暁闇に星ふたつ:75


 ラティの剣を注視しながら、メーシャが強張った表情で問いかける。ラティの魔術師としての武器は、長剣ではない。純粋に、使い慣れた実用品である。ラティはメーシャの肩を落ち着かせるように叩くと、やや非難がましげに教員たちを見た。

「やだ、もう。誰か説明しておいてあげなさいよ。……あのね、メーシャ、違うのよ。他国の魔術師が城に多数いる訳でしょう? 実測調査とはいえ、ほら、部外者といえば部外者だから。市街地だったら別にね。でも城内だから。どの国でもこうして警戒するものなの。まあ、避難訓練とか、そういうのと同じだと思っておいてくれれば大丈夫。たまには警戒しないとね? それに、陛下の機嫌が悪いのは……」

 視線をさ迷わせ。口元に手をあてて。堪えきれず、ラティは笑いに吹き出した。

「フィオーレが風邪引いて寝込んだの、心配で苛々してるだけだから。可愛いでしょ?」

「……風邪?」

「というか、魔力酔いというか、二日酔いというか。自家中毒? 魔法使いには時々あるみたい。……ナリアンくん、メーシャも。なにか体調、魔力、おかしいなって思ったらすぐにロリエスとストルに言うのよ。慣れない環境で、慣れない作業を緊張しながらしてるんだから、疲れて当然。休憩は甘えじゃなくて、適切な作業の一環として考えること。分かった?」

 フィオーレとラティで王の身辺警護を担当する予定であった関係もあり、佩剣が許可されただけなのだという。重ねて、安心させるように語りかけ、それじゃあ調査頑張ってね、と言ってラティは執務室の中へ戻ってしまった。もうすこし話したかった、という顔をしながら、メーシャは恥ずかしそうに視線をさ迷わせる。

「俺……そんなに不安そうな顔、してたかな」

『緊張はしてた。大丈夫だって、メーシャ。慣れる慣れる』

 ソキがありあわせの布で作った『ようせいさんのおでかけかばん』を下げながら、ルノンが楽しげに飛び回る。角砂糖をひとつ、持ち歩けるばかりのちいさな袋が、よほど嬉しかったらしい。ニーアも同じものを下げながら、大丈夫よナリちゃん、とロリエスの肩の上に腰掛けていた。

『ナリちゃんは花舞へ行くのですもの! ね、ロリエスちゃん!』

「ああ、ニーアの言う通りだ」

 俺の思っている方向の大丈夫と違いすぎてなにも安心できない、としんだ目になるナリアンの肩を、ごめんねと告げるようにメーシャが叩く。そうしてからすこし不安げに、メーシャは微笑んだまま佇むストルと、チェチェリア、ウィッシュを順番に見比べた。

「……進路って陛下が決めているんですよね?」

「基本的には」

「俺と……ロゼアと、ソキの進路って、別にまだ決まってないんですよね……? 卒業資格も、ないし……」

 俺もまだ卒業資格なんてないんだよメーシャくん、とナリアンの半泣きの声が響く。ロリエスが黙々とニーアに角砂糖を差し出して買収する沈黙の中、ストルがにこ、と小奇麗な笑みを浮かべて頷いた。

「基本的には、な」

「先生安心できなくなりました! 先生……っ?」

「だ、大丈夫だよ、メーシャ。ストルね、たぶんね、ちょっとメーシャをからかって遊んでるだけだから。俺がけんめいに、めっ! てしておいてあげるからね、メーシャ! 大丈夫だよ! たぶん!」

 全力でたぶんとか言わないで欲しかった。もう、ストルはめっ、めっだよっ、と必死に叱ってくれているらしいウィッシュの声がほんわりと空気を揺らす。さあ気を取り直して調査をしよう、とチェチェリアが声をかけて促すまで、ナリアンとメーシャは頭を抱え、強く生きようね、と励ましあっていた。




 あっルルク先輩です聞いて聞いてきいてくださいですうううっ、とはしゃぎきったとろとろふにゃふにゃの声で、脚にぎゅっと抱きつかれて呼び止められたので、ルルクは無言で祈りを捧げた。神に祈るしかなかった。次の休みには廟に行って世界平和の為に祈ろう。

 神様ありがとうございますソキちゃんかわいいです嫌われてなかったよかったほんとうによかった。

「えっと……えっと、なに?」

 急に泣き崩れたりすると『花嫁』が動揺します。内心は決して表に出さずに平静を保ちましょう、という『お屋敷』の講習を全力で思い出しながら、ルルクはなんとか息を吸い込み、普段通りと念じながらソキに向き直った。ふにゃあぁあんっ、としあわせそうに鳴かれる。

「先輩きいてきいてあのねあのねあのね! きゃぁんきゃぁんなんですやぁあんやぅふにゃあぁーっ!」

「ソキ。ぎゅってして呼び止めるのは駄目だろ」

 次の授業を休講にして不安定魔力の調査に出かけた講師と、談話室へ来た己の判断を全力で褒め称えながら意識をなんとか安定させる。深呼吸をしてから改めて向き合うと、ソキはロゼアに抱きかかえなおされ、ソファの上でだーめー、と言い聞かされている所だった。

 だぁ、めーっ、とふにゃんふにゃんした声で繰り返しているソキが、ロゼアの言葉の内容を理解しているとは、ルルクも思わない。それ所ではなさそうだった。ソキは興奮で顔を赤くしてきゃぁきゃあ身をよじり、ルルクに対して座って欲しそうに、ソファの空席をちらちらと見て寄こしている。

 ロゼアがルルクを見て、にこ、と笑った。

「お座りにならないんですか?」

 早く座れよソキが呼んでるだろ、という音声が聞こえた気がした。気のせいだと思いたくてしんだ目になるルルクに、ソキはロゼアの腕の中から、我慢できない様子ではしゃぎ声をあげる。

「先輩あのねあのね内緒のおはなしなんですよないしょなの! ないしょなんですけどねあのねあのねっ」

「ソキ。ルルク先輩が座るまで、ちょっと待とうな。ないしょのお話したいんだよな」

 俺には内緒なのに、という不機嫌が見えそうな笑顔だった。笑顔だが、ロゼアの機嫌は確実によろしくない。ちょっとなにこれ天国と地獄が隣り合ってるんだけどいまひとつ分かることは私は確実にしぬ、という覚悟を決めた表情で、ルルクはおずおずとソファに腰掛けた。

 すかさず、ロゼアの膝の上から、ソキがちたちたと手招きをする。顔を寄せてやると、あのねあのねっ、と興奮しきった声がルルクの耳にそれを囁いた。

「そ、ソキ、ソキ、きょうねっ! ろぜあちゃんに、おし、おしっ、おしたおされちゃったんですううううきゃぁあああああっ!」

 その、ロゼアの膝の上で全力で叫ぼうとはしゃごうと、本人に言わなければソキの中では内緒に含まれるらしい。へー、そうなのよかったね、と頷きかけ、ルルクはまじまじと、そのロゼアを凝視した。数秒の沈黙。

「えっ……えっ? ロゼアくんが押し倒したの?」

「そうなんですううう! はぅ、はぅ、はぅ……きゃぁあああやぁああああんっ!」

『なんか朝からはしゃぎきってると思ったら……。そう、そうなの……アンタはアレを押し倒されたっていう解釈にしたの……』

 ルルクが視線を向けると、天井近くから妖精がぐったりと降りてきている所だった。傍らにはロゼアの案内妖精、シディの姿もある。おはようございます、と挨拶をすればシディからは微笑みが、妖精からは頷きが返された。ロゼアは穏やかに笑いながら、興奮するソキを宥めている。

 抱き寄せられ、ぽん、ぽん、と背を撫でられながら、ソキはうっとり、夢見る乙女の瞳で言い切った。

「押し倒されちゃたです……」

『押しつぶされた、ね。押しつぶされた。違いは大きいわよ、ソキ』

「ちょっとぷきゃんってしちゃっただけです……。これは大きな進展、というやつです……!」

 はうぅんやんやん、と頬に両手を押し当ててもじもじするソキは、相変わらずロゼアの腕の中である。ちら、と視線を向けたルルクに、ロゼアはやんわり笑いかけた。よく分からないが、ロゼアの不機嫌は解消されたようである。よかったと胸を撫で下ろして、ルルクは一応尋ねてみた。

「ロゼアくん。押した……つぶしちゃったの?」

「メーシャがいきなり飛び込んできて、俺もまだ眠っていたので……」

 とっさに庇いはしたものの、体重がかかったソキはしあわせにつぶされてしまったらしい。ぷきゅんっ、と声がして、しばらく動きもしなかったことだ。ああ、と息を吐き、ルルクはやっぱりどこか痛かったのかな、ごめんな、と改めてソキを撫でるロゼアに、感情を表現できないが故の真顔で頷いた。

「大丈夫だと思うわ……ちょっとしあわせの国に旅立ってただけだと思う……」

「なんですかそれ」

「……ソキちゃん。よかったね」

 ロゼアにぺっとりくっついて、ようやく落ち着いた顔をしたソキが、うっとりしきった表情でもじもじと頷く。思わず手を伸ばして髪を幾度か撫でてから、ルルクはさっと立ち上がった。行っちゃうの、とばかりソキがいて欲しがる視線を向けてくるが、妖精たちは理解ある眼差しで頷いた。

 ルルクは妖精に頷き返し、ソキと視線を合わせて微笑する。

「また用事があったら、いつでも呼んでね。だからなにとぞロゼアくんを……ロゼアくんの機嫌を……うん……」

「ロゼアちゃんのごきげん?」

 目をぱちくり瞬かせ、ソキがロゼアを振りかえる。にこ、と笑うロゼアに不思議そうにしながら、ソキはんしょっ、と呟き、ぺとんと頬をくっつけた。

「ロゼアちゃん、どうしたの? もしかして、また魔力がお風邪をひいてるです……? ソキが看病してあげるぅ……!」

「なんともないよ。ありがとうな、ソキ」

『コイツほんとむっつりだな』

 白んだ目で妖精が呟くのに思わず頷いてから、ルルクはロゼアの方を決して見ず、振り返りもせず走り去った。不思議そうに首を傾げるソキの傍まで降り、シディがロゼア、と頭の痛そうな声で諭す。俺はなにもしてないよ、としれっと言い放ち、ロゼアは膝から降りようとするソキを、しっかりと抱き寄せなおした。

 降ろす気がないようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る