暁闇に星ふたつ:59


 魔術師の持つ魔力量には個人差がある。エノーラは特別多くも少なくもなかったが、その代わりのようにそれを読み解く力に長けていた。世に放たれる祝福と犠牲の。

 あるいは、他のなにかの意思を秘めた心を。数字と式と言葉に変換して読み解ける。出来なかったことはない。それこそがエノーラを天才と呼ばせる異能であり。また、明らかな異常だった。

 エノーラが魔術師たちの中で孤立していないのは、純粋に性格の成せるわざであるとキムルは思っている。好きも嫌いもはっきりと口に出し、己が天才であることも、ひけらかし胸を張り口にする。

 それでいて、出来ないことを馬鹿にしない。エノーラと砂漠のラティの間に友情が成立しているのはその為だった。

 殆ど魔力を持たない魔術師が、劣等感に歪まずにいることもその本人の得難い才能そのものだ。しかしそうであってなお、エノーラがいなければラティとレディの間に友情が生まれたかは定かではない。ツフィアにしてもそうだった。

 言葉魔術師。まだあの男が事件を起こす前から、ツフィアはどこか遠巻きにされがちな女性だった。

 黙々と、ひたすらに研鑽を重ねる姿は必死で、痛々しくもあった。恐らくは学舎に呼ばれるのが、一歩間に合わなかったのだろう。未熟な魔術師のたまご。

 身に巣食う魔力は、本人の意志に関係なく、あるいはそれを読み取って無制御のままで発動する。してしまう。それは、だいたいが不幸だ。覚えのある者は幾人か。しかし誰も、声をかけようとはしなかった。

 放っておいて、と少女は言った。冷ややかな、世界か、あるいは自身に対する怒りを覗かせる瞳で。近寄らないで、と言い放った。それを周囲が受け入れれば、少女は孤高の魔術師として名を馳せただろう。

 同期がエノーラでさえなければ。二人きりの同年入学でしょ、と笑って、冷たい拒絶もなにもかもご褒美、とうきうきしながら手を引いて、連れ回し振り回したエノーラさえいなければ。

 エノーラは入学した時から、暇さえあればツフィアに構い倒した。強引でわがままで身勝手なまでに。相手の都合など一切かまわずに。お話しよ、勉強しよ、お風呂入って一緒に寝よう大丈夫なにもしないから。

 手を繋ごう。一人じゃないって私を安心させて。エノーラがなにかするたび、二言目にはツフィアの名があった。

 ひっきりなしにツフィアが呼ばれた。リトリアが入学するまで、その名を最も呼んで振り回していたのがエノーラだ。よって。冷ややかな拒絶の意味が変わるのは、すぐのことだった。

 たまには一人になりたいよね、と誰もがツフィアに頷いた。静かに勉強したいこともあるよね。誤解と理解がある為に、拒絶は断絶にならなかった。

 そしてリトリアが現われて、ツフィアは人々の輪へ戻った。穏やかに。手のかかる幼子を介して、ツフィアは時に騒がしい学園の中心ともなった。

 ストルを叱責し、リトリアにあれこれと注意し。チェチェリアに相談し、パルウェと苦笑しあい、エノーラに怒り、フィオーレを睨み、キムルに溜息をつき。交流は絶えなかった。

 ただ、穏やかに続いていた日々が断ち切られたのはソキの誘拐があってこそ。言葉魔術師が、恐るべき適性が、明確な意思を持って牙を向く前例となり。ツフィアにも疑惑の目が向けられてからだった。親しい友人たちは、がんとしてそれを跳ね除けた。笑いさえした。

 ツフィアはしない。そんなこと絶対に。

 リトリアは笑い、ストルも励ますように口にした。けれども、その二人だけではなく。ツフィアはしない、と訴える者は何人もいた。王へ、魔術師へ。人々へ。その数の多さがエノーラが繋ぎ、リトリアが広げたツフィアの財産だった。

 どうしようもなく王に囚われ、ツフィアの身から自由が奪われても。友人たちは冤罪を訴えることをやめなかった。

 言葉魔術師を『安全に』捕らえる場所を作れと命ぜられたのは、エノーラだった。キムルが覚える限り、エノーラがあんなにまっすぐにきっぱりと、王に反抗したのは、その一度きりであったように思う。

 嫌です、と。臆することなく、まっすぐ。己の信じるものを、信じきった者の眼差しで。背を正し、目を反らさず、何度でもそう繰り返した。

 友を繋ぐ檻を私に作れと仰るのですか。なにもしていない彼女を、私の力でいつ終わるとも知れぬ意味のない贖罪に突き落とせと言うのですか。嫌です。そんな命令は絶対に聞けない。

 嫌です、と繰り返して。エノーラが泣く。涙を見たのも、その時がはじめてだった。

 錬金術師たちが集められたその場所で。できます、と言ったのはエノーラひとりきりだった。その檻を私なら作れます、と。天才の呼び声ひとつを誇り高く胸に宿して、錬金術師はそう告げて。それでいて、無力な少女のように泣いた。それを叱責したのはキムルだった。君がやるんだ、と腕を掴んで言葉を告げた。

 世界で一番優しい檻を、彼女へ贈ろう。もう誰も彼女を傷つけないように。君が繋いだあの日々が、リトリアを得て花開いたように。また、その日が来ることを信じて。涙を拭って、歯を食いしばって。エノーラは、分かったわよ、と頷いた。降り積もる時ごと停止した琥珀色の瞳。感情が渦巻いてひどく凪いでいた。

 瞳は。その時と、同じ色をしている。

「……気持ちは分からなくもない、かな」

 吐息をひとつ。キムルは思考と筆記の手を止めて、椅子から立ち上がらずに室内を見回した。中規模な会議場。集められているのは錬金術師ばかりだった。新顔もいくつか。

 あの時から、いなくなった者もいる。完全に同じではないと言えど、事件の為に錬金術師が五王の命あって一室に集められたこの状態は、あの断絶を思い起こすのに十分すぎた。

 エノーラは隣に座るキムルに視線を向けただけで、一時も筆記の手を止めなかった。意地のように増えていく紙の量は、場の誰より多いものだ。ソキの呪いを読み解き、なにを訴えたいのかを明らかにせよ。

 エノーラとキムルが犯人の筆頭の可能性ありとして告げられた、事故のような事件に対し、下された命令がそれだった。

 筆記速度の限界に挑むようなエノーラの仕事ぶりに、ぽつりぽつりと視線が集まっていく。やる気があって挑んでいる者はなく。エノーラとて、あるのは怒りだけだろう。誰もが手を止め、沈黙が降りる。

 キムルが溜息を吐いた。エノーラが瞬間的に手を止め、顔を上げる。

「……っていうか、この無駄な作業になんの意味があるっていうのよ!」

「あ。切れた」

 室内からぽつりと呟かれた言葉に、エノーラは切れもするわよっ、と絶叫して筆記具を投げ捨てた。

「終わった! もうしない! 馬鹿!」

 あああもうほんとにっ、と苛々しきった荒々しい態度で、恐るべき速度で紙束を書類として纏めながら、エノーラは誰もが薄々感じていたそれをもう我慢ならないとばかり言いきった。

「大体! 私でもキムルでもないんだから! 犯人なんてシークに決まってんじゃないのあのくそ野郎! 死ね! ほんと死ね! 難しければ私が殺す!」

「うわぁ……。落ち着きたまえよ……」

「だって証拠がないだけでどう考えてもあの野郎でしょうよこれーっ! この間のストルくんとツフィアの報告書のあれだって、あの野郎がなにかしたに決まってるんだから……あああ、もう……!」

 一時も手を止めずに紙を綴じ小冊子のようにした報告書を、エノーラは憎々しく机に叩きつけた。

「犯人は分かってるじゃない! 証拠を集めろっていう方がおかしいのよ! 殺せ! 殺す! 私が殺す!」

「エノーラ。『言葉魔術師を殺してはならない』」

「その理由を! 私が納得できるまで! 持ってこいっ!」

 怒り狂った声で、目で、エノーラは言葉を叩きつける。突然の暴発ではない。よくぞ今まで我慢してみせた、とキムルは感心すらしていた。エノーラはもっと早くに、ここまで怒ってもおかしくはなかったのだ。ツフィアの檻を作れと命じられた日でも、私しかできないと呟いて、設計に眠れない夜をいくつ重ねた日々の末でも。

 とうとう檻を完成させて、それを五王に報告した日でも。その褒賞のように、かねてから希望していた白雪の国へ、王宮魔術師として迎えられることが決まった日でも。耐えてみせた。すこし前、ツフィアが書類の閲覧を希望しているからと、声や視覚、感覚を封じる魔術具を依頼された日でも。

 私だけでしょう、と誇り高く笑って耐えてみせた。どれほどの想いだっただろう。キムルは知っている。エノーラが、それこそ、異質として異端として、魔術師の中ですら忌避されかねない天才として目覚めてしまった魔術師の少女が、同じ年に入学することになったツフィアという存在に、どれほど救われていたのかを。

 大事なの、ねえ、みてみて、と。無邪気に無垢に胸を張って、みせびらかすように、宝物のように、大事にしていた存在を。言葉魔術師の男が奪った。その行いが。その疑惑が。冤罪というにも足りない、ただの言いがかりが。エノーラからそれを奪った。そして、枷を強いたのだ。

 エノーラは、よく耐えた。憎悪に身を浸すことなく、それでも、いまも、耐えているのだ。怒りで。怒りだけで。

「……アンタたちはなんで怒らないのよ」

 立ち上がった椅子に座りなおして、エノーラはキムルと、集まった魔術師たちを睨みつけた。なんでって、ねえ、とキムルは苦笑してエノーラの視線を追いかける。交わされる目に宿る意思は、誰もが同じ。苦笑して肩をすくめて、キムルはエノーラと向かい合うよう、椅子を置きなおして腰かけた。

「君が怒ってくれたから、僕たちは何度でも冷静になれるのさ」

 エノーラの魔力量は平凡だ。才能だけが特出している。だからこそ、定義においてエノーラは魔法使いとは呼ばれない。フィオーレやレディのように。けれども、錬金術師がエノーラに対して感じる淡い憧憬は、まさしくその名を持つ者に対するそれだった。

 どうぞご指示を、とからかうようにキムルが告げると、忌々しい舌打ちと共に睨みが向けられる。瞳に涙はない。勇ましく猛り怒る。錬金術師の至宝。

「犯人はシーク。砂漠の、言葉魔術師シークよ。証拠はないけど私はそう思う! だから必要なのは証拠! あの男を追いつめる証拠よ……っ! これより錬金術師は総力をあげて、その証拠を洗い出す。残留魔力、疑わしい資料。なんでもいい! 私の前に持ってこい! 私が全部、読み説いてやるっ……! キムル!」

「はいはい、勇ましいお嬢さん。なにかな?」

「手伝いなさいよ余裕ぶっこいてないで! 私の手助けできるのなんて、あなただけなんだからっ! 他は、ロリエスの調査に同行して、残留魔力の調査と記録をしてきて。なにも残さず。……あと、フィオーレとルルクの調査も引き続き、白魔術師と協力して探ってみて絶対どっかにシークの魔力がある筈だからっていうか私にもあるんだとしたら吐きたい! 吐くっ! なにもうやだどうすればいいの血っ? 血を抜けばいいのっ? やだやだ気持ち悪い許し難いああああもおおおおおあのくそ野郎の魔力が私の中にあるのかあったのかと思うだけで殺すっ!」


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