過ぎ去っていくちいさな日に

コネタ:香りの夜


 ※本編から零れた日常をすこし。時系列がどこ、というものでもありません。季節もの。




 おやすみなさい、また明日ね。さわさわと夜の別れが空気を震わせる中、ふぁ、とロゼアはちいさくあくびをした。音もなくゆっくりと階段をのぼっていくロゼアとは対照的に、ソキは珍しくぱっちりとした目を瞬きさせて、ふんにゃふんにゃと機嫌よく歌声を響かせていた。先程から、ずっと同じ歌である。ロゼアは知らない歌だった。

 はしれそりよぉー、かぜのよーにー、と同じ所を繰り返しているのは、そこが一番歌いやすいからなのか。はたまた、そこしか覚えていないのか。きゃっきゃとはしゃぐソキの背をぽんぽんと撫でて宥めながら、ロゼアは部屋の鍵をあけた。

「ゆきのなかをー」

「……ソキ」

「ぱどるぱどるぅー! ……う? なぁに? ロゼアちゃん」

 不思議そうにロゼアを見つめ返すソキの目に、眠気はない。全くない。これっぽっちも見当たらない。談話室に長くいたのは失敗だったと息を吐きながら、ロゼアはソキを抱いたまま、寝台へそっと腰を下ろした。ご機嫌の笑顔でもそもそとすり寄ってくる髪を指で撫でながら、ロゼアは見つめてくるソキを額を重ね、静かな声で囁いた。

「もう眠ろうな、ソキ」

「あのね、あのねぇロゼアちゃん? 知ってるぅ?」

 ソキ、なにを言われたのか、ちぃーっともわかりません、と言わんばかり。ぺっかーっ、と輝く笑顔で無視してみせたソキは、なんとも言えない顔をして沈黙するロゼアに、自信満々に口を開いた。

「もうすこしするとね、くりすまーすー、なんですよ? それでね、いいこにしてるとね? さんたく、ろすさんが、ソキにぷれぜんとー! をくれるです。ソキはいいこです。ばっちりです」

「なにか欲しいものがあるの? ソキ?」

 そんな良く分からないものに強請らずとも、一言ロゼアに告げてくれれば事足りる。ややむっとしながら問いかけたロゼアに、ソキはあいらしく、目をぱちくりさせて首を傾げた。んん、と困惑気味の呟きが漏れる。特になにが欲しい、という訳ではないらしい。貰えるかもしれない、というのが嬉しいだけなのだろう。

 そうだよな、とロゼアは微笑んだ。ソキの身の回りの物は、今の所、『お屋敷』から送られてくる物がある為になにもかも全てとは言わないが、ロゼアが整えているのである。過不足があろう筈もなく、ソキが欲しいものを与えられていない訳もない。

 ソキはほしいものー、ですぅー、と不思議そうに悩む呟きを繰り返したあと、あっ、と声をあげて頬を赤らめた。もじもじ、もじもじっとしながら、ロゼアのことをじぃと見つめてくる。顔というか、特に、唇のあたりを。

「もっ、もしかして、もしかしてっ……!」

「……ソキ?」

「ソキ、ソキはいいこです。だっ、だからつまりこれは、これはもしや、というやつですううううっ!」

 きゃぁんきゃぁんやぁああああはううううんっ、と興奮して頬に両手を押し当て、やんやんと身を捩るソキは愛らしい。愛らしいのだが。興奮したせいで、眠気がさらに遠ざかっているのにロゼアは吐息した。ちゅう、ちゅうがっ、だいちゃんすがっ、と甘くふわふわした声で鼻息をあらくするソキの背を、ロゼアはぽん、と柔らかく撫でて。

 そーき、と赤らんだ耳に吹き込むように、穏やかな声で囁いた。

「夜だよ、ソキ。眠ろうな……」

「おやすみぃー、なさーいーですぅー、ロゼアちゃぁーん!」

 本人にはちっとも眠る気がない返事である。ろぜあちゃんのねがおをみるちゃんすですっ、ときらきらの顔にでっかく書かれている。仕方がない、と苦笑して、ロゼアはソキを抱いたまま立ち上がった。あれ、という顔をするソキを抱き寄せながら、壁際に置いた棚のひとつに歩み寄る。

 そこに並べられていたのは香炉だった。大小さまざまな香炉は、白や黄土、黒など様々な色と形をしているが、どれも精緻な模様が刻まれうつくしい。ロゼアはそのうち一つを持ち上げると寝台横の小卓へ置き、いくつかの香油を持って立ち上がった。

 再び、はしれそりよぉー、と歌い始めたソキにアスルを抱かせながら寝台に座り直し、ロゼアは香炉の受け皿に、そっと香油を垂らしていく。ふわ、と涼しげな香りが立ちのぼった。考えながら何種類かを注ぎ混ぜ合わせ、魔術を使って蝋燭に火をつける。歌いながらアスルをもふもふしていたソキが、ぱっと顔をあげて笑った。

「いいにおーいですぅー……!」

「気に入った?」

「ロゼアちゃん? なぁに? これなぁに? どうしたの?」

 きゃんきゃんはしゃぐソキを抱き寄せなおして、ロゼアは寝台に横になる。ふわふわ甘い声をあげてすり寄ってくるソキを撫でながら、ロゼアはなんでもないよ、と囁いた。目を閉じような、ソキ。夜だよ。眠らないといけないだろ。繰り返される言葉にソキはやや不満げにくちびるを尖らせながらも、ふふん、となにかたくらみのある顔でぱちっと目を閉じた。

 恐らく、寝たふりをして、ロゼアが眠った頃に起きて遊ぶつもりなのだ。ぽんぽん、と背に触れる。指にからめるように髪を撫でながら、毛布を引き寄せてソキを包んでしまう。ぽん、と背を撫でると、ソキはふぁふあとあくびをした。んん、とあまい呟き。くしくしと目が擦られる。

「……うぅ……」

「おやすみ、ソキ。かわいいかわいいソキ」

「ロゼアちゃ……ぎゅぅはぁ……?」

 とろとろと目を開いた『花嫁』が、不満げな顔でロゼアに腕を伸ばしてくる。ロゼアはふっと笑みを深めて、いとおしくソキの体を引き寄せた。足を絡めて背を抱いて、体をくっつけて抱きしめる。うと、うと、瞬きを繰り返して、ソキはロゼアの胸に頬をすり寄せた。ふあぁ、とあくびが零れていく。

 ゆったりと髪を撫でていると、ソキの呼吸が深くなる。本物の眠りであることを確かめて、ロゼアは香炉の火を消した。気持ちを落ち着けて、よく眠れるように。弱い喉が咳き込まないように。花の香り、薬草の効能を溶かし込んだ油を混ぜ合わせる技術を、『傍付き』は学ぶ。

 あまい香りのする『花嫁』を抱き寄せて、ロゼアもそっと目を閉じた。喉を潤し通りをよくする冷えた花のにおいが、部屋に満ち。柔らかに香る朝まで、ふたりでいることを、幸福だと思いながら。

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