暁闇に星ふたつ:57
妖精が説明を受けて整理した所によると、また騒ぎを起こしたソキの為に、授業が課題提出式に切り替わってこのような状態になったらしい。
普通の座学よりもソキの理解がはやく、正確であるので、状態が落ち着いたあともこのままの方が良いのではないか、と意見が出て検討に入っているとのことだった。
あっちへこっちへ教科書や筆記具を持ち歩き、教室を渡り歩いて受ける座学は、ソキの体力では難しいままである。
一年の休学状態に等しかったソキの指南役を、ロゼアが請け負ってから、さらに成績は上昇し続けているらしい。
妖精がみた所、ソキはロゼアにべったりひっつきすぎることもなく、ひたすらに教科書を読んで問題を解いては、考え込み、また教科書に戻り、参考書を手に取り、どうしてもどうしてもわからない所だけをいくつか纏めたあと、ようやくロゼアに声を掛けて問う、ということを繰り返していた。
甘えて全部読んでもらったり、教えてもらうこともなく。その態度は集中しきっていて、誠実で、勤勉だった。ふむ、と妖精は考え込み、早々に結論を下す。そもそもソキは、大人数の雑多な状態の中に身を置く、ということに慣れていないのだ。
座学の、集団という中では、その状態こそが負荷を掛けていたに違いない。本人は意識していなかっただろうが。
談話室は、静かだった。それでいて静かすぎることはなく、人のいる穏やかさに満ちている。様々理由はあるだろうが、ロゼアが部屋に籠もりきりになるのではなく、わざわざソキをこの場所へ連れ出しているのは、それが理由に違いない。
ソキの為の環境を整える為なら、どんなことでもする男である。妖精はうんざりと息を吐き、ソキが膝上に乗せたままにしている、アスルに視線を落とした。
ソキ曰く。あんまり覚えがないんですけど約束しちゃったですので、投げたら、あんまり投げたらいけなくなってしまったです。
アスルはちょっと休憩というやつです、今度は転がすです、という呪いつきのふわふわぬいぐるみは、つぶらな瞳で今日もソキの魔力を纏っていた。
発言を聞く分に、ソキが問題の本質をとらえて十分に反省しているとは思いがたかったが、ロゼアがどうにか、投げることを辞めさせたというのなら、そこだけは評価してやろうと妖精は思っていた。
そもそもコイツ投げるとかできたのかと妖精は思ったのだが、聞けば『お屋敷』でちゃんと教わっていたのだという。ロゼアの笑みが無言で深まったので、恐らく教員役は男以外の誰かであったに違いない。
つくづくソキに関して心の狭い男だ。こんな男やめておきなさいと妖精は正直なところ思うのだが、ソキのでもでもだってが延々と続くのが分かりきっていたので、今のところ、口に出す回数はそう多くない。
ううん、と眉を寄せて教本を読み込むソキの意識を引いてしまわないよう、音もなく。妖精はソキの膝上へ降り立った。そこへまるっこく乗せられているアスルの上へ。まとう呪いに直に触れる。
ソキが執念深い精密さで編み上げたその呪いに。触れて、読み解いて、妖精はしぶい顔をした。防衛だとすれば、やり過ぎている。攻撃だとすれば、後先を考えていない。呪いそのものは高度だが、運用がつたなく、連続性に乏しかった。
一撃必殺。ただし、後がない。確実にあたるようにとの術式も組み込まれている。定められればそれで最後。標的は逃れるすべを持たない。それはいい。だが、アスルはひとつである。
ひとつしかない武器を、どうして手元から離すのか。考えて、妖精は額に手を押し当てた。そうだった、と思う。慣れていないのだ。座学のざわめき、集団という場に、どうしても調和しきれず負担が積み重なっていたように。
守ることも、攻撃することも。それそのものに、ソキは慣れていない。そうするのはいつも、ロゼアの役目であった筈だ。ロゼアに託されてしかるべきものであった筈なのだ。妖精は白んだ目でロゼアを確認した。
すぐ分かる場所に、短剣がひとつ。柄に紫水晶の飾りが光っているので、これは魔術師としてのロゼアの武器だろう。武装と思うには首を捻るが、注視すれば他にもいくつか確認できた。
武器そのものの形は、巧妙に隠されている。しかし妖精の目は欺けない。魔術師であるなら、慣れ親しんだ物品には必ず、本人の痕跡が淡く残る。その無意識の性質を、意図して使える者だけを錬金術師と呼ぶだけで。
魔力は染み込み、痕跡を残す。魔術師の目は欺けたのだとしても。妖精の目から、逃れきれるものではない。見える位置に、ひとつ。すぐ取り出せる懐に、もうひとつ。背に、ひとつ。袖口にひとつずつ。
見れば靴にもなにか仕込んでいる。なにが、とまでは妖精には分からないが。
「……ロゼア。忠告しておいてあげるけど、魔術師が過剰防衛と判断されるとね。最低独房半月よ?」
ソキの呪いの威力も過剰であるが、理由が理由であり、被害者の数がまだ少ない為に見逃されたのだろう。ロゼアは妖精の言葉に、ごく穏やかに微笑んだ。頷かれる。
「過剰にするつもりはありませんよ。必要なことだけをします」
手加減をできないソキと違って、ロゼアはそれを心得ている。余裕さえ感じさせる態度に、妖精は苛々と羽根をぱたつかせた。
正直、妖精はロゼアが独房にぶちこまれようと罪に問われようと、指さして笑ってざまぁみろくらいしか思わないのだが。そんなことになったら大変なのはソキである。それこそ世界を呪いかねない。泣いて、泣いて。ロゼアを求めて。
ソキを守る、というのは難儀なことである。本人を安全な場所に置くのみならず、ロゼアをどうにかしなければいけないのだ。過剰防衛させないように、だとか。そもそもロゼア本人も怪我をさせないようにしなければいけない、だとか。
ロゼアが万一、ソキを守る過程で怪我をしたとなると、考えるだけに頭が痛い。ソキが怒り狂うことは目に見えていた。
世界に対して解き放たれる、怒りを乗せた『花嫁』の呪いがいかほどのものかは。すでにウィッシュが実証していた。
「ソキが傷つくようなことにはなりませんよ」
「……どうだか」
信じてやりたい、とは思う。他ならぬソキの為に。ロゼアの言葉を信じて、託すべきだとも思うのだが。どうも先日から信頼ならないような気がするのだ。妖精の第六感が、なぜかロゼアに対して苛々するのである。
荒れて波立つ水面のように。なにかが警鐘を響かせている。それは怒りに一番よく似ている。あるいは、不審と呼ぶべきなにものかに。
妖精は目を眇めてロゼアを睨んだ。息を吸い込んで、言い聞かせるように発声する。
「アタシは、ソキの味方しかしない。だからアタシは、アタシの判断と、ソキの意思を信じる。アンタじゃない」
「ええ。分かっています」
言い聞かせる相手が、己か。ロゼアなのか。判断ができない。妖精はロゼアを油断なく見据えた。なんだろう、と思う。いつもと変わらないいけ好かない男だと、思う。
でも、それだけではない気がした。気に入らないものが増えている。そんな風に感じる。例えるなら、身に纏う香水。良いにおいと感じるか、顔をしかめるかは個人の好みに寄るところも大きい。
その、気にならないくらいに微量だった、嫌なにおいが。増えている。すべり落ちる時計の砂のように。ぞろぞろと増えていく。それがロゼアのものなのか。それとも、押しつけられたなにかであるのかが。妖精には分からない。
それは馴染んで溶け込んでひとつになってしまっている。ロゼアと。そのなにかいやなものが。でもそれが、元々別個であったのか。最初からひとつだったのか。分からない。
ロゼアの案内妖精ではなかったからだ。
目覚めてすぐの状態を知らないからだ。シディを連れてくるんだったと悔やみながら、妖精はソキの脚をぺしっと叩く。
やぁん、とふわふわした声で嫌がられるのに、妖精はいいこと、と険しい眼差しで言った。
「ロゼアばっかり気にしてないで、アンタはちゃんと自分で! いい? 自分で、自分のことも、ちゃんと面倒見なさいよ?」
「はぁーい」
「あと……ロゼアを」
なんで。こんなことを言わなければいけないのか。どうせ聞きもしないであろう相手に。そのことにさらに苛立ちながら、妖精は己の第六感の命ずるまま、ソキにしっかりと忠告をした。
「ロゼアを信じすぎるんじゃないのよ」
妖精の言葉は魔力を帯びる。意識すればそれは、魔術師に対してはきとした警告となるだろう。わざわざそうしてやったのに、ソキはくちびるをつつんと尖らせて、またリボンちゃんはそうやってロゼアちゃんをいじめるぅ、と言った。
べしべしソキの太ももを叩いて嫌がられながら、妖精はシディに確認しておかなければ、と思った。必要であれば、羽根を掴んで引っ張ってきて、目視させるのがいいだろう。
妖精の感じる嫌なもの、を。ソキは『こわいこわい』と呼んでいる。
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