あなたが赤い糸:47
駄目って言ってる訳じゃないけど、と口ごもったのは当主たる少年その人だった。ふかふかのソファに身を沈め、かつて少女がそうさせていたように、側近たる女を背後に従えながら、困った顔で首を傾げる。
「外部から人を呼ぶのも、『お屋敷』で式を開いて祝うというのも、ちょっと……」
「しゆーちゃん。結婚できないの? なんで?」
「できるよ。式を開くのをね、どうしようって話だよ、ミード。知らない人たくさん来たら困るだろ」
こてん、と首を傾げぱちくり瞬きをするミードに、少年は穏やかな口調で囁きかけた。しらないひと、とミードは無垢な口調で繰り返す。やがて、意味をはっきりと理解したのだろう。ぴっ、と声をあげて震え上がった花嫁は、座椅子代わりにしている『傍付き』に、あわあわと急いでひっついた。
「しらないひと……!」
「うん。知らない人、こわいね、ミード。人見知りしちゃうもんね」
「ひ、ひとみしり、なおった……。なおったもの……」
でも、しらないひとたくさんは、いや。だめ。ぷっと頬を膨らませて主張するミードに、さもありなんとばかり当主の少年は頷いた。『花嫁』『花婿』は程度の差あれど、人見知りの傾向がある。長じて矯正されていくものではあるが、見知らぬ者に多く会わねばならない、というのは、それだけで心身の負担になる。
身元確認も警備も大変だし時間がかかるし、なにより『お屋敷』の中で公にできないのはもう分かっているよね、と困ったように当主から問いかけられ、ジェイドは悄然と頷いた。もう一人の当事者であるシュニーは、ジェイドの腕の中でぷすぷすぴすすと愛らしい寝息を響かせている最中で、会話に参加する予定はないままだった。
ようやくシュニーに課せられた『旅行』が終わった。張り切って帰ってきたシュニーは、しゅにじぇいどとけっこんするっ、と興奮でふわふわしきった声で主張し、出迎えた当主はあっさりとうんいいよ、と頷いたのだが。問題は場を移し、今後のことを相談する場で起きた。
結婚式、と繰り返して呟き、少年は困りきった顔でジェイドを見た。
「陛下に……ご相談申し上げるから、城の一室でそーっと、なら、なんとか……」
「ないしょの結婚式なの?」
「うん。ひみつの結婚式かな」
ないしょないしょ、ひみつひみつ、と囁きあってきゃっきゃ笑いあう当主夫婦だけ見ていると、心が穏やかで平和な気持ちにもなれるのだが。実質ふたりは夫婦というよりは共謀者であるし、それ以前に『花嫁』『花婿』を一緒にしておくと碌なことにならないし、褒められるようなことをしない、というのは実証済みである。
主犯ふたりはひとしきりはしゃぎあった後、はっ、と我に返った顔をして。それぞれ真面目な顔を作ると、こく、こくっ、とジェイドに向かって頷いた。
「おめでとう、ジェイド。でも、ちょっと待ってね。色々準備するから。……それと、『お屋敷』では、できないと思う。それだけ、ごめんな」
「ジェイドくん、しゆーちゃん、よかったね! みぃ、『花嫁』の結婚式を見るのはじめて! ねえねえ、なにをするの? お祝いするんでしょ? しらないひとがくるの? なんで?」
「……あとでラーヴェが教えてくれるよ。きっと」
結婚式で具体的になにをするのか、ということは、あらゆる一般勉強中の、少年の知識の追いついていない所である。少年が問題視したのは、あくまで『傍付き』が『花嫁』を娶ることを『お屋敷』で公にできない、という点のみであり、式典そのものを開くことではなかった。
現に翌週の予定として、幼少よりお針子として勤め上げた女性と『花嫁』の輿持ちの結婚式が、『お屋敷』の一角で執り行われる予定となっている。回数こそ多いものではないが、珍しいことではない。幸せそうな新郎新婦の姿を見て将来を夢想する『花嫁』『花婿』は多く、それをきっかけに、嫁ぐことに前向きになる者もいる。
最後まで徹底的にラーヴェじゃなきゃいや、ラーヴェのそばにいるっ、と口に出してまで主張してぎゃん泣きして抵抗して抵抗して、ついに本懐を遂げたミードが、例外中の例外であるだけで。宝石たちは皆、例外なく恋をし、『傍付き』に執着せども、彼らが示す嫁ぎ先の幸福にも、希望を持ちあれこれ想像をめぐらせる。
結婚式なのにどうしてしらないひとがくるの、ねえねえなんで、とくちびるを尖らせて不安がるミードに、ラーヴェは言葉に困った様子で苦笑していた。『お屋敷』で行うのは身内の式であるから、祝いに来るのも当然同僚たちである。つまり、ほぼ確実に顔見知りとなる。
外部から招かれるのは出入りの商人や技術者、すくなくとも関係者であるから、見覚えが薄くとも知っているひと、であり。まったく知らないひとが祝いに来る、という状況を、ミードは理解できていないらしかった。ラーヴェに視線で求められて、ジェイドはすぴすぴ眠るシュニーを抱きなおしながら、ミードの名をやんわりと呼びかけた。
「ミードさま。ミードさまは、シュニーのお友達ですよね?」
「おともだち。……おともだち?」
はじめて聞いた言葉です、とばかり目をぱちくりさせて、ミードは『傍付き』に判断を委ねた。仲が良いですよね、と言い直すジェイドに頷きながら、ラーヴェは『花嫁』に、お友達でもいいんだよ、と告げる。同胞であり、仲間である意識の強さが、どうしても友、という言葉を当てはめさせてはくれないらしい。
かすかな違和感を持ちながらも。ラーヴェがいうならきっとそう、ただしい、とばかり満足げにふんぞり返り、ミードはふふんっと鼻を鳴らして言い切った。
「みぃ、しゅにーちゃんの、おともだち! えへん!」
「はい。それでね、ミードさま。ミードさまにお友達がいるのと同じで、俺にも『学園』にお友達がいるんですよ」
「そうなのっ? ジェイドくん、おともだちいるのっ……?」
目をきらきら輝かせて、すごいねぇおともだちいるのすごいねぇっ、とはしゃがれて、ジェイドはこみあげてくるこそばゆい笑いをかみ殺した。嫌味ではなく、純粋な賞賛だと分かるからこそ、くすぐったい。へえ、と少年からも感心した目が向けられるが、その背後で、側近の女性は口元に手を押しあて、爆笑を殺そうと努力していた。
当主の側近はもしや笑い上戸が多いのでは、という不穏な疑問のしらんだ目で女性を眺め、ジェイドは気を取り直して、『花嫁』に優しく頷いた。ただし笑いをかみ殺そうとして失敗して咽たラーヴェには、後でちょっと話がある。
「……そうなんです。それでね、俺のお友達も、俺の結婚を祝いたいと言ってくれているんです。式に来てもらうことになります。ここまではいいですね?」
「うん!」
もちろん、とうぜんっ、とばかり胸を張って自慢げにするミードに、ジェイドは微笑ましく頷いて言った。
「だから、ミードさまには、会ったことのない、しらないひと、が来ることになります。俺のお友達です」
「……んんん? んと、んと……その、ジェイドくんのおともだちはぁ、しゆーちゃんには、会ったことあるの? しゆーちゃんの、知ってるひと?」
「いいえ。シュニーも会ったことはありません。式で、はじめて顔を合わせることになります。……なにか?」
ミードはいまひとつ不安げな顔で首を傾げては、もの言いたげにもじもじと指をこすり合わせている。シュニーにはあらかじめ、『学園』の魔術師のたまごたちや、砂漠の王宮魔術師、ジェイドの担当教員などが顔を出すことは知らせて了解を得ている。
ミードほど人見知りのない『花嫁』は、まかせてっ、と言って気合たっぷりにこぶしを握っていた。絶好の機会だから、ジェイドはシュニーのだってみせつけてみせびらかして自慢しなくっちゃ、ということであるらしい。そういう意味で、シュニーは来賓をとても楽しみにしているのだが。
この反応の差はなんだろう、と不思議に思うジェイドに、ミードはもじもじしながら問いかけた。
「しゆーちゃんを知らないのに、お祝いに来てくれるの? しゆーちゃんが『花嫁』だから……?」
砂漠の民であるならば。その言葉ひとつで、理由に事足りる。宝石たちは砂漠の恵みであり、希望だからだ。彼らは十分に己の価値を理解していて、それは賞賛されるべきことだと思っているし、祝われてしかるべきことだとも思っている。それは間違いではない。そういう風に思っていても、いいだろう。
しかしジェイドは苦笑して、いいえ、と静かに否定した。
「俺のお嫁さんになるから、です。……ミードさまは、シュニーが幸せだと、よかったな、と思ってくださいますか?」
「うん! しゆーちゃん、ずっとジェイドくんと一緒! しあわせね。よかったね。みぃも嬉しい!」
「ありがとうございます。あのね、俺のお友達も一緒なんですよ。俺が幸せだと嬉しいと思ってくれていて、だから、シュニーにもよかったねって言いに来てくれるんです。……わかりました?」
ようやく納得した顔をして、ミードはこくりと頷いた。疑問を口に出さずともじっと聞いていた少年も、ほっと胸を撫で下ろした表情で口元を和ませている。少年は恐らく、分からなくてもジェイドがしたいと言うならいいよ、という気持ちであったのだろう。そっか、と嬉しそうな呟きが零れる。
まあ当日の警備については『お屋敷』からみっちり指示が出るだろうから安心していいよ、とラーヴェが告げるのに頷いて、ジェイドは眠る己の『花嫁』を抱き、立ち上がった。長旅を終えたシュニーは、安心しきった表情で眠り込み、すべてをジェイドの腕に委ねている。深い眠りは、会話の間一度も乱れることはなかった。
明日からは、もうずっと一緒だ。ジェイドが砂漠の王宮魔術師になることが決まれば、『お屋敷』に居室を構えて通勤していい、という許可はすでに王に得てあった。必要なのは、あとはジェイドがいつから王の魔術師になるかという決定だけだ。それが終わればようやく、式の準備も進められるだろう。
眠らせてきますので、またなにかあったら呼んでくださいと言い残し、ジェイドは当主夫婦の面会室を後にした。扉が閉まる寸前、ミードの、あっ、という声が背に届く。あっジェイドくんとしごむぐぐっ、という口を塞がれたであろうミードの声は、聞こえなかったことにした。
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