暁闇に星ふたつ:90(終わり)



 ナリアンとメーシャが妖精を伴い、王宮魔術師たちと共に『学園』へ駆け戻ったのはもう日が暮れた後だった。夕闇に染まる暗がりの建物を、魔術師の生み出した光源が次々と明るく照らし出していく。常なら建物を整備する専門の者が、灯りを入れたり訪問者を出迎えてくれるのだが、なにもかもがしんと静まり返っている。深夜より、時が深く沈んでいる。

 とりあえず踏み込んでもこれ以上の魔術的な異変がないと知るや、王宮魔術師たちは『学園』中へ散らばった。ある者は教員棟へ、ある者は授業棟へ、図書館へ、それらを繋ぐ森の小道へ。妖精の花園へ向かい、状況を確認し可能なら助力を頼みに行く者を見送って、ナリアンとメーシャが向かったのは談話室だった。

 良いと言われてから動きなさい、と先発部隊が言い残していったから、そこはすでに明るく、ざわめきのある、色と温度を取り戻した場所だった。倒れる魔術師のたまごたちを、次々と白魔術師が抱き起していく。机と椅子は可能な限り端に寄せられていた。どこから運んできたのか柔らかな絨毯が引かれ、その上に次々と運び込まれている。

 動かすと危険な状態は脱したので、あとは適切な回復をして、目覚めを待つらしい。めまぐるしく魔術師たちが行き交い、会話が飛び回り、状況が変化していく。どうしたら、と気圧されるナリアンの腕を、じゃれつくように誰かが引いた。

「ナリアンさん、こっち!」

「リトリアさん……?」

「え? ……あ! あの、あの、その……ナリアンさん、こんばんは」

 ぱっと手を離してもじもじとはにかみ、リトリアは照れくさそうに微笑んだ。メーシャさんにもこんばんは、とぴょこりと頭を下げたリトリアは、ふたりの視線を柔らかく受け止めるように頷いた。

「あのね、ロゼアくんはちょっと特別に、こっちにいるの。それでね、寮長がナリアンくんの顔をみたい、というから。よかったら、こっちへどうぞ。メーシャさんも」

「寮長、もう、目を覚まされてるんですか……?」

「うん。……え、あ、う、うぅ……あの、はい。はい、です。聞かなかったことにしてね……」

 頬を両手で挟んでひとしきり恥ずかしがり、反省をして、リトリアは深呼吸をする。それからぎゅっと目を閉じて気合を入れ、リトリアはナリアンの両手を持って微笑んだ。

「あの……ツフィアにはとびきり内緒にしてね。お願いね」

「う、うん……分かりました」

「ありがとう! メーシャさん、お願いね。内緒、内緒にしてね。ね」

 ぎゅっと手を握って頼み込まれて、メーシャはやんわりと微笑んだ。

「リトリアさん、ソキに似てきました……?」

「え? え、え? そう、かな……。あ、それでね、こっち。こっちの部屋です。案内しますね」

 リトリアに連れられて行ったのは、保健室だった。いくつかある寝台に眠っていたのは、顔見知りばかりである。ロゼア、フィオーレ、ラティ、シル。保健医はまだ意識が戻らない様子で、ゆったりとしたソファに横たえられている。白魔術師が何人かと、火の魔法使い、そしてツフィアが彼らを見守っている。

 唯一目を覚まし、体を起こしているのは寮長だった。思わず駆け寄ったナリアンに、寮長は苦笑して手を伸ばしてくる。

「よう、ナリアン。無事だったとは聞いたが、元気そうでなによりだ。……いやそこで避けるなよ撫でさせろよ」

「寝なくていいんですか」

「病気じゃないからな。体が上手く動かないだけで……時間が経てばなんとかなるだろ」

 執拗に構おうとしてくる寮長を避けながら、ナリアンは傍を離れようとしていない。くすくす笑って見守ってから、メーシャはロゼアの近くへ歩み寄った。一緒の枕には、シディの姿もある。ぐったりとして、動かないさまが痛々しい。固い表情で見守っているレディに、恐る恐る、メーシャは問いかけた。

「ロゼア、どうなんですか……?」

「……明日には一度目を覚ますと思うけど」

 視線を動かして、火の魔法使いはフィオーレを見た。眠る白魔法使いは、他の者と比べて悪夢を見ているように表情が苦しげだ。首謀者だからではなく、ソキの呪いの影響であるという。

「眠らせておいた方がいいかも知れないって話していた所よ。友人として、意見はある?」

「どうしてですか? ロゼア、なにか……?」

「理由……理由はいくつかあるんだけど、そうね……」

 迷うように腕を組み、レディはまたしばらく、ロゼアを見つめてから口を開いた。言葉を選び。与える情報を、選んでいるようだった。

「ソキさまが行方不明と聞いたわ。ロゼアさんどうされると思う?」

「探しに行くと思います」

「そうよね……」

 まだ見つからないの、とレディが問いかけたのはリトリアとツフィアだった。フィオーレの頬をつむつむ指先でつついていたリトリアは、きゃぁ、と叫んで両手をあげる。室内の注目を一身にあびてそろそろを手を下ろし、リトリアはそっと、ツフィアの背に身を押し込めて言った。

「まだ、なの……。探してはいるんだけど……。今、予知魔術使って探していいか、許可を待ってる所だから。もうすこし時間をください」

「リトリア。フィオーレを突くのはやめなさい、と言ったでしょう」

「おしおきしてたの。……や、やっ、なんでくすぐるのぉ……!」

 反省を促しつついちゃつくのやめなさいよ、と心の底から思っている眼差しでリトリアとツフィアを眺め、レディが灰色の息を吐く。ともかく、そういうことだから、と火の魔法使いは疲れた様子で呟いた。

「ソキさまの安全が確認できるまで、ロゼアさんを起こすのはやめておいた方がいいと思うのよね……幸い、ルルクの言う所によると、妖精が解除しない限り呪いによって目を覚まさない筈だから、大丈夫だとは思うんだけど……」

「……談話室で、いったいなにがあったんですか?」

 ナリアンも、メーシャも、詳しいことは聞けないままである。王宮魔術師たちがあまりに忙しく動き回っていた為で、唯一意識があったというルルクも、語る時間を持つことができなかった為だ。レディは眉を寄せて沈黙し、ぽつりと、分からないのよ、と言った。

「ルルクも、最初から最後までずっと意識があった訳じゃないし、顔を向けて目で見られた訳でもなくて……途切れ途切れに会話が聞こえたくらいなの。だから、本当になにが起きたか、最初から最後まで分かるとしたら……ソキさま、ロゼアさん、ソキさまの案内妖精とロゼアさんの案内妖精、だけなんだけど……」

 その半分が行方不明で、半分が未だ昏倒中である。どうしたものか、と考えるレディに、メーシャの肩からルノンが飛び降りた。ルノンはナリアンにひっついていたニーアも呼び、まっすぐな目でレディに笑う。

『そういうことなら。シディの回復、手伝うよ。……ただ、無理はさせないでくれるか?』

「ええ、もちろん。約束します」

『ありがとう。任せて』

 さあメーシャも、いつまでもそんな不安な顔をしてないで。笑って待っていて。大丈夫だから、と告げるルノンに泣き笑いで頷いて、メーシャは祈るように手を組み合わせた。震えるような意思で、考える。いま、なにができるだろう。友の為に、師の為に、同胞の為に。また、己と、誰かの為に。なにができるだろう。どんなことなら。

 眠るロゼアの元へ。走って飛び込んで、笑いあったのは、今日の朝の筈なのに。ひどく遠い、過去のように思えた。夜の空には、もう星が輝き始めている。




 あんまり慌てて歩いたせいで、『扉』をくぐって出た場所で、ソキはしばらく動けなくなってしまった。はふ、はふ、うぅ、と息をするだけで精一杯で、くらくらした眩暈と戦う。妖精はソキの頭の上に着地して、無言で落ち着くのを待ってやった。どれだけ運動不足だこの貧弱、と思いながらあたりを見回す。

 そして、思い切り眉を寄せた。

『……どこよ、ここ』

「う? う、うぅ……。……あれ? あれ、あれ? リボンちゃん? ソキ、どこへ来たです?」

『アタシも今聞いたでしょうが……!』

 きょろ、きょろ、と見回した場所は、『扉』のある廊下の端ではなかった。古い本棚ばかりが置かれた、一室のただなかである。あれ、と背後を振り返っても、出てきた『扉』も見つからない。あ、あれ、あれ、ともう一度室内を見回して、薄暗さにじんわりと涙を浮かべかけ。唐突に、あ、と言ってソキはそれに気が付いた。

「あ! ぶきこです! 武器庫、ですよ。リボンちゃん」

『武器庫……? って、魔術師が武器を取りに行くっていう……?』

 なんでそんな所に、と聞かれても、ソキには分からなかった。『学園』には確かにそこへ繋がる『扉』があるが、ソキがくぐったのは星降へ続くそれである。ソキがひとりでちょこちょこ歩いて行ったならともかく、先導したのは妖精である。間違える筈もなかった。

 うぅん、と考えながら、ソキは室内を見回した。小規模な図書室や研究室を思わせる一室である。窓辺には書き物机と、椅子。まだ火のともる灯りが置かれているばかりで、誰の姿も見つけられない。誰かがそこに座って。誰かがそこに、一緒にいて。いつもソキを出迎えてくれた筈なのに。いなくなってしまったのだろうか、とかなしく思う。

 とりあえずあの灯篭を頂きましょうか、と促す妖精に頷いて、ソキはてちてちと机に近寄った。うんしょ、と背伸びをして灯篭に手を伸ばすと、その前に置かれた一冊の本に気が付く。赤褐色に染められた帆布に覆われた、一冊の本。『本』だ。予知魔術師の武器たる、『本』だった。鼓動が跳ねた。

 震えるような気持ちで、それに手を伸ばす。表紙にそっと、指先を触れさせる。




 誰かに、呼ばれた気がして。ソキはそっと目を開いた。




 広がっていたのは、見覚えのある室内だった。薄暗い、古めかしい書庫室ではなく。壁も床も白で統一された、広々とした一室。『花嫁』の区画。その、ソキの寝室だった。体を柔らかく抱きとめる寝台の上に、ソキはいままで眠っていたのだった。え、え、と混乱して、ソキは目をぱちくりさせる。ん、と声がしてやわらかな影がおりる。

「おきたの、ソキ?」

「ロゼアちゃん。ソキ……あの、ソキ」

 ん、とまだあどけなさを残した顔で、ロゼアが笑う。なぁに、俺のかわいい『花嫁』さん。伸びてきた指先に髪を整えられ、抱き上げられようとした時。もう一度声が響く。え、と顔を向けた先にあったのは金色のひかりだった。その名を、ソキは知っていた。混乱して手を伸ばすソキの指の先で、ひかりはやがて妖精のかたちを成した。

 リボンちゃん。思わず口をついて呼びそうになる『ソキ』の視線の先で、妖精は穏やかに、優しく。やんわりと微笑んで、ソキに囁いた。

『こんにちは、ソキ。わたしは、あなたの案内妖精。あなたは、これからわたしと一緒に……旅を、するの』

 それが、はじめて。ソキが魔術師として、世界に呼び覚まされた日。妖精との出会いの日。繰り返されてきた数多の世界のはじまりの日のことだった。


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