暁闇に星ふたつ:62



 小冊子の描かれた地図に、赤い丸がいくつかつけられている。さっと目を通して、ロゼアは難しそうな顔をした。

「裏路地の……日当たりのいい静かな場所を探せば、まるまるして寝てるのに会える、かも」

 騒がしい場所は嫌いで、逃げてしまうのだという。人にもあまり慣れることがないので、都市部にいることはごく稀だ。ただし、餌付けはできる。甘いお菓子を食べていると、においにつられて出てくることもあるらしい。説明を聞きながら、メーシャの視線がすいとソキに移動する。ソキは熱心にアスルをもふもふしている。

 ナリアンも、無言でソキを見た。アスルをもふもふもふもふしながら、ソキがちらっと視線をあげて首を傾げる。なあに、と言いたげなのに微笑んで、ナリアンとメーシャは頷きあった。

「会えなさそうな気がしてきた」

「俺も」

 というかロゼアを連れて行ってそこらを歩いてれば出てきてくれる気がしてきた。俺も。一緒に行って、と言わんばかりのふたりの視線に、ロゼアは無慈悲に留守番だし課題があるしソキと暖かい場所にいるよ、と言い切った。ええ、と諦めきれない視線がアスルに向けられる。

 まったく話を聞いていなかったので、取られると思ったらしいソキが、あわててアスルを抱きなおした。ぷ、と頬を膨らませるソキに、笑い声が響く。

「大変だな、ソキ。……私も野生種を見たことがないから、気にはなっているんだが……そうか、ロゼアを連れて行けばいいのか」

「あ。チェチェ先生です。チェチェ先生、おはようございますです」

「おはよう、ソキ。今日も可愛いな」

 ゆったりと歩み寄ってくるチェチェリアの傍らには、キムルの姿もある。おはようございます、と各々が挨拶をするのに、錬金術師の男は微笑しておはよう、と返した。視線は、アスルの元へ向けられている。へえ、と改めて関心する呟き。

 だめです、あげないです、とさらにアスルをむぎゅっと抱いて、ソキはあどけなく首を傾げた。

「チェチェリア先生と、キムルさんも遠足へいくの?」

「……遠足?」

 不思議そうに繰り返すチェチェリアに、ナリアンが無言で小冊子を差し出した。本題が二重線で訂正されたそれを、しばらくなんとも言えない顔で見つめて。ああ、うん、とチェチェリアは理解を放棄した諦めの顔で頷いた。

「そうだな……。ウィッシュとロリエス、ストルも一緒だよ。砂漠からも何人か行くが、向こうは現地集合だからこちらへは来ない。……キムル。今気がついたんだが、なんでリトリアはストルを迎えに行ったんだ?」

「口実だね。したたかになって……」

 最近のリトリアは、あれこれ口実を見つけては、せっせと星降に通っている。もちろん、移動には白魔法使いの同行が必要であるので、毎日ではないし、外泊もせず帰ってくるのだが。沈黙する保護者たちの背から、悲鳴混じりの疑問があがった。

「え、ええっ。リトリアが迎えに行っちゃったのっ? え、それほんとにちゃんとストル来るのっ?」

「疑いしか向けられないストルくんって逆にすごいと思うわ。でも安心してくれていいわよ。ストル絶対萎える仕様だから、今日」

「エノーラ今日はなにしちゃったの……? というかエノーラはなんでそういうことしちゃうの……?」

 半ば怯えた視線を向けるウィッシュと連れ立って、エノーラが談話室を横断してくる。そろそろ集合時間であるらしい。外に行かなくていいんですか、と問うロゼアに、エノーラはなにを言われているのか分からないわ、とばかり瞬きをした。

「外寒いじゃない」

「……皆さんはなんで外に集合されているんでしょうか」

「集合場所が外だからよ?」

 ロゼアは微笑んで、そうですかと頷いた。会話を続けるのを諦めたらしい。君、眠ってきたんだろうねとキムルに話しかけられて、エノーラは心から嫌そうに眉を寄せてみせた。

「うさぎちゃんの膝枕で寝落ちした話する? 男の膝枕で眠るだなんて……柔らかくていい匂いした悔しい……。女の子の膝枕よりいいかもとか思っちゃったじゃないの悔しい……」

「問題が性別だけに絞られているのが、実に君らしくて安心するよ」

「エノーラ。リトリアになにを?」

 喧嘩するなら離れなさい、と夫と友人を引き剥がし、チェチェリアが溜息混じりに問いかける。別にへんなことはなにもしてないわよ、ときっぱりと言い切り、エノーラはそれでも眠そうに、ひとつあくびを噛み殺して言った。

「だって、フィオーレが現地集合したいって言うから。反省札を改造して誓約書を名札代わりに、こう」

「なんて書いたの?」

「『私は白魔法使いがいなくても勝手な行動をしません』と『なお、この札が貼られている場合、監視が強化されています』に『全ての言動が保護者に通知されます』で」

 エノーラじつはストルに嫌がらせするの好きだよね、とウィッシュは呆れながら言った。エノーラは別に積極的にストルを嫌いではないのだか、親友であるレディがとにかく敵視しているのと、可愛がっているリトリアがそのうち手込めにされるのが分かりきっている為に、機会があれば手を抜かない。

 メーシャが遠い目で師の不遇を労っていると、そのストルが談話室に現れた。傍らにはリトリアを伴っている。思わず、場の全員がリトリアの着衣の乱れを確認した。視線の意味が分かったのだろう。ぱっと頬を染めて背に隠れるリトリアを庇いながら、ストルは深々と息を吐く。

「なにもしていない、と言わないといけないか?」

「保護者に通知ってえぐいもんね……」

 というか、保護者設定は誰にしたの、とウィッシュの問いに、エノーラはけろっとした顔で陛下、と言った。すなわち。楽音と花舞の陛下である。希望があったので白雪の陛下も追加したけど、と続けられて、ストルへの視線が同情的なものに進化する。その状況でなにかできる魔術師は存在しない。

 砂漠の王が名を連ねていないのは、成人してるんだから自制させて自由にさせてやれよ、ということから。星降の王が不在であるのは、リトリアはそんなことしないもん、というふわふわした希望故である。

 煽ったり誘ったりしなかっただろうな、と義務感溢れたチェチェリアの言葉に、リトリアはもじもじしながら頷いた。

「うん。あのね、ぎゅっとしてってお願いしただけ」

「……そうか」

 諸々を諦めた笑顔だった。ストルの肩を、ウィッシュとキムルが叩いて労う。ぎゅうはきもちいいですからね、とソキだけが理解を示していた。

「……ところで。誰かフィオーレを見なかったか。話がある」

「フィオーレ、今度はなにしたの?」

「俺も会っていないが、どうもツフィアを避けているらしい。気落ちしていた」

 今日は現地集合だよ、とウィッシュから聞かされて、ストルが不機嫌そうに頷く。これはフィオーレさんたら先生のお説教かな、と思いながら、メーシャはストルの傍らに駆け寄った。慌てて、おはようございます、と挨拶してくるリトリアに、華やかに笑いかける。

「おはようございます。リトリアさん、先生を借りて行きますね」

「はい。メーシャさんも、頑張りすぎないでくださいね。ストルさん、気をつけて。行ってらっしゃい」

 チェチェリアが止める間もなく。背伸びをしてストルにぎゅうっと抱きついたリトリアは、胸に頬をくっつけすり寄って、ひとしきり堪能したのちに離れた。

「夜はお帰りになられるのでしょう? あの、お部屋で待っていてもいい……?」

「やめてあげなよ可哀想だよ……」

 反射的に本気で言ってしまったウィッシュに、リトリアはくちびるを尖らせて首を傾げる。

「今日の調査、そんなに大変なの?」

「んっとね、あのねリトリア。ストルだって男だからね、なんていうか襲」

「はーいウィッシュそろそろ集合場所へ! 移動しましょうか! はーい皆行くよー! ナリアンくんも行こうか! ロリエス来たし!」

 同僚であるが故の慣れ切った仕草としてウィッシュの口を手で塞ぎ、エノーラはリトリアから視線を逸らして歩き出した。え、ええ、と不満そうにしながらも場に留まり、リトリアはすでに疲れて帰りたそうなチェチェリアとキムルを見送り、ナリアンとメーシャに頑張ってね、と言った。

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