暁闇に星ふたつ:79
妖精たちが一冊の本を取り囲む光景に、生徒たちはなにかの儀式かな、と不思議がる視線を向けては過ぎて行く。声をかける者がないのは、ソキの妖精の顔がかたくこわばっていたからだ。シディもルノンも、ニーアの表情にも困惑と緊張が現れている。視線はソキの本にだけ向いていた。
そろそろとニーアが手をあげる。
『……私も、先輩の魔力だと思います』
『……そう』
『でも……なんだか……』
忙しくしてるのに悪かったわね、と妖精が告げるより早く。ニーアは考えこみながら、本を注視して呟いた。誰かに言うのではなく。思考を深めていくだけの呟き。
『今の先輩のものでは、ないような……? なにか、思い出みたいな……昔の……やさしい、記憶、の、ような……』
『ニーアさんのようには読み解けませんが』
集中を終えて息を吸い込みながら、シディが真っ直ぐな目で妖精を見る。
『この魔力はリボンさんのものだと思います。間違いなく』
『どうなってるんだよ……? 確かめて来たけど、メーシャの『武器』は俺の魔力じゃなかった。当たり前だし、言われた時はなにをと思ったけど……』
『ナリちゃんの杖も、私の魔力じゃなかったわ。私じゃないもの……。私は、私だけ。でも、でも、これは……この子は……』
確かに。言葉の続かない困惑に、妖精たちの訝しみが滲み出る。世界に同じ魔力を持つ他者は存在しない。例外が、意思なき物に宿る魔力であり、魔術師が具現化させ生み出す者たちだ。ソキの赤い鉱石の蝶は、蜂蜜の魔力で出来ている。ある程度は独立した意識を持つようだが、それはソキの欠片だからに過ぎない。
零れ落ちたもの。作りあげられたものに、署名として封じられる魔力。それだけが同一のもの。意識持つ魔術師の『武器』は、それに当てはまらない。妖精は手を伸ばして本に触れた。帆布を撫でる。そこに宿る意思は言葉さえ響かせなかったものの、僅かにくすぐったそうに震えたのが感じられる。死に絶えたからこそ、妖精の魔力を持つのではないのだ。
生きた意識が、妖精と同じ魔力を持っている。沈黙する妖精に、またそろそろとニーアが手をあげた。
『ひとには、双子、というのもあるって聞きます』
『ニーア。アタシが本に見える? アタシが本だったことあった?』
「リボンちゃんなにしてるんですぅ?」
棚に指先をひっかけてせいいっぱい背伸びして。ぴょこん、と顔を出したソキが、ぷるぷるしながら問いかけてくる。妖精は振り返り、良いから座っていなさい、と言い聞かせた。談話室でも高めの棚の上。ソキには手も届かない場所を選んだと思ったのだが、ぎりぎりなんとかなってしまったらしい。移動しようか、とルノンがソキの本を抱え上げ、舞い上がる。
ぷきゃんっ、としりもちをついたソキを見下ろして、妖精は髪を手でかきあげた。
『いいから座ってロゼア待ってなさい。終わったら返すから』
「おしりをぶつけちゃったです……。いたいいたいです。……あっ、ロゼアちゃんになでなでし」
『来る機会来る機会全部生かそうとするんじゃないわよーっ! 恥じらいを持てって言ってるでしょう!』
持ってるですぅ、とおしりに両手をあてながらよろよろ立ち上がり、ソキはくちびるを尖らせて主張した。
「今日だってソキはぁ、ロゼアちゃんの言う通りにお服を着て、ちゃぁんとお背中も、お脚も、ぜぇんぶ見えないようにしているです。慎み、というやつです。恥じらい深いです。えへん」
『肌を出さなきゃいいって話をしてるんじゃないの。言動の話をしてるの。恥じらいと、慎みと、礼儀作法の話をしてるのよアタシは!』
持ってるからソキには関係のないおはなしでした、とばかり、自信満々に頷かれる。ロゼアはどういう教育をしたんだと舌打ちをしかけ、妖精は諦めの気持ちでソキを見た。そういう偏った教育をしたからこそ、ソキがこうなったに違いないのである。唯一の救いは、ロゼアだけにしかがつがつ行っていない所だろうか。それはそれで問題なのだが。
妖精はソファにのすっと座りなおしたソキを見つめ、頭痛を堪える息を吐き出した。
『ソキ。たまにはつれなくして気を引くとか、そういうこともしてみなさい』
「つれなく……? です?」
『ロゼアに冷たくしてみなさいっていうこと……なんだけど……アンタには無理よね……』
ロゼアちゃん寒いの嫌いなんですぅ、とこっくり頷くソキにその冷たいじゃないと訂正する気にもならない。いいからじっとしていなさいよ、談話室に移動するのだって渋ったんだからと再度言い聞かせ、妖精はひらりと舞い上がった。今度こそ、ソキの手が届かない高い棚の上。白い本を見つめる妖精たちの目は、変わらぬ困惑に満ちていた。
それに気がついたのは、ナリアンが最も早かった。ふわん、と新しい魔力が場に現われる。蜂蜜めいた色だった。ちかちか、ぴかぴか、星のように瞬いている。歌っている。ふわんふわんと目の前を横切っていくそれを凝視して、ナリアンは思わずえっと声をあげた。
「そ……ソキちゃん……っ? 先生! 先生ー! ソキちゃんの魔力がー!」
「は?」
「これ! これっ! ソキちゃんの魔力じゃないんですか……?」
ナリアンが指差す先に、蜜色の魔力がふよふよ浮かんでいる。ロリエスは訝しげに目を凝らし、記憶を探り考えて、ナリアンの混乱を首肯した。
「そうだな、ソキの魔力だと、私も思う。チェチェリア」
これを、とロリエスが示そうとすると、魔力は意思を持つかのようにふるる、と震えた。いやん、と声が聞こえるように、触ろうとした手をちょっとだけ避け、ぷかぷかふわわ、漂っていく。周囲の魔力と比べても、なぜか格段に遅い、とするよりも鈍い動きだ。
会話を聞いていたのだろう。チェチェリアは振り返り、それをすぐ見つけ出して、にっこりと笑った。
「ソキだな。間違いない」
「えっこれどういう……?」
困惑するナリアンの周りを、魔力はふよふよ漂った。やがて、ソキの魔力はナリアンの頭の上に着地する。ちかちか、ぴかぴか。ふるるるるっ、とご機嫌な印象で魔力の玉が揺れ動く。重さは当然感じない。え、え、と困惑しているうちに、魔力はしゃぼん玉のようにぱちんと弾け、消えてなくなってしまった。
すぅ、と風の属性を抱いた魔力が、ナリアンの中に流れ込む。疲労が押し流され、すっきりとした気持ちで瞬きをした。訳知り顔で顔を見合わせて笑う教員たちに、ナリアンはなんなんですか、と頬をやや赤くしながら問いかける。肩を震わせ、ロリエスが目を細めた。
「心配なんだろう。今頃、メーシャの所にも行ってるんじゃないか」
「恐らくは祝福かなにかだろう。愛されてるな、ナリアン」
「心配しなくても……いいもの、ですか?」
目を凝らしてあたりを見回しても、蜜色の魔力はあれひとつきりのようだった。魔術を発した名残であるなら、もっとたくさん出てくる筈である。知識を掘り返して首を傾げるナリアンに、ロリエスとチェチェリアは、声を揃えて恐らく、と言った。
「心配で様子を見に来たんだろう。ロゼアの所にも、時々赤い蝶がくっつきに来る。『扉』をくぐったにせよ、『学園』からの長旅で形を保てなかったんだろう。具現化の持続は術者本人の集中と適性に、体力も絡んでくる、とされているからな」
「されている、なんですね」
「己の魔力を、魔術発動や物質付与以外の形で出せる者は珍しい。予知魔術師は特例だが、つまり……そもそもの数が少ないから研究が難しい」
まあ、今後研究は飛躍的に発展するだろうがと苦笑するチェチェリアに、ロリエスも静かに頷いた。天才の名を冠すエノーラとキムルが錬金術師を牽引し、滅多に現れない予知魔術師が二人もいるのだ。なにかと不器用なリトリアとは違い、ソキは入学時からぽむぽむと魔力を具現させ続けている。
きっかけは純粋な魔力漏れだが、以後、ソキはそれを意識して生み出している。魔術の術は、努力だけでは届かない。それを成すのに必要なのは、ただ純粋な適性だ。才能とも呼ばれるそれを持つ者だけが、その場所へ辿り着く。可能か、不可能かで区別がされる。望みは決して届かない。
魔術師たちの、どうすることもできない掟だ。それは時に希望を隠し、時にささやかな救いともなる。
「ソキは、今日はなにをしているんだ?」
問いかけるロリエスの顔の前を、形を失って球状になった蜜色のひかりがまたひとつ、ぷかぷかふわふわ通過していく。恐らく、メーシャの元へ行きたいのだろう。チェチェリアが手で捕まえようとすると怯えたようにぷるるるっと震え、もそもそした動きで指を避けようとする。やぁんやぁんろぜあちゃぁん、と言いつけるように、魔力はぺかぺか瞬いた。
チェチェリアが笑いながら手を遠ざける。ふしゅる、と安心したように全体を和ませ、魔力はぽやぽや、砂漠の王宮、奥深くへと移動して行った。その先には確かに、メーシャがいる筈である。迷わないで辿り着けるかな、とはらはら見守るナリアンの隣で、チェチェリアが口に手を押し当てる。
肩が震えていた。笑っているようだった。
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