を完全な形では受けていないから、そのあたりの拒否感がないんだろう、と苦笑されて、ジェイドは思わずラーヴェを凝視した。いやミードさまはどうなって、と問えば、『傍付き』はさっと視線を逸らして沈黙した。

 もちろん『花嫁』に対する投薬の管理も、月の障りの周期を把握することも、『傍付き』の仕事のひとつである。ラーヴェがそれを認識していないことはありえなかった。しかし、男がミードと共に部屋に引きこもったのは、実に一か月以上にも及ぶ。

 その長さの意味を理解して、ジェイドは温かく優しくぬるい笑みを浮かべた。まあ、経験をもとに助言をくれたのだから、役に立つ筈である。なんの経験とは問わないが。最近の調子を問えば、ラーヴェはややほっとした様子で元気であることを教えてくれた。相変わらずおとこのこだと言い張って、名前を決めようと毎日悩んでいるらしい。

 名付けにも性別にも興味がないらしい当主の少年は、ミードのこどもが無事に生まれ、育ってくれることを願っているらしい。できれば強く育てて欲しい、と『傍付き』に命が下ったのだという。恐らく身体的には強く生まれてこないだろうし、確実に『花嫁』か『花婿』と呼ばれるだろうから。

 心を。強靭に、しなやかに、育てて欲しい。その時を待つから、と少年は微笑したのだという。次期当主として誰かが、少年の抱え込んだ重荷を奪いに来てくれるその日を、その時を。ずっとずっと、待っているから。元気で産もうな、ミードも枯れないように準備しような、と少年はせっせと父親役らしく、環境を整えて回っている。

 当主夫婦は結婚式に顔を出す予定でいるから、ラーヴェが傍にいる分、ジェイドは少年の体調の方が心配だった。休んでおられますか、と幾度も口にして窘めるジェイドに、少年は都度、微笑して言葉を重ねなかった。自分を労わることすら嫌なのだ、と気がついてからは言わず、そうすると逆にほっとしたようで、少年はすこし休むようになった。

 日々は滑るように過ぎていく。式は結局、砂漠の王宮の一室を借りて執り行われた。王宮魔術師と、僅かな『お屋敷』の者たちが見守る中、ジェイドとシュニーは王に祝福され夫婦となった。満面の笑みではしゃぐシュニーを抱き上げて。まだそうすることもできなかった昔の己に、ようやく報えた気持ちで、ジェイドは花嫁に口づけた。

 多少の混乱と騒ぎはあれど、なんとか無事に初夜を終えてぽやぽやするジェイドが、それを見かけたのは偶然だった。眠るシュニーを抱き寄せながら、窓から中庭を見下ろしていた夜のこと。暗闇の庭園を、前当主の少女がゆったりと歩いていた。時折、踊るようにくるりと回る少女は、華憐な花のようだった。




 少女が眠るように枯れたのは、それから数日もしない、穏やかな真昼のことだった。


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