暁闇に星ふたつ:76


 食事の時間がもったいない。だから一口で一食まかなえるようなものにして欲しいとエノーラは言った。言ったのだが、砂漠の王宮付き料理人たちは強かった。いいですか食事時間を仮に三十分として、一日三回で一時間半。連続した一時間半だとしても、三回分一時間半にしても、その遅れで間に合わないのだとしたら計画段階から間違っている。

 だから諦めて、休憩を兼ねたとしても食事は取れ砂漠の王宮にいる間は絶対に、と怒られて、エノーラは机に肘をついてふてくされたまま、サンドイッチを頬張った。片手で楽に食べられるものにしてくれただけ、料理人たちも理解はしてくれているのだ。食事をおろそかにするなど言語道断だと怒っただけで。なにか積もったものがあったにちがいない。

 心当たりは、と睨むように視線を向けた先、ラティが笑顔のままでさっと視線を反らす。ええとそれはその、と言いたがらない言葉の先はない。諦めず待ってやると、前科がたくさんあるからかな、と弱々しい声が零れ落ちた。

「陛下の不眠がまだ酷かった時にね……ちょうど成長期と重なってたみたいなんだけど、眠らないから食べられなくて、吐いちゃったり、でもあれこれ動かなくちゃいけなくてその……何度か寝込んだりしてたのを忘れられないらしくて……」

 なにせ、ラティが砂漠の王宮魔術師として就任した初仕事は、王を眠らせることなのである。初めのうちは毎日だった。毎日、毎日、魔術で守られた眠りの中にしか、王は安らぎを得られなかった。一週間が経過して、料理人たちが目を赤くしていたことをラティは覚えている。

 夕食の時間を急かされたのだそうだ。古参が覚えのある限り、眠れなくなってから初めてのことであったという。それから、少しずつ食事の量が増やされた。今では執務室の手が届く場所に、簡単に口に運べる甘味まで常備されるようになった。最近は冷え性もすこしましになってきたのだという。

 エノーラは深々と息を吐き出した。

「それで砂漠は心配性が多いのか……」

「まあね。エノーラの顔色がよければ、そんなには言われなかったと思うけど」

 エノーラが持とうとしていた報告書を奪い、ラティは笑顔で首を傾げた。砂漠の城務めは確かに心配性が多いが、過保護ではない。他国の客人にまであれこれ指図する程、お人好しでもない。それなのに連絡は瞬く間に城内を駆け巡り、ラティの元まで届けられた。フィオーレが魔力酔いさえしていなければ、確実に呼ばれていただろう。

 使わない一室に押し込められたエノーラに会いに来る途中、すれ違ったキムルは苦笑いをしていた。僕には止められなくてね、との言葉が全てだ。無表情で目を向けてくるエノーラに、ラティは視線を重ねて懇願した。

「追い詰められないで、エノーラ」

 相談して、だとか。頼って、だとか。言葉を伝えられないのは、ラティには手が届かない領域であるからだ。錬金術師の中でも、たった一人。エノーラだけがその場所まで走っていける。辿り着く手段はエノーラしかない。その意思、その力しか。止めることしか、ラティには出来ない。

 それでもまだ、止めることは出来る。その言葉は残されている。時間も。

「お願い」

 もう、間に合わないと。取り戻せないと嘆く程では、ない。占星術師だからこその予感をもって暗に告げるラティに、エノーラは不愉快そうに眉を寄せたまま、しばらく返事をしなかった。瞼が下ろされる。その奥に苛立ちを押し込めるように。やがて、目を開いて。エノーラはようやく、ぎこちなく、笑った。

「……私そんなに、ひどい?」

「うん、余裕ないんだなってすぐ分かる。顔色悪いし、すぐ苛々してるよね……報告書も、さっきから同じ所読んでるよ」

「市街地と城内の魔力の安定度が、明らかに違うの。何回も確認したくなるくらいにはね」

 気がつかなくて読んでいたのではないと告げながら、エノーラはラティに言葉を叩きつけかけ、口に手をあてることでその衝動を封じ込めた。どうして気がつかなかったの、なんて。ただの結果論だ。砂漠に訪れる他国の魔術師が、いなかった訳ではない。誰からも報告はなかった。それが全てだ。今に至る全て。

 それでも。誰かを責めて、責任を押し付けてしまいたい。

「……二時間で起きるように調節するから。休んで、それから……また、頑張ってくれる?」

「もちろん」

 怖い。弱音を零してしまいたい。意思と感情は読み取れている。だからこそ怖い。理解ができないものがそこにある。虚勢を張る足元が崩れてしまいそうになる。笑え、とエノーラは己に命じてラティを見返した。

「私にしかできない。だから……私を使うことに罪悪感なんか抱かないでね、ラティ」

「……レディが起きてくれたらなって、思う」

 エノーラの手を引いて寝台に押し込め、魔術の準備をしながらラティは呟いた。火の魔法使いは、エノーラの親友だ。手伝えることがないにしろ、傍にいるだけでも楽になることがあるだろう。そうね、とエノーラは素直に頷いた。いて欲しかった。無責任でもいい。大丈夫よ、と笑って。頑張れ、と言って欲しい。

 背を押して欲しい。暗闇の中へ走り出していく為に。

「……なにか見たい夢はある?」

 脱力して目を閉じたエノーラに、ラティが囁く。夢を導く術だけに長ける占星術師。できることを、それでも諦めずに追い続けた研鑽の術は、どの魔術師をも凌ぐだろう。申し出が好意だと分かっている。それでも受け止める気持ちになれず、いいわ、とエノーラは首を振った。

「いらない。……ごめんなさい、ラティ。今、あんまり……優しくされたくなくて」

「分かった。いいよ、気にしない」

 おやすみ、と囁いて魔術を発動させる。夢のない眠りはすぐ、エノーラへ染み込んだ。顔色の悪さを気にしながらも立ち上がり、書類を整え、ラティは空になった食器を持って部屋を出た。たった一度、ほんのちいさな魔術だけで魔力が空になったのを感じる。ラティは目を伏せて、できることをした、と呟く。誰もが今、できることをしただけ。

 後悔にも似た感情をねじ伏せて、前を向いた。




 通りすがりに飴を渡すくらいの気軽さで、魔力を押し付けるのはやめて欲しい。お疲れさま、これで元気だして、と肩をぽんと叩かれて受け渡される魔力で、ラティは足元をふらつかせながら王の執務室へ帰りついた。気分としては食べ過ぎのそれに近い。胃がなんだかぐるぐるしている気がする。そんな筈もないのだが。

 ラティの魔力総量は白魔法使い曰く、三ミリリットルくらいである。水器はその分しか受け止めきれず、遠慮なくざばざば注がれた分は、行き場をなくして体の中を循環する。悪酔いにも似ていた。ただいま戻りました、と呻くラティの顔が青褪めていたからだろう。心配しながらも不愉快そうに眉を寄せ、砂漠の王は吐息と共に問いかけた。

「なんで見舞いに行って体調崩してくるんだお前は……」

「な……なんか魔術必要なことありませんか陛下……。吐きたいんです違う間違えた魔力使いたいです……っ!」

 じんましんがでたらどうしよう、と膝をついて嘆くラティに、王は大まかに理解したようだった。ほいほい受け取ってくるなよと呆れた顔で呟かれる。

「それじゃあ、許可してやるからなんかそのあたりを適当に祝福……ああ、いや、今やると魔力測定に影響でるか。……測定終わったヤツから無差別に眠らせるとかなら行けるか……?」

「陛下。通り魔のような提案をされるのはいかがなものかと……! 時に最近寝不足だったり致しませんでしょうか……っ?」

「寝てるから安心して他の方法を考えろ」

 陛下今日もハレムから朝帰りでしたものね、とにこにこしながら立ち上がったラティに、意外と放っておいても大丈夫じゃないのか、と疑惑の視線が向けられる。しかし歩み寄る足取りがやや心もとないのを見止めて、王は額に指を押し当て目を閉じた。記憶を探る沈黙。夜明けのように瞼が開かれる。

「ソキが先日、呪いを具現化したって言ってたろ。あれは出来ないのか?」

「なにか呪いたい案件ございました……?」

「やめろ素振りをするんじゃない。撲殺を目論むな魔術師だろ……言い方が悪かった。祝福を具現化して、置いておくことはできないのか? 祝福、祝福だからな、ラティ。呪いじゃなくて」

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