暁闇に星ふたつ:61


 寮の前にある開けた空間に、魔術師達が次々と集まっている。それはまさしく遠足の朝の集合めいていたが、集まっている者たちが全員成人していて、一部は正装もしている為になにか式典めいた雰囲気すら漂う。おはよう、久しぶり、元気にしていた、最近どうなの。ね、あの噂、どうなのかな。

 囁きはいくつも重なって響き、やがて大きなざわめきとなる。朝食を終え、授業までの時間を計りながら談話室にいたソキは、そのなんとも言えない雰囲気に眉を寄せた。空気が、ずっと落ち着かないでいる。ソファの背もたれに手を添えて体を伸ばし、すぐそこにある窓からぴょこりと外を覗く。

「……魔術師さんが、たーくさんです」

「ソキも魔術師だろ」

「あ! そうでした! んっとお……あ。先輩が、たくさんです!」

 これでどうですか、とそわそわわくわく見上げてくるソキの肩に分厚いショールを着せかけながら、ロゼアが穏やかな微笑で首肯する。きゃああん、としあわせそうな歓声をあげるソキを見守る眼差しは、どこか教員めいていた。

 ただ、教員は生徒をあんなに甘い目で見ることはない。なんか最近砂糖だよね、黒砂糖とか蜂蜜だよね、と寮生は視線を反らして囁きあう。

 以前が甘くなかったということは決して断じてないのだが、ここ最近、特にロゼアが甘いのだ。眼差しが。触れる仕草が。他者が見て、そうと分かるほど。いつもと変わらないと思っているのはソキだけである。もっとも、すこしの違和感はあるらしく、首を傾げてなにか考えている姿も時々目撃されている。

 十中八九、これはもしかしてソキのめろめろだいさくせんのしょうりというやつですぅーっ、とふんわふんわした声で叫んでもいるので、そういうこととして受け入れられている。女子有志がそっとロゼアに確認したところ、一線は越えていないらしい。なんか燃やされる気がするような笑顔だった、とのことだ。ことソキのそういう質問に関して、ロゼアは本当に怖い。

 換気したらお砂糖どうにかなるかな、寒いけど、と悩む空気が蔓延するのに、ちっとも気にした素振りなく。ソキはいそいそと座るロゼアの膝に乗り、体をぴとっとくっつけて言った。

「ロゼアちゃん? 先輩達が、どうしてお集まりなのか知ってるぅ? ソキが教えてあげるです?」

「んー? どうしてなの?」

 ロゼアが屈み、耳元を差し出して尋ねかける。ソキは自慢げにふんすと鼻を鳴らし、手で筒を作ってこしょこしょ告げた。

「あのね、あのね。今日から遠足なんですよ。二泊三日、なんですよ」

「そうだな。遠足だな。知ってて偉いな、ソキ」

「でぇえっしょおおお? ロゼアちゃん、ぎゅうは? ぎゅうはぁ?」

 肌に触れる吐息にくすぐったそうに笑いながら、ロゼアはソキの腰に腕を回し、引き寄せる。ソキ。響きはあくまで穏やかに。しっとりと響く声が零れていく。ふにゃ、とはちみつみたいな声をあげて力を抜いたソキを引き寄せ、体にくっつけて、ロゼアは満ちた息を吐く。

 ふふ、とメーシャの微笑ましそうな声が二人に降りた。

「二泊三日って行っても、夜は眠りに戻ってくるんだけどね。夕ご飯は間に合わないけど、夜、眠る前にでも顔を見られたら嬉しいな」

 しおり見る、と差し出されたのは小冊子だ。砂漠における不安定魔力の実測調査、という文字に二重線が引かれ、上に遠足のしおり、と書かれている。ロゼアはなにも言わず、小冊子を受け取った。王宮魔術師はなにか大事なものを失う程疲れているに違いない。いつものこと、とも思いもするが。

 ソキもロゼアの腕の中から、そわそわ、一緒に小冊子をみる。

「メーシャくん、メーシャくん。遠足ってー、なにをするです? ソキにもそーっと教えてください!」

「俺の知ってる遠足と違う……」

 やや絶望顔で、よろけながらやってきたのはナリアンだった。内容はそれとなく説明され、事前に課題を出されていたものの、遠足という単語に惑わされていたらしい。これただの実測調査だよメーシャくん、と灰色のまなざしで呻くナリアンに、同情的な視線がちらほら向けられる。

 アイツ素直だからな、と寮長の呟きが、寮生の総意だった。

「遠足って、観光名所に行って説明を受けたり感動したり、お土産を買いに行ったり名物を食べたり、食べ歩きしたり、おやつを食べたりするものだよメーシャくん……。これはただの調査だよ……ご飯の時間がない……」

「お昼とおやつの休憩はあるですよ、ナリアンくん」

 一日の予定、と書かれたページをぺちぺち叩きながら、ソキが慰めようとする。冊子叩いたらだめだろ、手を痛くするよ、と言いながら、ロゼアがソキの指を絡めて握る。ふにゃぁんきゃぁんやんやんっ、とソキが照れきったふにゃふにゃの声をあげるのに、ナリアンは和みきった顔で頷いた。

「よかったね、ソキちゃん……。ロゼアは留守番なんだよね」

「うん、応援してる。……そうだ、ナリアン。これ、よかったら」

 メーシャの分もあるんだ、と照れくさそうにロゼアが差し出したのは、甘い香りのする布袋だった。中をみると蝋引きした紙に包まれた焼き菓子が、数種類。わぁ、と顔を輝かせるふたりに、なぜかソキが自慢いっぱいに胸を張った。

「ロゼアちゃんの手作りおやつなんですよ? ほんとはー、ソキのなんですけどぉー、ふたりにもわけてあげるです。かんよーなおこない、というやつです」

 あ、あとソキも応援のきもちをあげるです、と言いながら、飴玉を無造作に詰め込んでいく。いちご、みるく、ぶどうに、はっか。はちみつ。

「これはソキの好きな飴の中でもいっとうおいしいやつなんですよ。きっとお疲れの時に元気をくれるです」

「……今食べてもいいかな」

「ナリアンくんはおつかれです、ソキがあーんをしてあげます!」

 ういしょういしょ、と止める間もなくソキが飴の包みを剥がし、ナリアンの口元へ差し出してくる。ロゼアは微笑んでいた。ナリアンは親友の笑みをじっくりと観察したのち、照れくさそうに口を開いて飴を食む。口元を手で押さえ、メーシャは震えるように笑っている。

「あ、あとね、あとね。砂漠はもうさむーいさむいですから、ソキはけんめいに頑張ったです」

 なんだよ。なんでもない。メーシャ笑い上戸だよな。そんなことないよ。あるよ。ロゼア楽しいんだもの。なにがだよ。全部かな。頭の上でぽんぽん交わされていく言葉を聞き流しながら、ソキはナリアンの腕を引っ張った。手を引き寄せて。えいっ、とかぶせたのは手袋だった。

 もこもこした毛糸で編んだ、まあるいてぶくろ。

「お指が分かれているのはね、時間がなかたですから、ちょっぴりちょっぴり難しかったです。これがね、ナリアンくんの。これがね、メーシャくんの。それでこれがー! ロゼアちゃんのー!」

 遠足でふたりが出かけると告知されてから、今日までは四日しかなかった。作業をすると聞いたので、指が動かせた方が絶対にいい、とは思ったのだが。パーティーの時の刺繍で腕を痛くしたことと、アスルをぽんぽん投げてロゼアを怒らせていた為に、手芸の時間がぐっと制限されていたのである。

 ナリアンくんとメーシャくんにはないしょでこっそり作るです、と。部屋で寝る前にちまちま編んでいたらしい。お揃いにしたんですよ、と言う通り、色が違うだけで形は同じてぶくろだった。ロゼアのものは柔らかな赤。メーシャのものは優しげな紺。ナリアンのものは穏やかな紫。

 おそろいだ、とくすぐったそうにてぶくろをはめ、メーシャは不思議そうに首を傾げる。

「あれ。ソキのは?」

「まにあわなかたです……」

 ロゼア曰く。ソキの諸動作の中で一番速いのが刺繍と裁縫、編み物である。それを持ってしても時間が足りなかったらしい。しょんぼりと肩を落としながら、遠足が終わるまでにはソキもご一緒仲間になるです、と呟くソキに、メーシャは楽しみにしてるね、と言った。

 アスルとおんなじ、ひよこ色にするらしい。ひよこ、と呟いてナリアンはアスルを注視する。結局アスルはひよこなのあひるなの、と訪ねるメーシャに、ソキはぴかぴかの笑顔で今日も聞こえないふりをした。アスルを膝に抱き上げて無心にもふもふしだすソキに、メーシャはさらに呟いた。

「でもアヒルの雛もひよこって呼ぶことあるよね……。ロゼア、アスルってほんとはなんなの?」

「ん? ソキのアスルだよ」

 まるっこくてほわほわふわふわの、きもちいいソキの抱き枕である。現在は武器も兼任している働き者だ。ロゼア曰く、砂漠の固有種で、いわゆるひよこともアヒルともちょっと違うらしい。だいたいアヒルっぽく、ひよこっぽい、とのことだ。全く分からない、とナリアンとメーシャは頷きあった。

「まあ、今から行くの砂漠だから……運がよければ見られる?」

「都市部にはあんまりいないよ。どこへ行くんだっけ」

「えっと……しおりに地図があったから、ロゼア見てくれる? いそう?」

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