暁闇に星ふたつ:87


 ふ、と誰かが笑った。知らない響きだった。知っているのに、聞き覚えのない、嫌な笑い方。妖精がロゼアを振り返る。劫火のような眼差し。容赦せず。妖精は矢のように、ロゼアを指差し絶叫した。

『呪われろっ!』

 七色の光が、ロゼアの眼前で爆ぜて消える。それだけで、もう、しんと静まり返っている。

「……呪われてあれ、欠片の世界に満ちる魔力よ」

 くすくす、と笑い声がする。二重写しに笑い声がする。知らない音で話し声がする。知らない筈なのに。ソキはそれを覚えている。忌々しそうにする妖精の目の先、くすくす、と肩を震わせて。

「呪われてあれ。欠片の世界の魔術師たち、妖精共よ。……呪われてあれ、故に」

 ロゼアが笑った。

「反転せよ」

 言葉が紡がれていく。

「祝福は呪いであった。祝福として目覚めさせられたことこそ、我が身に降りかかる呪いそのもの。分断された世界から呼び落とされ、戻ることを許されぬそれが祝福であってたまるものか! 祝福と呼ばれるもの、すべてを否定しよう。それは須らく呪いである。反転せよ、反転せよ、反転せよ。祝福こそ呪いであれ」

 それが。

「呪われてあれ!」

 魔術詠唱そのものであると。体の中で動く魔力で、ソキは知った。

「世界よ、魔術師よ、妖精どもよ!」

 悲鳴をあげる声も、否定する意思も、なにもかも奪われる。己という意識の支配者が一時、書き換えられる。悪寒、眩暈、痛み。

「……あ……う、やっ、やあぁああぁっ!」

 ひとときの間を置いて、ソキの悲鳴が談話室に響き渡る。呪いが消えた訳ではない。祝福が奪われた訳ではない。それはあるがままにそこにあり、けれどもシークに対してだけ真逆のものとして作用する。それを予知魔術が、ソキが、成し遂げてしまった。

 一時のことなのか、永遠なのかは分からない。けれども法則が書き換えられ、故に。アスルはもう、『こわいこわい』を剥がせなくなってしまった。同じだけの効果を与える祝福など、ソキは編むことができない。痛みは祝福ではない。無理に魔力を使われた痛みと、アスルを使えない恐怖で怯えて叫ぶソキに、ロゼアは、額に手を押し当てて体をふらつかせた。

 ソキ、とくちびるが動く。声はなく。その様に妖精が目を細めて、舌打ちをする。

『憑依されてるのかなんなのか知らないけど、意識はあるのねロゼアのヤロウ……。ソキ。ソキ、いい? 落ち着いて聞きなさい。ソキが呼べばロゼアの意識が戻るかも知れない。分からないけど、可能性はある。ロゼアの意識さえ戻れば、あとはアタシがなんとかしてやる。だからソキ、ロゼアの意識が戻るような、こう……衝撃を与えるような……じつは好きなひとができたんですぅー、とかなんとか言ってみなさい』

「しょうげきを与えるです。わかったです……。ソキ、じつはロゼアちゃんがいっとう好き好きなんですぅ……!」

『この状況なんだからアタシの言うことくらいは聞いたらどうなの……!』

 とっておきのソキの秘密なんですうぅっ、それを秘密と思ってるのはお前だけだーっ、とソキと妖精が言い争っている間に、状態は安定してしまったらしい。は、とロゼアにため息を吐かれて、ソキはびくりと体を震わせた。

「全く……遊んでいる場合じゃないだろう? こっちへおいで、ソキちゃん。それとも、抱き上げてあげた方がいいのかい?」

「やうぅ……!」

 助けを求めて、ソキは談話室を見回した。誰かがやってくる様子もないし、倒れた先輩たちはぴくりとも動かない。呪いが効かなければ、妖精が敵う筈もなく。怯えて首を振るソキに、ロゼアは、ロゼアの体を操るそれは、穏やかな笑みを見せつけた。

「言うことを聞かないと、ロゼアくんがどうなると思う?」

 だから、ソキではなく。ロゼアが狙われていたのだ、と妖精は理解する。ソキを動かすのには、それだけでいい。本人を直に支配してしまうより、余程楽に言うことを聞かせることができるだろう。案の定ソキは震えながら、今にも要求をのみ込もうとしていた。駄目よ、と妖精は言い聞かせる。

『時間を稼ぎなさい。こんな異変、絶対に誰かが気が付く。必ず助けは来るから!』

「その前にロゼアくんの腕とか足が無くなってもいい? ソキちゃんがいいなら、いいよ。好きに時間を稼ぐといい」

 慣れた仕草で、ロゼアの腕がラティの剣を拾い上げる。それに、ソキは体を震わせた。とと、と足元がふらついたように、たたらを踏む。シディのいるソファに後ろから倒れ込み、ソキはぎゅぅっと目を閉じた。ソキ、と妖精が呼ぶ。ロゼアの声が、楽しげに笑った。

「さあ、ソキちゃん」

 おいで、と手が差し出される。ソキは閉じた瞼を開いて、ロゼアの体を、てのひらを見つめた。息が吸い込まれる。泣きそうな吐息。それなのに。瞳には、強い意思が咲いていた。気が付いた男が、なにをするより早く。ソキはロゼアに向かって微笑み、そして。

「ロゼアちゃん」

 ラティが贈った祝福の剣を、両手で持って己の首筋へ押し当てた。

「……ロゼアちゃん。ロゼアちゃん……ロゼア、ちゃん……!」

 ソキは知っている。自分にどれ程の価値があるのかを。それをどれくらい、ロゼアが認めてくれているのかを。大切にされていることを知っている。傷つけ損なわれることが、どれほど。ロゼアに衝撃を与えるのかを。

「かえしてっ……!」

 力の入りすぎた手が震えて、やわらかな肌に赤い線をつける。ひ、と悲鳴を殺すように、ロゼアの喉が鳴った。息苦しく。頭痛を振り払うように何度も頭がふられ、乾いた咳を幾度も零して。鈍く。夢へ沈められた霞がかった、ひどく苦しげな眼差しで。赤褐色の瞳が、ソキへ向けられた。

「……ソキ」

「ロゼアちゃ」

「ソキ、ソキだめだ。手を……!」

 ぐら、とロゼアの体が傾ぐ。その体に再び、魔力が混在させられる、一瞬の隙を決して逃さず。跳ね起きたシディがまっすぐ、ロゼアを指さして絶叫する。

『ボクが望むものは拘束され吐息のみが許される!』

 気迫を使い果たしたシディが、羽根からソファに倒れ込むのと。ロゼアが両膝をつき、そのまま支えきれずに床にうずくまってしまったのは、殆ど同時のことだった。目をぱちくりさせながら、ソキは震える瞳で妖精へ問う。妖精はじっくりロゼアを観察したのち、慎重に息を吐きだして、ソキの手元まで飛んできた。

『大丈夫よ。ロゼアには、呪いがきいた。これでもう、シディが解除するまでは起きないわ。……大丈夫。もう大丈夫だから、さあ、ソキ、力を抜いて。それを離しましょうね』

「う、う……うまく、できな、です。あれ、あれ……」

『緊張してるだけよ。ソキは誰にも操られたりしてないわ。大丈夫、大丈夫……息を吸って、吐いて。そうそう、上手よ。いいこね、ソキ。大丈夫よ……』

 手の甲、手首、腕を服の上からそっと撫でられて、ソキはじわじわと手から力を抜いて行った。白い指先に、血の色が戻る。するっと抜け落ちた祝福の剣を素早く回収し、布で包み、妖精はそれを全身で抱きながら、深すぎる息を吐きだした。

『アタシはロゼアに衝撃を与えろとは言ったけど……絶望させろとは言わなかったわよ……。自分を粗末にしていい、とも、言わなかったわよソキ』

「粗末じゃないもん。ソキはロゼアちゃんの『花嫁』で、いっとう大事なんですから、怪我をしちゃいけないです。分かったぁ?」

『分かったわよ分かってたわよこの手のことでソキに話が通じないなんてことはね……!』

 もう、と妖精の手がソキの頬を打つ。痛みはなかった。それなのに、涙がじわっと浮かんできて、心が痛くて。ソキはごめんなさい、と口にする。妖精は苦笑して、打ったソキの頬を撫でた。妖精はすこし落ち着いた様子で、談話室の惨事を眺めてうんざりとした顔をする。

『未曽有の大災害ね……。さて、どうしたものかしら。この感じだと『学園』全部がこうだろうから、待ってても……ロゼアはシディが寝てるから起きないとしてざまぁみろ反省しろばーかばーか』

「ロゼアちゃんわるくないもん!」

『は?』

 ソキにあんな行動を取らせた時点で、その責任はロゼアに押し付けてしかるべきものである。一音でソキを黙らせて、妖精は腕組みをした。

『問題はこの顔だけちゃんちゃら白魔法使いよね……。コイツがまた復活してくるとも限らないし……ソキ、アスルの呪いはどれくらいにしておいたの? 即死?』

「はんせーとかいりょーを重ねて、一日は起きて動けないくらいに、いたいいたいにしておいたです」

『……ロゼアが、なにかあった時の殺意が高めだから、もしかしてもしかしてと思ってたけど』

 まさしく攻撃で、呪いである。獰猛にも程がある。やりすぎだと言いたい所だが、結果としてはよかったのだろう。妖精は祝福の剣を持ったまま飛び立って、ソキを先導するように空を飛んだ。

『ま、いいわ。行くわよ、ソキ。安全な場所に避難して、助けを求めましょう』

「分かったです……。あ、こ、これはもしかして、ロゼアちゃんに行ってきますのちゅうをするだいちゃんすなのでは」

 ないですか、とソキが言い終わるより早く、戻って来た妖精がばしばしと頬を叩いてくる。その表情が麗しい微笑みであったので、ソキはぐずっと鼻を鳴らしながら、てちてちと談話室を歩き出した。『扉』へ向かって。




 ナリアンとメーシャが、駆け戻って来た時。そこにソキの姿はなく。倒れ伏す者たちに、ふたりは顔面を蒼白にして国々へ飛んだ。星降へ、花舞へ、楽音へ、白雪へ。二人は砂漠と『学園』の異変を知らせ、助けを求め、ソキを探した。けれども、どこの国にもソキはおらず。待っても、待っても、姿を見せることはなく。

 消息を辿ることは、できなかった。

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