暁闇に星ふたつ:77


 シークを誅殺する機会だと思ったのにな、と残念そうにするラティは、例に漏れず殺意高めの魔術師である。文献に言葉魔術師殺すべからずの忠告があるのは知っていても、どうにも諦めきれないらしい。他国の魔術師たちも、同じだろう。殺してはいけない、という言葉が存在している。その理由だけが消し去られている。不自然なまでに。

 それをもし、語る者があるとすれば。それがツフィアだ。ツフィアは王に話がある、と言っている。今度こそ、問われる言葉の全てを明らかにすると。その為にリトリアの同席を絶対条件としていることが分からないが、機会はもうすぐそこに来ている。焦る必要はない筈だった。シークは砂漠の地下、奥深くへ閉ざされている。

「具現化って……そうほいほい出来ることじゃないんですよ、陛下」

「難しいのか?」

「正直に申し上げると、そうです。具現化っていうのは、うーん……魔力を水、祝福や呪いといった術の方向性を砂糖とすると、煮詰めて飴を作る感覚なんですけど……。こう、火加減となるとまた別の技術っていうか……。物質として存在する形に整える、ということでもあるので、錬金術師なら……というか、エノーラならなんとかできちゃうかな? くらいのことで」

 ソキちゃんは予知魔術師だから別枠として考えて欲しいと訴えるラティに、王はつまり難しいんだな、と頷いた。上手く説明もできないので、ラティはそれを全面的に肯定した。難しいというか、可能不可能の不可能寄りで、できない、と表すのが感覚的には近いのだが。

 魔術師にしか通じない感覚である。言葉が届かなければ、適度な所で妥協も必要だった。それなのに王は、分かった、と頷きながらもしれっと言った。

「じゃあ、とりあえずやってみろ」

「え、ええぇ……私にはなんとかならないことなんですが……?」

「失敗するとどうなるんだ?」

 祝福の性質を乗せるのであれば、部屋中にそれがぶちまかれるだけである。城内へ零れていくことも考えられるので、調査中の魔術師がさぞ頭を抱えることだろう。砂漠の魔術師が調査の邪魔をしてどうするんですかと呻くラティに、砂漠の王は好奇心に溢れた少年めいた瞳で、いいからやれよ、と命令を下した。暴君である。

「成功させればいいだろ?」

「……分かりました。分かりましたが、事前に申し上げておきますと、成功確率すっ……ごく! 低いですからね!」

 城内で調査中の顔見知りたちに頭の中で謝りながら集中するラティに、どれくらいだよ、と王が訝しげに確率を問う。集中しきった瞳で、ラティは静かに言い切った。

「ソキちゃんが徒競走で一位になるくらいです」

「可能性が低いじゃなくてマイナスに振り切れてんだろうがそれ」

「ロゼアくんが競争相手を全員転ばせてソキちゃんを抱き上げて走れば行けますよ陛下……!」

 それはすでに別競技である。だめだな、と早々に見切りをつける王に全力で頷いて、ラティは元気よく言い放った。集中しきって解き放たれるのを待つだけの魔力が、体の中でぐるりと円を描いている。

「よーし皆にごめんなさいって言って回ろー!」

 祝福とは、個々が胸に持つ世界への祈りであり、愛である。発動に思い描くものは様々だ。苦笑いして見守る砂漠の王へ意思を捧げながら、ラティが脳裏に描いたのは星降の城だ。一生をそこで過ごすと思っていた。魔術師として未来を手放し、異界へ招かれるその瞬間まで。その場所を、彼の人を、守り続けていくのだと信じていた。

 夢を手放した日のことを忘れられない。今は眠りと共に、それを贈ることしかできないのに。

「……あれ?」

 祈りの形に組み合わせた手の中に、なにかがあるのを感じて両手を開く。魔力がそこへ収束したのを感じた。一瞬の眩暈。瞬きをして世界を取り戻した時、ラティの手へうまれていたのは小さな剣だった。柄まで入れて、ラティの両手と同じくらいの大きさだ。指先で摘んで鞘から引き抜けば、刀身は細いものの、意外としっかりしている。

 えっと、と戸惑いながら、ラティは恐々と己の主君へ視線を向ける。

「……成功しちゃいました」

「そこで剣出してくるのがな……。ソキは花弁だったんだろ? 個人差あるのか、やっぱり」

「成功例が極端に少ないので、個人差なのか偶然の一致か、までは……」

 どうしようかな、と困惑しきりでラティは小刀を見下ろした。重量はあるものの、腰にある長剣のことを考えれば玩具のようなものだ。書類が風に飛ばされないように上に置きますか、と献上したがるラティに、砂漠の王は笑いながら首を振った。

「いい。祝福だから、いいものだろ? 自分で持ってろ」

「え、ええ、こんなちっちゃいの護身用にもならな……あ、ソキちゃんにあげていいですか? ソキちゃんなら護身用にしてもぴったりくらいの大きさかも! いらなかったら手紙の封切るのとかに使ってもらえばいいし」

 ただし、ソキに刃物を渡すことに関して、ロゼアの許可が取れればの話であるのだが。好きにしろよ、と苦笑する王に、ラティはそうしますと頷いて伸びをした。過剰な魔力を出せたので、体が楽で気持ちいい。あ、二時間でエノーラを起しに行くので、またその間だけお傍を離れますね、と報告するラティに、砂漠の王は仕方がなさそうに頷いた。

 背負い込みすぎるなよ、とかけられた言葉に、占星術師は微笑んで一礼した。



 四階のソキの部屋。絨毯の端から端まで。右に左にころころ転がって往復しているソキは、不機嫌顔である。ぷーっと頬を膨らませて、アスルをぎゅっと抱きしめている。妖精は部屋の入り口に視線をやり、ロゼアが戻ってくる気配がないことを確認すると、ほとほと呆れた表情で息を吐き出した。

『いい加減にやめなさい、ソキ。酔うわよ』

「ソキだってソキだってぇ、お掃除できるんです! できるもん! おそーじ!」

『そうね。今まさに、絨毯の埃を服にぺとぺとつけてる所よね……ああ、もう。ソキ、こら!』

 なんだか目がくるくるしてきたです、とソキはくちびるを尖らせて動かなくなった。案の定、酔ったらしい。しばらく動くんじゃないのよ、と肩に降りて頭を撫でてやれば、しょぼくれた声がほよほよと響いていく。

「ロゼアちゃんはいつも、お掃除の時にソキをお部屋においていくです。よくないです」

『ソキ? 掃除の役に立つようになってから落ち込みなさいね』

「ソキはぁ、お片づけ得意なんですーぅー。それにぃ、ソキも、あの、水拭き、というのをしてみたいです!」

 こんなね、布をね、こうやってね、ぎゅむっとしてね、それでね、それでね、と起き上がり、身振り手振りで説明してくれるソキに、妖精ははいはいそうねと頷いた。水を絞りきれなくて、びったびたの布であちこち塗らしてまわるのが目に見えていた。挙句の果てに零した水をふんずけて転び、頭だのおでこだのを打つに違いない。

 だいたい、この時期の冷たい水に手を浸すなんてことも、経験がないだろうに。問いかけると、ソキはくんにゃりと首をかしげ、いまひとつ理解していない顔つきで目を瞬かせる。

「お水? ……つめたいです?」

『……まさか? ……いやまさかとは思うけどそんなまさかいやでもロゼアなら、ロゼアならやりかねない……!』

「んん? つめたいお水もあるですよ。ソキ、知ってるです」

 あったかいのと、ちょうどいいのと、つめたいのです。えへん、と胸を張るソキに、そうねそれたぶん飲用ね、と言葉を飲み込み、妖精は額に手を押し当てて思考を巡らせる。風呂場で冷たい水に遭遇しないのかとも思うが、『学園』の魔術整備は完璧だ。必要ない場所ならそのままくみ上げたものが流れるが、水は適時調整されている。

 ソキと共に五国を移動したのも、夏である。夏の山水は冷えて心地よかったに違いないが、冬の、しんと骨を痛ませる温度とはまた違うものだった。なんと言えばいいのか分からずに呻いて、妖精は首を横に振った。どうせソキが、どうしても水拭きしなければいけないような状況になったとして、ロゼアか誰かが布を絞って渡すに違いない。

 ソキの手が荒れる可能性がある作業を、ロゼアが許すとも思えなかったが。ロゼアの教育方針を今一度正さねばならない気持ちで目つきを険しくする妖精に、お水で思い出したんですけどぉ、とソキがややふんぞりながら言ってくる。

「ソキ、つめたいお水でぇ、泳いだこともーあるんですよ?」

『……ちょっと詳しく説明なさい?』

 泳いだ、の意味が妖精が知るものとは違う可能性がある。ソキは膝の上に乗せたアスルをもふもふ手で触りながら、機嫌よく言葉を並べていく。

「えっとね、えっとね。夏にね、泳ぎの練習があってね。水着でね、『お屋敷』のお庭のね、すみっこの噴水の所でね、ちゃぱちゃぱするです。ソキは泳げるですぅー!」

 この上ない自慢顔である。へぇー、そうなのー、と全く信じていない声で返事をしつつ、妖精は重ねて確認した。体のどこまで水に入ったのか。ソキは不思議さいっぱいの顔で目をぱちぱちさせ、んと、と服の上から腰と、おなかのあたりを手で触った。

「これくらい、なんですよ。それでね、それでね、ちゃぱちゃぱしたです」

『……泳いだって言わなかった?』

「泳いだです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る