暁闇に星ふたつ:89


 なにか、大切なものが失われた。

 そのあまりの喪失感に、リトリアは足元をふらつかせてしまう。語り続けた言葉で乾いた喉が、ひとつ、ふたつ、咳を吐き出した。胸を両手で押さえて涙ぐむリトリアの体を、ツフィアの手がしっかりと支える。失われたものの正体を、ツフィアは知っているようだった。それなのに振り返って見たツフィアの顔は穏やかで、安堵し、喜んでいるように見えた。

 思わず。ぷ、と頬を膨らませたリトリアに、ツフィアはくすくすと喉を震わせて笑う。

「そんな顔をするものではないわ、リトリア。……まだ王の御前でしょう。しっかりなさい」

「もう、もう……! だから、私は早くねって言ったのに! ツフィアのおはなし、聞いてって……!」

 喪失感と、苛立ちと。異常事態への焦りと恐怖が入り混じって、リトリアの怒りは王たちへ向けられる。長方形の机の向こうに座った四カ国の王たちは、それぞれに頭を抱えて沈黙している最中で、リトリアの文句が届いているかも定かではない。もう、もうっ、と怒りながら、リトリアはぷうーっと頬を膨らませてツフィアを睨む。

 うん、とおかしげに微笑むツフィアの手が、ふくれたリトリアの頬を撫でる。くすぐったい。や、と身をよじるとなぜかさらにくすぐられた。遊ばれている。

「もう、やっ、ツフィアったら遊ばないで! ……や、やぁっ、くすぐっちゃだめ!」

「機嫌は直った? 八つ当たりしてはいけないわよ」

「なおった、なおったのっ! でも八つ当たりじゃないの! ツフィアのお話を聞いてくれてたら、こんなことになる前に止められたかも知れないのに……!」

 すくなくとも、対策を取ることができた筈だ。ツフィアが己の武器たるリトリアに『語らせた』のは、言葉魔術師とはなんであるか。今まで、幾度も王たちに問いかけられ、その度に話すことができない、と口を閉ざしていたことだった。ツフィアには話すことができない。言葉魔術師に課せられた、それこそが制約だった。

 それは予知魔術師の口を通してのみ語られる。言葉魔術師の『武器』として、対として必ず現れる予知魔術師あってこそ、告げられる。なんであるか、なにができるか、どういうことなのか。けれどもそれにも条件があった。予知魔術師の成熟を待たなければいけない。それは精神的な成熟であり、肉体的な成長であり、魔術的な安定だった。

 リトリアには、なにもかもが足りなかったのだ。シークがソキを誘拐して、ツフィアにそれが求められた時。リトリアはまだあまりに幼かった。条件を満たさぬままにツフィアがリトリアの口を借りれば、永遠の支配が刻まれる。予知魔術師は言葉魔術師の武器そのものとなり、その自我はあまりに希薄なものとなり、また。酔う、のだという。

 支配に対する反発を消す為か、その他の理由があるのかは分からない。まるで酔ったように、機嫌よく。予知魔術師は言葉魔術師に支配されきる。そのことを受け入れる。喜びと感じ、そして役に立とうとする。使われたがるようになる。武器として。個人としての我は薄く、武器として重用されたがるようになる。条件を満たさなければ。未熟なまま、その口を借りれば。

 ツフィアは待ち続けた。捕らえられることが決まってなお。再会し、リトリアの成長がまるで見られず、ソキやロゼアに刻まれたシークの印を確認し、焦りと苛立ちを募らせながら。待って、待って、そして。先日、ようやく認めたのだ、という。リトリアの成長を。これならば武器として使われたがる、予知魔術師の本能めいた誘惑に従うことなく。語りきることができると。

 言葉は一歩間に合わなかった。警告をすることも、シークのやり口を暴くことも叶わず、この日が来てしまった。数多の衝撃からやや立ち直り、白雪の女王は、額に手を押し当てながらも顔をあげる。

「確認するけど……」

 ナリアンとメーシャが星降へ、花舞へ、楽音へ、白雪へ。異変を知らせて一時間あまり。耳にした瞬間に王たちになにもかもを置いて集合、かつリトリアとツフィアの召喚を命じた女王は、ひとの耳へまっすぐに届く、きよらかな声で問いかけた。

「言葉魔術師は、人々や……魔術師を、操る術を持つ。合ってる?」

「はい。間違ってはいません」

「うん。詳しいことはまた今度聞かせてね。ええと、じゃあ、それで……それでね」

 おおまかに間違った結論に達していなければ、今は修正しなくていい、と言いおいて。白雪の女王は苛立ちを押さえ込んだが故に凪いだ瞳で、ツフィアとリトリアに微笑んだ。

「貴方達の意見で構わないのだけれど。報告には、フィオーレとロゼアくんが操られた……まるで、彼の言葉魔術師そのものであったようだ、とある。それは、このことで間違いない? つまり、言葉魔術師によって操られたものだと思っても?」

「誰がその報告を?」

「ルルク。動けない状態で、意識は僅かにあったそうよ」

 そうなる前の状況から考えて、砂漠をなぎ倒して『学園』を制圧したのはフィオーレで間違いないんでしょうけれど、と女王はため息混じりに呟いた。ツフィアは実際に見ていませんが、と前置きした上で、はきと響く声で肯定した。

「まず、間違いはありません」

「ありがとう。あと……疑ってるんじゃないから、気を悪くしないで答えてね。あなたにも同じことはできる?」

「……いますぐ、でなければ」

 即答にならなかったのは、ツフィアはそんなことしませんっ、と怒り出しそうな気配を察し、リトリアの口を塞ぐのに手間取った為である。ぷうう、と膨らまされる頬に苦笑しながらくすぐると、リトリアはだめだめっ、と甘い笑い声でむずがった。短気は大人とは違うのではないかしら、と囁くと、リトリアの動きがぴたりと止まる。

 瞬きをして。よそ行きの顔で姿勢を正したリトリアに笑いながら、ツフィアはなぜか優しい目をしている王たちへ向き直った。

「準備が必要です。突然、やれ、と言われて出来ることではありません。……なにか?」

「よかったね、ツフィア」

 慈しみ溢れるまなざしで星降の王に囁かれ、ツフィアは訝しく頷いた。なにがよかったのか分からないが、否定をするとめんどくさいことになりそうだからだ。星降の王はうんうん、と何度か頷き、ほんわー、とした笑顔でよかったねえ、と繰り返す。

「リトリアに避けられて落ち込んでたもんね」

「手紙も来ないって気落ちしていましたからね……」

「……終わりなのでしたら退室させて頂いても?」

 え、えっ、と王とツフィアを見比べて頬を赤らめて喜ぶリトリアは愛らしい。愛らしいのだが。知って欲しくないことを次々暴露される、嫌な予感しかしなかった。さ、帰りましょう、とリトリアを伴って退室しかけるツフィアに、ちょっと待って、とあわてた白雪の女王の声が響く。

「私が知りたかったのは、同じことが出来る場合に、同時にそれを仕掛けて傀儡にするのを防衛するなりなんなりが、可能かどうかっていうことなんだけど……!」

「……可能か不可能か、でしたら。不可能ではありませんが、恐らくその魔術師……ただびとであれば、確実に。精神が壊れて廃人になります」

「やめよう。それは駄目だ」

 即決した白雪の女王は、先ほどツフィアをからかった王たちに、いいからしばらく黙っていなさいと視線を投げかけた。思考をまとめる為に動き回る瞳が、空席を認めて悔しげに細まる。砂漠の王。その空白をかみ締めるように瞬きをして、白雪の女王は幾度か、組んだ手を組み替えた。

「……操られない為に、できることはあるの? 呪いみたいに、解除できるもの?」

「印をつけた相手。この場合はシークですが、彼がその印の抹消に同意すれば」

「同意がない場合は殺せばいいのかな?」

 ぞっとするような声で、表面だけは穏やかに問いかけたのは花舞の女王だった。黙ってて欲しかった、と白雪の女王が遠い目で口を噤む。いいえ、と慎重に、ツフィアは息を吸い込んだ。王たちは誰もが恐慌に怒り、焦り、苦しんでいたが、感情を抑え込んで冷静であることを自らに課していた。それでも。触れる怒りの激しさに、眩暈がする。

「印は……相手を意のままに操るもの、として使われますが、元来は意思を託すものでした。遠方にいる同胞へ、間違いなく意思を……命令を伝え、例えその体動かなくとも操り人形のように『動かす』ことが必要な時、必ずそれを成す為の。印は、刻めば刻む程に結びつきを強くします。幾度もなぞられた言葉が、濃く深く紙面に染み込んで行くように……」

 死地に踏み込んでしまった仲間を。自力では体を動かせぬ程に痛めつけられてしまった同胞を。助け出す最後の手段、祈りとして、使われたこともあった術だ。唇に力をこめて、ツフィアは震えと感情を押し隠した。

「言葉魔術師は死してなお、その意思を印へ移すことができます」

「……つまり?」

「その印を基盤にして、意思をなにもかも、己へと書き換える。……書き換えるのです、陛下。操る、のでは、なく」

 印をつけるのは、お守りを持たせるのとおなじこと。万一の備え。祝福として使われていたことも、確かにあったのに。いまやそれは、他人の体に乗り換える禁忌の術の、前準備だ。花舞の女王は目を伏せ、深く息を吐き出した。

「それが……言葉魔術師は殺してはならない、という言葉の意味なんだね?」

「はい」

 侵食の度合いにもよるが、今の状態でシークを殺せば、確実に誰かが乗っ取られる筈だ。そしてそうなった場合、元通りにする術はない。声にならないうめき声をあげて、白雪の女王が頭を抱え、机に突っ伏した。

「それって絶対そうなるの……?」

「本人に明確な意思がない場合は、普通に死んで終わりでしょうが」

「印を消す方法は、術者本人の同意しかないの? 絶対?」

 リトリアが口を開きかけるのを、ツフィアは視線ひとつでやめさせた。ん、と分かりやすく口を両手で押さえられたので、当然のごとく、王の視線はツフィアに集中する。その視線が温かく優しく生ぬるかったので、ツフィアは心から息を吐き出した。甘やかしではないと言ってやりたいが、王たちへの敬意がそれを阻み、ため息に変換する。

「……リトリアには、私の印を消すことしかできません」

「ソキならできるのね?」

「彼女が。魔術師として成長していく、魔力の水器がある魔術師であれば、可能だったでしょう」

 リトリアが瞬きをして、首を傾げた。それはつまり。

「……できないの?」

「信頼関係の成り立つ言葉魔術師と予知魔術師であれば、可能なことなのよ。あなたは私の『武器』。『武器』は魔術師を助け、魔術師は『武器』に助けられる。私はあなたを『武器』として使うことができるし、同時に」

 あなたが明確な意思を持って魔術を紡げば、予知魔術師として。言葉魔術師を『動かす』ことが叶うのだと。それは本来の仕組みを逆流させる行為だ。互いに、己以外の存在を受け入れる、確固とした信頼があって初めて可能なことである。いまひとつ分からない顔でおろおろするリトリアに、ツフィアは微笑んで、言葉を噛み砕いてやった。

「砂時計は上から下に砂が落ちるでしょう?」

「う、うん。落ちる。わかる」

 怒られた顔をしてこくこく、必死に頷くリトリアに、ツフィアは笑いをこらえながら囁きかけた。

「私は砂時計をひっくり返すだけで砂を落とせるけど、あなたがそれをしようとしたなら、砂時計がひっくりかえさないように魔術で固定して、砂が下から上に逆流するようにも魔術をかけないといけないし、無理な衝撃で硝子が砕けてしまうかも知れない。そういうことよ」

 やって出来ないことではないが、手間隙かかるし危険も大きい。そういうことだった。わ、わかった、わかったの、とまた必死に頷くリトリアに、ツフィアは微笑して言った。

「そう。分かったの? 分かったのね?」

「うん!」

「じゃあ私に説明してみせて。分かったのでしょう?」

 えっ、と言ってリトリアが固まった。え、えっ、とおろおろ視線をさ迷わせるのを見る分に、理解しきっていないのにわかった、という悪癖は改善されないままでいるらしい。今にもお説教を始めそうなツフィアをいったん止める為、白雪の女王はあえて挙手しながら言った。

「乱暴な解釈かも知れないけど。ソキの場合は、砂時計の硝子が砕けているからできない。そういう風に考えてもいい?」

「はい」

「うー……ん……。ああもうなー、とりあえずこれは……後回しにしよう……。時が解決してくれることもあるからそうなるといいなー、と信じて……!」

 よし会議終了っ、と八割方やけになった叫びで立ち上がり、白雪の女王は花舞の女王の背をぐいぐい押して一緒に歩きながら、リトリアとツフィアに目を向けた。

「じゃあ、ありがとうね二人とも! この後はゆっくりしていてねと言いたい所なんだけど、『学園』調査部隊に同行して私のために馬車馬みたいに働いてくれるといいんじゃないかなっ?」

「……全然分からなかったけど、君は君で動揺しているんだな、ということが今分かったよ」

「えっそんなことないよ……?」

 首を傾げる白雪の女王に、花舞の女王が残念な顔をして首を振る。王たちが騒がしくいなくなってしまうと、部屋はしんとした静寂に包まれた。それでも城のどこかが、落ち着きなくざわめいているのを感じる。息を吐いて部屋を出ながら、ツフィアはととと、と何処かへ行こうとするリトリアの手を、しっかりと握り締めた。

 迷子防止の為であり。うやむやになりかけている説明を、合流前にさせる為だった。

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