暁闇に星ふたつ:88


 呼び止める声に耳を貸さずに。ナリアンとメーシャは『扉』から『扉』へ次々と移動し、王宮へ、国境へと飛んで歩いた。廊下を走り回り、行き交う人々に懇願するように声をかけて回る。ソキちゃんを見ませんでしたか、これくらいの背丈の、ちょっとたどたどしく歩く、金糸の髪に赤いリボンをした女の子なんです。どこかにいる筈なんです。どこかに。

 迷子を捜している、と思われたのだろう。顔を曇らせて案内所の場所を教えてくれる者もあれば、見かけたら保護するから連絡先を、と申し出る者もあった。国境に常駐する魔術師たちは一様に顔を曇らせ、首を振った。いない、見ていない、会っていない。否定の言葉ばかりが降り積もる。ナリちゃん。メーシャ。落ち着いて、立ち止まって、息をして。お願い。懇願する妖精の声は遠かった。

 泣きたい、という気持ちと、泣くものか、という想いが胸の中で渦を巻く。叫びだしたい、声にならない。どうして、なんで、どこへ行ったの。求める感情は背を押す強い力になり続け、走り回る足をどうしても止められなかった。大丈夫よ、みんな探してくれているわ。見つかる、すぐに知らせが来る。じゃあ、なんで、今いないの。どこにも、誰も、みていないの。

 どこの国の、王宮なのかも、国境の砦なのかも分からない。廊下を駆け抜けて『扉』に手をかける。次で最後にしよう、メーシャ。休んでナリちゃん、お願い。幾度目かも分からない囁きに頷く。頷いて、『扉』へ魔力を流し込んで踏み込んだ。瞬きより長い空白と、僅かな眩暈。独特の感覚が、世界の異なる場所へ体を運んだことを教えてくれる。

 とん、と床に足を下ろして、ふたりは駆け出そうとした。その足を。潜んでいた魔術師が、全力で引っ掛けて転ばせる。

「ていやーっ!」

 あまりに突然で受身が取れない。目をぎゅっと閉じてそのまま倒れこんだふたりの体は、しかし床に荒々しく打ち付けられることはなかった。ぼすっ、もすっ、と音を立てて、一面に敷き詰められたクッションが、ナリアンとメーシャを受け止める。驚いて硬直するふたりの頭上を、あーっはははははっ、と振り切った高笑いが通過していった。

「ほーら言ったでしょ? 待ってれば来るって! さあ捕まえたわよふたりとも!」

『ルルクちゃん……!』

「全く! せめて案内妖精の言うことくらいは聞いてあげなさい! ほら、見て! 泣きそうじゃないの。このいたずらっ子ども! さーあ捕まえた捕まえたっ。手厚く保護されて甘やかされなさいよーしよしよしよく頑張りました!」

 クッションの海をものともせずに歩み寄り、ルルクは倒れたまま立ち上がらない二人の頭を、わしゃわしゃと乱暴に撫でて行く。それからぱんぱんっと両手を打ち合わせれば、それを合図にわっと駆け寄ってきたのは花舞の王宮魔術師たちだった。誰も彼もが涙ぐみ、もーいろんな所から連絡来てるよしょうがないなー、と口にして、二人のことを立ち上がらせる。

「探す探す、最優先で探すって言ったのに。ぜーんぜん話聞いてないんだから!」

「まあなー、ロリエスもストルも倒れたんだろ? 目の前で。で、『学園』戻ったらやっぱり倒れてるわ、ソキちゃんいないわだろ? 不安になるよ無理だよなー。でも走り回って疲れたろ? ちょっと冷静になったろ?」

「なんとかするから、任せなさい!」

 両腕を捕まれ二人がかりでずるずるひっぱって歩かされながら、ナリアンとメーシャは騒がしい花舞の王宮魔術師たちに、怒られ宥められ叱られて、気まずく視線を交し合った。ふたりはそのままぽいと臨時治療室の札がかかげられた一室に投げ込まれ、白魔術師たちの細々とした検診を受け、改めて状況を尋ねられ、気がつけば食堂の一角でよく焼けたパンを口にしていた。

 ちいさく切られた根野菜葉野菜が浮かぶコンソメスープ。籠に山と盛られた焼きたてのパン。薫り高いバターに、ごろごろと果実がはいった苺のジャム、ブルーベリー、数種類の柑橘が混ざり合ったマーマレード。厨房から走ってきた魔術師が、肉ーっ、と叫びながら大皿を机に置いた。分厚いベーコンとソーセージが、とにかく山と積まれている。

 それを殆ど無意識に手元の皿にとり、口に運んで飲み込んで、ナリアンはえっと声をあげた。

「俺なんでご飯食べてるの……っ?」

「食べられる時に食べておいた方がいいぞー。動いても吐かない程度にな!」

 あとお前らそれが終わったらお弁当作りな、と言い渡されて、メーシャが困惑しかない表情で首を傾げる。

「なにが……どうなっているのか、教えて頂いても?」

『メーシャもナリアンも、特に異常なし。だから『学園』の調査部隊に同行することになった。今は、その前準備』

 王宮魔術師の代わりに説明を受け取ったルノンは、角砂糖の小瓶の横に座り込んでいた。思わず見つめてしまうと、ルノンはひたすら砂糖をかじり、飲み込んで、また次のひとつを手にとって、という動作を繰り返している。ニーアも同様だった。ひょい、ぱく、ごくん、ひょい、ぱく、ごくん、という動作しかしていない。

 えっと、と困惑するナリアンとメーシャに、魔術師が苦笑しながら口を開いた。

「悪いけど、動ける魔術師の数がすくない。在学生には見せたい光景じゃないけど……。ごめんな、耐えてくれ。……詳しい説明を預けても?」

『任せて!』

 満面の笑みで請け負ったニーアは、それから角砂糖を六個口に運んだ。こくこくとミルクピッチャーに入った蜂蜜を飲み干して、花妖精はようやく人心地ついたのだろう。あのねナリちゃん、と柔らかな笑みで立ち上がった。ニーアが語った所によると、ナリアンとメーシャの意識がやや飛んでいるのは、緊張と疲労に加え、やはり魔力に乱れがあったせいであるという。

 魔力はとにかく繊細なものだ。感情や精神の揺れに敏感で、師や級友が目の前で倒れ、ソキが行方不明であるのに安定していたらそちらの方が怖かった。そうであるから状態に異変はなく、心身ともに健康。時間が落ち着きを運んでくるのを待つしかないので、出来れば安静にしていて欲しいが、とにかく魔術師の手が足りないのだという。

 砂漠に調査へ出向いていたものは、ある一定の分野に精通したものであれど、各国の一流揃いである。三日間の短期決戦調査であるから叶った顔ぶれが、全員戻らない以上、王の護衛や各国の調整を踏まえ、動ける者は全員動くことが決定された。ナリアンとメーシャが各国を、ソキを探してさ迷っている間に、である。

 ルルクがぎこちなく体を動かしながら、星降に現れたのもその頃であったらしい。魔術師の守護星を今年は四つ持つルルクは、白魔法使いの凶行に巻き込まれたものの自力で回復し、状態を報告しに動いたのだ。守護星が四つということは、防御力と回復力が四倍ってことよ意識保てなかったけど、と胸を張ったルルクは、後輩二人が混乱しきっている話を聞き、捕獲を申し出たのだという。

 大丈夫、そんなに走り回れるなら、誰かを助けにだって行ける筈。止める王宮魔術師をその一言で黙らせ、ルルクは花舞に移動して後輩たちを待っていたのだ。万一二人に異変があった時、最も保護に良い国が花舞だからである。ロリエスが不在の、白魔術師の多い国だ。王宮魔術師はたった二人を女王の傍に残して、全員が『学園』へ向かうのだという。

 思わず、ナリアンは口を挟んだ。

「砂漠へは……? だって先生たちは、まだ」

「二手に分れられる人数がいないの」

 答えたのはルルクだった。普段から突き抜けた元気で、ナリアンたちを転ばせた時も確かになにもかも振り切って笑っていた学び舎の先輩は、ようやく疲れを思い出したかのように目を擦っている。短めの栗色の髪は艶を失い、狐色の目は悪戯っぽい光を灯しながらも眠たげだ。

 ルルクが椅子に座り、温かなミルクティーを一口飲み込んで息を吐くまでじっと待ってから、ナリアンはあの、と声をかける。どう問いかければいいのか分からず、言葉はそれ以上続かない。それでもルルクは微笑して、うん、と頷いてくれた。分かっているよ、大丈夫。ナリアンが入学してこの方、一番落ち着いて穏やかであるのではと思ってしまう、ルルクの柔らかな声。

「それでもね、まずは『学園』なの。なんでかっていうと、そこにまだ……推定犯人から実行犯の間くらいの白魔法使いが倒れてるし、砂漠の物理最高戦力ラティもいるし、なにより卒業資格のない魔術師のたまごっていうのは、外に出た王宮魔術師と比べて耐性に乏しい。だから、はやく助けに行ってあげないと……最悪、後遺症が残る可能性が非常に高いし、高くなる。不安なら言っておくけど、死なない。死にはしないけど、ちょっと、生きていくのがキツいことになるかも知れない。だから優先される」

 砂漠の状態はあなたたちが話してくれたおかげで、私も聞いた、と。ルルクは後輩たちの視線をまっすぐに受け止め、それを見つめ返しながら言葉を紡ぐ。

「それでも、砂漠にいる魔術師は相応の対処ができる。私たちは今はそれを、幸運な猶予だと思って動くしかない。……それにね」

「それに?」

「……首謀者がいる本拠地に、今の状態でのこのこ出かけていったら全滅する」

 言葉を失うふたりに、ルルクは華やかに微笑んでみせた。

「それを食べたら、花舞の魔術師たちにどうすればいいのか聞きに行くといいわ。『学園』でなにが起こったか……誰が、なにを、起こしたのか。教えてくれる筈だから」

 その上で、したいこと、するべきと思うことがあれば言うといい。はい、と苦しく返事をする後輩たちに、ルルクはルノンから角砂糖を分けてもらいながら大丈夫、と告げた。己に言い聞かせているのでは、なく。心からそうと思い、信じぬいた者の強い響きで。



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