あなたが赤い糸:22


 祝福の鐘の音が鳴っている。『お屋敷』の大鐘楼、王城のそれも、首都にある時刻を知らせる鐘も、輪唱のように喜びを歌いあっている。『花嫁』か、『花婿』が嫁いで行くのだ。『お屋敷』の空気もどこか華やかで、おめでとう、という言葉が風に流れて聞こえてくる。なぜか眩しい気がして、ジェイドは幾度か瞬きをした。

 祝う気持ちはある。送り出した『傍付き』に言祝ぎを告げるのはやぶさかではないが、今そこへ足を運ぶのはためらわれた。いくら努力しようとも変わらず、『傍付き』たちがジェイドに向ける瞳に仲間意識はないままだ。それは単に育ちが違う、というだけではないことに、ジェイドは気がつき始めていた。

 恐らく、根幹が違う。存在としての形を成す、なにかが決定的に異なっている。ジェイドは『傍付き』の中の異質そのものだ。それは只人が魔術師に向ける忌避と、とてもよく似ていた。ジェイドが魔術師になったからこその感情ではない。

 元からジェイドは、白鳥の群れに混じったアヒルの子だった。そこに魔術師という要素が足されても、元から種族そのものが違う。彼らが向ける感情は、そういう種類の否定であり。時に哀れみと、うっすらとした羨望の入り混じるものだった。

 それを理解していながら親しく話しかけてくるのは、ラーヴェひとりきりである。懐が深いのか雑なのか、他の思惑があるのかは意見の分かれる所だった。先日、別れ際に問われた言葉を思い出しながら、複雑な感情を振り切るように廊下を歩き出す。

 一月の半ば。与えられた長期休暇の終わりが、もう見え始めていた。もう数日したら、『学園』に戻る用意を始めなければいけないだろう。慌しい日々が再び始まるが、そんなことよりも、シュニーの傍にいられる時間が減ることが辛かった。

 いつか離れ離れになるのだとしても。許される時間の少なさに、息が苦しい気持ちになる。

「……シュニー」

 辿り着いた部屋で声をかけるのにすこしためらったのは、少女が寝台の上で両手を組み合わせ、一心になにかを祈っていたからだった。すぐに顔をあげ、とろける笑みでジェイドの名を呼ぶ少女の下へ歩み寄る。なにしてたの、と隣に座り込みながら尋ねる。

 シュニーは珍しくためらった後、ジェイドの顔色を伺うように視線をあげた。

「しあわせに……なれますように、って」

 かすかな怯えがあった。初めて見る表情に、ジェイドはじっとシュニーを見つめる。なにを恐れているのか、察することはできず。問いかけることにも、ためらいがあった。不用意に触れてはいけないもののような気がした。珍しく、室内には人影がない。ジェイドだけがシュニーの傍にいる全てだった。

 どこかから見られていても、言葉を盗まれていたとしても。ふたりだけが、そこにいた。ジェイドはうつむく少女の頬に触れ、髪を撫でて、ただ待った。信頼があることを知っていた。だから、シュニーがほんとうに告げたければそうするだろう。待つことは苦ではなかった。告げないことを選ばれたとしても。シュニーの意思ならばそれでいい。

 シュニーは震えるように目を伏せ、何度も何度もためらいながら、ジェイドの服を指先で摘んだ。

「ジェイドは……わたしに、しあわせになって、ほしい……?」

 どういう意味だろうな、と思った。反射的な怒りと眩暈さえ覚えて、ジェイドはきつく目を閉じる。当たり前だろ、と搾り出した声はかすれていた。びくっ、とシュニーの手が震えて、服を離そうとする。離れていく。その動きを許さず。ジェイドはシュニーの手を取って握り、まぶたを開けて少女を見た。

 ごめんなさい、と言いたそうに。それでいて淡い希望をかき集めたうるんだ瞳で、シュニーはジェイドのことを見ていた。すぐに言葉は返せなかった。どちらも。なにも言えず。静寂を、祝福の鐘の音が埋めていく。送り出された者の幸いを祈る音が。息苦しいなにかを、埋めていく。

 ぎゅっと手に力をこめて。ジェイドは息を吸い込んだ。

「……シュニーは、俺をどうしたいの?」

 責める響きにならないように。それだけを、ひたすらに心がけた。怒りたい訳ではなかった。怒りを感じはしたけれど、それはシュニーに向けたいと思う感情ではなかった。誰が言わせたのだろう、と思う。口に出すほどに、そう思わせたのは誰なのだろう。

 静かに、心に刻み込むようにして考える。誰、という特定の相手ではなくて。この『お屋敷』が、環境が、人々が、仕組みが。シュニーをそうさせているのだと、理解しながらも。それから守ってあげられなかったことを、己に対する怒りとして思う。申し訳なく思う。

 それでも。本当ならその問いに、しあわせになってほしい、と告げて。嫁がせるのが『傍付き』の役目であるとも、分かっていた。『傍付き』なら、そうしなければいけない。『花嫁』に望まれた『傍付き』であれば。ジェイドは瞬きをして、ゆっくり、シュニーに問いかけた。

「ずっと傍にいて欲しいって、思ってくれてるって……思ってるけど、違う?」

 送り出して、と願われるなら。そうしてあげたい、とも思う。離れるのも、他の誰かに捧げるのも我慢ができない、と思うのも本当だけれど。もし、それをシュニーが願うなら。『花嫁』としての幸せを得たいと、『傍付き』に願うなら。叶えてあげたい。ジェイドのできる全てで。しあわせになってほしいと、思う。

「ち……がわ、ない……」

「うん」

「でも、でもジェイドは、それで……いいの? シュニーがそうして、いいの……?」

 どう頑張っても時間が取れないジェイドと違って、シュニーにはしっかりとした『花嫁』教育が成されている。本来ならばあなたがしなければいけないことだと前置きされて、いくつもの報告書を週末ごとに受け取ったのを思い出す。いくつかには悔しさを覚え、いくつかには安堵した。傍にいなくても大切に育てられていることは、救いでもあった。

 それでも、その教育がシュニーからはきとした言葉を奪っているのだとすれば、許すことや受け入れることはしたくなかった。怖がらなくていいのに、と思いながら、ジェイドは震えるシュニーの頬を撫でる。いいよ、と告げるのは簡単だった。自然に口から零れ落ちる。

 この場所の外に生まれ、『傍付き』としての教育を知りながら魔術師としてそれを逃れた、ジェイドだからこそ。なにものにも奪われない言葉を、捧げることができる。

「俺はずっと、シュニーを花嫁にするつもりだったよ。俺の……お嫁さんになってくれるんだと、思ってた」

 教育を受ける過程で、そういう意味の言葉ではなかったのだ、と分かっても。望みを殺されてしまうより早く、ジェイドは魔術師となった。『傍付き』として完成する以前の問題として、ジェイドは未完成ですらない魔術師のたまごだ。己をなんだと問われれば、ジェイドはまずそう告げるだろう。

 魔術師のたまごで、シュニーの『傍付き』。魔術師である自任が先に来るし、『花嫁』の、ではない。その意識はあるようでないものだった。シュニーのことを『花嫁』だと思う。己が『傍付き』として、幸せにしてあげたい『花嫁』だとも思う。それでいてジェイドにとっては、『花嫁』である前にシュニーという少女だった。

 呼び戻され、手を伸ばされたあの日からずっと。

「シュニー。教えて。……俺がいい? それとも、俺も見送った方がいい? シュニーが選んでいいよ。俺はシュニーの『傍付き』だから、シュニーが選んだ方を叶えてあげる」

 そのつもりで望まれたのであれば。それがしあわせだと、シュニーが思って告げるのならば。しあわせにしてあげたいと思う。心から、そう思う。シュニーは幾度か言葉を発しようとしてはくちびるを閉ざし、眉を寄せてうろうろと視線を彷徨わせた。

 やがて、とうとう耐え切れなくなったように。シュニーはちいさく呟いた。ジェイドは、と。震えて、かすれた、消えそうな声で。

「ジェイドは、どっちが、いい?」

「俺の気持ちが知りたい?」

 泣き出す寸前のまばたきをして、シュニーはこくんっ、と頷いた。離れようとしていた手は、もう繋がれている。シュニーも手を繋いでくれている。微笑して、ジェイドはそこへ口付けた。

「好きだよ、シュニー。俺の花嫁になって」

「じぇいど、の?」

「そう。俺の。……俺と幸せになってくれる? また、たくさん待たせると思うし、さびしい思いをさせると思うけど。それで、いいなら……俺でいいなら、俺のお嫁さんになろうね、シュニー」

 ぽろぽろ泣き出したシュニーを抱き寄せて、どこにも行かさないよ、と囁く。シュニーが俺がいいって言ってくれたら、その通りにしてあげる。どうしたいの、と問うジェイドに、シュニーはぎゅうっと抱きついた。なる、とたどたどしく言葉が告げられる。

 しゅにー、じぇいどのに、なる。およめさんになる。はなよめさんに、なる。ジェイドの。ジェイドのに、なる。ひっくひっくしゃくりあげながら、何度も何度も繰り返されて。ジェイドはうん、と頷いて、シュニーの体を抱きしめた。



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