暁闇に星ふたつ:80



 ロゼアと一緒に本棚を見上げていたソキは、あっと声をあげてくちびるを尖らせた。

「ソキの赤蝶々ちゃんたちが、なんだかいじめられた気がするです……!」

「ナリアンと、メーシャの所へ送った子?」

「はじめてのお使いです……心細くて、けんめいに頑張っているにちがいないです……」

 そわそわ不安げにあたりを見回すソキの背を、ロゼアはやんわりと撫で下ろした。大丈夫だよ、きっと二人の所まで辿り着くよ。大丈夫、大丈夫。柔らかな声で何度も囁かれ、ソキはゆるゆると気持ちを落ち着かせていく。二人ともちゃんと数字から戻ったかなぁ、と首を傾げるソキの頬を、ロゼアの指の背が幾度も撫でた。

 ソキが二人の元に蝶を送ったのは、ニーアとルノンの代理である。呼び寄せられてから白い本を取り囲み、ああでもないこうでもないと不思議がる妖精たちの話し合いは、未だ終わる気配がない。掃除から戻ったロゼアがソキを腕に取り戻し、ゆっくりお昼を終えてなお、『武器』が返却される気配はないままだった。

 もう、リボンちゃんが手元から離しちゃだめって言ったですのにぃ、とぷんすこしながら、ソキは図書館へやってきた。妖精が、待ってる間にやることがなければ、自分の『武器』について勉強なさいと告げた為だ。リトリアに簡単な問い合わせの手紙を送り、返事を待つ間に、やることはやっておかなければならない。

 うぅん、とロゼアの腕の中でくちびるを尖らせる。背の高い本棚の一番上へ、ぐーっと両腕を伸ばしてちたぱたした。

「あそこ、あそこに予知魔術師の御本があるです。うーん、うぅーん……!」

「ソキ。ぱたぱたしたら危ないだろ」

「もうちょっとでー! とどくですぅー!」

 妖精が同行していれば呆れ顔で、アンタがもうひとりは必要な高さはもうちょっととは言わないと教えてくれただろうが、あいにくと会議中である。図書館の人のいりもまばらで、頑張ろうとするソキをじっくり眺めて愛でているロゼアを、積極的に止めてくれる者もいない。一分程ちったんぱったん頑張って息切れをしたソキは、しょんぼりとロゼアに抱きついて懇願する。

「ロゼアちゃん……本を取ってくださいです……。ソキには届かない高さでした」

「うん。いいよ」

 ロゼアはソキをしっかりと抱いたまま、書棚にかけられた梯子に足をかけた。瞬く間に目的とする棚まで辿り着く。ロゼアの手に取った一冊を、ソキは満足げに受け取った。

「これだけでいいの? あとは?」

「あと、えっと、そっちの御本と、その隣のもです」

 ひょいひょいと二冊をさらに取り、ロゼアは身軽く梯子から飛び降りた。ふわ、とソキの頬を風が撫でる。衝撃はそれだけで、ロゼアが床に靴をつけた音すら、ほんのかすかにしか響かない。読書に適した場所を求めて歩き出すロゼアの腕の中で、ソキは三冊の本を、それぞれじっくりと見比べた。

「予知魔術師、応用編、です。こっちは、予知魔術師の伝言、です。それでこっちが、分からなくなったら開く本。予知魔術師にしか読めないから安心してね、です……読めないから安心してねです……?」

 ソキがまだ読んでいない、予知魔術師に関する本は、これが全てである。元から数が多くない為、背表紙だけで判別できたが故に、題まで確認はしなかったのだが。この中にソキの求める情報があるかは、難しい気がしてきた。むむっと眉を寄せるソキに、ロゼアは微笑しながら囁いた。

「リトリアさんにもお手紙したろ。大丈夫だよ、ソキ」

「はぁい」

 本はどれもしっかりとしたつくりだが、すぐ読み終えてしまいそうな厚みだった。窓辺に引き寄せた椅子にロゼアと一緒に座りながら、ソキはまず応用編を手に取った。目次にさっと目を通す。限られた魔力でどう予知魔術を展開していくかが主で、『武器』についての項目はなかった。

 すぐに閉じてもう一冊を手に取る。予知魔術師の伝言。目次に目を通すと、入学から卒業まで、効率のいい授業計画、とある。次章は王宮魔術師としての魔術活用術。興味がない訳ではないが、これもソキの今求める情報ではなさそうだった。それに、ソキの一番効率の良いやり方は、本よりロゼアが詳しいに決まっているのである。

 んもぅー、と落ち込みながら、ソキは最後の一冊を手に取った。予知魔術師しか読めない本、とある。ソキが目次を覗き込むのを一緒に眺めていたロゼアが、ん、と眉を寄せたのを感じて視線をあげる。なぁに、と問えば、ロゼアはしぶい顔をして首を振った。

「ソキ、俺には読めない……。たぶん、全然違うものが見えてる。ソキにはちゃんと、文字が見えるの?」

 急いで本に視線を戻す。目次は簡単な言葉が並べられていた。困った時に。体調、魔術、武器。あっと目を輝かせて、ソキはこくこくと頷いた。

「ぶき! あるです……! ロゼアちゃん、ここ! これ!」

 ソキが指を押し当てた先をためつすがめつし、ロゼアは呆れと疲労の入り混じった息を吐き出した。

「駄目だ……。ごめんな、ソキ。俺にはアスルが転がってたり、伸びたり、色々してるようにしか見えない。絵文字、というか。絵本……?」

「え、ええぇえ! いいなぁ、いいなぁ……! ソキも、ソキもあするみたいですぅ……!」

 ロゼアが言うには、本を特別な魔力が包み込んでいるらしい。手に持つ者の適性を読み込み、判別しているようだった。ソキは本を振ったり閉じたり、眺めたり撫でたり、閉じたり開いたりを幾度も繰り返し、目次をもう一度見直して、心の底からがっかりした。

「アスル……。アスルの絵文字……きっと可愛いに違いないです……。ロゼアちゃん、どんなだったか後で絵に描いてく」

「ソキ、本読むんだろ。読むの偉いな、いいこだな」

 でっしょおおお、とあっさり乗せられて、ソキは意識を本に集中させた。ソキはいまひとつ分かっていないが、ロゼアにも苦手なものはある。ソキは目次をちまちまと読み進め、ひとつの項目に目を止めると、きゃぁんと叫んで目を輝かせた。

「魔術師の『武器』の使い方が分からなくなったら、ですぅ! これ、これですー!」

「よかったな、ソキ。なんて書いてあるの?」

 えっと、えっと、と本をぺらぺらめくって行く。これ、という所を開いて、ソキはそれをはりきって音読した。

「この本には書いてないから、手順に従って『予知魔術師の伝言』の内容を書き換えてね! ……う?」

 疑問いっぱいな顔で『予知魔術師の伝言』を手に持ち、膝から滑り降りようとするソキを、ロゼアはやんわり抱きなおした。

「どうしたの。なんて書いてあるんだ?」

「んっとねぇ……ソキはこの本を持ってけんめいにお歌をうたう……? です……?」

「……ん?」

 ソキのつたない説明をロゼアがまとめた所によると。本には隠蔽と改竄の魔術がかけられており、予知魔術師が一定の手順を踏むと、本来の内容へ戻る、とそういうことであるらしい。その方法が、本を持って歌う。歌はなんでもいいらしい。ロゼアはほっとしたように笑い、ソキの頭に顎を乗せた。

「ここで歌えばいいよ。どこか行く必要ないだろ」

 ソキも別に、離れたい訳ではないのだが。なぜかくっついていてはいけないような、そんな気がしたのである。しかしロゼアがそう言うなら、ソキに嫌がる理由はない。本を両手でぎゅっと持って、ソキはうんと息を吸い込んだ。囁いたのは、子守唄だった。優しい眠りを告げる歌。起きたらだめよ、と囁きかける。

 起きたらだめ。起きたらだめ。起きないで。それはだめ。いや。いやなの。いや。ロゼアちゃんはソキの。ソキのです。だから、一欠片だって。あなたにはあげない。眠っていて、ずっと。ずっと。覚めない眠りの中にいて。

「……ソキ?」

 思考の中で祈っていたソキの意識を、ロゼアの声が呼び戻す。はっ、と息を吸い込んで目をぱちぱちさせるソキに、ロゼアはこつりと額を重ねて微笑んだ。上手に歌えたな、可愛いな、偉いな。さ、見てごらん。

「本の魔力の色が変わった。俺にはやっぱりアスルに見えるけど……」

 ソキは、わくわくしながら手に視線を落とした。本の題名が、確かに変わっている。変わっているのだが。ソキは納得しきれない顔つきで、本の題名を読みあげた。

「……よいこのまじゅつし、でんごんちょう」

 対象年齢が下げられた気がする。ソキはもう十四で、もう数ヵ月もせず年明けを迎えれば、十五になる淑女であるのに。ゆゆしきことである。これはなんだか、いじわるというものではないのだろうか。しかし、何度読んでも『よいこのまじゅつしでんごんちょう』である。

「……あ! お歌です! お歌がいけなかったにちがいないですうううう!」

 大人っぽい恋歌であるとか、そういうのであれば、適切なものに変化する筈である。絶対にそうである。なんといっても、ソキはそろそろ淑女。淑女になるのだから。やりなおしというやつです、とソキは張り切って歌い直した。恋の歌。伝承歌。英雄譚。しかしソキがなにを歌っても本の題名はかわることなく。ソキの手の中で、静かに開かれる時を待っていた。


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