暁闇に星ふたつ:78



 すごいでしょう、と誇らしげにされる。妖精はもうどうすることもできない気持ちで息を吐いた。お屋敷語では水遊びのことを泳ぐ、というらしい。まあそう思ってるならもうそれでいいわ、正すとロゼアがめんどくさそうだし、と飲み込み、妖精はふふんと自慢げなソキの頬を突っついた。

『さあ、ソキ。ごろごろから起きたなら、アンタも片付けとか……する所がないから、散歩以外のなにかしなさい』

「お散歩はなんでいけないんです? なんで?」

『ロゼアになんて言われたかしら?』

 俺が戻ってくるまでお部屋の中でじっとしていような、である。そうでした、と物分りよく頷いて、ソキが絨毯によじよじと座りなおした。なにをしようかなぁ、と室内を見回すソキの視線を追いかけても、暇を潰せそうなものは見当たらない。裁縫や手芸の道具はロゼアの部屋に移してあるし、勉強の道具一式も同じことだった。

 隠してた本も見つかっちゃったです、とぷぅと頬を膨らませて残念がるソキに、あの本の未練はもう断ち切りなさいと妖精は言い聞かせた。

『本……そうよ、ソキ。本のお手入れしなさい。どうせ一回もやってないでしょう?』

「おていれ? です? ……お掃除? 汚れを拭くの?」

『魔術師の『武器』の手入れよ。教えてあげるから、ほら、本を出しなさい。今日はどこへやったの?』

 ソキは絨毯の端においておいた、しろうさぎちゃんお出かけリュックにあわあわと歩み寄り、中から本を取り出した。白い帆布の上製本。妖精が最後に確認した時は文庫本くらいの大きさであった筈なのだが。手に持ってしげしげと見つめ、ソキはあれ、と声をあげる。

「しろほんちゃんたら、なんだかちょっぴりちいちゃくなったぁ……ですぅ……?」

『……魔術師の『武器』っていうのはね、意思があるの。意思があるから、それなりに進化することもあるし、形状もすこし変わることもあるんだけど……。それ以上ちいさくならないでいいように、せっせと使ってあげなさいよかわいそうに……』

 ちいさくて運びやすくなればもっと使ってもらえるかな、という、涙ぐましい努力が妖精には伝わった。思わず目頭を押さえながらソキを叱ると、つつん、とくちびるが尖らされる。

「だぁってぇ……。しろほんちゃん、なにを書いても消えちゃうです」

 はんこーてきということです。いけないです、とぷくぷく頬を膨らませるソキの手の中で、静かにあるばかりの本は、なんだかしょんぼりとして見えた。彼らの意識、言葉が響くのは『武器庫』の中だけであるという。占星術師であれば夢の中で邂逅することもあると聞くが、全員ではなく一部の者に限られるともいう。

 だからこそ魔術師は、己の『武器』の使い方を知らなければいけない。いけないのだが。ソキの周りにいる駄保護者どもと、駄先輩ども、ほけほけふわふわした天然教員を思い、妖精は期待を失った目でふるふると首を振った。今まで、ソキにそれを確認しなかった妖精にも非はある。あるのだが。

『……ソキ? 武器の使い方はちゃんと勉強したの? 誰かに教わった上でのことなんでしょうね……?』

「う? ……ごすって、殴る、です」

『図書館で教本を読んでその結論なの?』

 妖精の笑顔が、とても怖い。ソキはぷるぷる震えながらアスルを抱っこした。あう、あう、と言葉を探している間に、ゆら、と羽根をゆっくり動かしながら、妖精が腕を組む。

『それとも、リトリアに聞いたの? ウィッシュには尋ねたの? 先輩に教えて貰った? それともロゼアがそう言った?』

「も……もしかして、もしかしてなんですけどぉ……!」

 ぷるるるるっ、と震えながら、ソキは怯えきった目で妖精をうかがった。

「リボンちゃんは大変お怒りですっ……?」

 せめて、使い方が違うの、という言葉を聞きたかった。周り中よってたかってソキをでろでろに甘やかすからこういうことになるのである。あ、あっ、やっ、と髪に両手をあてて震えるソキに手を伸ばして。妖精は遠慮なく、ふくふくした頬を、これでもかと突いてやった。




 腹立ち紛れにソキの胸の上に座ったらふにゃふにゃして居心地が良かったので、妖精はそこで落ち着いてやることにした。やぅ、う、といまひとつ落ち着かない不安げな声を出して、ソキはぴこぴこ左右に揺れ動く。

「リボンちゃぁん……お胸の上に座っちゃやぁんですぅー」

『また胸大きくなったんじゃないの……? そんなに揺れるとまた酔うわよ、ソキ』

「成長したです。ロゼアちゃんも褒めてくれたですぅ……やぁん、リボンちゃんがお胸から降りてくれないですうぅ……」

 手で払い落としたりせず、ぴこぴこ左右に揺れて落ちるのを期待する抵抗の仕方が、じつにソキである。アイツは胸も好きなのかと思いながら、妖精はぴたっと動きを止めたソキを見た。酔ったらしい。日々貧弱さが加速しているのは、気のせいでもないらしい。冬の間に寝込まないように体力をつけさせなければ、と決意する。

「ソキのお胸はリボンちゃんのお椅子じゃないんですぅ……やうぅ……」

『暖かくてちょうどいいわね……冬はここにいようかしら』

 妖精の悩む声が真剣である。やうー、やうー、と身動きをして、ソキは助けを求めて部屋の入口を見た。開け放たれた廊下の向こうにひとはなく、ロゼアも戻ってくる気配がない。このままだとソキのお胸がリボンちゃんのお椅子にされちゃうです、とすんっと鼻をすすり、いやんいやん、と改めてもぞもぞする。

「のっちゃだめぇ……!」

『なんでそんなに嫌がるのよ。減るもんでもあるまいし』

「肩がみしみししちゃうですぅ……!」

 聞けば、妖精が重くて痛いだとかそういうことではなく。肩が凝るのが嫌でぐずっていたらしい。理由は分かったが、ソキの体温がぬくぬくと暖かく、ふわふわもちっと柔らかくて動きたくない。妖精は、心から面倒くさそうにソキを見上げて言ってやった。

『肩凝らないように祝福してあげるわ。それならいいでしょ?』

「……りぼんちゃ……ソキのおむねが気にいったにちぁいないです……。リボンちゃんをゆーわくしちゃったです……ロゼアちゃんにはきかないですのにぃ……」

 もにもにしてもすりすりしてもだめなんですぅー、と落ちこむソキに、妖精は適当な態度ではいはいそうねと頷いた。だめというか表面に出ていないだけで、喜んではいる筈である。なぜならロゼアはむっつりだからだ。あんまりロゼアにだってやるんじゃないのよ、と言い聞かせると、ガッカリしきった声ではぁい、と返事が響く。

「……あ、でもでもぉ? 押し倒されちゃったですからあぁああああふにゃああきゃぁああんきゃぁっ! もうちょっと、もうちょっとですううう」

 今日のおねまきはロゼアちゃんがいっとうすきすきなのを着せてもらうですっ、と昼間から気合を込めてふんふん鼻を鳴らすソキは、重くないと言った通り、胸の上の妖精が気にならないらしい。座り込んだまま、常と変らぬ態度で白い本を手に取り、ためつすがめつ眺めている。腹ばいになって寝転びながら、妖精もなんとなく白い本を見つめた。思えば魔術師の『武器』を観察する機会というのは、意外とすくないものである。

 剣や杖と違い、本をどう『武器』として使うのかは妖精にも分からない。ロゼアが戻ってきたら図書館へ行って本を探すことと、リトリアに手紙を今夜にでも出すことを約束させて、妖精は目を眇めた。魔力を注視したのは無意識だった。存在そのものが魔力に近い妖精たちは、感覚としてそれを受け止める。加えて、魔術師が苦労して読みとるそれを、常の視界に写しているから、意識して『見る』ということは殆どしない。

 妖精は、じっと『本』を見た。なにか違和感があって、なにか、覚えがあった。懐かしいような。知っているような。

「……リボンちゃん? しろほんちゃんが、どうしたです?」

『……これ。この魔力は……?』

 魔術師の使う武器にも、魔力が宿る。それは持ち主の魔力であり、属性の魔力であり、そして。意思を持つ、声を響かせる、『武器』たちの持つ固有の魔力そのものだ。白い本にはソキの魔力が宿っていた。風の魔力も溶け込んでいるのを感じる。湯に溶かされる蜂蜜のように。甘くきらきらと輝いている。とろけている。それがソキの魔力だ。心地よく、柔らかく、甘く。きらきら、ちかちか、愛らしく輝く。

 妖精が訝しんだのはもうひとつだった。『武器』の持つ固有の魔力。魔力はひとつとして同じものがない。個性であり、識別であるからだ。『武器』の魔力。それに妖精は覚えがあった。知っていた。分からない筈がなかった。そんな筈がない、と思いながら手を伸ばして本に触れる。確認して。

『……アタシの、魔力……?』

 妖精は、信じがたい思いでソキの『武器』を注視した。予知魔術師が『武器庫』から持ち帰って来た本を。必ず守ってみせると、そう。暗闇の中でソキに告げた、予知魔術師のたったひとつの『武器』を。

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