あなたが赤い糸:23



 気に入らない相手が次々に頭を抱えてうずくまって行くというのは、中々に気持ちのいい光景である。機嫌がよくならざるを得ない。正直にとても楽しい。時間を増すごとに数が増えていくのだから、それはもう、大変素敵な気分でいっぱいだった。

 内心を隠すことなくにこにこ笑うジェイドと、刻一刻と増えて行く生ける屍たちは異様に過ぎた。王宮から飛んできた魔術師の男は全力で引いた声でうわぁと呟き、関わり合いになりたくない、という顔をして部屋の壁にひっついた。

「どういう状況……? ジェイドがなんかやらかしたから、王宮に保護者呼び出しかかったくらいしか知らないんだけど……あんまり説明聞きたくないから引き取って帰るだけでいいかな……だめ?」

 小首を傾げて問う男に、駄目に決まってんだろうがそこを動くな、とばかり室内の空気が悪化した。反比例してさらに機嫌よく目を細め、ジェイドは迎えの男、砂漠の魔術師筆頭、その補佐たる存在へ幸せいっぱいに告げた。

「婚約しました」

「えええぇえおめでとう……? えっ問題ってそれ……? あ、そうだよね、ジェイドまだ十歳だから早いのか」

 ジェイドはほんとにおませさんだよな、と関心したように頷く魔術師に、ジェイドは嫌そうな顔でくちびるを尖らせた。珍しく年相応の幼い表情に、魔術師からは和んだ視線を向けられる。そうするとまずは陛下に報告して色々相談しないとね、魔術師は勝手に結婚できないからね、と言ってジェイドを連れ、退出しようとする男の肩に。

 食い込むように手が乗せられた。

「ちょっと待って頂けますか事情説明がまだです」

「……先にひとつだけ言っておくと」

 ため息をついて、穏やかに手を退けさせて。男は柔らかな仕草で己の背にジェイドを押し込んで庇い、居並ぶ『お屋敷』の者たちへ微笑んだ。

「俺たち魔術師は例外なく、王の持ち物だから。陛下の許可なく……まあ、分かりやすく言おうか? ジェイドには禁止されてるけど、俺には抵抗が許されている。そもそも、ジェイドに抵抗が禁止されていることが、陛下からの慈悲だと思えよ」

「……ラッセルさん」

「ラッセルでいいよ。俺たち同じ魔術師だろ、ジェイド」

 大丈夫、と言葉にしても告げて。砂漠の血を感じさせる煮詰めた蜜色の肌に、薄茶の髪、晴れた空色の瞳をした男は、敵愾心もあらわに『お屋敷』の者たちを睨み付けた。

「平日も休日も祝日も長期休暇も関係なく、毎日毎日ジェイド呼び出して酷使した挙句に問題起こしたから話し合いの為に責任者よこせ? はぁ? こんにちは俺が責任者ですけど! うちの子どう見ても寝不足と過労でいっぱいいっぱいなんで安全確保のために連れ帰らせて頂きます! 話し合いは陛下を通して書面でお願いしますばーかばーか!」

「一応、行き来は自分の意思でしていることです、と言わせてください。ラッセル」

「『花嫁』がいるから? 理由にならない」

 きっぱりとした口調で言い切った魔術師に、ジェイドは思わず目を瞬かせた。『花嫁』と『傍付き』の関係については、すこし踏み込んだ所まで分かってると思うけど、と男は言った。お前はまだ未成年で、なにより目覚めてまだ数年の魔術師のたまご。守護すべきは己の心身であり、庇護される側だというのを心得なければいけないよ。

 分かったね、と言われて、ジェイドは頷くことも忘れて砂漠の魔術師筆頭補佐を、大人の男をぽかんとして見つめてしまった。シュニーの前に連れて行かれた彼の日から、ジェイドにそんなことを言う大人はひとりとしていなかった。未熟な一人前、としか扱われなかった。成長することだけを望まれているのだと、そう。

 守られていい、だなんて。誰も教えてくれなかった。

「俺が……シュニーの『傍付き』でも?」

「もちろん。……あのね、頼っていいよ。頼って、甘えて、相談して欲しい。俺たちを信頼してもらう所からかな、とも思うけど……。ジェイドがね、頑張ってたのは皆知ってるよ。魔術師なら誰でも知ってる。毎日どんなに頑張ってるか、半年も、一年も……入学してからずっと、ずっと、どれだけ頑張ってたか」

 すとん、と膝を折って魔術師はしゃがみこんだ。上から覗き込むのではなく、同じ視線の高さで。仲間として、魔術師として、対等だと告げるように。ごめんな、と静かに言った。

「早く言ってやればよかった。頑張ってるの知ってるって。無理すんじゃないよ、って。……そうしなければいけない理由があるのも分かってるから、やめなって止めてる訳じゃなくてね。応援してるよ、ひとりじゃないよ、なにかあったら……愚痴でも相談でも、自慢でも惚気でもさ、誰だって話聞くよって、ちゃんと言ってやればよかったな」

「……俺に?」

「そう、お前に。ジェイドに、だよ。……見守ってたつもりになってた。伝えてなかった。放置と一緒だよな、ごめん。改めて言わせてね。俺たち皆、魔術師はジェイドの味方だよ。もちろん、陛下もね」

 さあとりあえず行こうか、と立ち上がりながら促す男は、『お屋敷』の者たちから向けられる言葉をことごとく聞き流していた。あーはいはい事情説明ね分かった聞く聞くまた後日陛下が書面上で、と適当に返事をしながら、男の視線がいつの間にか閉められた扉を見据えた。

「もう一回だけ言うよ」

 す、と指先が扉を指し示す。そこから魔力が零れ落ちるのが、ジェイドには見えた。

「俺には抵抗が許可されてる、そっちの言い分は後日陛下が書面で確認する、俺はジェイドを迎えに来た。退け」

 どうするか決めかねているのだろう。視線を交し合って押し黙る者たちの対処を完全に任せながら、ジェイドはくい、と魔術師のローブを引っ張った。

「あの、明日からシュニーに会えないとなると、俺がすごく困るんですが」

「えっそうなの……? えぇ、うーん……どうしても我慢できない系?」

 ジェイドは素直に頷いた。半日なら離れていられるが、一日となるとシュニーが寂しがる。そっか、と眉を寄せて魔術師が呻く。

「そうは言ってもなぁ……陛下もちょっと思う所おありな感じだったから、明日からちょっと忙しいよ、多分。……よし、じゃ、連れてこっか!」

「はい?」

「えっと、シュニーちゃん? 一緒にお城行けばよくない? 部屋はあるし」

 シュニーがジェイドと一緒に散歩をしているのを目撃された時と同じか、それ以上の悪夢を目の当たりにした悲鳴が、次々とあがっていく。その内の一人が顔色も悪く、なにかを叫ぼうとした時だった。声がかかる。柔らかな声。薄くつくられた花弁のような。

「それは、どうか許してね」

 いつの間にか、扉が開かれている。戸口に手をついて立っていたのは、ひとりの少女だった。足の付け根まで伸ばされた金色の髪と、それとはすこし色合いの違う蜂蜜のような瞳。どこか幼い雰囲気のある顔立ちは、見知ったとある『花嫁』の面影があった。

 少女は息を飲んで跪く『お屋敷』の者たちをのんびりと見回した後、背に控えていた青年へ、やさしい声で囁いた。

「名前と顔は、わかる? おぼえておいてね」

「はい」

「あなたたちには、あとで私からも、はなしがあります。……お客さま、魔術師の方。お名前は?」

 ゆっくりと、少女はどこか物慣れない様子で歩んでくる。跪くのではなく、手を貸そうと足を踏み出しかけるジェイドに、少女は笑って首を振った。大丈夫よ、ありがとう、と囁き。少女は名乗った魔術師の前で立ち止まり、ゆっくりと、うつくしい仕草で頭を下げた。

「このたびは、私の屋敷の者がお騒がせ致しまして、申し訳ありません。今代当主を務めております、シルフィールと申します。ジェイドくんは、何回か会ったことがあるけれど……覚えている?」

 はい、と頷くと嬉しそうに笑いかけられる。その面差しはやはり、ミードに似ていた。当主の血を継ぐ『花嫁』に。

「さわがせて、ごめんね。あのね、シュニーのことだけど、明日からも、今までと同じように、会いに来てくれて、大丈夫なように、しておきます。お約束します。だからね……連れて行くのは、どうか、許してね。お願いします」

 ジェイドと魔術師を、交互に見つめながら。二人ともに語りかける言葉だった。眉を寄せる困った顔つきは愛らしく、抗いがたい魅力に満ちている。逆らいたくない、と思ってしまう。困らせたくないし、悲しませたくない。呼吸を求める本能のように。その愛らしさの前に、従いたい、と思わせる。

 魔術師はまるで操られるように。ジェイドも、反抗を覚えることなく素直に頷いた。ありがとう、と少女は幸福を散りばめるように微笑んだ。ミードの母であることを知っていて、なおいとけなく。あどけない少女そのもののようなひとだった。純粋で、無垢で、あどけない。

 その様はどこか、琥珀に閉じ込められた気泡や、花弁を思わせる。

「それじゃあ、ジェイドくんは、今日はもう行きなさい。事情はね、おおまかには聞いたから、私も知っています。……その上で、私は当主として、あなたといくつかおはなし、しなければいけないし、陛下とも、魔術師の方とも、ご相談と、理解を求めていかなければいけない、ことが、あるけれど……また、あとで、ね」

「……シュニーを、連れて行ってはいけない理由は?」

 頷いて、今度こそ魔術師と共に部屋を出ようとしながら、ジェイドはそれを問いかけた。聞かれるとは思っていなかったのだろう。少女は目をまあるくしてジェイドを見つめ、やがてくすくすと笑いながら、悪戯っぽく囁いた。

「あのね、『花嫁』はとても体が弱いでしょう?」

「はい」

「風邪をひいちゃうわ。お熱がでるかも。だからね……連れて行っては、だめよ」

 やくそくしてね、と。幼子が一心にそうするように、真剣な顔で小指を立てた握りこぶしを差し出される。お願い、と囁き求められて、ジェイドは指を絡めてやった。二三度揺すってから、絡んだ指を解いて離す。少女は手を胸元へ引き寄せ、大切なものを抱くように目を伏せて、微笑み。

 ありがとう、と言って、ジェイドたちを見送った。



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